第5話

十一月三日


いつも通り短い睡眠から有沙に優しく起こされ顔を洗い髭を剃る。普段なら彼女の手料理に舌鼓を打っている所だが今日は違う、今日は十一月三日、他ならぬ有沙の誕生日だ。


やはり養ってもらっている立場として何か贈り物をと考えていたのだが中々思いつかない、アクセサリー等の物品を買うにしても元々は彼女からのお小遣いなのだからはたしてこれは贈り物といえるのか?と堂々巡りで中々答えが出せていないのである。

「今日は食欲ない感じですか?しゅー君」

「え?あ!いや、違います!今日も美味しいです、はい!」

首を傾げながら心配そうに訊ねて来る有沙に慌てて朝食を口に運ぶ、急に口一杯に頬張ったものだからのどに詰まってしまった。

「ぐふっ…~~~っ!!」

「あぁ!そんなにがっついちゃだめですよ!お茶飲んで、はい。」

渡されたマグカップを一気に煽る、胸のあたりに詰まっていた物がお茶によって流されていくのを感じ息を整えた。

ぼーっと考え事をしていたのが苦しさと鈍痛で頭が冴えたのかテーブルの隅に茶封筒が置いてあるのが目に入った。


「あの、それは…」

「これですか?ふふっ、内緒です」

「それより、もうすぐですね誕生日」

「え?」

有沙が満面の笑みで嬉しそうにしている。『もうすぐ』『誕生日』と聞いて自分の誕生日が二日後に訪れることにハッと気づいた、有沙の誕生日に気を取られて自分の事をすっかり忘れていたようだ。

「あっ…そっか、そうでしたね…」

「はい!しゅー君の誕生日楽しみにしててくださいね」

薄いピンクのマグカップを両手で持ちながらうっとりとした表情をしている、そんな彼女を見て二日後が待ち遠しくなった。


脩平は気付かない茶封筒から話を逸らされたことに。


有沙に誤魔化されたとも気付かずに思い切った表情で質問を投げかけた。

「あのっ、大倉さんが欲しい物って何ですか…」

「ずっと考えてはいたんですが、中々思いつかなくて」

ちらっと彼女の顔を見ると鳩が豆鉄砲を食らったかの様にぽかんとしていた。まずい、自分は何か変なことを言ってしまったのかと冷や汗が出て来た。

「あ、えっと…そういえば私の誕生日だったなって…今気づいちゃって」

だめですねと苦笑いを浮かべながら口元に人差し指を添えている。お互いが自分の誕生日を忘れていたことに驚きはしたが、困った様子で笑う彼女があまりにも愛らしくて見惚れてしまう。


「そうですね。うーん欲しい物、ですか………あっ」

何か思いついたようだ、聞き逃さない様に彼女を見つめる。

「欲しい物ではないんですけど、してほしい事ならありますね」

「な、なんでしょう…か…」

何だろうしてほしい事とは、気になって知らず知らずのうちに前のめりになる。

「…デート、して欲しいです」


朝食も食べ終えいつものスウェット姿ではなく、去年有沙が買ってくれた黒のタートルネックのニットにブラウンのコートを久しぶりに袖を通した。有沙は淡い桃色のワンピースに着替え、丈が胸元までのふわふわした白いコートを羽織はお上機嫌じょうきげんに早く早くとせがまれ二人一緒に玄関を出た。


有沙とやって来たのはとあるショッピングモールだ、映画館やテニスコートに子供が遊べる広場、屋上にはイベントスペースも設けられ、ここに来れば欲しい物は大抵揃っているし、駅から近い事もあり家族連れや若い世代の人達も大勢通っていて中々活気に満ちている。

ショッピングモールに向かう途中有沙が例の茶封筒を速達でどこかに送っていたが結局あれが何なのか教えてはもらえなかった。

「しゅー君、まずは映画館に行きましょう。早めにチケットを取っておかないとすぐ満席になっちゃいますからね」

「そうですね、何か見たい映画がありますか?」

「見たいなって思ってた恋愛映画があるのでそれを見ます」


にこやかにそう語りモニターに映し出された空席情報を見ると、昼の放映は満席だったが夕方の放映は空いていたので埋まらないうちにとチケットを取り、上映まで大分時間があるのでその間に買い物をしようという事になった。

「さてと、どこに行きますか?やっぱりお洋服とか」

「うーん…」

やはり女性ならば洋服やアクセサリーに興味があるのではないかと思ったが、口元に指を添えて悩んでいる所を見ると違うようだ。他に彼女が喜びそうなものはなんだろうか。

彼女は料理が得意だ、となるとやはり調理器具だろうか。


「あ!あそこあの雑貨屋に行きましょう!」

指さした先を見るとインテリア雑貨のテナント店があった。中に入るとキャンドルやアロマ、中には自宅で簡易的に天蓋てんがい付きベッドができる商品などが置いてあった。

白を基調とした店内に少し居た堪れない。

「いいですねこれ、クイーンサイズ用のフレームってあるかしら・・・」

有沙が天蓋用の商品を手に取りクイーンサイズと聞いて疑問に思った、なぜなら彼女のベッドのサイズはセミダブルでクイーンサイズは僕のベッドだからだ。

最初はセミダブルでいいと言ったのだが「鬱の改善にはまず良い睡眠から」とゴリ押しされた。

「えっと…あなたのベッドで使わないんですか?」

「だってしゅー君食欲は戻ってきたけど睡眠は改善されてないんだもの。なので今日からは私も一緒に寝ます!」


私も一緒に寝ます!……わたしもいっしょにねます……ワタシモイッショニネマス……

彼女の声がこだまする。

私も、一緒に、寝る。誰が?僕と?何故?いや待て今は成人しているとはいえ元教え子と同衾どうきんは倫理観というかモラルというか、そもそもヒモとなっている時点で倫理観等とうに無いに等しいのだが…!

「…っ…っ!いやっあの、えぇ?」

もう決めた事と言わんばかりの満面の笑みをこちらに向けてくる。これは拒否権が無いなと観念するしかない笑顔だ。

「わ、かりました…」


一通り彼女の買い物に付き添い、一緒に軽くランチを食べたら映画の時間が近づいて来たので映画を見た。

内容は学校が舞台の三角関係のドタバタラブコメのようで、僕には普遍的に見えてただ眺めていただけだったが、有沙は楽しそうに見ている。


彼女が本当に望んでいたものは決して飼い主とヒモなどという関係ではなく、もっと普通の恋愛だったのではないかと不安になる。


本来なら彼女はもっと身分が釣り合った、僕なんかとは別の人と幸せになるはずだったのではと胸が締め付けられた。


そんな罪悪感を抱えながら帰路につく。彼女の笑顔が、優しさが、今は痛い。


マンションの前までたどり着くと黒のロングコートを着た男がこちらに近づいて来た。

「兄さん…」

兄と聞こえて緊張が走る。どうしたらいいのか分からず背中に嫌な汗が溢れて来て、彼女の顔を見ると険しい表情を浮かべているものだから更に体がこわばった。

「良いご身分だな」


蛇に睨まれた蛙の気持ちが分かった気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ハツコイソウ 凪子 @nagiko_22

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ