最終話

夕暮れ時、アリスを肩にのせたまま、レイモンドが無言で渡り廊下を歩く。

 なにやら、レイモンドは思案顔である。

「……あの、レイモンド様。わたし、またもや誘拐され、申し訳ございませんでした」

「えっ? あぁ、おまえのせいじゃない。気にするな」

「でも、怒ってませんか? 無口ですし」

「ぼくはおまえと違い、おしゃべりではない」

「ですね」

 わかってはいるけれど、今のこの沈黙に、アリスはなにか意味を感じてしまうのだ。

「文鳥、きょうだいというのは、あんなに絆が深いものなのか?」


 レイモンドの言葉にハッとする。

 レイモンドには、きょうだいが二十八人いる。

 中でも一番年が近いのは、アレだ。

 初代アリス誘拐犯のローガンだ。

 ローガン以外のきょうだいにしても、レイモンドとは距離を置いていた。

 親しく話すどころか、行事で顔を合わせる以外、交流はなかった。


 だから、アリスがノアを思うような。

 ノアがアリスを慕うような。

 会わずとも、心の底で互いの幸せを願い合うような、そんな繋がりとは無縁なのだ。


「レイモンド様。きょうだいなんて、ホント、いろいろです。きょうだい関係も、家族の形も、人の数だけあります。ウイスランド先生には、先生のあたりまえがあり、レイモンド様には、レイモンド様のあたりまえがあり。どちらが正しいとか、間違っているとか、そんなことはないのです」

 レイモンドがふっと笑う。

「なぜだろうな。きょうだいと聞いたとき、ぼくの頭にローガンが浮かんだ。きょうだいらしいことなんか、一つもなかったというのに」

「わたしは、あの方が好きではありません!」

「ぼくだって、彼が好きではない。でも、だからといって。彼に不幸になって欲しいとは思わないんだ」

 レイモンドの意外な言葉に、アリスは驚き、またもやあやうく、落ちてしまいそうになった。


「レイモンド様は人が良すぎます。ローガン様は、とんでもないことをしたんですよ? なのに、『ぼくはレイモンドの文鳥が羨ましかっただけなんだ』とか、『試験のことだって冗談で、まさかレイモンドが本気にするとは思わなかった』なんて、嘘ばかり。また、それが認められたのが腹立たしい。あの方は、いまだにあの後宮でのんきに暮らしているんですよ!」

 さすがに、王立学園の入学は叶わず、謹慎も三か月といった処分は受けたが、後宮を出ていくことになったレイモンドと比べると天と地ほどの差がある。


「文鳥。言葉は空から降ってくるそうだよ」

 空から?

 アリスは空を見上げた。

 夕暮れの空はきれいだが、それだけだ。

「……いやぁ。なにも降ってきませんが」

「魔法学院に入る前に母上から言われたのだ。良い言葉も、悪い言葉も、誰かに言ったそのまんまで、ある日、突然、空から降ってくるそうだ。だから、悪い言葉を言いたくなったら空を見上げろと。その言葉を、将来自分が浴びることになってもいいのか考えろと」


 もう一度、アリスは空を見上げた。

 なんだか、とても胸がいっぱいだ。

 アリスの瞳に映る茜色の雲が、どういうわけだか滲んで見える。


 レイモンドは……レイモンドは。


 入学して二か月にも満たないというのに、すでにいろんな噂話や偏見、差別の中に身を置いている。

 そして、これからもそうしたものの中で、彼は学生生活を送らなくてはならない。

 ビクトリアには、その予想がついたのだろう。

 そして、離れて暮らす息子にどんな言葉を持たせればいいのか迷い。

 その中で選んだ、母から息子への言葉だ。

 その言葉は、長い目で見ればきっとレイモンドを守るのだろう。

 ビクトリアは正しい。

 でも、そうだけど。


 だったら、アリスは、正しくない方法で、友だちで親友の方法でレイモンドの心を守るのだ。


 鳥だけど、文鳥だけど。

 アリスはレイモンドを守りたい!


 ちゅんとアリスは跳ねると、レイモンドの肩から渡り廊下のすぐ脇の地面へと飛んだ。

 そして、夕焼けの中、地面の土にくちばしで、へにょへにょ文字ながらも「ローガン」と書くと、その上をドンドンと踏みつけ始めた。


「おまえ、なにを……」

 レイモンドが目を丸くして見下ろしている。

「大丈夫です、地面でジャンプしているだけなので、空からはなにも降ってきません!」

「違う、そうじゃない」

 ぴょんぴょんと跳ねるアリスを、レイモントが掴んで持ち上げ、手のひらにのせる。

 そして、「ローガン」の文字を片足で一掃した。


「おまえ、字が書けるのなら、……んな、そんな名ではなく、ぼくの……ぼくの名を書け!」

 レイモンドが怒り出す。

「わたしの、へにょへにょ文字で、ですか?」

「そうだ!」

 迫力に負けたアリスは仕方なく、再び地面に降りた。

 そして、さっき同様にへにょへにょ文字で、今度は「レイモンド」と書いた。

 ひょいと、首を上げ見上げると、なぜかレイモンドの頬がうっすらと茜色に染まっている。

 喜んでいるようだ。

 アリスは小さく溜息を吐くと、気が進まないながらもレイモンドの名の上に立ち、ローガン同様にドンドンと踏みつけた。

「おい! 待てっ! 違うだろう、がっ!」


 ローガンと同じにしてほしいと言われた気がしたのだが、違ったようである。

 レイモンドはぷんぷん起こりつつも、アリスを手ですくいあげ。

 土のついたくちばしを自分のシャツでていねいに拭ってくれた。


 ◆


 明け方、アリスが目を覚ますと、ベッドにいるはずのレイモンドがいなかった。

 見ると、靴もない。

 胸騒ぎがしたアリスは、わずかに空いていた換気用の小窓から、レイモンドを探すために飛んだ。


 木々の間を、アリスは飛ぶ。

 どこかでレイモンドの声がしないかと耳を澄ますと、ヨキアムのにひひ笑いが聞こえた。

 アリスは迷わず、その笑い声へと向かった。


 ヨキアムは、裏門の掃除をしていた。

 しかも、その隣には――。

「なかなか、うまいじゃないか。レイモンドさん」

「そうか」

 レイモンドとヨキアムが箒を持ち、裏門周りの掃除をしていた。

「でも、ほんとうにいいんですかい? 文鳥ちゃんが食べる菓子のために、これから毎朝掃除なんて」

「あぁ、運動にもなる」

「いやはや。あの文鳥ちゃんも、文鳥冥利につきるったぁ、もんですな」

 にひひと、朝の学院に響くヨキアムの笑い声を、アリスは木の葉に隠れるように止まった木の枝で聞いてた。

 ヨキアムは裏門をレイモンドに任せると、自分は別の場所の掃除へと向かった。


 ヨキアムがいなくなったタイミングで、「文鳥」とレイモンドがアリスのいる木を見上げ呼んだ。

 アリスは返事をしないまま、レイモンドが差し出した手のひらへと降りる。


「わたし、ジンジャービスケットは、いりません」

「おまえ、ぼくに約束を破れというのか?」

「あんな約束なんて、もう、時効です」


 以前、レイモンドが池で溺れかけたとき、アリスは彼に水で体を浮かせる方法を教えた。

 そのお礼になにがいいかと聞かれ、毎日一枚、ジンジャービスケットをもらう約束をしたのだ。


「おまえがいらないと言っても、ぼくはここの掃除を続け、毎日一枚、ヨキアムさんからビスケットをもらうよ。それに、ぼくにとっては、時効なんかなく、消せる約束ではない」

「レイモンド様は、真面目すぎます」

「約束とは、真面目なものだとぼくは思う。後宮にいるとき、おまえが食べるビスケットは、ぼくの小遣いで買っていた。でも、あれは元をただせば母上の金だ。そこに、もやもやとした思いがあったのだ。しかし、これからは、ぼくの力でおまえにビスケットを渡せる。それが、ぼくには嬉しいのだ」


 レイモンドは、さっぱりとした顔をしていた。

 けれど、アリスは――。

 アリスはレイモンドの手のひらから飛ぶと、そのまま彼の頭の上へ着地した。


「わっ、おまえ、なにするんだ!」

「わたしにも、わたしの気持ちがわかりません!」


 アリスは、昨日、地面に書いたローガンやレイモンドの名前を上から踏みつけたように、レイモンドの頭で跳ねだした。

 無性に、レイモンドの髪をくしゃくしゃにしたくなったのだ。

 だって、だって。

 誰かがアリスのためになにかをしてくれるなんて、そんなの初めてだったから。

 人のために動くのは慣れているアリスだったけれど、それが、逆になると。

(なんか、むずむずするし、恥ずかしい!)

 これは、どういった感情だろうか。

 レイモンドに捕獲されるまで、ともかくアリスは跳ね続けた。



 アリスと、もしゃもしゃ頭のレイモンドが寄宿舎の部屋まで戻ってくると、部屋の前にはノアが立っていた。そして、ノアの後ろにはアリスの見知らぬ男子生徒がいた。


「あぁ、レイモンド君、戻って来たか。すまないが、今日から彼と相部屋を頼む」

「お言葉ですがウイスランド先生。魔法学院の寄宿舎は、個室ですよね」

「なにごとにも例外ってものがあるんだよ。手の空いている先生がいないので、新任の俺がこんなことをしているのも、そう。今朝、この彼の部屋が水浸しになってね。相部屋っていっても、修復が済むまでの間だからそう長くないさ。なんでも、彼と君は実践魔法の授業での二人組だそうだしね」

 ノアが隠れている少年を前に出す。

「レイモンド君、しばらくよろしくお願いします」

 少年が下がり気味の眉毛をますます下げ、レイモンドに握手を求めてきた。


 実践魔法? 二人組? 

 彼は、泥団子君だ!


 表情をなくしたレイモンドの肩で、今から始まる相部屋生活にアリスは心が弾み、文鳥らしくピピピピピと囀った。


                               (おしまい)


◆◆◆◆

二人の学院での生活と弟登場でございます。

「文鳥」では、多くの読者の方々との「はじめまして!」を経験し、ドキドキでした。

「文鳥」がらみのお遊び企画を一本考えています。

できるかわからないけど……「文鳥」の二人が現代日本に来たら、といった、セルフパロディです。

今、プロット考え中なのですが、自分で笑ってます。 

また、「文鳥」で「仲町の書く物語いいな」って思ってくださった方は

◆宣伝です◆

9/12発売

「代官山あやかし画廊の婚約者~ゆびさき宿りの娘と顔の見えない旦那様」

富士見L文庫様より発売です。

近況ノートをご覧いただくと、條さまの美しいにこんにちは!です。

ありがたい……。

「代官山~」の書籍化の隙間に「文鳥」を書いたので、現代と異世界と場は違うけれど、仲町っぽさは似ているので、気に入っていただけると思います。

心から、よろしくお願いします!

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文鳥ですが守りたい!(文鳥シリーズ②) 仲町鹿乃子 @nakamachikanoko

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