もう神様がいなくても

やらずの

もう神様がいなくても

「もし三〇歳になってもさ、わたしが独りぼっちだったら、この教会でスウちゃんと結婚してあげる」

 そう言った真白の声は沈んでいるように聞こえた。

「それは、私が独りぼっちなことが前提にある発言だよね?」

 私が返すと、真白は振り返らないまま小さく笑った。

花吹雪が舞っていた。

透き通った鐘の音が響いていた。

 真白は車椅子に座って、真っ直ぐに前を見ている。姉の紅花さんが、精緻なレースのウエディングドレスを着て、花吹雪のなかを歩いている。隣りには優しそうな顔の男が立っていて、時折お互いに見つめ合いながら、よく似た笑顔を浮かべている。

「きっとさ、三〇歳になるころくらいには、この社会も、法律も、少しは変わってると思うんだよねぇ。だから約束」

 真白の頬が濡れている気がした。私は黙ったまま、真白のつむじをじっと映していた。

 二五歳の春だった。


   †


 真白の言う通り、社会は変わり、法律はなくなった。

 地球には小惑星が衝突し、異常気象と地殻変動が起きて、生態系が一変した。僅かな資源を争って人々は奪い合い、戦争が始まった。最後はどこかの誰かが押してはならないボタンを押して、人類は呆気なく滅んだらしい。

 すべての人間が地球上から消え去ったわけではないけれど、もはやこの星で主導権を握っているのは私たちではない。

 けれど。

 たとえ世界が滅びても、戦争が私と真白を引き裂いても、あの日の約束は消えなかった。

 だから私は今、黒ずんだ分厚い雲の下、街だった灰色の残骸の上を進んでいく。

 もちろん真白が無事に三〇歳まで生き延びている保証はない。

 それでも私は、あの教会に辿り着かなければいけなかった。

 この原動力が一体どこから湧いてくるのかは知らない。それはきっと考えてはいけないことだった。進んだ先に何もないことが分かっていても、この世界で私が縋れるのは真白と交わした約束の確からしさだけだから。

 私は歩き続けた。それは三日くらいだった気もするし、二週間以上歩いたような気もするけれど、朝も夜もない空を見上げても実際のところは分からなかった。

 けれど着実に私は進んでいた。

 私は教会に辿り着いた。


   †


 教会は辛うじてそれと分かるくらいの原型を留めていた。

 砕けたアスファルトからはどの図鑑にも載っていない奇妙な植物が生えて、チャペルは半分以上崩れかけていたけど、こうしていざ目の当たりにすると、あの日の幸せそうな声や温かな空気のことを、昨日見てきたように思い出すことができた。

 私は広場を横切り、チャペルへ向かった。チャペルの床は罅割れて、ひっくり返ったベンチは外から入り込んできた蔦や根に呑み込まれている。ズタズタに引き裂かれた絨毯は、記憶では深い赤色だったけど、砂礫と埃にまみれたそれは歩いてきた街と同じ色をしていて、地面に散ったステンドグラスだけが掠れた色彩を静かな空間へとばら撒いていた。

 私は教会へと踏み込んだ。講壇の前には車椅子が止まっていた。私は逸る気持ちを深呼吸で抑えつけた。

 そこには真白がいた。名前には到底ふさわしくない、黄ばんだ白骨死体となって、真白は車椅子に座っていた。

 私は思わず膝を折る。ずしっと鈍い音が教会の静謐な空気を震わせて消えた。

 倒れそうになる自分を、車椅子に縋って支える。俯いた視界のなかの、ステンドグラスの破片に目が留まる。そこには人の骨よりもはるかに固くて無機質な、鋼鉄の面貌と一対の赤い目が映り込んでいる。

 私はまるで、鈍色の骸骨だった。


 足が悪く引っ込み思案な真白のため、父親が娘に買い与えた汎用性人型機械スウス。それが私だった。

 私は常に人の味方でいるようプログラムされている。人を傷つけず、人のために動く。たとえば約束を守ることも、私に刻み付けられた基底プログラムだ。

 嬉しいことがあれば共に笑い、悲しいときは共に泣いた。喜びも悲しみもすべてはそれっぽく演じているだけだったけど、真白といると私はいつも、自分のなかにも彼女と同じ何かがあるような、そんな自分を錯覚した。

 私たちは親友だった。

 だから、三〇歳になって――と真白に言われたときも、悪い気はしなかった。法的にスウスはもので、真白と私が人間同士のカップルみたいに結婚できるはずはなかったけど、それでも私は真白と約束をした。冗談かどうかすら上手く判断できなくても、私はきっと嬉しかった。


 私は内蔵されたカレンダーで今日の日付を確かめていた。

何度見ても今日は真白の三〇歳の誕生日だ。けれどそれは事実ではなかった。戦争へ動員され、送られた先で地殻変動による磁場震にあてられた私は長らく機能を止めていた。何の拍子に元に戻ったのかは不明だったけど、もはや何もかもが遅かった。

三〇歳には間に合わず、三〇〇年の時が経っていた。

 私は背もたれを挟んで骨になった真白を抱きしめて目を閉じる。

遅くなってごめんね。

返ってくる声はなかった。

それでもほんの少しだけ、真白の骨は温かい気がした。

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もう神様がいなくても やらずの @amaneasohgi

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