オマエはワタシで私じゃない

はたたがみ

オマエはワタシで私じゃない

 目が覚めると、どこかの路地裏と思わしき場所で、不法投棄されたに違いないゴミに囲まれていた。二度と鼻で呼吸したくなくなるような臭いが絶えず押し寄せてくる。


「なに……これ」

 

 何がどうして見知らぬ場所で目を覚ます羽目になるのだろう。ここに至る直前の記憶が無い。確か今日は高校の入学式。私は家を出て、途中で幼馴染と会って、2人で一緒に高校へ向かっていたはずだ。だがそこから先が思い出せない。

 空は既に闇に覆われていた。どのぐらいの間気を失っていたのだろう。両親も心配しているに違いない。早く帰らないと。

 あまりにも何をすればいいか分からなかったので、反射のように携帯電話を探した。


「……無い」


 何も持っていない事に気がついた。携帯電話が無い。それどころか鞄も財布も無い。大抵の状況は何とかしてくれる物が軒並み無くなっていた。

 さっきまで頭の中をぐるぐる駆け巡っていた血があっという間にどこかへと引いていくような気がした。呼吸が速い。何かしなければいけないことがあった訳でも無いのに、既に何かが手遅れになってしまった時のような思考に脳が移りつつあった。


「警察」


 知り合いに頼れそうにないという条件のせいでその名前が浮かび上がった。見知らぬ場所に倒れていた上、貴重品もどうしてこうなったかの記憶も無いのだ。流石に頼ってしまってもいいだろう。記憶が無いという事実を信じてもらえるのかは分からないが。


「探さなきゃ」


 何となくそう呟きながら立ち上がった。足に上手く力が入らない。でも歩けない訳じゃない。

 シワと汚れと異臭がまとわりついた新品の制服に身を包み、私はゾンビのように歩き出した。




 辛うじて幼馴染の家に辿り着いた。何故かまたしても今に至るまでの詳細を覚えていないが、きっと交番を見つけて道を教えてもらったのだろう。どうしてすぐ隣の自宅ではなく、わざわざ幼馴染の家の前に来てしまったのかは分からない。

 呼び鈴のボタンを押す。数秒ほど経って玄関のドアが開いた。


「はーい。え?」


 ランドセルを背負うよりも前から見てきた顔が現れた。私の幼馴染、波美なみよし加奈かなだ。

 よく見知った筈の加奈の顔は、私の知っている彼女とは少しだけ違うような気がした。大人びているというか。見ているだけで言葉が出なくなってしまう。


林原はやしばらじゃん」


 苗字で呼ばれた。まるで空気の読めない奴を見た時のような、引き攣った作り笑顔だ。


「どうしたの? そんな格好で」

「格好? ああ、ちょっと汚れちゃって」

「いやそうじゃなくて。なんで高校の制服着てんの?」

「え?」


 違和感を覚えた。確かにもうお風呂に入って楽な格好に着替えていてもおかしくない時間だろうけど、かといって制服姿にそこまで戸惑うのはちょっとおかしい。まるで世の理にでも反しているかのような言い方だ。

 あと「高校の制服」という言い方もどこか引っかかる。上手く言えないが、単に「制服」と言うのではなく「高校の」とつけているのが変なのだ。何というか、高校という存在そのものとの距離を感じる。


「……上がっていい?」

「は? どうしたの急に」

「いや、なんとなく。いつものことじゃん」

「いつの話してんの。そんな格好してくるし。意味分かんない」


 何故か当たりがきつい。これから週5日は着ることになるであろう服装をそんな格好呼ばわりされた上、彼女の部屋に入り浸っていたのを過去のものとして扱われている。つい昨日も遊びに来ていたというのに。


「用がないなら帰ってくんない? あんまり長くいられると困るし」

「あ、うん、分かった」


 日を改めた方がいいようだ。


「えっと、おやすみ……また明日」

「っ、おやすみ」


 ガチャリとドアが閉じる。波美家の敷地から出て、すぐ隣の我が家へと足を向けた。

 に初めて遭遇したのはその時だった。手にはコンビニ帰りと思わしきビニール袋が握られていたが、私を見かけるや否やストンと落としてしまっていた。

 わざとらしいぐらいの反応だが、私とて人のことは言えないだろう。きっと私も同じ状況なら同じ反応をしてしまうだろうから。


「「……どちら様?」」


 ソイツと声が重なった。私と瓜二つの顔をした人物と。


「ええと……君、高校生かな? お家は近く?」

「まあ、はい」


 どうやら私より歳上らしい。


「変なこと訊くけど、君、名前は?」

「は、林原文芽あやめです」

「ワタシも! 林原文芽!」


 同じ顔に同じ名前、そして微妙に違う年齢。こんな偶然ってあるんだ。


「ちなみにお家ってどの家?」

「目の前のそれです」

「それワタシの家なんだけど」

「え?」

「え?」


 さすがに偶然では済まなくなってきた。




 私の部屋がさっぱりとしていた。自分で言うのもなんだが、私の記憶ではもっと散らかっていたはずだ。今朝部屋を出るまでは。お母さんが掃除でもしたのだろうか? あるいは目の前にいる彼女が。


「うーん……やっぱりワタシだ」


 林原文芽、紛らわしいので向こうはアヤメにしよう。アヤメは大学生らしい。連休を利用して実家に帰ってきていたとか。つまり今日は入学式の日ではないということだ。そもそも日どころか年が違う。カレンダーでも確認した。


「ここが文芽の家で間違いないんだよね?」

「えっと、うん」

「で、生年月日もワタシと同じ」

「うん」

「学校も同じ」

「うん」

「そして加奈とは」

「幼馴染」


 共通点が多いなんて話じゃない。双子か同一人物でなければおかしいくらいに合致している。

 年単位で記憶が飛ぶという非日常を体験したからだろうか。私の中であり得ないことの基準はいくらか厳しくなっていた。故に今起こっていることについて、馬鹿げた仮説を辛うじて信じることができた。


「「タイムトラベルだ」」


 アヤメも同じ結論に達したらしい。今まで判明した事実から、私とアヤメが同一人物であるという可能性は非常に高い。寧ろ別人とした方が不可解な点があるくらいだ。しかも私は入学式の日から今日に至るまでの記憶が無い。仮にこれが記憶を失ったからではなく、元々そんな記憶が存在しないのだとしたら?

 そこでタイムトラベルだ。高校の入学式の日の林原文芽、すなわち私が未来に飛ばされたのだとしたら全て説明がつく。今目の前にいるアヤメはこの時代の私だ。これなら同じ人間が同時に2人存在してもおかしくない。タイムトラベル自体がおかしいと言われてしまえばそれまでだが、そんなこと言う奴にはもっと納得のいく理由を考えて欲しいというものだ。


「ちょっと待って。じゃあ私がこの時代に居続けるのってまずくない? 早く元の時代に帰らないと高校時代のアヤメわたしがいないせいでアヤメが消えちゃう!」

「そうじゃん! やばいやばいやばい! せっかく彼女できたのに!」

「彼女できた⁉︎」


 流石に聞き捨てならない一言だった。タイムトラベルとか歴史改変とか、ほんっとに一瞬だけどうでもよくなってしまった。


「うん。高校の同級生で、卒業式の日に告白されて……て、今はそれどころじゃないよ!」

「そうだけど! そうだけども! ぐぬぬ、後で詳しく教えてよね」


 私が未来を知るのはまずいかもだけど、やっぱり気になる。


「私の帰り方だったね。て言っても方法なんて分かりっこないけど」

「ワタシも。理系もっと勉強しとけばなー」

「いや高校の勉強でどうにかなるとは思わないけど。ん?」


 部屋のドアがノックされた。


「すいませーん。林原文芽さんはいらっしゃいますか?」

「はーい。今開けまーす」


 アヤメがドアを開けた先には知らない女の人がいた。歳は私とあまり変わらないぐらいだろうか。なんだかすごく仕事のできそうな雰囲気がある。働きすぎで疲れてるように見える気もするけど。


「あのう、どちら様ですか?」

「え、アヤメの知り合いじゃないの?」

「知らない人だけど」


 未来で知り合った人かと思ったんだけど。じゃあ誰この人? ていうか赤の他人ならどうして家の中まで入れたの?


「初めまして。未来人です。タイムトラベルしてきました」


 何故かすんなりと信じられた。私自身が(おそらく)過去からやって来た人間だからだろうか。それにこの時代よりもさらに未来なら私のいた時間と違ってタイムマシンがあってもおかしくないし、何より私の存在で盛り上がってきたこのタイミングで都合よくやってくるなんて、ただの不審者にしては話ができすぎている。


「ちなみに今のあなたたちは魔法によって私の話を信じやすくなっています。未来人である証明とかめんどくさいので」

「待って、未来人って魔法使えるんですか?」

「うそ⁉︎ ワタシすごい気になる!」


 アヤメが食い気味になっていた。未来人さんが定時直前に仕事を押し付けられた人みたいな目をしている。


「ごく一部の、人だけです。私は使えません。私の知り合いでも使える人はほとんどいません」

「なんだ……」

「そろそろこっちの用件も聞いてもらっていいですか。忙しいので」


 未来人さんは指をぱちんと鳴らした。


「消えた⁉︎ てか文芽も⁉︎ どゆこと?」




 私と未来人さんは加奈の部屋にいた。


「は? え、いつの間に?」

「これも魔法です。この時代に来る前に『林原文芽の部屋の入り口で指を鳴らすと制服を着た林原文芽と一緒に波美加奈の部屋に瞬間移動する魔法』をかけてもらったので」

「ピンポイントすぎません?」

「だから便利なんです。波美さーん、お茶2人分お願いしまーす!」

「はーい!」


 1階から加奈の声がした。


「いつの間に仲良くなったんですか?」

「あなたがアヤメあっちと話している間に事情を話しておきました。よっと」


 未来人さんは友達の家にでも来たかのように腰を下ろして楽にし始めた。かくいう私も我が家からそのまま瞬間移動して来たのでずっとくつろいだ状態だが。


「単刀直入に言います。薄々察してはいるでしょうが、私はあなたに用があって来ました。伝言のようなものです」

「伝言、ですか。未来の人からですか?」

「はい。未来のあなたから」

「私?」

「そうです。この時代よりさらに少し先、21世紀になって数年後のあなたからです」


 驚いたことに魔法やタイムトラベルの実現は割と近い未来の話だった。てっきりあと100年は先の未来からやって来たのだと思っていたのに。しかも他ならぬ私自身からの頼み事らしい。


「あの、未来人さn……ええと」

空山あきやまです。『empty』に『mountain』で『空山あきやま』」

「空山さんって私とどんな関係なんですか?」

「未来のあなたの職場の後輩です」


 社会人だったのか。そして私は無事就職していたのか。高校生の身としてはあまり実感は湧かないが、両親にとっては安心この上ない知らせだろう。


「それに返しきれないぐらいの恩を受けた者でもあります。未来ふだんのあなたには絶対こんなこと言いませんけど、家族以外では1、2番目ぐらいに尊敬してますよ」


 母が子に、あるいは医者が患者にでも見せるかのような眼差しだった。しばらく忘れられそうにない。


「それはさておき、私があなたに伝えるよう言われたのは今のあなたに起きていることの真相です」

「やっぱり……!」


 何故高校時代の林原文芽わたしがこの時代に飛ばされてしまったのか、21世紀の私は空山さんを使って伝えようとしてくれたのか。


「まずあなたはタイムトラベルなんてしていません」

「なるほど……ん?」

「それとあなたは魔法使いです」

「ちょちょ、ちょっと待って」

「そうなるだろうからと事前に『波美加奈の部屋で手を叩くと先輩あなたから預かった伝言を直接あなたの脳内に流し込んで理解させる魔法』をかけてもらっています。いきますよ」


 空山さんがぱんと手を叩く。その瞬間、既に頭の中に情報があった。そして私はその全貌を100パーセント理解していた。私は一体何なのか、今起きている現象の正体、それと未来の職場でお世話になってるみんなとの出会い。学校で何度も授業を受けたかのように全て理解した。


「今授けたのは単なる知識、しかも未来のあなたからの受け売りです。決して魔法を使いこなせるようになったわけではないのでお気をつけください」

「うん」

「こっちでの仕事は終わったので私は未来に帰ります。ではまた」

「うん。またね」


 きっと私にとってのその「また」が訪れた時、それは空山さんにとって再会ではなく初めましてなのだろう。全貌は全く分からなかったが、どうやら彼女と出会うまでに私はなかなか波瀾万丈な目に遭うようだ。


「あー最後に1つだけ。ただの個人的なお願いなんですけど、自分の気持ちは大事にしてください。いずれ難しくなるとは思いますけど」

「そうだね。気をつける」

「では。お疲れ様です」


 そう言い残すと空山さんの体は煙のようにどこかへと消えていった。私は小さな頃からずっと一緒だった幼馴染の部屋で1人、自分が加奈の部屋にいるという事実を処理し続けていた。




 平凡な女子高生の文芽が出会ったのは、正体不明のクラスメイトだった。

 始まりは入学式の日。幼馴染の加奈と高校に向かっていた時に彼女の方から話しかけてきた。曰く「あなたはこき使っても長持ちしそう」とのこと。

 それ以来彼女に振り回される日々が始まった。予測不能で、面倒くさくて、けれど、それがたまらなく楽しい毎日が――って


「んなことどうでもいっか」


 部屋の片隅でアヤメは手足を縛られていた。その視線の先には台所から拝借した包丁を握りしめる文芽の姿があった。


「あ、文芽? 何のつもりなの?」

「んー告発かな? 衝撃の真実の」

「告発……? 何の話して」

「いやーにしても服貸してくれてありがとうね。ほら、私って手ぶらで出現したわけだからさ、替えの服とか持ってなかったのよ。あの制服ちょっと臭ってたから着替えたかったんだよね。どの服もサイズもぴったりで満足満足」


 高校3年の夏に着て以来一度も袖を通していなかった夏服だ。どの服もサイズは合ってると言っておきながら、それを見つけるまで文芽はクローゼットを掘り返し続けた。その結果、床には恋人にも好評だったアヤメの私服が転がっていた。文芽が踏みつけていたり尻に敷いているのもそのひとつだ。


「ねえアヤメ、昨日加奈に告白されたでしょ?」

「は? まあ、そうだけど。でも何で今その話、ていうか何で知ってるの?」

「未来人さんに聞いた。本人にも言質とったよ。何で振るかね」

「当たり前じゃん! ワタシには彼女いるんだし!」

「選ぶかねぇそっち。長年想ってくれてた加奈を差し置いて」


 文芽は苦笑いを浮かべながら頭を掻きむしった。


「おかげで私1回死んだよ? 生き返ったけど」

「はあ?」

「だーかーらー1回死んだの。高校時代ずっと虫の息ではあったけど、あんたが卒業式の日に今の彼女さんの告白受け入れたせいで」

「何言ってんの? 死んだってどういう」

「タイムトラベルなんかじゃない。魔法で生き返ったんだよ。が」


 分裂した心の魔法による受肉。それが文芽が空山に教えられた真実だった。

 かつて文芽は加奈のことをただの友達以上に意識していた。本人が気づかないうちに。しかしその想いは高校で出会った少女を意識し始めたことによりかき消されていき、彼女と恋人同士になったことで消滅するに至った。

 言わば『加奈が好きという想い』の死。アヤメの心変わりは加奈のことが好きなかつての自分を殺したということだ。


「入学式の日で記憶が途切れていたのは、その日が加奈を好きな私にとっての実質的な命日だったから。そっから先は例の女に振り回されっぱなしだったからね。私は言わば、死にかけの昏睡状態だったとでも言うべきかな」


 転機があったのは文芽が意識を取り戻す前日。親元を離れて恋人と暮らしていたアヤメが実家に帰った際、偶然にも加奈と再会したのだ。

 その時、アヤメは加奈に告白された。


「そん時ちょっと動揺したでしょ? おかげで私が一瞬復活して、魔法であんたから分裂したってのが真相よ。私に魔法使いの素質があったおかげでできたんだって」


 文芽は辺りに散らばる服のように横たえられたアヤメにのろりと近づいた。


「『私、文芽のことが好きだったんだよ』って、んな虚しいセリフ言わせてんじゃないよ。あんたが例の女と付き合い始めたって知った時の加奈がどんな気持ちだったかわかってんのか?」

「わ、わかるわけないよ!」

「うん。それはわかる。水族館一緒に行こうって言われたのとか普通に遊びに誘われたのかと思ったよね。うん。わかる」


 力強く頷いた文芽は直後、包丁をアヤメの眼前に突き立てた。アヤメが小さく悲鳴を上げて後退る。


「でも私が殺されたのも事実なわけでさ、仕返しのひとつでもせんと気が済まんのですよ」

「そんな滅茶苦茶な」

「あんたがやったことと何が違う!」


 文芽が初めて声を荒げた。


「両思いだったのに、あんたが私を殺さなきゃ加奈と恋人になれたのに、加奈と一緒にいられる時間がもっとあったのに……お前はそれを奪ったんだ!」

「は、はあ!? 知らないわよそんなの! 逆恨みじゃない!」

「ああそうですがぁ? え、私に公平なジャッジでも求めてんの?」


 包丁を握りしめていた手を離し、文芽がふらふらと立ち上がる。


「はぁ、もういいよ。別に今あんたを殺そうとか考えてないし」


 文芽がアヤメから目を離し、ドアの方へと向かっていく。


「私はただ、あんたの心が変わったせいで私という犠牲者が出たって告発したかっただけ。復讐とかそんなのどうでもいいんだよ。今はね」


 ドアの前に立つ。ドアノブを捻ってドアを開き、笑顔を浮かべながら振り返った。


「そんじゃ、私加奈の家に泊まらせてもらうことになったから。バイバイ」

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