第4話


 誰かがアリスを優しくなでている。


 この手には覚えがある。

 初めは小さかった手が、だんだんと大きくなって。


「……レイモンド王子?」


 とろんとした目でアリスがその人を探すと、目を丸くしたレイモンドと目が合った。


「おまえは、やっぱり文鳥か――あっ」

 チッと声を上げたあと、レイモンドがアリスを大事そうに両手ですくう。


「ビスケットに目がくらんだな」

「わたし……? 寝ていましたか? どれくらい?」

「まる二日寝ていた。死んだかと思ったよ」

「……いったいなにが起きたのでしょう?」

「ローガンだ。おまえの好物を調べ、おまえを誘拐し、ぼくを強請ゆすってきた」


 ローガン! あぁ、なんてことだ。

 アリスは体を起こした。


「強請るって? いったい、なにがどうなったんですか?」

「ぼくにローガンの代わりとなり受験しろと言ってきた」

「そんなのできるわけないじゃないですか」

「それができた。あのときうちには、家庭教師の魔法使いがいたんだ」

「……そんな。だったら、レイモンド様は」

「受けてない」


 アリスはうなだれる。

 なんてことだ……。


 毎日勉強をしていたレイモンドが王立学園には通えず、怠けもののローガンが入学するなんて。


 アリスがジンジャービスケットに目がくらんだせいだ。

 ほんの少しの判断の誤りが、九年間といった時間をなかったことにしてしまった。

 アリスは、深々と頭を下げる。


「わたし、本日限りでレイモンド様を守るお仕事を辞めます」

「はっ?」

「最低です。守るどころか、害を与えました。ビクトリア様に顔向けができません」

「待て、文鳥。話は最後まで聞け」

 いつになく必死なレイモンドの声にアリスは顔を上げた。


「ぼくは、王立学園には入学したくなかった」

「そうなんですか? でも、だったら、どこへ?」

 この国の子どもが入学するとなると、王立学園以外にはないような気がするが。


「魔法学院だ」

「……でも、それは。王族の方が入学するのは無理なのでは?」

「ぼくは、王族から外されるだろう。そろそろ身代わり受験がばれるころだ」

「でも、それはローガンさまに脅迫されて」

「たとえそうでも、やってはいけない。しかも、攫われたのはおまえ、文鳥だ。文鳥のためにそんなことをする人物はいかにも変人で、王族としてはふさわしくない」


 たしかにそうだ。文鳥を助けるために、危険を犯すなんて、変人中の変人だ。


「なんとかして、王立学園に進みたくなかったぼくにとって、おまえが誘拐され、ローガンに強請られた出来事は、一生に一度のチャンスだったのだ」


 レイモンドは嬉しそうだが、アリスの胸中は複雑だ。

 レイモンドが進みたい道に進めるのはいいけれど、ビクトリアはどうなのだろうか。


 レイモンドとしての人生は守ったかもしれないけれど、レイモンド王子としての人生をアリスが奪ってしまったのだ。


 この償いのためには。

 アリスのこの先の人生を、レイモンドのために使ってもらうしかない。


「わたしにこれからもレイモンド様を守らせてください」

「おまえはもう、ぼくを守る必要はない」

「そんなこと言わないでください! 役立たずだったかもしれませんが。これからも、レイモンド様のおそばで、なにかお力になるようわたし、がんばります。わたしは、文鳥ですが、文鳥ですがレイモンド様を守ります!」

「断る。おまえに守ってもらうなんて、うんざりだ」


 間髪入れずに戻ってきた返事に、アリスはその場でぱたりと倒れた。

 レイモンドがアリスを手の平にのせた。


「魔法学院は個室なんだ」

「……はい」

「だから、今までどおりこうやって話せる」


 アリスはむくりと起き上がる。


「これからも、レイモンド様をお守りしてもいいんですか?」

 レイモンドが、顔をくしゃりとさせ笑う。

「だから、守らなくいてもいいんだ。いいかい、ぼくはもうすぐ王子ではなくなる。ただのレイモンドだ。だから、自分の思うように自由に生きられるんだよ」

「そう、でした」

「だから、これからは一番の親友として、ぼくのそばにいてほしい」


 これからもレイモンドのそばにいられる?


「文鳥ですがいいですか?」

「おまえが、文鳥だろうがなんだろうが、ぼくの最愛には変わらないさ」

「サイ……? あぁ、幸い! そういえば、ビクトリア様が文鳥は幸福を呼ぶ鳥だと言っていましたね!」

「微妙にずれているが、まぁいいか」

 ぼそりとしたレイモンドの声は、アリスには聞こえなかった。


 ◆


「そうね。困ったわよね」

 ビクトリアの部屋に行くと、白い髭の魔法使いもいた。

「アリス様との魔法契約は、『レイモンド様が王立学園に入学するまで』となっていまして」

「レイモンドが王立学園に進学しなくなった今、その魔法が宙に浮いたのね」


 ビクトリアが、すまなそうな顔でアリスを見つめる。


「いろいろと面倒なことになって申し訳ないけれど、しばらくはレイモンドと一緒にいてちょうだい。なんとかして、あなたを人間に戻す方法を見つけるから」

「かしこまりました」

「とりあえず引き続き、自分が人間だと告白をしてはダメよ」

「それは、もちろんでございます」

 そんなアリスとビクトリアのやり取りを、白髭の魔法使いがにこにこと見守っていた。


 ◆


 真夜中、レイモンドはいつものように目を覚まし、部屋を見まわした。

 すると、ベッドの足もとにあるフットベンチに、透明な一人の少女が眠っていた。

 少女に色はない。うっすらとしたほのかな光を放つ白い靄のようなそんな存在だ。

 彼女を初めて見たのは、池に落ちて熱を出したときだ。

 喉が渇き目を覚ましたレイモンドの隣で、彼女は眠っていた。


 その後も、レイモンドはたびたび夜中に目を覚まし、そのたびに透明な少女を部屋のあちこちで見つけた。

 あるときはベッドのすぐ下の床。

 あるときは、机の上。

 タンスの上で寝ているのを発見したときは、腰が抜けるほど驚いた。


 そして、気が付いた。

 この寝場所は、文鳥と同じ場所では?

 つまり、この透明な少女は文鳥?

 もしや、なにかしら魔法が関係している?


 頭の中でいろんなことがどんどんと繋がり、そう仮説を立てたレイモンドだったが。

 それが正解だったと、ローガンに誘拐された文鳥を助け出したときに知った。


 今まで目をつむっていた少女がうっすらと目を開け「レイモンド様」と、文鳥の声で自分の名を呼んだのだ。


 ビクトリアや家庭教師の魔法使いに尋ねても、相手にしてもらえなかった。

 ただ、魔法使いからは「レイモンド様が立派な魔法使いになれば、きっと謎は解けるでしょう」と言われている。


「こんどはぼくがおまえを守るよ」


 透明な少女に向けレイモンドはそう誓った。


 ◆


 さてさて。

 後宮から無事に追い出されたレイモンドとビクトリアは、王都の隅に居を構えた。


「側室手当をためていたのよ」

 しっかり者のビクトリアは、持ち物もすべて売り、後宮で仕入れた美容関係の知識で化粧品の商売を始めるそうだ。



 そして、レイモンドとアリスは。


「レイモンド様、いいですか。集団生活における第一印象ほど重要なものはなく」

「はいはい。おまえは、ここに入ってろ」

 魔法学院の制服に身を包んだレイモンドが、彼のシャツのポケットを指す。

「嫌でございます。わたしの場所は、ここです」

 アリスはレイモンドの魔法マントの肩にちょんとのる。

「では、行くぞ」

「はい!」


 アリスを肩にのせたレイモンドが、魔法学院の門をくぐる。

 その景色をアリスは、自分のことのように誇らしい思いで見た。



                               (おしまい)

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文鳥ですが守ります! 仲町鹿乃子 @nakamachikanoko

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