爆破の才能

げえる

爆破の才能

 ゴールデンウィークが明けた。私は部活に入らなかったから、けっこう久しぶりの登校だった。どのくらいの久しぶりって、それはもうあんまりにも久しぶりだったから、登校時間は間違えるし教室に入った瞬間どこが自分の席だったのかまるで思い出せない感じだったんだけど、前の席の丸山さんのことはおぼろげに覚えていたので、挨拶もせずに息をひそめて後ろの席に座った。ありがとう丸山さん、と心のなかで唱えたけど声には出さなかったし、それをさりげなく伝えるような仕草もしなかった。

 座席案内人である丸山さんに対して、感謝しているのにも関わらずなぜ挨拶すらしないのかって。それは彼女の様子がおかしかったからだ。

 なんていうか、背中から漂う気配がおかしかった。それは気迫と呼んでもいいものかもしれないけれど、そんな曖昧なものじゃなくて、実際には見るからにおかしかった。

 髪の毛は蛇みたいにワナワナしてるし、身体から放たれてると思われる謎の熱気は私の体温まで上げてくる勢いで、ただ後ろの席に座ってるだけでのぼせそうだ。あれだよ、肩口のあたりなんて陽炎なんかできちゃってて、すぐそこの世界が歪んで見えちゃってるから、これじゃ授業が始まっても板書できないから困るんですけどつって苦情をいれたいのは山々なんだけど、まぁでもそもそも板書とかしてないから嘘つくわけにもいかないし、でも板書しないのとできないのとじゃちょっと意味合いが違うっていうか、できないんじゃなくて、あえてしないのは私の方針なんだし、その確たる意思を捻じ曲げられたような気分でちょっと不愉快だしモヤモヤするし、それにこのままこの怪現象を無視してたら、そのうちシュコーッつって蒸気機関車みたく何かが噴出しそうで、そうなったら整えてきた前髪もくしゃくしゃになっちゃうだろうから、それはさすがに不本意で、だから思わず声をかけてしまった。


「鬼なの」


 丸山さんの反応はない。もしかしたら自分のことだと気づいてないのかもしれない。教室には私たちしかいないのに。無視か? いや、きっと違う。もう一度ちゃんと言い直すことにした。


「丸山さんって鬼なの」


「え、私ですか」


 丸山さんは振り返った。初めてまともに顔面を見たかもしれない。鬼じゃなくて、どちらからと言えば天女みたいに穏やかで大人びた顔立ちだった。


「なんか今日はやる気が違うなって、そう思って」


「鬼気迫ってましたか」


「うん。でも喋ったらそうでもなさそうだし、気のせいかも。ごめん」


 気のせいではない。背後にはやっぱり湯気みたいな、白い何かが漂っているし、その濃度はこの数分の間にもどんどんと濃くなってる。見てるだけで呼吸がしずらい。咽せそうだった。ちょっとこれは私の手には負えないような気がする。だから適当に会話を切り上げてやり過ごすつもりだった。


「わたし、学校に来るのが愉しみでしかたなかったんです。休みのあいだずっとカウントダウンしてドキドキでした」


 私の思惑を気にも留めない感じで、丸山さんは椅子の向きまで変えてすっかりお話体勢だ。顔色がいい。上気してる。いつも死んだように机に突っ伏してたのに。どちらかといえば仲間だと思っていたのに。なんだか幸福そうでうんざりした。


「丸山さんって学校が嫌いなんだと思ってたんだけど。普段からけっこう休んでたし」


 ため息をついた。自分の声色が思いのほか暗いものだったからイヤになった。丸山さんはゆっくりと首を横に振った。口元がすこし笑ってるように見えた。


「よく知らない人たちと同じ服を着て、同じことを学んだり、ほとんどの時間を共に過ごしたりして、その日常や機会があたかも平等の確立によって享受されたものであるかのように仕向け、如何なる者へも理解を示す聖職者みたいな顔を作りながら、その裏では平然と個を抹殺して、はみ出し者を炙り出すためのシステムを実行し続ける——ここは劣悪な檻ですよ。好きとか嫌いとか以前に許せませんこんなの。だから私は戦うことを決意したんです。打倒! 教育制度! 粉砕!」


 立ち上がって拳を突き上げた。湯気みたいなやつが天井まで立ち昇ってぶち当たっちゃってた。とりあえず窓を開け放った。依然として教室には私たちのほかは誰もいない。ホッとした。


「わかったわかった。嫌いなんだね、すごくよくわかったから、ちょっと落ち着いて」


「園崎さんも学校が嫌いですよね。私そういうの敏感なんです」


 大げさに頷いて同意を示した。まったくその通りだったってのもあるけど、また湯気的なのが吹き出しちゃうと困るし、いまこの瞬間に敵に回すと厄介だろうし、そうせざるを得なかった。


「あーまぁそうだね。でもね、私はわりと諦めちゃってるかな。卒業しないとどうにもなんなそうだし」


「私も卒業はちゃんとしたいです。だからギリギリのラインを狙ってバックれていましたが、それでもやはり休み続けるというのは許されませんから」


「そうだよね。なんか真っ当な理由でもないとね、休めないもんね」


 丸山さんは柔らかく微笑んだ。私はその笑みの意味がよく理解できなかった。


「卒業するために学校には行かなければならない。でも行きたくはなく。それには真っ当な理由がいるんですよね。どこをどう探しても真っ当な理由なんて落ちてないのに」


「うん。そういうこと」


「園崎さん。私は思いついたんですよ。だったら爆破しちゃえばいいって」


 そう言って最後に、ボンッ! と付け加えた。小学生のとき、理科の実験で聞いたようなかわいい破裂音だった。


「え、なにを? 校舎を爆破すんの?」


「いえ、まさか、そんな大げさなものじゃないですよ」


 園崎さんって見た目よりずっと大胆ですね、と付け加えた。それから馬鹿みたいに笑ってたけど、私はなにが可笑しいのかさっぱりわからなかった。


「じゃあどこを爆砕するの」


「ここです、この教室」


「教室かぁ」


 いやいや、それはどうだろう、と思った。

 ほんとにこの教室を爆破したところでだよ、たとえばクラスメイトの半分くらいが亡くなったとして、ほかにも教科書や体操着なんかもその人たちと同じように散り散りなってもさ、それで学校を休む真っ当な理由になり得る? 無理じゃない? 休めたとしてもせいぜい一カ月やそこらでしょ。死んだ人はともかく、教室の環境なんてすぐに代替できるし、私たちの心身が無事であればすぐにでも再開されちゃうよ。それじゃあ結局は学校に通うことになる。今とはちょっと雰囲気は変わるだろうけど、やることは同じだよきっと。


「正確には、手始めにこの教室、です」


「それ、どういうこと」


「ここだけを爆破しても、きっとその効果は持続しませんので、定期的に各教室を爆砕してまわります。忘れたころにって感じで、いつもどこが爆破されてるみたいな」


「それ、私の言ってた校舎爆破案とあんま変わんなくない」


「あー、そうかもですね」


 まぁ一発で壊しちゃったら、この学校自体を放棄して別の場所をあてがわれそうだし分散する方がきっと有効だ。どこかの教室が爆発するたびに休校になるだろうし、それでも校舎自体は生きてるから使わざるを得ない。生死に関わらず生徒も減るだろうし。ちょっといいな、と思った。


「名案だとは思うけど。爆弾とか、ホムセンに売ってるわけじゃないしさ」


「それなんですが、ちょっと見ててください」


 丸山さんは自分のペンケースから消しゴムを取り出して私の机の真ん中に置いた。なんのこだわりも感じない地味な消しゴムだった。

 それから人差し指の腹側が見えるように横に並べた。等高線みたく指紋のくっきりした指先に視線が吸い込まれるような感覚があって目が離せなかった。数秒間か数分間か見てるうちに指紋の溝から湯気が立ち込めて、それは最初のうちは小さく吹き出してたんだけど、みるみるうちにまとまってキラキラのビーズみたいな固形になった。


「これが爆弾です」


 丸山さんはそう言ってから、指先にのっけたビーズみたいなやつを消しゴムの上にスルンと落とした。途端に四角い消しゴムは片栗粉みたいな粉になってしまった。音もせずに爆発したんだ、と頭では理解したけど本当の意味で理解できた実感はなかった。


「なにこれ」


「端的に言えば、才能ってやつです」


「え、多岐すぎない?」


「園崎さんだってほら、気づいてないだけですよ」


 指先が熱くなった。意識した。私にも爆破の才能があるらしかった。

 


 早速、廊下に出て誰もいない教室を爆破した。

 室内にあったものはそのほとんどが音もなく粉々になってしまった。当分ここへ通うことはないだろう。そう思っていると、バス通学の子たちだろうか、見覚えのあるクラスメイトが続々と集まってきた。口々に、砂漠みたいだとか、粉っぽいだとか、とりあえず見たまんまの感想を言い合いっこしていた。酷く姦しくてこの場を離れたかったけど、その前にやらなきゃいけないことがあった。


「みんな見て。黒板。あれ犯人がやったんじゃない」


 私は黒板を指差した。


『わたしたちが爆破した』


 そう書いておいた。

 この現象が事故でも自然現象でもなくどこかの誰かがやったことだと周知しておきたかった。なにを目的としたことなのか謎を残しておきたかった。その方がと考えたからだ。

 でもあまりにも効きすぎた。

 警察も来たし報道もされた。大事だ。もちろん感覚的に予想はしてたけど、思ってたよりどうでもいい感じで世間は白熱してた。気に入らないものを暴力で消し去ろうとする者の正体、その思想の是非、許されない、うちでもやってくれ、もっとやれ、好き放題だった。私たちはただ学校をうまくサボりたいだけたったのに、なんか鬱陶しいことになったから、テレビ局も新聞社も爆破した。他にも気に入らないものは全部粉にした。個ではなく、徹底的に場を破壊した。よくない場がなくなれば、よくない個もなくなると考えたからだ。だから人を殺さないようにうまくやった。いかんなく、才能を発揮した。その結果、私たちの周りにはなにもなくなってしまった。人もいない。建物もない。情報も求めない限りは入ってこない。正確には違うのかもしれないけれど、体感ではこの世界に二人きりだった。わりと満たされた。清々しい気持ちだよ、と丸山さんに伝えると同意してくれた。そこで、清々しい気分の私たちはここ最近まったく学校に行ってなかったから久しぶりに登校することにした。誰もいないのにちゃんと制服に着替えて偉かった。


「なんか三組の教室、これ、ちょっとなんか臭くないですか」


「あー、臭いかも。たぶん体操服とかほったらかしなんだよ」


 隣の教室は臭かった。あらかじめ換気しておけばよかったと思った。チャイムがなる。なにも始まらなかった。校舎全体が静まり返ってる。


「これじゃ学校もくそもないね」


「はい。思ってたよりも世の中は過敏でした。誰も死んでないのに」


「どうだろ、爆破そのものじゃなくて、その影響で死んじゃったとかはあるんじゃない。仕事がなくなっちゃって病んだ末に、みたいな」


「どこもまるごと壊したりしてないですよ。せいぜい一部屋とかそのくらいの規模じゃないですか」


「それが逆に効いたっぽい。いつでもやれるぞ感がさ」


「まったく心外です」


 丸山さんは頬杖をついて外を見た。私もつられて見た。穏やかなもんだった。こんな感じの学校なら通ってもいいかな、と言った。丸山さんは、そうだね、と呟いた。五月の風は、教室に充満してたイヤな空気を見事に飛ばしてくれていい感じだった。

(了)

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