第4話
「おい、鳥、大丈夫か? 文鳥も止まり木から落ちるのか?」
気がつくと、アリスはノアの手の中にいた。
「慣れない鳥籠で様子が違ったんだな。ごめん。悪かった。ええと……医者か? 校医に連絡か。いや、動物魔法の先生か?」
おろおろするノアに、アリスはほっとした。
外見は変わったけど、中身はちっとも変わってない。
優しくて、すぐにオロオロして。
アリスの一つ下の弟のノアについての近況は、時折ビクトリアから伝えられていた。
アリスが文鳥になる決心をしたのも、ビクトリアが責任を持ち、ノアの成長を見守ると約束してくれたからだ。
実際には、弟の面倒を見てくれたのはアリスとビクトリアを引き合わせた商会だったのだけれど、それでもアリスはありがたいと思ったし、そのおかげで、思う存分レイモンドを守ることができた。
そして、文鳥になることを選んだ時点で、アリスは二度と弟には会わないつもりでもいた。
というのも、文鳥から人に戻れたとしても、その間アリスは人としての成長が止まっているので、文鳥になった年齢、つまり十六歳のままだったからだ。
まさか、その姿で、二十代半ばになった弟に「姉さんよ」なんて、会いには行けないだろう。
そもそも信じてもらえないだろうし、信じたら信じたで大騒ぎになるのは目に見えている。
しかし、妙である。
アリスは、魔法学院でノアが教師として働いているなんて報告は受けていないのだ。
たしか、ノアの就職先は……。
弟の手のひらでころんと転がりながら、アリスはうむむと考え込む。
そのとき、部屋をノックする音が聞こえた。
「ウイスランド先生、レイモンドです」
アリスとノアが同時にハッとする。
「やばい。俺は王子の愛鳥をこんな目に……」
(ノア。あんた、いまさらだよ)
アリスが、むくりと起き上がると、ノアがあからさまにほっとした表情を浮かべた。
「レイモンド君、入って来てくれたまえ」
(なにが、「くれたまえよ」)
アリスがノアの手のひらから飛んだのと、レイモンドがドアを開けたのは同時だった。
◆
ノアが、大きな体を曲げソファーに座ったレイモンドに頭を下げた。
アリスは、レイモンドの肩にちょんといた。
「乱暴な真似をしてすまなかった。実は、君に聞きたいことがあったんだ」
レイモンドは無言だ。
そのため、ノアは頭を上げるタイミングがわからず、頭を下げたままの姿勢を保っている。
「どうぞ、顔を上げてください。けれど、文鳥は譲りませんよ」
「あぁ、もちろんだよ」
ノアは落ち着きなくうろうろしたあと、部屋の隅にある椅子を持ってきて座った。
「それで、ぼくに聞きたいこととはなんでしょうか?」
「姉を探しているんだ」
思いがけない話をされたといった表情を、レイモンドが浮かべる。
「それは、先生の姉上ですか?」
ノアは頷くと、アリスにしたことと同じ話をした。
「なぜ、母が姉上の働き先と関係があると思われたのですか?」
「姉は俺の学費を稼ぐために、ある商家の
アリスは小さな首を上下した。
「しかし、そんなわけにはいかないだろう?」
なんですと?
「俺は学校が休みのたびに、その商家に行った」
ななな!!! ノアってば、なんてことを!!
「しかし、行くたびに、姉はここにはいないと言われ、追い払われた。そんなとき、路地で遊んでいた女の子が、『お姉さんなら、後宮に行った』と教えてくれたんだ」
なんて口の軽い!
アリスの頭に何人かの候補が浮かぶ。あの商家は、子だくさんなのだ。
「後宮といっても、多くの人がいますよ。ぼくの母と先生の姉上を結びつけるのは、無理があるのでは?」
「君と母上は後宮を出された。そして、王都の隅に居を構えた。その際に、手を貸したのが俺の姉を後宮に働きに出したその商家だと噂を聞いた。噂とはいえ、俺の知り得る情報で、あの商家と後宮を結ぶ線は、ビクトリア様しかない。俺もまさかうちの姉がビクトリア様と直接関係があるとは思っていない。つまり……。ビクトリア様に、姉と似た容姿の女性が後宮にいないかと、聞きたかったのだ」
意外にも核心に近づく推理をしてきたノアに、アリスは感心した。
「あの商家は、ぼくの母の父である、ブラックウッド伯爵の馴染みの店です。そして、ブラックウッド家は、王都から離れた場所に領地があり、タウンハウスも持っていません。そのため、今回、世話になったのです」
「……そうでしたか」
ブラックウッド伯爵やその領地については、アリスも初めて知ることだった。
「先生のお話はわかりました。母に手紙を書くときに尋ねてみますよ」
「それはありがたい」
ノアが日に焼けた顔を、ぱっと明るくした。
「ところで――」
レイモンドが話を続ける。
「先生の姉上の容姿や、性格を教えてもらえないだろうか」
(はっ? そんなのノアが話したら、わたしだってバレ……)
ないか。
性格はともかく、アリスの容姿をレイモンドは知らない。
容姿どころか、レイモンドにとって、アリスは文鳥である。
だから、ノアがいくら正確に描写したところで、行方不明のノアの姉と文鳥になったアリスを結びつけることは、ありえないのだ。
ほっと胸を撫でおろしたものの、今度はノアがアリスをどう表現するのかと、ちょいと気になってくる。
耳をぴこっと傾けるアリスの前で、ノアが、物憂げな息を吐く。
「ぼくの姉はですね、この世の者とは思えない、天使のような女性なのです」
ノア、あんた、なに言ってんの。
「……天使、か」
しかし、レイモンドはノアの言葉を茶化すことなく、なぜか、肩にのるアリスをちらりと見てきた。
「それで、容姿は?」
レイモンドが食い気味に質問をぶつける。
「髪の色は、雪の結晶に月の光が滴り落ち溶けたような、美しくも儚い白金。目は、森よりも色を濃くした罪深いほどの緑。髪も瞳も俺と同じ色でありながら、同じ色とはいえないほどに、神々しい。まさに、天使ですよ」
「色……。そうだった。人間には、色があるんだな。色……色か」
ノアは天使とうるさく、一方、レイモンドは色、色とうるさい。
っていうか、この二人、大丈夫だろうか?
「うちの姉はですね、外見だけでなく中身も天使なんです。正義感にあふれ、面倒見がとてつもなくいい」
「なるほど、それはたしかに天使だ」
いやいや、どこにでもいる文鳥ですよ。
「そして、おしとやかで――」
「ん? んんん? 待ってくれ。姉上は、おしとやかなのか?」
「はい。立ち振る舞いが静かで、声も落ち着き、いつも優しく微笑んでいました」
ノアが瞳を潤ませ、遠くを見る。
まぁ、その……。
ノアの言い分も、わからなくはない。
たしかに、ノアと暮らしていたときのアリスはそうだった。
ノアは、おしとやかと表現をしたけれど、ただ動かなかっただけだ。
それもこれも、浪費家の両親が原因だ。
彼らから十分な食事が与えられなかったため、活動するエネルギーが不足していたのである。
いつも微笑んでいたのも、口角を上げるとそれだけで体に良いと、野菜を包んでいた新聞で読み知ったからだ。
つまりが、健康法だ。
「先生、失礼を承知でお伺いしますが。姉上は食い意地が張っていたなんてことはありませんか?」
「姉が? まさか。あぁ、言い忘れていました。姉はジンジャービスケットが好物でして」
「……ジンジャービスケット」
「だから、ヨキアムさんから、この文鳥の好物も同じだと聞き、それで余計に姉となにか繋がりがあるのではないかと思ってしまったのです」
まさか、ジンジャービスケット好きが命取りに?
バレる可能性なんかないけれど、それでもアリスはヒヤヒヤしてしまう。
「……なるほど。ちなみに姉上は、話し出すと止まらず、脱線し、説教臭いとか、のんき顔とか、寝相が悪いとか、あとは……」
「待ってください。それは、誰のことですか? 少なくても、姉ではないですね。絶対に、違います!」
ノアが椅子から立ち上がる。
「たしか、姿絵があったはずだけれど……」
そう言いいながら、机まで行き、引き出しを開けた。
「あれ? ない。どこだ? 前の下宿に忘れてきたか……。いずれにせよ、今度見せますよ」
「いや、結構です。もう、はっきりとわかりました。先生の姉上については、近々母に手紙で伝えます」
「ありがとうございます――って、待て、待て。なんか、会話、おかしかったよな。君は生徒で俺は先生。なんか、調子が狂うな」
ノアが両手を腰にあてる。
「ところで、ウイスランド先生の担当教科をお聞きしてもいいですか?」
「あぁ、俺? 家庭生活一般科。二年生からの履修科目に入っているはずだよ」
「縫物とか料理ですか?」
「そうそう。あと、体に必要な栄養素とかね。魔法使いって、まぁ、便利に使われてしまうところがあって。平気で僻地とかとばされるわけ。周りに食堂もなければ洗濯屋もない、布はあるけれど洋裁店もない。そうなると、仕事以前に生活に困るわけ。だから、どんな場所に行っても、自分で身の回りのことができるように訓練していくわけ」
「魔法は、お使いにならないんですか?」
「魔法はできないよ。だって、俺、王立学園出身だし」
そうなのだ。ノアは王立学園で学び、そして――。
「赴任されてきた、とヨキアムさんからお聞きしましたが、以前は?」
「うん。王立学園に入る前の子どもたちを教える初等学校で働いていた」
「それが、どうして?」
「レイモンド王子がここに来ると聞いて、慌てて転職してきたわけさ」
「……それほどまでに、姉上を」
ノアがふっと表情を曇らす。
「自分の今の生活が、誰かの不幸の上にあるかもしれないというのは、辛いものですよ。一目でいいので、姉に会いたいんです。元気なら、よかったと思うし。もし、そうでないのなら、今度は俺が姉を支えたいと思っています……ってほら、また、なんで君を相手にするとこんな話し方になっちゃうかな」
ノアが笑う。
そして、ノアは、缶に入ったヨキアムのジンジャービスケットを一枚取り出すと、アリスのために袋に入れた。
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