Episode 4 壊れる世界
翌日は、言葉通り何もなかった。というのも、精神が限界を迎えそうで、学校を休んだのだ。親には迷惑をかけたが、僕の体を前には仕方がない。
そしてその翌日は登校したが、僕を心配するものの声はなく、いつもの透一だけが話しかけてくれた。だがそれでいい。もう僕には誰かと話すことすら辛かったからだ。
午後。あの透一が指定した時間。今日は職員の都合で五時間授業になり、最後の授業は神山先生が担当の数学だった。今日も前半は授業をして、残りはプリントの問題を解くのだが、先生は毎回その時間に淡々と意味の分からない話をしている。
その話を聞く人は物好きな人しかいないのだが、一昨日の話が面白かったので、今日は耳を傾ける人が多かった。
「世界の壊し方というのは知っているか?」
逆に知っている人がいたら恐ろしいという突っ込みどころ満載の話だ。
「田嶋、知らないか?」
先生は澄ました顔で僕に質問を振りかけた。あの時の白城さんの気持ちがわかった気がする。
「知らないです」
そう答えると、先生はつまらないとでも言わんばかりの顔をした。
「そうか。なら……」
「ぼくが証明してあげましょう」
先生の言葉を誰かの声が遮った。皆も一斉にその声の主へと目を向ける。僕はその姿を見て頭を抱えた。僕の前ならまだしも、皆の前で姿を表すとまたややこしいことになる。
「朔人、やっと君を解放させてあげるときが訪れたよ」
「は? 何を言って……」
透一の言葉の意味を聞き返そうとしたが、透一の手に光るものを見てから言葉が詰まってしまった。それはよく見る家庭用包丁だった。一体それでどうするのか、だがここで使う目的はひとつしかない。
透一は、右手に持つ包丁を下げて、ゆっくりと神山先生の元へと近づいて行った。先生は目を丸くして、透一を見ている。このような表情を見たのは初めてだ。
「……君、一体何をしようというのだね……? 冗談ならすぐさまよしたまえ。授業妨害で成績に保証はつかんぞ?」
先生は額に汗を垂らしながら冷静に対処しようとする。だが歯止めは効かない。
「冗談でもないさ。まあ多少なりとも抵抗は起こるだろうけど、この時間が一番少なかったからね」
透一はそうまた意味の分からないことを言って、右手を先生の胸へと押し付けた。僕は止めようと口を開けたが、虚しくも無意味に終わった。室内は悲鳴に包まれる。
神山先生は、透一を目にしながら最後に何かを口にしたが、僕には何も聞き取れなかった。そのまま凄惨な音を立てて倒れる。床には暗澹たる赤黒い液体が染込んでいく。誰一人として動くものはいない。
透一は、まるで人ではないものをみているような目をしていた。
「うーん、これだけでは足りないか」
「……何がだよ」
気づけば僕は立っていた。この状況、何かを言わなければと脳が勝手に命令をする。
「ああ、朔人か。エラーを起こす準備だよ。まだ足りていないみたい。もっと大きなものを壊さないと」
「だからお前の言っている意味が分からないんだよ!」
「…………」
僕が叫んだことに驚いたのか、透一の動きが止まる。僕自身ですら、自分の口からこのような言葉が出たことに驚いた。
透一は、何かを考える素振りをした。それは、大きなもの、というやらを考えているのだろうか。少しすると、透一は小さな声で呟いた。
「……感情。そうか……。そうだったのか」
「どういう意味だ」
「トリガーだよ。朔人のおかげで気付いた。この世界は、愛で構築されているんだってね」
「愛?」
非現実的な現状に、脳が全く追いついていなかった。この世界が愛で構築されている? そんなはずがあるのだろうか。僕には信じられない。
「そうだよ。まあ見ててよ」
透一は動かない先生の元を離れて、先程から衝撃で顔が青ざめ放心状態となっている白城さんのもとへと寄った。恐怖で何も言えないのか、白城さんは口をぱくぱくと動かすだけだ。
透一は何も言わずに、朱に染まった包丁を構えた。僕は咄嗟に大声を出す。
「やめろ! 白城さんだけは……!」
そんな嘆声も、また虚空に消えていく。
刃は、白城さんの胸を貫いて、背中から頭を出す。先から滴る赤い液体は、彼女の制服を奇麗に染めていく。僕はその悲惨さに、膝をついてしまった。
声にならない、呻きに似たようなものが僕の喉を通る。
その瞬間だった。
騒がしかった教室が、糸が切れたみたいに、音が止まった。それだけではない、全ての物体の動きすらも止まった。何もかもがエネルギーを失って、その光景だけが僕の目の前にある。
それこそ、世界が、フリーズしたのだ。
いや、僕と透一だけは、その理から外れていた。
「成功だよ、透一! やったね!」
場違いな空気間で歓声を上げる透一。僕は少なからず、その透一に怒りを感じた。
「……にが……何がそんなに嬉しい」
「どうしたの? ほら、目を開けてよ。見てて、こんなに美しい崩壊はプログラムの中では見られないから」
本気で喜んでいるのか、喜ばない僕を見て透一は不思議に思う。透一は、崩壊と言った。理解できなかった僕は、次の光景を目にして、やっと現実を受け入れることにした。
静止した世界の空間が、割れていったのだ。音もたてずに、端から端へと罅が伝っていく。そしてそれはガラスの破片のように、崩れていった。ゆっくりと、光の破片は闇へと落ちていく。
実際に、その光景は、僕が今まで見た中で一番美しかった。何よりも、僕が愛した人よりも。
最終的に、僕と透一は闇に佇んでいた。嫌でも、どうにもならない状況だ。
「説明してくれ。真実を、全て教えてほしい」
透一は満面の笑みで頷いた。
「この世界は、ただの遊びのようなものだったんだ。それこそ、人間が言うスノウドームのようなね。それを神が作って、観察しているのさ」
信じる他ない場面だ。嘘を吐く理由がない。だがそれでも疑問は残る。
「じゃあ僕は何なんだ? なんでこうしてまだ生きているのさ」
「それは君が主軸となって世界が動いているからだよ。生物で言う核みたいなものさ。今ぼくはその外郭を壊した。ぼくはずっと不満を抱いていたんだ。何故こうも人間に辛い思いをさせて、観察する必要があるのか。助けたかったんだ。君を」
透一にとっては、善意な行動だったに違いない。確かに、僕はこの世界に呆れていた。だけど……それはいくら何でも身勝手すぎる。本当の僕の気持ちを、お前は知らない。
「それだったら、何故神山先生と、白城さんを殺める必要があったんだ」
「ああそれね。それはこの世界が想定されていない現象だったからだよ。ゲームを例えにするとさ、予期されていない入力をすると、フリーズして強制終了される時があるよね。それがこの世界にも当てはまるんだよ。死ぬ予定のなかった二人を殺す。プログラムされていなかった入力に、世界はバグった。対応しきれない行為に、世界は強制終了する。その入力をぼくはしただけだよ」
「愛とか、何か言っていたじゃないか」
「愛……ね」
透一は愛という言葉を聞いて、暗い顔をした。一体愛がどうしたというのか。
「愛は、神が作ったプログラムの中で、最高傑作であり、また失敗作でもあるんだ」
「失敗作?」
「実際、君をここまで陥れたのは、愛じゃないか。白城、だっけ。その子のせいで君は不幸にあって、生きる意味を無くす。美しいときもあるけど、実際は最悪な感情なんだよ」
僕は透一の言う言葉に何も言い返せなかった。真実だったからだ。だが、不幸は、君のせいじゃない。
「もう一つ、知りたいことがあるんだ」
「何でも言ってごらん」
「君は一体何者なんだ?」
それはずっと知りたかったこと。いつも濁されてばかりで、夜も寝付けなかったくらいだ。
「ぼくは……反逆者だよ。神に背いたもの。まあ簡単に言うと、ウイルスだよ。バグを引き起こすための。だけどぼくはぼくの考えが間違っているなんて思っていない。どう? 理解できた?」
透一……いや、ウイルスは、優しい微笑みを浮かべて僕に近寄る。その顔に、一切悪は見られない。
「ああ、もう大丈夫だ。全てわかった。僕の周りにいた人たちも、全てプログラムされたものだったんだな」
「そうだよ。君は騙されていたんだ。世界に、神に」
ウイルスが手を伸ばす。僕がその手をつかむと、どうなるのかはわからない。僕もウイルスになるのだろうか。そう考えると、君は元々人間だったのかもしれない。何処に誘おうとしているのか、わからないけど、僕のすることは一つだ。
さし伸ばされた手を振り払う。そして一言。
「戻してくれ」
ウイルスの顔は驚きに染まる。
「なんで!?」
「昨日、僕は考えたんだ。この世界は、辛いこともある。辛いことが多いんだ。だけど、それでも、幸せなことがある。美しい景色だって、辛い事なんて消し飛ばしてくれるほどの音楽だって、恋愛だって。辛い事だけじゃないんだ。それに、辛いことがあるからこそ、人生があるものだ」
学校を休んで、一日中考えた。人生というものを。
「辛いことがあるからこそ、幸せを感じられるんだ。それを追い求めるのが人生。だから、気付いたんだ。この世界は、何も間違っていないって。だから、返してくれないか、僕の世界を」
はっきりと言い放つ。ウイルスは、顔を歪めた。今までにみたことのない、憎悪を具現化した表情だった。恐ろしかった。だが、失うもののない僕は、下がらなかった。
ウイルスは、突然空間を歪めるほどの雄叫びをして、真っ赤に染まった眼球をこちらに向けて言う。
「嗚呼、来る! 再構築が! 覚えていろ、ぼくを裏切った貴様が、ただで済むと思うなよ!」
今までに影を表さなかった正気が、そう言った瞬間、破裂した。四肢は飛び散り、また暗闇へと消えていった。
その時だ、闇へと消えたはずの破片が、繋ぎ合わされていった。
世界は光を取り戻し、その光景は、終わったはずの光景へと繋がっていく。
三日前の放課後、目の前には僕が恋した白城さん。
完全に破片が繋がると、僕の耳に喧騒が届いてきた。グラウンドから聞こえるサッ
カー部の声だ。
「それで、用があるって言ってたけど、どうしたの?」
その声を聴いた瞬間、僕は目元から、一滴の涙が零れた。その涙は段々と大きくなって、今度は透明の水が、床を濡らしてしまった。
もう聞けないと思った声、もう見れないと思った君。
「君がいてくれて、僕は幸せだよ」
残った破片と、繋ぎ合わされた破片 穏水 @onsui
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