私はどう死ぬのか

九郎 世歌

私はどう死ぬのか


 どのようにして死ぬべきか。それが私の命題だった。


 生きるべきか、死ぬべきかなどと悩むこともできない。


 なぜなら、私には自分の死ぬ未来が見えてしまうからだ。

 具体的に、どんなところで、どんな風に死ぬかが第三者視点で見えるのだ。


 最初の1回は死を回避しようと奔走した。


 無意味だった。私は私が見た通りに死んだ。寸分の狂いもなく。


 だが、私は死んではいなかった。

 魂が肉体を離れ、異なる肉体で目覚めた。同時に、その肉体の死に様を見た。


 そうやって、何度か死ぬうちにわかったことがある。


 私が転生するのは全て盲目の美少女だった。

 かつ、肉体年齢が死んだ肉体±3か月の肉体。

 転生する日付は転生前の肉体が死んでから1週間以内。

 死の光景は絶対に覆らず、一切の誤差なく到来するが、見えない範囲は自由である。

 そして転生した先の魂は上書きされ、記憶と能力はそのままに、さらに追加で私の記憶と能力を完璧に引き継ぐ。


 この力があれば、私は私を殺す相手にも復讐できるのではないか。死の運命は避けられない。転生しても盲目だから、前の自分を殺した相手を探すこともままならず、ましてや暴力的な手段など到底取れそうもない。

 けれど、死ぬ前に準備をして、手掛かりを残して、下手人を犯人として糾弾できれば、私殺しの罪で裁かせることができるのではないか。

 そう思ったのが、八回目の死の間際のことだった。



 

 ノイズのような雨の音がした。

 最初に見えたのは血に濡れた口元だった。雨に打たれながら必死に何かを伝えようと唇を動かしているが、声は聞こえない。おそらくは今際いまわきわの私だろう。徐々に映像の中の私が遠ざかっていく。死に瀕していてもなお美しい顔が見える。血液と雨でグジャグジャに汚れたドレスを着ている。どこぞの御貴族様ごきぞくさまの家に転生して野垂れ死ぬらしい。

 ここで視界が切り替わる。驚くべきことに、顔を歪めて悲しむもう一人の美少女の顔が見えた。今まで見てきた私の死は、孤独か、あるいは無数の死に埋もれるものだった。自分の死後、誰かが悲しむ姿というのは想像したこともなかった。

 少女の顔の向こうには黒煙と黒雲で塗り潰された空があるらしい。時折、不自然に少女の顔が橙の光を受けている。火災現場のすぐ近くだ。この視界は、仰向けに倒れた私に見えたかもしれない光景なように感じた。

 再び視界が切り替わる。私の経験則で、死の映像は2~4回切り替わる。もう後半だ。

 見えたのは、燃え、崩れゆくお屋敷を背景に、私を抱え上げる少女の横姿よこすがた。少女の服はぼろきれで、姉妹やメイドというよりは奴隷らしい。大きく口を動かしているように見えるが、聴こえるのは炎が瓦礫から噴き出す音ばかり。転生してから探すのは少し骨が折れそうだ。けれど大事なのは良い。死ぬ時期が予想しやすくなるから。

 視界が薄暗くなっていく。どうやら今回の映像はこれでおしまいらしい。情報量が少ないせいで誰に殺されるかはさっぱりだが、どのような状況で死ぬかはわかった。情報量の少なさは不確定で自由に変え得る余地が広いということでもある。それになにより、私の死を間近で看取みとる存在だ。彼女と親密な関係が築ければ、私を殺した犯人への復讐を遂げてくれるかもしれない。


 さあ、九回目の生だ。







 覚醒する。

 突然八回の死と八回の生の記憶がフラッシュバックする。いや、流れ込んでくる?

 私は……私はエネア・ノーツ。ノーツ家の次女で兄,姉,弟,妹がそれぞれ一人ずつ。現在16歳。5歳のときに目が見えなくなってから、自室に引きこもり楽器を弾いて過ごしていた。あまり活動的でなかったようだが、家の主要な部屋への経路はわかる。身の回りの世話をするそばきが2人。どちらも幼少時から変わっておらず、年上だ。映像で見た少女とは違う。


 私は半ば機械的に朝の支度を手伝ってもらいながら、思考する。


 探さなければ。

 だが、どうやって? 私は彼女の顔しか知らないが、今の私は彼女の顔が見えない。顔の特徴を言葉で伝えるのは難しいし、似顔絵を描くのもやはり私の目が見えない以上難しい。顔を触って輪郭を確認できたとしても彼女だと確信を持てはしないし、そもそも顔をさわれるかどうか。誰に殺されるかわからないので家族やメイドに話すことも憚られる。

 いや、死に際に燃えていたのがノーツ家の屋敷ならどうだ? 屋敷の中に、一族にあだすものが紛れ込んでいる可能性は? 家族に助けを求めては?

 私になる前の私の記憶が答える。ノーツ家はきっと、それなりに恨みを買っている。父親は商人を恐喝しているし、母親は気まぐれですぐ約束を反故にする。兄は強い父親の背を見て育ったせいか弱者に厳しく、それゆえ盲目の私とはかなり険悪な仲だった。腕っぷしが強いせいで逆らえる者が周囲に少なく、増長している。姉は母親と対照的に非常に冷徹で几帳面……というか偏執的な性格で、微に入り細を穿つレポートは学校で高く評価されているが、同年代で孤立している。大雑把な人間や頭を使わない人間を軽蔑しているが、次期当主であり暴力で勝てない兄を見下しながら怯えているようだ。弟はまだ8歳程度で、町でイタズラ三昧のワガママ放題をしている。まだ子供だから強く咎められないということがわかっていて悪行に手を染めているから質が悪い。最近は性欲に目覚めたのか下着泥棒や覗きなどの悪質さが増している。私も目が見えないのをいいことに入浴を何度か覗かれていた。気付いても側付きは別室で入浴中、問題を起こせば立場が悪くなるのは私の方だから何も出来なかった。最後の妹は、まだ生まれたばかり。だけど生まれる直前に災害が起こって、町中の医者を何人も屋敷に呼び寄せたせいで犠牲になった人々がいる。しかも生まれた直後は復興支援もせずに盛大な誕生パーティーを開いて、町の人からはやはり恨まれている。きっと、私も恨まれているのだろう。だからあれほどの惨事になるのだ。


 なるほど、やはり誰にも話せない。家族には厄介者扱いされているし、それ以外からは恨まれている。


 自然とため息も漏れるというものだ。


「お嬢様、何か不手際でもございましたか?」


 そうか。今まで感情を押し殺して生きてきたせいで、ため息ひとつで心配させてしまった。


「違うの、気にしないで? 少し……そう、少し怖い夢を見ただけだから」


 うん。嘘とも言い切れない。ダメ押しの美少女スマイルも添えれば問題ないだろ




「お嬢様!?」




 驚かせてしまった。今までろくに笑ってなかったのか以前の私ィ! そんなだから腫れ物扱いを受けるんだぞ!

 とりあえず家族の前では気を付けないとな……。


 私は手を引かれ、朝食の場へ向かった。一人でも行ける場所ではあるが、下りの階段があるため同伴者がいる方がありがたい。







 食堂の長机に腰掛け、当主の到着を待つ。側付きは二人とも、私の席の後ろの壁際に待機している。

 食卓にノーツ家以外の者が混じることは良しとされない。私は独りで家族と同じ朝食を取らなければならい。いつも綺麗に食べきることができなかった。目が見えないせいで食事にも時間がかかるのに、家族は待ってはくれない。私以外が食べ終わってしまえば父親が片付けるよう命令する。だから急いで食べようとして、汚してしまう。そうして身内から白い目で見られる。日によっては『手伝って』もらえる。髪の毛を掴んでスープの皿に顔を近付ける……みたいに。

 そりゃあ引き籠もりにもなろうというものだ。


 部屋の風が動いた。

 周りの気配に緊張が走る。

 父親がやって来たらしい。扉は軋むことなく、足音も絨毯で聞こえないが、明らかに部屋の空気が変わった。


「さあ、いただこう。手を合わせなさい」


 威圧感のある声だ。この男、家族に対してもこう圧をかけてくるのか。

 これから死ぬまでこの家で暮らすと思うと少し気が滅入る。


 厳かに始まった朝食だが、さすがに味は一流だった。

 今までの生では味わえなかった美食の実感に、私の心はついつい弾んでいた。


「エネア。何か、余程良いことでもあったのか?」


 どうやら顔に出ていたらしい。普段は無言の父親が、わざわざ食事の手を止めて口を出してきた。

 なんと答えたものか。先ほど怖い夢を見たと言った手前、迂闊なことを言えば側付きに疑われてしまう。あの二人は基本的には優しいが、それは父に金を出されて頼まれているからで、あとは多少の同情心か。監視としての役割もきっとあるだろうから、矛盾したことを言えば最終的にあの父親まで伝わる。父親が屋敷を崩壊させて私を殺すとも思えないが、屋敷の潜入者が情報を得ようとするなら父親周りだろう。


「いいえお父様、わたくし、これから良いことが起きる予感がいたしましたの」

「ほう……」


 そう、これから私はあの少女に出会い、このどうしようもない家族から解放される。それは良いことだろう。だから嘘じゃない。

 私の態度は少しばかり父の興味を引いたようで、値踏みされるような視線を感じた。しかしそれもすぐに消え、父親はひとつ指を鳴らした。


「連れて来なさい」


 食堂の扉が開かれると同時に怯えた声が聞こえてくる。


「“お願いします助けてくださいお願いします殺さないで食べないで助けてお母さんお願いします神様助けてお願いします”」


 これは、何回か前の私のせいで聞き馴染みのある言葉。異国の言葉だ。ひどく怯えている。か細い少女の声。

 私は思わず耳を向けた。


 父親が弟の名前を呼んで告げる。


「お前が先週欲しいと言っていた、年頃としごろの女の奴隷だ。言葉は通じんがおかげで安く手に入った。好きに使え」


 あの少女だ!

 その日のうちに出会えるとは!

 確かに死の映像で見た時、私と少女の見かけにはそれなりの違いがあった。幾つか前に見た死の映像で、私は少女と近い外見的特徴を持っていた。まあ,あの時の私の方が顔は良かったが、さすがに十代半ばの少女の方が身体は魅力的だった。

 タイミングといい、出身といい、この少女が私の見た少女と思って問題ないだろう。


「父上!」


 兄が声を荒げて立ち上がった。微かに何かが風を切る。


「“痛っ”」

「奴隷が口を開くな! 父上、食事の場に下等生物を連れて来ないでいただきたい!」


 兄はカトラリーを投げたのか。


「そうです父上。私の吸う空気が汚れてしまいます」


 姉が兄の抗議に便乗する。まったく最低の言い分だ。

 しかし父親はまるで意に介さない。


「奴隷を無駄に傷つけるな。今朝届いたから今朝紹介した。何か文句があるか?」


 そのまま弟に対して。


「それはお前のモノだ。きちんとしつけなさい」

「はーい父様」


 下品な笑みでも浮かべていそうなうわっついた返事だ。

 それより気になるのは、躾けという言葉に反応して少女が緊張したことだ。彼女からは恐怖を感じる。酷い目にあってきたのだろうか、意味も分からず「躾け」という音に身体が強張ってしまうほどに。


「おいブス! 今日から俺が使ってやるから泣いて感謝しろよ!」


 弟が立ち上がって少女の方へ向かう。だが机に手をついた音が何か変だ。何かを握っていた?

 まさか、兄の真似をしてカトラリーを持っていくつもりか?


 急いで朝食を食べる。今までの私は時間を掛けていたが、過去八回分のせい、合計80年以上の経験がある今の私ならば、マナーを守って食事することなど造作ぞうさもない。


「ごちそうさまでした」


 朝食を終えたら各自部屋に戻って良い、というのがノーツ家のルールだった。

 だから私も席を立つ。


「脱げよ~。おいブス~」

「“いやっ、やめて、助けてお母さん、死にたくない、いやだ、食べられちゃう、いやだ、お願い”」


 少女は声を震わせ怯えている。


「おい早く脱げよっ!」


 ここだっ!




「きゃっ!?」




 私は、周囲の状況がわからないと装って、二人の間を通ろうとした。弟が無理に服を脱がそうと掴みかかる、まさにその瞬間に。

 当然、私は弟に襲われる。

 ドレスが破かれ、私はよろめく。幸い近くには支えになるものがあった。


「“大丈夫?”」


 私はその支え少女に小声で話しかける。


「“安心して。あなたは私が死ぬまで絶対に死なないから”」

「“え? どういうこと?”」


 そして、家族に向き直る。


「お父様。わたくし、ちょうどとし近い同性の側付きがほしいと思っておりましたの。よければこの奴隷、わたくしに譲ってくださいませんか?」


 当然弟は反発するが、私のドレスはそれなりに高級品だ。安い奴隷一人ならお釣りがくるかもしれないほどに。それを弟は破っている。この父親なら私の言葉の意味がわかるだろう。弟は私のドレスを台無しにした。その埋め合わせをさせるのだ、と。


「それが『良いこと』か?」

「はい」


 私は微笑んで答える。


「いいだろう。ただし、それはあくまで奴隷だ。そのことを忘れさせるな」


 よっし!!!

 私は内心、両拳を突き上げて喜び踊っていた。


「それでは、失礼します。“さ、ついて来て。今からあなたは私のモノよ?”」


 私は少女を連れて自室へ帰った。







「“まずは、着替えさせてもらおうかしら”」


 弟のせいでドレスが破れている。側付きの初仕事としてはちょうどいいところだろう。


「“あの、ありがとうございます。助けてくれて”」

「“気にしないで。一目惚れだから”」

「“えっ、あの、その、それってどういう……”」


 本気で困惑していた。冗談で言ったつもりだったが、よく考えたら彼女は私の目が見えないことに気付いていないかもしれない。だとすると、今まさに破れたドレスを脱ぎ捨てて肌を晒そうとしている相手に恋愛感情を露わにされたのだ。まあ困惑しても仕方ないか。


 一目惚れというのも、あながち嘘とは言い切れないけど……。


「“私はエネア・ノーツ。あなたは? どうしてウチに?”」


 替えの服の場所を教えながら、少女の身の上話を聞きだす。


「“わたしは、ミライ……です。お父さんがこっちで働いてたんですけど、わたし、盗賊にさらわれて。売られちゃったんです”」

「“そうなの……”」


 私たちは語り合った。今まで誰かと話せなかった分まで話そうとするかのように。

 私はろくでもない家族に囲まれて、心を閉ざしていた。

 ミライは言葉の通じない環境で酷い目に遭い、殻に籠っていた。

 そんな人生を埋め合わせるように語り合った。

 楽しかった。思えば、過去八回のせいでも、同年代のとこうして語らうことなどできなかった。死への恐怖、絶望感、諦念の中で、『蓋される臭いモノ』扱いにも慣れてしまっていた。言葉を交わすことはあっても、心を通わせることはできていなかったのかもしれない。


 ミライは、私にとって初めての友達だった。







 それから私は、着々とミライとの仲を深めていった。全ては私を殺す犯人を殺してもらうため。私が死ぬときに、彼女の中に強い復讐心が芽生えてくれるように。私はミライとの繋がりを強く固くしていった。


 どこへ出掛けるにも一緒に行った。彼女にだけみすぼらしい服装をさせるのは心苦しかったが、父親との約束だから仕方ない。

 町の祭りを見に行った。盲目の私に代わって、私に似合うアクセサリーを選んでもらった。

 森を探索し、山を登った。彼女は自然の中の方が生き生きとして、家の中より良い声と匂いがした。

 川で水遊びをした。危ないからと、ミライに背負ってもらって水に入った。ひんやりした水がミライの背中と私の間に入ってきて、気持ち良かった。

 釣りもした。命の力強さを両手で体感した。釣った魚は塩焼きにして一緒に食べた。美味しかった。

 やがて、列車での旅行も許されるようになった。隣の街まで出掛け、演奏会に出る私の音を聞いてもらった。

 寒くなってきて、暖炉の前で他愛もない話をして夜を更けさせた。

 同じベッドでは寝られないから、屋敷の庭で野宿の真似事をした。はじめてミライの隣で眠った。

 温泉にも行った。水場は怖いからと、一緒に入ってもらった。それからは屋敷のお風呂もこっそり一緒に入るようになった。




 そうして、私たちが出会ってから1年が経とうかというある日のこと。

 今日と明日の境界がぼやけた夜中。夢と現の狭間、まどろみの中で。


「“ねえエネア、初めて会った日のこと覚えてる?”」

「“もちろん覚えているわ”」


 ミライはこっちの言葉も話せるようになってきていたけれど、盗み聞かれてもいいように、二人きりの時は向こうの言葉で話していた。


「“あのとき、不思議なコトを言ってたよね。『エネアが死ぬまでわたしは死なない』って”」

「“そうね”」


 そろそろ、死の運命を告げる頃合いだろうか。


「“あれってさ、命懸けでわたしを守ってくれるってコト……だったりするの?”」


 その口調からは少しばかりの気恥ずかしさと、仄かな期待が感じられた。きっと頬を染めはにかんでいるのだろう。その顔が見られないのがもどかしかった。

 なにより、そんなミライの期待を否定しなければいけないのが心苦しかった。


 ゆっくりと首を左右に振る。


「“私はもうすぐ死ぬのよ。そういう運命なの”」


 彼女は驚き、涙をにじませる。

 それくらい顔が見えなくてもわかる。


「“どういうこと? なんで、嫌だよ……”」

「“私はもう八回死んだことがあるの。その度に転生して、死の光景を垣間見る。見えた景色は決して変えることができない”」

「“やめて、聞きたくない……”」

「“私がこの言葉を話せるのも、過去生かこせいがある証拠じゃない?”」


 ミライも気付いたようだ。私の家では誰もミライと同郷の言葉を話せる者はいない。文法や単語程度なら学べたかもしれないが、ここまで流暢りゅうちょうに会話できるにはネイティブの家庭教師でもいなければおかしい。だけど、私に語学の家庭教師はいないし、かつていたこともない。


「“じゃあ、わたしが絶対に死なないって……”」

「“そう。見たの、死の光景の中で。私が死ぬとき、ミライはまだ生きていた。だから……”」

「“おかしいよ”」


 ミライの声は震えていた。恐怖でではなく、悲しみでだ。

 それだけ私のことを想ってくれているという証左しょうさだ。不謹慎だけど、嬉しい。身体の芯の方が、喜びに震える。


「“おかしいよ。どうしてエネアだけ何回も死ななくちゃいけないの?”」

「“違うよ”」


 私は優しくミライの頭を撫でる。


「“私は死んでない。だってこうしてミライにさわれてる”」


 てのひらから、彼女のいきどおりが伝わってくる。


「“それに、悪いことばかりじゃない。死の光景の中で、あなたのかわいい顔が見えたんだから”」


 ミライは泣いていた。

 私はそっと抱き寄せ、彼女を包み込む。

 涙を通して、彼女の心が私の胸に流れ込んでくる気がした。




 私は、いつの間にか、一つの根本的な疑問を抱いていた。

 私は本当に、ミライに復讐してほしいのだろうか。







 迷いを抱えたまま、季節は巡る。気温が上がり、草花くさばなが芽吹き始めた春。

 にわかに、屋敷内に緊張感が出てきた。


 町の人々が武装し、ノーツ家を襲撃せんと画策かくさくしていると噂が入ったのだ。


 父親は直ちに大量の銃器を購入。屋敷の至る所に配置して防備とした。


 さて、盲目の私はというと。銃器で狙いを定めるなど無理な話。いつものように楽器を奏で、ミライとともに日々を過ごしながらも、死期を悟っていた。

 私の方は慣れたものだからまだいい。ミライなどは日に日に不安が増すらしく、疲れの色が見えていた。


 私としては正直、気に食わない。ミライと過ごせる最後の期間を、最大限楽しめない。


 それに、住民の武装蜂起ぶそうほうきに巻き込まれてどさくさ紛れに死ぬのも嫌だった。

 なにより、死の光景と現在の状況との間に違和感があって、それが心をささくれ立たせていた。


 まあ、結局のところ、私も死が近付いて心が乱れていたのかもしれない。




 もうずっと、見えない導火線に火がついていたみたいに、屋敷内の空気は悪くなっていた。具体的にどことは言えない。ただ、いつか限界を迎えて爆発すると、その時が私の死ぬときだと漠然ばくぜんと思っていた。


「“エネアは、本当にそれでいいの?”」


 ミライの言葉が心に触れる度、ささくれが刺激され苛立ってしまう。


 良くはない。

 良くはないのだ。

 だけど仕方がないじゃないか。私の死に様は決まっている。崩れる屋敷の前で、噴き上がる炎に照らされながら、ミライ一人に看取みとられるのだ。


「“このまま、何もしないの?”」


 苛立つ。


 苛立って、生来せいらい底意地そこいじの悪さが出た。


「だったら、ミライが私を殺したら?」


 わざとこっちの言葉を使った。

 最低だ。


 ほら、目の前のミライも肩を震わせている。これは怒りか、それとも悲しみかな? もうすぐ死ぬってときに、どうして仲違いなんてしているんだか。

 謝ったら許してくれるさ。

 自分から、奴隷に?

 違う。彼女は親友だ。

 早く謝れよ。手遅れになる前に。

 ……?


 違和感。

 ミライは怒ってなどいなかった。むしろ何か、耳の水が抜けたような、晴れ晴れとした気配だった。


「“わかった。おやすみ”」


 私は意味が分からなかった。







 あれから数日。

 ミライは屋敷のいたるところで私に楽器の演奏をさせた。

もうすぐ死んでしまう私の音楽を、少しでも多くの人に聞かせたいからだと。だけどその言葉には、少しだけ、嘘が混じっている気がした。




 やがてその日はやってきた。

 その日は一日晴れていて、私は少し油断していた。私が死ぬのは雨の中だと思っていたから。


 夕方、私たちは屋敷の周りを散歩していた。外の香りは好きだったし、傾いた日の光のぬくもりを浴びるのも心地いい。

 だけど、その日、私の手を引くミライの手からは、普段にはない緊張と興奮が伝わってきていた。




 爆発の音が聞こえた。屋敷の方からだ。

 その瞬間、私はようやくすべてを理解した。


「“私は、あなたに殺されるのね、ミライ……”」


 正直、腑に落ちるところが多かった。

 死の光景で、ミライの他に人影が見えないなら、私を殺す可能性が高いのはそのミライに決まっている。

 屋敷から断続的に炎が噴き出していたのは、ただの火事じゃなくて火薬が爆発していたから。


 冷たい風が吹いた。もうじき雨も降り出すだろう。


「“私、仲良くなれたと思っていたのだけど”」


 今生こんせいは悪徳貴族の娘として、こき使った奴隷に復讐されるのか。ありそうなことだ。

 死を逃れられないなら、せめて復讐をしてもらおうとミライに近付いたけれど、それも無意味だったか。


「“どうして、笑ってるの……? これからわたしに殺されるってわかってて、なんで……?”」


 泣きわめいてほしかっただろうか。生憎あいにくとこちらは死に慣れている。

 私はきびすを返して屋敷の方へ向かう。

 どうせ死の光景からは逃れられないのだ。抵抗する無意味さは身に染みている。




 雨が降り出した。

 目の前に、ミライが立っている。


 殺されるのか……。

 楽しかった日々が自然と思い起こされる。

 ……楽しかった。

 身分は違えど、友人だと思っていた。


 私は、泣いているのだろうか。頬を伝う水滴が涙か雨かなど区別がつかない。

 だけど、締め付けられるようなこの胸の苦しみは……。


 体当たりを受ける。

 胸が痛くて立ち上がれない。ナイフか何かで刺されたのだろう。

 いよいよ、死の光景が近付いているのか。あるいは、もう始まっているのだろうか。


「“ねえミライ……信じてもらえないかもしれないけれど、私、あなたのこと……本当に、友達だと思っていたのよ?”」

「“わたしだってそうだよ! だから……だから準備してっ、準備してきたんだ……”」


 ……?


「“突然お別れなんて嫌で、心の準備をしようとしたけどできなかった! エネアはずるいよ! 一人で勝手に別れの覚悟を決めて、平然としてっ……”」


 そうだった。死の光景で、ミライは酷く悲しい顔をしていたんだった。


「“自分で殺すって決めて、決めたけどっ、でも、やっぱり嫌だよ……”」


 そんな顔をされても、私にだってどうしようもない。

 だけど。


「“泣かないで、ミライ……。また会えるから”」

「“だけどっ!”」


 だけど、今になって心残りがあることに気付いた。


「笑顔、見たかったな」







 さて、私の十回目の死がどんなものだったのか、お伝えしなければならない。

 九回目の死の直後、私が見せつけられた死の光景は次のようなものだった。


 どこかの寝室。ベッドを真横から見ている。

 ベッドの上では、誰かが誰かの上に馬乗りになって首を絞めている。

 これは私の死の光景なのだから、いまにも縊殺いさつされそうなのは当然私で。


 上に乗っているのはミライだった。


 視点の切り替わりで、順に、私たちの顔がアップになる。


 ……どんな顔をしていたかは、言うまでもないだろう。




 私はこれから、どういう気持ちで十回目の生を送ればいいのだろうか。

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私はどう死ぬのか 九郎 世歌 @youtakurou

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