特命Vtuber太刀奈百合華は、また今日も炎上する

鰯づくし

太刀奈百合華の日常

「こないだ、さかなんの配信に、シャワー音乗ってたじゃん?

 ごっめんね~、あれ実はあたしなんだわ」


 『さかなん』という愛称を持つ同僚を話題に出しつつケラケラと悪びれもせずに笑いながらあたしが言えば、一気に配信画面のコメント欄が噴き上がる。

 一見清楚なお姉さん風のガワでこんなしゃべりをすれば、ギャップもあってなおのこと煽り効果が出てくるらしい。


 『また貴様か』

 『お前大概にしとけよ』

 『こないだはえっちゃんとこに上がり込んでただろてめぇ』


 お、今日はえっちゃん推しの子もいんのか。

 よしよし、それならもうちょい話を膨らますか~。


「うわ、反応速すぎだろお前ら。しょーがないじゃん、こう見えて裏じゃいいお姉さんしてんのよ?

 だからあの子達送ってくのを仰せつかって、その後上がり込んでおしゃべりしてたら終電なくなって、っていう」


 『そこに作為的なもんを感じるんだよなぁ』

 『絶対終電の時間把握した上でわざと遅くなってるだろ』


「いやいや、えっちゃんあの通りおしゃべり好きな子でしょ?

 だからあたしもついついおしゃべりして~、終電逃して~、お泊まりセット出してもらって~」


 『まてまて、なんだそのお泊まりセットって。まさかえっちゃんちに置いてんのか!?』


 いいねぇ、いい食いつきだ。その反応を待っていたっ。


「そりゃそうよ、関東圏に住んでるうちの子達で、あたしのお泊まりセット置いてない子ほとんどいないし」


 『なん、だと……』

 『悲報:みんな百合華ゆりかの毒牙にかかっていた』


「まてまて、毒牙とは失敬な。ついでにいうと、未成年には手を出してないわよ、まだ」


 『まだとか言うな、生々しい』

 『つか、成人組には……?』


 ふふ、今の振りに反応してくれるとは嬉しいねぇ。

 おかげで話がしやすいってもんだわ。


「ちょっかいは出すけど、拒否られたら引いてるからね、言っとくけど。流石にどんくらいおっけーだった子がいたかは内緒な」


 『そう言わずそこをkwsk!!』

 『やめろ、俺達の夢を壊すなぁぁぁ!』


 悲鳴のようなコメントがずらずらと並ぶのを、あたしはほくそ笑みながら見ている。

 いやまあ、実際には一人も手出してないんだけどね、そこはぼかしておこう。


「んでまあ、さかなんが成人を迎えたからってんで、さかなんちで宅飲みしたのよ。

 ほら、限界知らずにいきなり外で飲むと危ないこともあるじゃん? さかなんは可愛い女の子なんだし」


 『そうだな、どっかの誰かさんと違ってな』

 『やっぱりさかなんはリアルでも可愛いんだな……』

 『中の人などいないっ!』


 そうそう、そう思ってくれるのが丁度いいのよ、こっちとしては。

 ま、実際リアルのあたしは結構背が高いんで、絡んでくる変なのは、他の子達に比べたらぐっと少ないんだけど。


「で、飲み慣れてるあたしが指南役を買って出てだね」


 『こいつに指導させるとか、運営は何考えてんだ』

 『ぜってー人選間違ってるだろ』

 『いやしかし、こいつが酒飲み配信で限界超えてるの見たことないしな……』

 『うわばみって毒蛇だっけ?』

 『いや、大蛇のことを指す言葉であって、何か特定の種類を示すわけじゃない』


 いやーいい感じにあたしのイメージ作れてるわ、我ながら良い仕事してるなぁ。


「うわばみとか失礼だな、一晩で一升瓶空けるくらいだぞ?」


 『十分過ぎる件』

 『俺なんか缶ビール一本で酔っ払うってのに……』


「日本人はアルコール耐性低い人多いって言うしね~。あ、さかなんもまさにそれでさ、ほんと、先に練習しといて良かったわ。

 350のほろちょい一缶で酔っ払っちゃってさ~。いやぁ、いつもよりほわほわなしゃべり方可愛かったわ~。

 あ、録音もアーカイブもないから、そこんとこよろしく!」


 『ふざけんな、それを録音するのが貴様の使命だろぉ!?』

 『俺より弱いとか、さかなんまじ推せる』

 『金ならいくらでも出す! 録音を、なんならASMRで!』


 予想通りの反応だなぁ。

 だけど、出せないものは出せない。

 いくらあたしでも、『存在しない』音源を出せるわけがないのだ。


「宅飲みの場にバイノーラルマイクとか持ち込めるかぁ!

 まあそんな状態だったから、一缶と二口くらいで撃沈、おやすみしちゃったのよね。

 あ、いくらあたしでも、寝込みは襲わないからな? 同意なしではしないからな?

 で、ベッドに運んで、あたし一人が起きてたからだね……」


 『ゴクリ……』

 『一人暮らしの狭い部屋、女二人、何も起きないはずが……あってたまるかぁ! お前に汚されてたら、ほんとに焼き討ちしかけるとこだったぞ!』

 『節度のある変態でよかったな、お前』


 さかなん過激派がおったか……恐ろしや。刺激しすぎるのも危険だな、こりゃ。


「一人飲み直したわけよ。さかなんの寝顔を肴に。……あ、ダジャレになってるなこれ!?」


 『上手いこと言ったつもりか』

 『つかまて、何変態ちっくなことしてんだ、羨ましい!』

 『落ち着け、本音が出てるぞ。俺も全く同意だが』


 わはは、いい反応。いや、ほんとに見られるならあたしも見たいわ。


「まあそれはともかく。めっちゃ可愛いわ~酒が進むわ~ってなってさ。

 飲み過ぎて酔い潰れてた。いつのまにか」


 『人んちで寝落ちとか、最悪だなこいつ』

 『ま、まさか……ゲロったのか!? 汚したのか、物理的な意味で!』


「しとらんわ! 乙女に対してなんてこと言ってんだ貴様ぁ!」


 するわけがない。出来るわけがない。

 ほんとは、あたしはそこにいなかったんだから。


「まあそういうわけで、飲み過ぎた上に変なかっこで寝てたから、ひっどく寝ぼけててさ~……。

 さかなんの朝配信の時間聞いてたのに、時計見間違えて、うっかりシャワー浴びちゃったわけさ」


 『くそ、そんなことならあのシャワー音、もっと堪能しとけば良かった』

 『お前、こいつのシャワー音ありがたがるとかマニアックすぎじゃね?』


「あたしの配信に来といてあたしのファンの方に喧嘩売るのやめてもらえませんかねぇ?

 まあでも、あれはごめん、邪魔しちゃったのは事実だし、さかなんに迷惑もかけちゃったからねぇ。

 こうして説明の場を設けたわけさ」


 『ほんとだぞ、ちゃんとさかなんに詫びろ』

 『誠意を見せろ』

 『腹を切れ、腹を』


 だけど、あたしがこうして話せばウソがホントになる。

 あの場にいたのはアタシってことになる。


「ちゃんとさかなんには謝罪しました~後日改めて土下座しました~」


 『土下座写真うp』

 『そこまでしたんなら焼き土下座くらい余裕だよな?』


「いくらあたしでも、流石に皮膚は普通の人間なんだよなぁ!」


 こうしてこの日の配信は、さかなんに迷惑をかけたあたしを糾弾する学級裁判になっていったのだった。

 

 うん、我ながら良い仕事したんじゃね?




 さて、おわかりの人もいるかも知れないが、あたしは『太刀奈たちな 百合華ゆりか』って名前でいわゆるVtuberってものをやっている。

 界隈で言うところの企業勢、Vtuberを管理・運営する事務所に所属していて、さっき名前の出てきたさかなん、『舞鶴まいづる さかな』も同じ事務所に所属する同僚。

 

 だから数日後、事務所に寄った時に彼女が待ち受けているのも、不自然なことじゃない。

 こっちに来てから色を抜いたという茶色の髪はゆるくウェーブを描いており、ちょっとふわふわしたしゃべり方をする彼女の雰囲気にあっている。

 普段は割とお洒落な子なんだけど、今日は割とお堅いめのワンピース。なるほど、これは彼女なりの姿勢現れかな?

 真剣な顔をしながら涙目になっているのは、彼女の性格からしたらまあそうなるか。


「ご、ごめんなさい百合華さん、わたしのせいで、また炎上しちゃって……」


 涙声になりながら、さかなんが頭を下げる。

 そう、こないだの配信のせいであたしは絶賛炎上中、SNSではあたしに対する罵詈雑言が結構な数見受けられる。

 中には『てぇてぇ』とか言ってくれる百合営業好きな人達もいてくれるけれど、どちらかといえば少数派だ。

 ただ、『また』、と言われるだけあって、あたしとしては慣れっこなんだよねぇ。


「大丈夫大丈夫、さかなんが原因の炎上はこれが一回目だし。えっちゃんとか、こないだでもう三回目だよ?

 まったく、あの子も懲りないよねぇ」

「い、一回目でも申し訳ないものだよ!?」

 

 あそっか、それが普通の感覚だよね、言われてみれば。

 こういうことやってると、感覚がおかしくなってきていけないねぇ。


「んじゃ、ほとぼりが冷めた頃にまたコラボしてくんない? さかなんとだと、やっぱ数字が違うからさぁ」

「そ、それくらいならいくらでもするけど……そんなのでいいの? 他になんでもするよ?」

「今なんでもって言った?」


 つっても、ほんとに『なんでも』を要求するつもりはないけど。


 お気づきの人もいるかも知れないけど、あたしのあのネタ振り、会話展開、なんなら炎上することまで、全部わざと。

 あれは、いわばあたしの仕事の一環なんだ。

 

 昨今、Vtuber界隈もかなり規模が大きくなってきていて、一つのスキャンダルで食らう経済的ダメージが洒落にならない。

 例えばさかなんなんて、企業との案件はもちろん、あの名前な上に本人の出身地であることもあって、日本海側にある地方自治体とのコラボも多い。

 そんな彼女が男性スキャンダルなんて起こそうものなら、事務所にも案件相手にも甚大なダメージが及びかねない。

 

 そこを何とかするために雇われているのがあたし、『太刀奈 百合華』というわけだ。

 何しろリアルのあたしは身長170cmを越える長身な上に、直毛な黒髪をベリーショートにして、普段来ている服は黒系統ばっかりと、遠目には男に見えなくもないだろう。

 ちなみに、リアル身長のことは事務所の子達に時々ぽろっと言ってもらっている。

 で、頑張ればイケボも作れて、実はレズビアン寄りのバイセクシャルなため、ヤバ目なレズっ子発言もナチュラルに出来る、ときたもんで。

 

 そんなあたしが、うちの子達に男の影がちらついた時にしゃしゃり出てきて「あれあたしなんだよね」と言えば、大体の場合罵倒されつつも納得されることが多い。

 つまりあたしが炎上することで他の子達の火消しをしてるわけだ。

 もちろんその分の報酬はいただいているので、あたしも納得ずくでやっている。

 これがまた、あたしの性格のせいか仕事と割り切ればそんなものなのか、意外と堪えないんだよね。


 正直その報酬だけで生きてける程度にはもらってるんだけど、知名度が低いVtuberがやっても効果は薄い。

 ってことで、普通の活動も頑張って、何とか数字的には中堅の中では下の方、程度には踏ん張っている。

 そこでさかなんとコラボして引っ張ってもらったら、あたしとしては大助かりなんだよね。


「それよか、彼氏くんにはしっかり釘刺しといてよ? 何回もだと、流石のあたしでも何とかできるかわかんないし」


 いやほんと、自重してくれえっちゃん。『てへ~』って笑うのも可愛いんだけどさ。

 三回も火消しをさせられた同僚の顔を思い浮かべていると、さかなんが首を横に振った。


「ううん、もう二度とこんなことは起きないよ。彼とは、別れたから」

「はい!? 別れちゃったの??」

「うん。だって、炎上しかかった時にうろたえまくって、『俺のせいじゃない』とか言いながら逃げ出したんだもの。

 あんなの見せられたら、すっと冷めちゃって」


 うわ~……それは冷めるわ、仕方ない。こういう時に人間の本性って出るからなぁ。

 首都に踏みとどまった全裸中年男性大統領を見習えっての。


「まあ、それならいっかぁ。次付き合う人は、よっく見定めてからにするんだよ?」

「うん、絶対そうする。わたし、こっちに出てきて浮かれちゃってたみたいだから……頼りになる、守ってくれる人を、ちゃんと捕まえる」


 そう言いながら、じっとあたしを見つめてくるさかなん。

 うん、これだけ目に力が戻ってるなら、早々変なことはしないだろう、きっと。


「あ、ごめん、そろそろ打ち合わせの時間だわ。じゃ、またね、さかなん」

「うん、わかった。……本当にありがとう、百合華さん」


 ふと事務所の時計に目がいけば、次の企画打ち合わせの時間が迫っていたのに気付いて、さかなんに断りを入れる。

 もちろん彼女もプロ、時間厳守の大事さはわかってるから変にごねたりはしない。

 てことで、あたしは軽く手を振った後、打ち合わせようの部屋へと向かったのだった。


「……百合華さん……」


 なんて呟きながら、さかなんがじっとあたしの背中を見ていたことなんて知らずに。





 それから数日後。


「なんでAVって、インタビューから始まるんだろうね?」


 『知らんがな』

 『メーカーに聞けよ、知り合いくらいいるだろ』


「流石にいねーよ、そっちの案件もねーし。医者や弁護士の知り合いはいるけど」


 『かかりつけの医者は知り合いとは言わねーぞ』

 『なんだ、何やらかしたんだ。いくら炎上芸が得意だからって、弁護士さんのお世話になるようなことしたら洒落にならんぞ』


「違います~、高校の同級生にいるんです~。高校だけはいいとこ行ったんです~あたしは落ちこぼれだったけど」


 『ああ、ビ○ギャルのやる気にならなかったバージョンか』

 『そういやあれ、偏差値高い学校の落ちこぼれだったって聞いたことあるな』


「辛辣で的確に抉ってくる上に否定出来ない比喩やめーや!」


 また、大きく外れてもないってのがね。あの頃はあの頃で楽しかったなぁ。

 とかそんな雑談をしている間にも、あたしの見てる前で動画は進んでいく。

 もちろん音声も画面も配信には乗せていない。そんなことしたら、一発BANである。


 『え、ビリギャルってなんですか?』

 『は? 知らんの?』

 『うわ、あれもう10年前じゃねーか!』


「まってまって、ビ○ギャル知らんくらいの年の子はまずくね?」


 何せ今やってるのはAVの同時視聴配信っていう、あたしじゃなければ一発アウトな企画。

 そんなとこに年若い青少年が来るのはちとよろしくない、と思ったのだが。


 『18の大学生だから大丈夫っす』

 『それならまあ大丈夫か……』


「ん? ってことは、今年入学? おめでとう!」


 『あ、あざーっす!』

 『うわ、百合華が気配り見せてるとか珍しい』

 『明日は雨だな』

 『いや、槍じゃね?』


「うっさいわ! だから裏じゃいいお姉さんしてるっつーの! それが漏れ出ただけだっての!」


 『はっはっは、戯れ言を』

 『どうやって騙したんだ? 警察に詐欺か何かで届ければいいのか?』


「騙してねーわ! むしろあたしの方が騙されて貢がせて欲しーわ!」


 なんて阿呆なことを言いながらしばらく動画を見てたんだけど。


「あ。ごめん、ちょっとストップ、え~っと、ちょっと戻してっと。

 うん、やっぱ違うわ。この女優さん、サヤさんとは違うねぇ」


 『お? どこだどこだ』


「んとね、15:30くらいのとこ。太腿の内側にほくろが三つ並んでるの見えるでしょ。

 こういうほくろ、サヤさんにはなかったからさぁ」


 『おいまて、なんでそんなこと知ってる』

 『朗報:サヤさん無罪』

 『悲報:サヤさん百合華の毒牙にかかっていた』


「かけてねーわ、まだ! 確かに一晩お相手いただけたらめっちゃ嬉しいけど!

 後ごめん、マジレスすると、無罪はちょっと違う気がする。AV女優さんもれっきとしたお仕事なんだし、罪みたいに言うのはどうかなって」


 『マジレスすぎて返しにくい』

 『すまん、配慮が足りんかった』

 『この場合だと捏造とか誤解だったとかの方がいいんかねぇ』


「そんな感じかなぁ。確かに声似てるけど、これは違うわ~。何せこないだ一緒にスパ泉行った時に洗いっこしたからね、そこでばっちり拝みましたともさ」


 『そんなうらやまけしからんことしとったんか貴様ぁ!』

 『サヤさんの魅惑のボディに触れたというのか! 許せん!』

 『今度ばかりは腹を切れ腹を!』


 なんかやたらとあたしに腹を切らせたい奴がいるなぁ。いや、気持ちはわかるけど。そう思われるように振る舞ってるわけだし。


「んふふ……凄かったよぉ、サヤさん。ガワにも負けない魅惑のボディでさぁ……一瞬だけ、生おっぱい触らせてもらったし」


 『貴様ぁぁぁぁぁ! 腹を切れ! 今すぐ切腹配信に切り替えろぉぉぉ!!』

 『世界初のグロでBANされたVになってしまぇぇぇぇぇ!!』

 『サヤパイの感触kwsk』


「ふっ、そいつは言えねぇなぁ……」


 などと、良い感じでコントロール出来てたと思ったのだが。


 『いや、絶対この女優だ、間違いない。何せ声紋が一緒だからな』


 とか、とんでもないコメントを出してくる奴がきた。

 ……こいつか、このサヤさんの案件に散々粘着して燃料を継ぎ足してる奴は。

 飛んで火に入る夏の虫とは、貴様のことだ。


「ほーん。まあ声紋は指紋の次に証拠価値が高いとか、さっき言った知り合いの弁護士が言ってたわ」


 『ほらみろ、これで確定だ! 吉祥きっしょうサヤはこの女優だ!』


 とか得意がってくれるから。

 あたしは、にんまりと笑って見せた。


「だから、違うことが確定なんだよねぇ」

  

 手元で操作をしながらそう言えば。


 『お? 何か声が変わった?』

 『だな、めっちゃ変わったわけじゃないけど……』

 

 コメント欄に、戸惑うようなコメントが多数。そりゃそうだ、まさか、だろうから。


「んふふ、実はあたしらボイチェン使ってんだよね、身バレ防止に」


 『はぁ!? うそだろ!? めっちゃ自然な声に聞こえてたんだが!?』

 『あんな自然なボイチェン、聞いたことがないんだが!?』


「そりゃそーよ、特注品も特注品、噂によれば開発に何千万だか億だかかかったっていうボイチェンなんだから」


 ウソである。


 このボイチェン、実はあたしが作ったものだ。

 医者や弁護士にはなれなかったけど、情報工学修士を取ることは出来たんだよねぇ。博士は時間がなかった。

 で、これもまた、あたしが炎上消火役として雇われた理由の一つ。

 あたしがこれを使ってることで、他の子達も使っているように思わせられるわけだ。


 こんだけ高性能なボイチェンだ、動かすのに結構なスペックのPCを専用機として別途用意する必要がある。

 そんなもん置けるのは、あたしんちか事務所くらい。他の子のお部屋に置いて使ってもらうことなんて出来やしない。

 だが、別にそれでいいのだ。


 あたしが炎上で目立ってるタイミングでボイチェンのことをバラせば、皆が使っていると思われる。

 すると、Vtuberとしての彼女達の声を知っている人が、リアルで彼女達の声を聞いても、似ているからこそ別人と言い張れる、というわけだ。

 

「当然、身バレ防止のためのボイチェンだから、声紋が変わるように作られてるしね。

 なのに声紋が一致したってことは、別人の声という証拠に他ならないわけよ。ありがと~わざわざ別人だっていう証拠を出してくれて」


 声にまたボイチェンを効かせながら、とどめとばかりに煽り口調で言ってみたんだけど。


 『……反論ないな』

 『奴の霊圧が、消えた……?』

 『うわ、論破されたからって黙って逃亡かよ、ダッサ』


「まあいんじゃね? あんなのに構ってるより、あたしはサヤさんのボディを反芻することに脳と時間を使いたい」


 『その記憶を売っていただけませんかねぇ』

 『そうだった、こいつに切腹させないといけないんだった!』

 『むしろ切腹させるべきはさっきの奴だが、逃亡したなら仕方ない』


 と、場の空気がいつもの雰囲気に戻っていく。

 よしよし、これで外向けには解決したと言っていいんじゃないかな。


 さて、後は、っと……。




 それから1時間ほど経った、都内某所のとある室内にて。


「くそ、くそ、くそ! あのアバズレビッチ、クソ生意気なんだよ!」


 一人の男が、バンバンとPC番が置かれた机を両手で叩いていた。

 おわかりかも知れないが、先程百合華によって論破された男である。

 声紋の一致という彼にとっての切り札を、それ以上の情報技術によって一瞬で潰された屈辱に怒り心頭、しかし具体的な行動に移せるでもなく、こうして机に八つ当たりするしかない様子。

 

 こんな終わりは許せない、何とかしてあの太刀奈百合華に、そして吉祥サヤに目に物を見せてやりたい、と思っていたその時。

 

 通知音が、メールの到着を知らせた。


「なんだ、こんな時間に。スパムか……?」


 と、ぶつくさ言いながらメーラーを見た彼の動きが、止まった。

 目を見開いたまま、徐々に荒くなっていく呼吸。

 ダラダラと、冷や汗が顔中から滲みだしてくる。


 差出人は『ジェーン・ドゥ』

 件名は『声紋の君へ』

 そして、本文内容は。


「な、なんで俺の個人情報が、こんなに書かれてるんだ!?」


 悲鳴のような声を上げるのも、無理はない。

 彼の住所や携帯番号、契約プロバイダ、性別、年齢、本名、本籍地、現在の勤務先などなど……。

 ずらずらと箇条書き形式で、大量の個人情報が書かれていたのだから。


 震える指でスクロールして、膨大な個人情報の羅列をやっと通り過ぎて。

 最後に書いてあった文言に、また動きを止める。


『このまま大人しく息を潜めるように生きるならばよし。

 これ以上事を荒立てれば、威力業務妨害、名誉毀損、脅迫罪等に抵触することになると覚悟せよ』


 つまり、いつでも訴える準備は出来ている、ということ。

 公の場でVtuberに粘着して法に触れるようなことしてました、と実名で晒される可能性がある。

 その上、前科がつく恐れすらある。

 更には、吉祥サヤのファンから恨まれ目の敵にされることは確定。

 隠れながら誰かを攻撃することしかできなかった男は、いきなり日の当たる場所に引きずり出される未来があると突き付けられたストレスに耐えきれず、目をヒン剥いたままバタリと倒れ込んだ。





 それから数日後。


「百合華ちゃん、この前はありがとう」


 事務所で、あたしはサヤさんから頭を下げられていた。

 相変わらず色っぽい。歩くフェロモンとは彼女のことではないだろうか。


 ということで、彼女が元AV女優っていうのは本当のことだったんだよね。

 で、それがバレそうになったんで、あたしががんばって火消しをしたわけだ。


「いえいえ、これもお仕事ですし。それに、この機会に例の仕掛けもお目見え出来たから、丁度良かったですよ~」


 そう言いながら、ヘラリと笑いつつ手を振って見せる。

 例の仕掛けってのは、ボイチェン使った身バレ防止のあれこれね。

 中々バラせるような話の流れもなかったんで、丁度良かったってのはほんと。

 ちなみに、実はボイチェンを二枚かませてるんで、地声に見せかけたあの声もボイチェン一枚は乗ってるんだよね。

 だから、あたしの地声そのものは配信に乗ってないのでご安心を。


 とまあ、あたしは自分のことだから大して気にしてないんだけど、優しいサヤさんは気にするわけよ、やっぱ。


「せめて、何か恩返しが出来ればいいんだけど……」

「恩返しされるほどのことでもないんだけどなぁ。あ、じゃあ一晩付き合ってもらえます? な~んちゃって」


 真剣な声で言われたから、思わず冗談めかして返したんだけども。


「……いいよ?」

「はい?」


 まさかの返事に、あたしは間の抜けた声を返してしまった。

 見れば……サヤさんは、至極真面目な顔で。


「いいよ。私でよければ、一晩と言わず、ずっとだって……」


 その上、目元がこう、なんか潤んじゃってて……あ、あかん、何かフェロモンが200%くらい出てる気がするんだけど!?


「や、じょ、冗談ですってば~! まさかこういうのでしてもらうとか、それもなんか違うかなって」


 やばやば、配信ではあんなこと言ってるけど、ほんとに事務所の子に手出したら、多分まずいと思うんだよね!?

 と、流そうとするんだけど、サヤさんは何でか流されてくれない。


「私は、ほんとにいいよ? ううん、むしろ……」

「わ~! あ~、そろそろ打ち合わせに行かないとな~!

 あ、サヤさん、あれだったらまた今度コラボしましょ! なんならオフコラでも!」

「……そう、それも良いわね。じゃあまたね、百合華ちゃん」

「はい、そんじゃまた~!」


 と、引き下がってくれたのに安堵して、あたしはバタバタと逃げるように打ち合わせの部屋へ向かった。

 あれはやばい、ほんとにやばい! むせかえるようなフェロモンで、ほんとに理性飛びそうになったもんさ!

 あそこで逃げなかったら、間違いなく一線越えてたわ~……そりゃサヤさんとなら大歓迎だけど、こう、お礼でっていうのは違うよねぇ?

 しかし、これで何とか仕切り直し出来たな~。


 ……なんて、この時のあたしは暢気に考えていた。

 

 後日、サヤさんから『オトナな二人のラブホ配信』なんて企画を持ち込まれることなんて知る由もなく。


 そして。


「百合華先輩……」

「百合華様……」

「百合華お姉ちゃん……」


 それからもこんな流れは続き、あたしは事務所の子達から色々と熱い感情を向けられるようになっていくのだが……それはまた、別のお話である。

 多分。

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