透明少年少女

ナナシリア

透明少年少女

 ある朝目覚めると、体が薄くなっていた。


 どうやらそのようだったが、朝の辛さを全身で味わっている今の僕にとってそんなことはどうでもよかった。


「行きたくない……」


 学校に行きたくないという気持ちが僕の存在自体を押しつぶし、傷つけている。


 まるでその感情に呼応するかのように、僕の体はさらに薄くなった。


 逆に、今度はこのまま消えてしまうのは怖い、生きたいという感情を無意識のうちに感じると、僕の体は濃くなっていった。


 今度、でもやはり消えてしまいたいというどうしようもない感情を感じると、俺の体を完全に消え去った。


 この体はどうやら、僕の感情と比例して濃くなったり薄くなったりと変化していっているみたいだ。


 今日だけ休もう、体を頑張って薄くできれば親をやり過ごすことは難しくない。


 親が見送りに来たりすることはないので、まず透明になった状態でドアを開けていってきますと言う。


 そのまま外に出ずに中に戻って透明状態で親が出かけるのを待てばやり過ごすことができる。


 だが問題点は、僕は自分の感情を操作することが苦手だということだ。


 僕が自分の感情を操作できなければ、故意に体を透明にしたり、逆に元の状態に戻したりすることができない。


 今日だけサボりたいだけなので、例えば二度と体が戻らなくなってしまったら非常に困る。


 だがそうやって計画を立てる瞬間、親の足音がした。それに思わず恐怖を感じ、自分を隠そうと思ってしまう。


 当然能力が発動し、僕の体は完全に親の視界の中から消えてなくなった。


「あれ、おかしいわね。もう行ったのかしら」


 とっさに能力で消えてしまったが、うちの母親はもしかしたら馬鹿なのかもしれない、僕がいないことでもう学校へ行ったと判断したようだ。


 ややこしく考えた計画に意味がなくなると同時に、僕はあと少し隠れれば完全にサボることができる。


 普通にサボってもよかったが、せっかく手に入れた能力なら活用してみたいのが人間の性だ。


 母親も出かけたら僕もこの家から出よう、そうして街に向かってみよう。




「もしかして君も透明?」


 僕が街をふらふらしていると、僕と同年代に見える少女が突然話しかけてきた。


 これは映画などでよくある、僕が見えるのかという状況になっているのだ。


「僕は今ちょうど透明だよ。そういう話しかけ方をするってことは君も透明なの?」


 人と話すと自分への否定的な感情が増して、消えてしまいたいと思えるから、人と話せばこの能力の安定感が増す。


「そうだよ。ちょっと一緒に街を回ろ」

「僕は構わない」


 とはいえもう見慣れた街だ。今から一緒に回ろうとも、別に何かが起こるわけでもなく、これはいわゆる惰性の時間つぶしだ。


 僕と同じ透明少女には少し興味があるけれど、だからと言って彼女と馴れ馴れしくするつもりは現状ない。


「名前は?」

「その情報、必要ある?」


 名前は一般的に個人を特定する記号として使われることが多い。中学校の国語の教科書にすら書いてある一般常識だ。


 その点において、僕と彼女との関係において、二人の関係に割り込み得る人間は現状存在しない。


 であれば個人を特定する必要がない。出会った時点から個人は特定されている。


「……そうだね、必要ないよ」


 彼女はどうやらもう僕に失望したようだ。


 僕と関わった人間は皆こんな反応だった。僕だって自分の対応が悪いことくらいわかっているが、変えるつもりはない。


「お、見てこれ! 無愛想な感じがすごく君に似てるねえ」


 彼女は売っていた人形を両手で抱き上げてはしゃいだ。


 彼女は僕にまだ失望していないのだろうか。僕が彼女に言ったことは気になっていないのか?


「僕はそんなんじゃない」

「ええ!? めっちゃ似てるでしょ!」


 無邪気にはしゃぐ彼女の姿が過去の記憶と重なった。


 それこそ僕が幼稚園児くらいの大きさだったころは、今ほどひねくれていなかったものだ。


 その時の一番の友達と、小学校を卒業したタイミングで離ればなれになって。そして今、これほどまでに歪んだ性格になってしまった。


 彼女は今目の前にいる彼女のようによく笑う子だった。


「今日、秋祭りだって」


 秋祭り。どことなく哀愁を感じさせる響きだ。


 僕の中で秋祭りとは、別れだった。


 一番の友達だった彼女との、最初で最後の二人きりのお出かけが秋祭りだったからだ。


 だが、その記憶を塗り替えよう。


「昼頃から始まるから、見に行こ」


 幸いにも彼女が僕のことを誘ってくれた。


 僕が必死にコミュニケーションをとらなくても、彼女が話しかけてくれるという信頼がある。


「そうだね」

「おお! 乗り気だね、珍しいじゃん!」

「乗り気じゃないし」




 秋の祭りは、夏祭りと比べて閑散としている。


 そりゃそうだ。花火がない祭りに来る人は少なくなる。


 そんな祭りは昼頃から開催されているが、繁盛しているようには見えない。


「ねえ、君」

「何」


 彼女は曖昧に話しかけてきた。


「透明になる能力さ、使いすぎると存在自体が薄くなっていくような感覚になるんだ」


 僕はまだ何も感じていない。


「私、もうじきに存在が消えちゃう」


 それはきっと、消えたいと願ってしまった代償。


「君も、この能力はできるだけ使わないようにしてね」


 そこで、突然彼女は能力を使った。


「君も隠れて!」


 焦ったように言う彼女は、もうすでに僕の目からは見えない。


 とっさに僕も能力を使う。


「お父さん、どうやってここまで来たんだろう……」


 彼女の言葉に周囲を見渡すと、彼女によく似た顔つきの男性が出店を念入りに見ているようだった。


 彼女の言葉から推察するのであれば、出店に彼女が隠れていないか探しているのだろうか。


「私、もう消えちゃう……」

「え?」


 さっきの、能力を使いすぎると自身の存在自体が消えてしまうという話の続きだろうか。


「自分の存在がなくなってる」

「最期に君と出会えて楽しかった」


 彼女によって矢継ぎ早に紡がれる言葉が、彼女との別れという事実の現実感を増していく。


 彼女とは今日の朝会ったばかりだったが、いなくなってしまうということは虚しさを感じる。


「待って、今すぐ能力を解除すれば」


 そもそも、今彼女は消える間際なのになぜ能力の発動を続けることができるんだ、消えたいなどと思い続けることができるんだ。


「駄目、もう操作が効かない」


 手遅れ、なのか。


「だから最期に一つだけ」


 最期の言葉はじっくり聞こうと思った。


「ありがとう」


 何か自分に関する言葉を遺すとばかり思っていた。だから、その単語が僕に向けられた言葉だとすぐに気づくことはできなかった。


 彼女の父親が、とかもうどうでもよく、僕は無の空間に彼女の残滓を求め続けた。

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透明少年少女 ナナシリア @nanasi20090127

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