第3話


 それからレイモンドは、勉強だけでなく体も鍛え始めた。寒空の下、黙々と後宮内の敷地をぐるりと走るレイモンドをローガンは馬鹿にしていた。

 また、東洋の武術も習い始めた。

 それは、剣といった武具がなくても体を守ることができるそうだ。


 運動中はさすがにアリスもレイモンドの肩にのるわけにはいかないので、近くの木の枝にとまり、終わったらすぐに彼のもとへと飛んだ。

 さほど高くなかったレイモンドの肩だったけれど、一年ごとにぐんぐんと高くなり、かわいらしかった声まで低くなった。


 レイモンドはアリスへの褒美も忘れなかった。

 一日一枚。

 毎日のお茶の時間に、アリスはジンジャービスケットをついばんだ。


 そして、いつからかレイモンドは魔法学にも興味を抱くようになった。

 そのためアリスも毎週のように、自分を文鳥にした白髭の魔法使いと顔を合わすことになったのだが、途中から魔法学の授業の間だけはアリスは同席しないことになった。


 周期的に「実はレイモンド王子は聡明なのではないか」といった噂が流れたが、そのたびに文鳥に親し気に話しかけるレイモンドの行いがどこからともなく流れ。

「やっぱりレイモンドは、文鳥にしか興味のない欠陥王子だ」といった評価でその噂は消された。



 健やかに月日は流れ――。

 レイモンドは十五歳に。

 そして、いよいよ王立学園の入学試験を明日に迎えた。


 後宮からの受験者は、レイモンドだけだったはずだが。

「おい、試験になにが出るか教えろ」

 昨年、試験に落ちたローガンが、朝一番で図書館から本を借り戻ってきたレイモンドに声をかけてきた。


「試験に出る内容が知りたければ、王立学園の試験科に問い合わせをしたらどうだろうか」

「おまえ、ばかかっ! そんなの教えてくれるわけないだろう」

「そのとおりだ。そして、残念ながらぼくも知らない」


 淡々と話すレイモンドの腕をローガンが掴もうとした。

 しかし、レイモンドはその腕を軽くかわし、逆にローガンの腕を捻った。


「実践は初めてだが、なかなか役に立つな」

「おまっ! 痛い! 離せっ!」

 騒ぐローガンの腕をレイモンドが離すと、ローガンは憎々し気な顔しつつ、逃げていった。


「彼には進歩がない」

「レイモンド様の成長が著しすぎるのだと思います」

「だとしても、わからないことは、まだまだたくさんある」

「ですから、王立学園に入りより多くのことを学ぶのですよね」

 すると、レイモンドが考えるようなそぶりを見せた。


「王立学園は全寮制だ」

「そうでございますね」

「一年生は二人部屋だそうだ」

「まぁ、お友達ができますね」

「文鳥、おまえはそれでいいのか?」


 そこでアリスはハッとした。

 アリスの役目は王立学園にレイモンドが入学するまでだ。

 もしかして、それをレイモンドは忘れている?

 いやいや、聡明な彼だ。一度聞いたことを忘れるはずがない。

 しかし、思えばその話をしたのは六歳のときだ。

 レイモンドは現在、十五歳。

 忘れたとしても仕方がない。


 とはいえ、もうすぐアリスは人間に戻るのだ。

 どう考えても、今までのようにレイモンドのそばにはいられない。

 人間に戻ったあとのアリスは、少しの休みのあと、ビクトリアが世話をしてくれる貴族の家の子守として働くことも決まっていた。


「レイモンド様。お忘れかと思いますが、わたしの役目はレイモンド様が王立学園に入るまででございます」

「……忘れてはいない」

「失礼しました。さすが聡明なレイモンド様です」

「しかし、なにごとにも例外というのがある」


 レイモンドは弁が立つ。このままではいいくるめられてしまうだろう。

 アリスは少し考え芝居を打つことにした。


「レイモンド様。実はわたくしは高齢でございまして……。すでに、レイモンド様のおそばで九年近く過ごしております。鳥の九年と言えば、人間でたとえるのなら何年になるのでしょうか」

「…………」

「こんな年寄りに、働けなんて言わないでください」

「…………うそだ」


 レイモンドは、やや潤んだ瞳をアリスに向けた。


「おまえが年寄りなんてうそだ。だっておまえは」

 そこまで言うとレイモンドは口を噤んだ。

「いい。ぼくはぼくで考える」

 そう言うとアリスを置いて、魔法学の授業に行ってしまった。




 少し開いた窓から、アリスは庭を見下ろした。

 初めてレイモンドと会ったときも、彼が見下ろす窓の景色が見たくて、ここに飛んできた。


 ビクトリアの思惑通り、少なくても今のところはレイモンドを推そうといった声はない。

 そもそもレイモンドのほかに二十八人もいるのだから、それだけの数がいれば何人かは

 優秀な子がいるだろう。


 人間に戻ったアリスの体は、十六歳だそうだ。文鳥の間は成長が止まっているとか。


 思えばなかなかに楽しい文鳥生活だった。

 雨の日も風の日も、晴れの日も雪の日も。

 とにかくレイモンドの肩にしがみついていた。

 もしかすると、人間に戻ったときに足の指の力が増しているかもしれない。

 くすっと笑うアリスだが、やはり淋しさもある。


 レイモンドは、いい子だった。

 レイモンドのそばにいて楽しかった。

 そっけない物言いの中に、いたわりがあった。


 いい仕事だった。


 今までを振り返り、じーんとしていたアリスの目に、庭に落ちている菓子が見えた。

 しかも、あれはジンジャービスケットだ。

 アリスは窓からパタパタと外に出ると、注意深く周りを見た。

 罠も仕掛けも、ない。

 ツンツンとビスケットをつつくアリスは、続けてツンツツンとつついた。

 おいしい……けど。あれれ?

 アリスは急に眠くなってきた。そして、真っ暗な世界へと落ちていった。


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