虫取り少年と虫食い姉さん
長月瓦礫
虫取り少年と虫食い姉さん
今日から夏休みだ。
蝉が朝から大合唱しており、目覚まし時計よりうるさい。
栄一は虫取り網を持って、公園へ出かけた。
今日の分の宿題はとっくに終わらせた。
親は仕事で家にいないし、友達は習い事が忙しいから、誰も付き合ってくれない。
自分一人だ。
栄一は虫取り網を持ち、水筒や虫籠など荷物を持って公園を走る。
蝉の声を頼りに木々の間を駆け回る。
ざわざわと揺れる草むらには、バッタやカマキリがいる。花の周りをのんきに飛ぶのはアゲハチョウ、夏の暑さにやられているセミなど、ちゃんと探せば虫はいくらでもいる。
緑色で飛んだり跳ねたり、夏に負けずに生きている。虫を見かけたらすぐに網をふるい、適当に捕まえる。ひしめき合う虫かごを越しに、ニコニコと笑っている女の人と目が合った。こちらをじっと眺めている。
いつの間にいたのだろうか。
紺色の長袖のパーカに長ズボン、スニーカーをはいている。
マスクで口元は隠れているが、何やら楽しそうだ。
この女の人は何をしているのだろう。
虫取りに来たわけではなさそうだ。
マスクで覆われた口元を見て、栄一の脳裏に口裂け女がよぎった。
口裂け女は口元をマスクで覆い隠し、通りすがりの子どもに話しかけてくるという変質者だ。
こんなに暑いのにマスクをしているし、笑顔でこちらをじっと見ている。
他に子どもがいる様子はない。どう考えても普通じゃない。
一歩も動かずに虫取りをする栄一のことをじっと目で追いかけていたようだ。
今もニコニコ笑いながら、ただ眺めている。
とにかく、目を合わせないようにして、その場を去ろうとした。
「おはようございます! 朝から元気ですね!」
「あ、はい。おはようございます」
栄一はゆっくりと振り返った。
挨拶されたら無視することはできない。
でも、口元を見せられる前に逃げなけれならない。
『私、綺麗?』と聞かれたら、殺されてしまう。
「いきなりで悪いんだけど、虫を持ってきてくれないかな?」
「え、虫?」
「そう、虫を取ってきてほしいの」
一体全体、何を言っているのだろう。
一瞬、理解できなかった。
虫は逃がすつもりだったから、別にこの女の人に渡しても構わない。
どうすればいいだろうか。
マスクをしていてもにっこりと笑っているのが分かる。
いい人なのか悪い人なのか、それだけじゃ判断がつかない。
「おばさんはこんなところで何してるんですか?」
「……一応、お姉さんと呼んでくれませんかね。
そこまで老けてないからさ」
「じゃあ、お姉さんは何しにここへ?」
「虫を探しに来たんだけど、見つからなくて。手伝ってくれる?」
「虫取りなのに、何も持ってきてないの?」
「アハハ……それを言われちゃうとねえ。何も考えずに来ちゃったから。
取ってきたら教えてよ。お願い」
お姉さんは両手を合わせて首をかしげた。
蝉はうるさく、汗が首筋を伝う。
お姉さんなりにお願いしているつもりなのだろうけど、じっとりとした視線が刺さる。なんだか鬱陶しくなってきたから、栄一はこれまで捕まえた虫を見せることにした。
虫かごにはセミやらバッタやらいろいろ詰め込まれている。
「これでいい?」
「そうそう! こういうのでいいのよ!」
お姉さんは一瞬、ギラリとした目を向けた。
栄一の手からから虫かごを奪い、フタを開けた。マスクを下ろしたと思ったら、カゴに手を突っ込んでバッタを口に入れた。
ほおは虫に食われたのか、大きな穴がいくつも空いている。虫刺されではなく、穴が空いている。虫に食われたセーターみたいに、手や顔に穴が空いている。
お姉さんはバッタやセミを口に詰め込み、ばりばりと音を立てながら食べている。
虫に食われたところを虫で埋めようとしている。
栄一は叫ぶのを我慢して、その場をさっと離れた。
二度と公園へ行かなかったのは言うまでもない。
虫取り少年と虫食い姉さん 長月瓦礫 @debrisbottle00
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