好きな人には敵わない
砂鳥はと子
好きな人には敵わない
お隣りに住む綺麗なお姉さん、
年の離れた従姉が家に置いていった、ティーン向けの雑誌。それを見たら、たまたま読者モデルを募集していて。小学三年生の私は、真白ちゃんならぴったりだと思ったから、素直にお願いしてみた。
「私きっとなれないと思うけどな〜」
真白ちゃんはちょっと困った顔をしていたけれど、「
そして真白ちゃんはオーディションでグランプリを獲得して、モデルデビューした。
『さすが、綺麗で可愛い真白ちゃん!』
と当時の私はまるで自分がモデルになったみたいに得意気になっていた。
自慢の真白ちゃんは活躍の場を広げて、どんどん私からは遠い人になってしまった。
もっともっと、大好きな真白ちゃんと一緒にいたかったのに。遊んでほしかったのに。けれどモデルとして華々しい活躍をする真白ちゃんとはすれ違うばかり。
私のほんの出来心は、真白ちゃんの人生を変えてしまったのだ。そして私の人生も変わってしまった。
私が高校生になった時に、久しぶりに地元に帰ってきた真白ちゃんに宣言した。
「私、将来真白ちゃんのマネージャーになって、真白ちゃんの良さを今より世界に広げてみせる!」と。
そうすれば大好きな真白ちゃんの傍にいられるから。そんな単純な理由。
「小夏ちゃんがマネージャーか。悪くないね。待ってるからね」
何を思ったのか、私への気遣いか、真白ちゃんはそう答えた。
だから私も絶対、マネージャーになってやるって誓って、大学卒業後は真白ちゃんが所属する事務所に就職した。
晴れて、私は真白ちゃんの指名により彼女のマネージャーになることができた。
私の人生が漫画やドラマなら、夢も叶ったし、とんとん拍子に来たし、ここでめでたし、めでたしで終わるのだろう。
でも私の人生の本題はこの先にあった。
「小夏ちゃん、写真撮らない?」
アイスを両手にこちらにやって来た真白さんの目は、サングラス越しにも笑ってるのが分かった。
「いいですよ。どこで撮りますか?」
「あそこの木陰のベンチがちょうどいいんじゃない?」
「そうですね。あそこにしましょうか」
青い空と海が広がる海浜公園の片隅のベンチに、私たちは向かう。
先を歩く真白さんは、つばの広い麦わら帽子にサングラス、ベージュ色のワンピース姿で、夏ならどこにでもいそうな大人の女性で、けれどどこにもはいないスタイルの良さが後ろからでも見て取れる。
私たちは人もまばらな公園のベンチに並んで腰掛けた。
「小夏ちゃん、これ」
アイスの片方を差し出される。
「今、写真撮りますから待ってください」
「私がアイス二つも持ってたらおかしくない?」
「片手だと上手く撮れないので」
「そういうことじゃなくて」
真白さんは半ば押し付けるようにアイスを片方私に渡すと、スマホを取り出して自撮りしようとする。
「ほら、小夏ちゃんもっとよらないと入らないから」
そこで、私は写真投稿SNS用の写真ではなく、プライベートな写真を撮りたいのだと気づく。
私は辺りを見回して、近くに人がいないことを確認してから、真白さんによりそう。
「ほら、小夏ちゃん笑って!」
シャッター音が鳴る。
真白さんは器用に片手で写真を確認する。
「おっ、いい感じだね。この写真上げよう!」
「上げるってどこにですか!?」
「どこって、いつもの⋯」
真白さんは写真投稿SNSに公式アカウントを持っている。仕事で撮ったアザーカットや、プライベートで撮った写真など、大半は真白さん一人で写っている写真だ。
たまに他の人が写っていても、仕事仲間のモデルだったり、芸能人ばかり。
一般人との写真なんてないわけで。
「私との写真上げてどうするんですか!?」
「どうもこうも、良く撮れたから載せたいだけ。もちろん、小夏ちゃんの顔はスタンプで隠すよ」
「そうじゃなくて! マネージャーとのツーショットなんて載せたら私、ファンに怒られるじゃないですか!」
「そう? なんで?」
「な、なんでって⋯。ファンの人たちからしたらただの一般人との写真ですよ。あの
「マネージャーと、って書いとけば誰も気にしないでしょ。取り敢えず写真は後にして、先にアイス食べようか! 溶けちゃう」
私の不安をよそに真白さんは美味しそうにアイスを食べ始める。
前を通り過ぎてゆくカップルがこちらをちらっと見たけど、ベージュのワンピースの女性がモデルの岡部真白とも気づく様子もない。
遠くでカモメが鳴いている。
アイスを食べ終えた私たちは、人通りがなくなった公園の片隅に来ていた。
海を背景に立つ真白さんを撮影する。
サングラスを外してこちらに微笑みかける真白さんは、見惚れるくらいに美しい。ファンからよく「女神」なんて言葉をかけられているけど、納得だ。
真白さんはポーズや表情を自在に変え、その全てが絵になった。さすがプロのモデルは違う。
「小夏ちゃん、よく撮れた?」
私の元に駆け寄る真白さんに撮った写真を見せた。
「うん、いいね。私、小夏ちゃんに撮られると最高の笑顔になれるからね」
面と向かって言われると照れくさい。
何度言われても慣れなくて、何度言われても嬉しい言葉。
「真白さんは私にとって世界一のモデルですから」
それは嘘偽りのない私の気持ち。小さな頃から私にとって、世界で一番可愛くて綺麗で素敵なのは真白さんだったから。
「私も小夏ちゃんが世界で一番大好き」
真白さんは私の手を取って囁く。
「私も」と言おうとして、何故だか言えなかった。目の前にいる真白さんは眩しすぎて、私でいいのかと迷う。
真白さんの彼女は私でもいいのかと。
あれから一週間が経ち、仕事を終えた私はコンビニで適当にご飯を買って、自宅マンションに帰る。
真白さんはしばらくオフなので、海浜公園に行った日以来会っていない。
私は真白さんの幼なじみで、マネージャーで、彼女だけど、オフの日ほど頻繁には会えない。常にモデルとマネージャーが会っていたらおかしいではないか。
だから会う頻度をプライベートではなるべく減らしている。
まかり間違っておかしな噂でも立ったら、真白さんに迷惑がかかるから。
真白さんはその辺りは全く気にしてないのだけど。
私はテレビ番組をぼんやり見ながら、ビール片手にコンビニ弁当を黙々と食べる。
こうしていると、本当に真白さんと私は別の世界で暮らしているようだ。
平凡で何の取り柄もなくて、ただ真白さんのお隣りさんだったというアドバンテージだけでここまで来たけれど、やっぱり私は普通の一般人でしかない。
もしあの時に、私が真白さんにモデルを勧めていなかったら、私たちはどうなっていたのだろう。対等な気持ちでいられたのだろうか。
それとも近すぎて、私は真白さんを想うこともなかったかもしれない。お隣りの綺麗なお姉さんのままだったかもしれない。
真白さんを恋の相手として意識したのは、いつ頃からだったかは覚えてはいない。気づいたら、真白さんの隣りに他の人がいることが悔しかった。
誰よりも真白さんを知ってるのは私なのに、どうして他の人がいるんだと泣いた夜が何度もあった。
マネージャーになりたいと思ったのは、そうすれば、誰にも盗られないと考えたから。
真白さんを誰よりも魅力的にマネジメントできるのは私だけだと、無駄に自負していた。
でもいざ真白さんのマネージャーを任されると、私なんかいなくても真白さんは自分で輝いていて、たくさんの人を魅了していて、ますます遠くに感じるだけだった。
真白さんの周りには、常にいい人たちが集まる。だからいい仕事にも恵まれる。
それは真白さんが長い時間をかけて、しっかり仕事をして、人間関係も大切に培ってきた
真白さんをより魅力的にするなんておこがましいだけだったと思い知らされる。
例えるなら、真白さんは太陽だ。
自ら輝いて周りを照らす太陽。
そして私はその太陽の明かりでかろうじて存在が分かる、名もなきちっぽけな星でしかない。
私は食べ終えたお弁当を片付ける。考え事をしていたら、どんな味だったのかも覚えていない。
(今頃、真白さん何してるんだろう)
テーブルに放置してたスマホを手に取り、メッセージアプリを確認する。真白さんから連絡があるかもと、少し期待してしまった。
次に写真投稿SNSを開く。私がフォローしているのは真白さんだけ。
新しく投稿された真白さんの写真は、先月草津に撮影に行った時に、私が撮ったオフショットの写真。
浴衣姿の真白さんはため息が出るほどに清々しく美しい。
コメントもたくさん届いている。私もすかさずハートを押しておく。
過去の写真を改めて見直していると、『岡部真白オフィシャルの新しい投稿があります』と通知が出た。
次はどんな写真を投稿したんだろうかと新着写真を開く。
そこには右にアイスを持って笑う真白さん、左には顔がピンクのハートで隠された私の写真。
「この間の写真!?」
キャプションを見ると『大好きなマネージャーのKちゃんと』
あの時はアイスを食べることで、この写真については有耶無耶になってしまったけど、真白さんは載せてしまった。
私は恐る恐るコメント欄を見る。
『真白さん美人すぎる〜』
『めっちゃ素敵です!』
『真白さんとのツーショうらやましい!』
『マネージャーさんと仲いいんですね!』
『私もマネージャーになりたい〜!』
取り立てて悪いコメントがないことにほっとする。
私はアプリを閉じて電話をかける。相手は言うまでもない。
『小夏ちゃん、もしかして写真見た?』
聞こえてきたのは私から電話がかかってくるのを想定していたような楽しげな声。
「見ましたよ。何で載せたんですか!? 載せるなら事前に教えてくれてもいいじゃないですか」
『事前に言ったら、小夏ちゃん反対しそうだったし⋯。ちゃんと顔は隠したから。
この写真の私の幸せそうな顔ったらないでしょ! 仕事では絶対できない、こんな顔。
世界中に見せたくなったんだよ。私の自慢の彼女を。私だってたまには惚気けたいんだよ。分かってよ、小夏ちゃん。私たち、付き合ってるんだよね?』
少し不安気な声の真白さん。
そう、私たちは付き合っている。
一年前に酔ってうっかり私が真白さんへの想いを吐露してしまったから。
優しい真白さんだから、拒絶されることはないって思ってしまって。
予想通りに、真白さんは私の気持ちを否定することも拒むこともなかった。
受け入れてくれたあげくに、私の告白を受け取ってくれたのは想定外だったけれど。
「それはそうですけど⋯。でも、もし世間に私たちの関係がバレたら、真白さんのモデル人生終わるかもしれないんですよ?」
だから、どんなに真白さんとの恋が嬉しくても隠さなければならない。
最悪、諦めなければいけないことも覚悟しないと。
『小夏ちゃんとの関係で終わるほど、私やわな仕事してきてないから』
久しぶりに聞く低い声の真白さんは怒ってるみたいで、そのまま電話は切れてしまった。
私がもっと自信があれば、真白さんの恋人でも堂々とできたのかもしれない。
せっかく想いが結ばれたのに、私は逃げている。あんなにも真白さんは私に好意を向けてくれているのに。
真白さんに電話をかけ直す勇気が出なくて、私はまた写真投稿SNSをなんとなく開く。さっきよりもハートもコメントも増えていたけど、浴衣の写真に比べたらかなり伸びは悪い。
それはそうだろう。ファンはマネージャーなんてどうでもいい存在なのだから。
私たちの関係は誰も知らないはずなのに、勝手に知らない人に私たちをジャッジされた気持ちなっている。こんなんじゃいけない。
これ以上考えていると滅入りそうだから、お風呂にでも入って気分転換しよう。
私はスマホをクッションに投げて、お風呂に向かった。
湯船にゆっくりと体を沈める。ふわりと漂うラベンダー香りが、心を落ち着かせてくれる。
この入浴剤は以前、真白さんがプレゼントしてくれたものだ。
真白さんのことを考えないようにしてるのに、これだから私は⋯⋯。
子供の頃から好きだったのは真白さんだけ。今更、頭から消し去るなんて無理でしかない。
心を無にしようと天井を見上げる。湯気がふわふわと渦巻いて、視界をうっすらさせている。
何の音もなく静かな空間に、突然どかどかと廊下を走る足音がして、反射的に私を身をすくめた。
『泥棒』の二文字がよぎるけど、私の家に入れる人に心当たりがある。
私は部屋の合鍵を渡している人がいる。
それは当然、大好きで信頼している人。
「小夏ちゃん!!」
突然開いたお風呂のドアから顔を出したのはやはり真白さんだった。
「いきなりなんですか、真白さん!」
私は首まで湯船につかる。
「インターホン押しても出ないし、電気がついてるのに部屋にいないから何かあったかと思った」
そう言って真白さんは服が濡れるのも構わずに私に腕を伸ばして、引き寄せる。
「家に来るなら電話くらいしてください」
「ごめん、今すぐ小夏ちゃんに会いに行かなきゃと思って、電話切った後に急いで来た」
すぐ傍に真白さんがいる。少し上がった息で、本当に急いで来てくれたのだと分かる。
「小夏ちゃん、私はできるなら、私の恋人はマネージャーの小夏ちゃんだって言って回りたいくらい。だって、モデルの今の私を作ったのも、私の人生を変えたのも小夏ちゃんだもの。
他の誰でもなく、あなたなの。私はモデルになって良かったと、いつも思ってるよ。だって毎日楽しいから。
何より今は近くに小夏ちゃんがいるから。私にとって特別だってこと、ちゃんと分かってよね」
真白さんは私の顔を両手で包むと、優しくキスをする。
それだけで、私は真白さんを好きでいていいんだと、涙が溢れてくる。
こんな私でも、釣り合わなくても、そんなこと全部捨てて忘れて、好きでいたい。
「私も真白さんが大好きです。伊達に二十年以上好きでいるわけじゃないですから」
「一途に私を愛してくれるのは小夏ちゃんだけだよ。だからね、私の彼女でいることをもっと自信持ってよね。それと、呼び方そろそろ元に戻してほしいな」
「呼び方はもう少し待ってください。そうですね。頑張ります。まだまだ真白さんの傍にいたいですから」
私たちはまた口づけをかわす。
「ところで真白さん、服びしゃびしゃですよ。着替えもないのにどうするんですか?」
「そうだねぇ⋯⋯」
真白さんは私から離れると、おもむろにシャワーをつかんで栓をひねる。止める間もなく、真白さんは降ってきたお湯でずぶ濡れ。
「何やってるんですか、真白さんっ!!」
「ごめん、これじゃ帰れないから泊めて。そういえば、これ初お泊りだよね!」
真白さんはウインクする。
それがまたとても可愛くて、喉の奥に留まっていた文句も消えてしまった。
私は真白さんが好きで、真白さんも私を好きで。その事実があればそれだけでいいんだと、目の前で笑ってる真白さんを見ていたら素直に思える。
結局、好きな人には敵わないんだ、これからも、ずっと。
好きな人には敵わない 砂鳥はと子 @sunadori_hatoko
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