知れ

裏道

第1話

 新入生の生徒わたしたちが教室に案内され、自己紹介を終えたあとに担任の先生がある名前を挙げた。

 あいさか りこ

 自己紹介したときクラスメイトのなかに無かった名前。

「あいさかさんは皆さんと同じ新入生で別のクラスにいます。そして、彼女はある病気を抱えています」

 先生の表情は真剣なものだった。

 退屈な入学式のあとに重たい話はしんどかったけれど、ちゃんと聞かないといけないと思って背筋を伸ばした。

 先生が病気についての説明を始めた。

 あいさかさんの病気は、知らない人を知り合いと錯覚してしまうものらしい。錯覚してしまうと記憶のなかに無いはずの思い出が瞬時に形成され、その記憶は本人だと気付けない。

 そのせいで知らない人に声をかけて迷惑がられたり、本当に知り合いなのに病気で錯覚してるだけではと疑心暗鬼になってしまうらしい。

 だから面識がないのに突然親しげに話しかけてくるかもしれないので、そのときは驚いて拒絶せず、優しく接するようにとのこと。

 説明を聞いた私はあいさかさんに同情しつつも、そこまで深く考えていなかった。

 知らないから錯覚する。

 なら、一度会って覚えてもらえればいい。

 そう思っていた――



 高校の廊下を歩いているときのことだった。

「あいさかだ」

 未だにあいさかさんの顔も名前の漢字も知らない私は男子の言葉を聞いて立ち止まった。

 男子の目線を追いかけ、その先にいた女子を見たとき私のなかでここ一ヶ月起きている現象を理解した。

 高校生活が始まってもうすぐ一ヶ月。

 あいさかさんに恋人として錯覚されたい、という男子があっという間に増殖し、それは一年生に留まらず二年と三年生の男子にも広がっていた。

 それもそのはずだ。

 あいさかさんは美人だった。

 整った顔で話しかけられたら、

 小さな手で恋人繋ぎが出来たら、

 スタイルの良いその体で抱きしめられたら、

 透き通った声でもしも「好き」と言われたら、

 恋人と錯覚されたときにもしかするともしかするかもしれない――と、私の横を通り過ぎていったあいさかさんを見て想像してしまった。

 そして、私はその日から彼女を避けるようになった。

 避ける気なんてなかった。

 けれど、廊下でまたすれ違いそうになったときは気付くと近くの教室に入っていて、逢坂あいさかさんが通り過ぎるあいだ息を殺している自分がいた。

 逢坂さんが気になるのに。

 彼女の姿を目で追いかけるのに。

 彼女に覚えられるのが怖かった。

 あいさかさんが男子生徒を恋人と錯覚したときは羨ましくて、友達だと錯覚したときは安堵する自分がいて……気付いてしまった。

 あいさかさんが好きなことに、

 でも女同士だから付き合えるわけがなくて、

 それでも恋人になりたくて、

 彼女に恋人として錯覚されたい自分がいて、

 恋人として錯覚されなかったときに傷つくのが怖くて、

 逢坂さんから、自分の気持ちから逃げた。

 クラスが違うのもあったし、影が薄いのもあって一年生のあいだは逢坂さんに知られずに済んだ。でも二年生に上がり、新しいクラスの生徒欄に私と逢坂さんの名前があったとき、職員室に駆け込んだ。

 顔も合わせていない新しい担任を見つけ、別のクラスに替えてくださいと頼んだ。

 理由を言わない私に担任はいじめを疑った。

 担任の言葉から出たいじめを聞いて、他の先生たちの視線が飛んでくる。

 担任を納得させる嘘が見つからない。

 どうしたらいいか分からない。

 職員室のドアが開くたびに肩が震えた。もしも生徒が入ってきて、担任と私のやり取りを見られたら怖かった。

 気分が悪くて、目眩がして、それでもクラスを替えてほしくて頭を下げた。

 頭を下げると、すーっと血の気が引いていくような感覚があって、全身から力が抜け、視界が真っ暗になった。



 目が覚めた。

 知らない天井と、薬品の臭い。

 体がだるい、頭が痛い、眠い。

 それでも確認したいことがあってベッドから起きあがる。ベッドを囲ってる白いカーテンをめくるとそこは保健室で、白衣を着た女性の先生がイスに座って書類を見つめていた。

「先生」

 声をかけると先生が私の方を見て、立ち上がる。簡素なイスを抱えてベッドまで来ると、先生は置いたイスに座って私と目の高さを合わせる。

「さっきまで職員室にいたんですけど……」

「先生と話してるときに倒れたの、覚えてない?」

「倒れたのは覚えてないです。でも、職員室のことは夢じゃなかったんですね」

「夢のほうが良かった?」

「……」

「体の痺れとか、頭の痛みはある?」

「頭痛が少し」

「頭を打ったかもしれないわね。気分は?」

「悪いです。でも朝からあって、頭痛も同じです」

「……もしかして寝てない?」

「はい」

 クラス替えで逢坂さんと同じ教室になったらと心配して一睡も出来なかった。

「それじゃあもう少し寝てなさい。担任には私から話しておくから」

 私は体をベッドに預け、毛布を深く被った。

 保健室の壁にかかっていた時計を見ると、始業式がとっくに終わっている時間。

 ちゃんと寝てれば良かった。

 先生に嘘をつければ良かった。

 逢坂さんとクラスが違ければ……

「本当は、一緒にいたい」

 思っていたことが口から漏れた。

 自分には言える。

 けれど、先生と逢坂さんのまえでは言えない。

 言いたい。

 伝えたい。

 吐き出したい。

 そう思っていると、保健室のドアが開いた。職員室でもないのに肩が震え、息を殺す。

「先生、いるー?」

 女子の声が保健室に響き、声のあとに足音がばたばたと続く。

「休んでる子いるから静かに」

「静かにするから愚痴聞いてー」

「何かあったの?」

「うちら逢坂さんと同じクラスになったんだけどさ。逢坂さんと面識がなかった男子がいて、逢坂さんから挨拶したんだよね。そのあと、逢坂さんがいないところで『彼氏だと錯覚されなかった』とか言ってて。そんな奴と一年間一緒のクラスとかマジでムリっ!」

「病気で恋人と錯覚されてなにが嬉しいのかわかんないし、それって恋じゃなくて下心でしょ」

 女子たちが思っていることを吐き出していく。

 彼女たちの発言が自分にも当てはまっていて、聞いているだけで責められている気分になる。

 耳を塞ぐ。

 心のなかで早く終われと連呼する。

 でも終わらない。

 愚痴が続き、言いたいことを言いまくると今度は女子の一人がお腹を鳴らして爆笑する。

 静かに、と先生に咎められて笑い声が止んだ。

 笑い声はしなくなっても、誰かのお腹は鳴り続けた。すると、また笑い声が戻ってくる。

「プリンならあるけど、食べる?」

 プリンと聞いて逢坂さんが浮かぶ。

 女子の一人も私と同じだった。

「プリンって言えば逢坂さんじゃない? 昼休みにいっつも購買でプリン買ってたじゃん」

「学校来てるときは毎日食べてた!」

「それでスタイル良いとかずるズルでしょ」

「ってか、このプリン。コンビニのちょっと高い奴だ」

「先生金持ちー」

「逢坂さんが持ってきてくれたのよ。休んでる子のお見舞いに一つと、私の分とね」

「逢坂さん、やっさしー」

「休んでる子って誰? さすがに知り合い?」

「影倉さんでしょ」

「かげくら?」

「なんつうか大人しい感じの子。逢坂さんとたぶんだけど面識ない、と思う」

「それってさ。病気で友達と勘違いしてるとかじゃないの?」

「「あー」」

 ぎぃ、と音が鳴って会話が止まった。

 会話を遮るため、ベッドをわざと軋ませた。

 乱れた髪も、制服のシワもそのまま起き上がりカーテンを開く。

 先生と、女子の視線が私に集まる。

影倉雫かげくら しずく――逢坂さんが好きで、恋人と錯覚されたいと思ってて、錯覚されなかったときが怖くて逢坂さんに覚えられないよう一年間学校生活を送ってきたのが私。覚えた?」

 静まりかえった保健室に、少し経ってから笑い声が響いた。

「影倉さんって冗談言えるんだ、いいねっ」

「覚えた覚えた!」

「冗談だと思う?」

「「……」」

「さっき言ってたでしょ。逢坂さんとたぶん面識ないって。あなたたちも私のこと覚えてなかったでしょ」

 私は目を指さす。

「目が腫れてるでしょ。逢坂さんがお見舞いに来たって聞いて、知られたのが悲しくて泣いたから腫れてるの」

「なんでアンタらってそんなキモいの?」

 女子の一人が吐き捨てるように言うと、立ち上がって保健室を出て行った。他の女子もあとを追いかけていく。

 こんなことしたら目立つけど、もういい。

 逢坂さんに知られた今はもう……



        <逢坂視点>


 気になる子がいた。

 影倉かげくら しずく

 二年生になってクラスが一緒になるまで名前も知らなかったし、会ったこともない。

 私が彼女を最初に知ったのはクラス発表のとき。そのあと、保健室で休んでいると聞いて彼女のお見舞いに行った。このときはそれほど気になっていたわけじゃない。病気のこともあるから早く顔を覚えておきたくて会いに行っただけ。

 でも会えなくて、そのあと。

 私が彼女を意識するきっかけが起きた。

 彼女が保健室で他の生徒と口論になったらしく、そこで私を好きだとカミングアウト。

 男子から好かれることはよくあった。

 でも影倉さんは女の子で、同性から恋心を抱かれるのは初めてだった。

 一年間も私を好きでいた。

 病気でもいいから恋人と錯覚されたいと思ってた。それなのに錯覚されなかったときが怖くて私に気付かれないように学校生活を送ってきた……

 人づてに聞いた話だからどこまで本当かわからない。

 クラスメイトに聞いても影倉さんをよく知る子はいないし、本人は学校に来てなくて、影倉さんが座るはずだった席はずっと空席のまま。

 そこでお弁当を食べている姿も、

 授業を受けている姿も、

 思い浮かばない。

 彼女の形跡を求めて保健室に向かった。

 気分が優れないと嘘をついてベッドを借りる。

 当たり前だけど、ベッドに触れても影倉さんの体温は残ってなかった。

 ベッドの柔らかさと、薬品の匂いがする保健室で影倉さんはなにを思っていたのだろう。

 気になる。

 影倉さんを意識するのが苦しい。

 影倉さんも苦しんでいたのだろうか。

 辛いのに一年間も我慢して、今も一人で苦しんでいるのかもしれない。

「私は我慢できないよ」

 私は、影倉さんの家を教えてほしいと先生に頼んだ。学校に来てほしいことを彼女に伝えたいと言ったら、先生は影倉さんの親に連絡してくれた。

 影倉さんに気持ちの決心がつくまで待ってほしい、という話になりもう少しだけ我慢することになった。

 待って、待って、ついに返事がきた。

 ――会いたい

 影倉さんからその言葉が出たと、親から連絡があった。学校でその連絡を聞いた私は、七限目の授業が終わって迎えに来た母親に影倉さんの家に連れてってと頼み、車で連れてってもらった。

 車のなかで会いに行く理由を説明すると、「その気持ちはどっち?」と母親に聞かれた。

「錯覚じゃないと思う。影倉さんを知ったあとも彼女について全然知らない。いつもだったら知ってると思い込むでしょ」

「そっか」

 母親はそれ以上聞かなかった。

 目的地が近づくと、駐輪場に車を停めて母親と徒歩で向かう。

 影倉と書かれた表札の一軒家を見つけ、ドキドキしながら呼び鈴を鳴らす。影倉さんの母親が出てきて、家のなかに招かれる。家に入ると玄関で親同士の挨拶がすぐに始まった。早く会いたい私はうずうずしながら挨拶が終わるのを横で待った。

 挨拶が終わり、影倉さんを呼びに影倉さんの母親が二階に上がっていった。

 戻ってきたのは影倉さんの母親だけだった。

「ごめんなさい。会うのが怖くなったって……」

「電話でも良いですよ」

 会うのが怖い、その言葉に話すのも怖いが含まれていると思う。でも引き下がるつもりはなくて、気付いていないフリをした。

「娘さんが好きになった私を信じて、話をさせてください」

 頭を下げる。

「……少し待ってね」

 顔を上げると、影倉さんの母親がスマホを手に取って電話をかける。そして、「しずく」とスマホ越しに影倉さんの名前を呼んだ。

「逢坂さんがね、電話で話したいそうよ。好きになった私を信じて話をしよって」

 影倉さんの母親が頷くと、持っていたスマホを私に渡してくる。

 受け取ったスマホを耳に近づけ、優しく話しかけた。

「聞こえてる?」

「……うん」

 返事が返ってきただけなのに嬉しかった。

「私ね。影倉さんが学校に来なくなってから影倉さんがずっと気になってて、だから会いに来たんだ。でね、影倉さんの声を聞けて今嬉しい」

「……」

「声を聞いたらもっと話したい、もっと影倉さんを知りたいって気持ちが強くなってるの」

「うん」

「だから病気に感謝してる」

「……」

「知らない人を知り合いだと錯覚して大変だけど、病気のおかげで仲良くなるきっかけが出来た人もいたりするんだよ」

「でも、恋人と錯覚されたいって下心で見られるのは嫌でしょ?」

「嫌だったら影倉さんに会おうとしないよ」

「同性に好かれるのは?」

「それも嫌じゃないよ」

「……」

「私からも聞きたいことがあるん――」

 機械音が聞こえ、画面を見ると通話終了の文字。掛け直そうとしたとき二階で大きな音が聞こえ、ドタドタと足音が響く。二階に続く階段を見つめていると、制服姿の影倉さんが降りてきた。

 肩まで伸ばした黒髪が揺れ、焦った顔は普段はもっと落ち着いていそうな顔立ちで、写真通りだった。

 影倉さんは手に持ったスマホを見せながら、「電池が切れて、だから」と詰まらせ気味に訴える。そして、足をもつれさせて前のめりに落ちてきた。

 私は靴を履いたまま廊下に上がり、影倉さんを受け止める。

 胸と背中に衝撃が走った。

 胸は柔らかいものがぶつかり、背中は硬いもの。

 落ちてきた影倉さんを受け止めたものの、その場に踏ん張れなかった私は壁に打ち付けられた。

 母親たちの心配に平気だと答える。

 答えているあいだも影倉さんを離さなかった。

 人を殺してしまってどうすればいいのか分からないような顔の影倉さんを今離すと、ダメが気がしたから。

「影倉さんが無事で良かった。それに、わざと電話を切られたわけじゃなくて良かった」

「良くない! 逢坂さんと話してるときにスマホの電池切れて焦ったし、階段から落ちたときは死ぬと思ったし、逢坂さんを傷つけちゃったし、なにも良くないっ!」

「私は本当に良かったよ。影倉さんと顔を合わせることができたし、影倉さんを抱きしめられて幸せ」

 影倉さんは私の胸に顔を埋め、「私も幸せ」と言ってくれた。

 表情を隠してても耳は真っ赤で、

 母親たちにやり取りが全部見られていたと知ったら更に赤くなるのだろうかなんて思ったのは不謹慎だろうか……




終わり

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知れ 裏道 @AMG

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