第2話【Rock 'n' Roll Star】B-side

 あれから、八日ののち――


 土曜の夕方。高円寺へ向かう、黄色い電車。

 愛那あんなとサリーは、ロングシートに並び座り、流れゆく夕暮れの荻窪おぎくぼを眺めていた。

 知り合って以来、仕事帰りによく飲みに行ってはいたが、休日に二人でおでかけというシチュエーションは、これが初めてだ。

 愛那は、ブラウンの地味なノースリーブワンピース。

 ブレないサリーは、Tシャツにジーンズ。Tシャツには、“THE STONEストーン ROSESローゼズ”の文字に、大きな輪切りのレモン。

 曜日や時間帯、服装が違えば、視点や、心に浮かぶ想いも、また違ってくる。

 サリーが、窓の外の風景ではなく、窓から入る西方せいほうの光に照らされた車内や乗客たち、それと愛那に目をやり、口の中でぽつりと言う。

Ogikuboオギクボ sunset’sサンセッツ fineファインデスネ。Chillyチリー, chillyチリーではないデスガ」

 そして、愛那の横顔を、しばし見つめる。

 愛那は、すぐに、見つめ返してきた。

「ん? なんか言った?」

Uhアー... アナは普段、Musicミュージックを聴きマスカ? と言いマシタ」

「んー。私、音楽に全然興味ないんだよねぇ。アニソンはよく聴くんだけど」

 洋楽どころか、自身の国の流行歌すら、これまでまともに聴いてこなかった愛那である。

 それでいて、パソコンやスマートフォンには、数百曲を超えるアニメソングがダウンロードされているのだから、“音楽に興味がない”という言い分も、あまり正確ではない。

 では、隣に座る、イングランド生まれの友人は。

「サリーは、お父さんがロックバンドの曲から名前を付けるくらいだから、やっぱりロックが好きなんでしょ?」

 瞬間、サリーの瞳は輝きを増し、満面の笑みが愛那に近づいていった。

Yeahイェー、ワタシはOasisオエイシスを愛してマス」

 大声は出さない。電車内のマナーはわきまえている。

「おぅえぃしす?」

Yesイエス、日本語発音では“おあしす”デス」

 さらに、ずい、とサリーの顔が近づく。

Oasisオエイシスはこの世界でモットモ偉大なRock‘n’rollロックンロール bandバンドデス。VocalistボーカリストLiamリアム Gallagherギャラガーは史上最高のSingerシンガーであり、ワタシの理想の男性デス」

 声をひそめてはいるものの、オクターブは確実に、ひとつ半は上がっていた。

 加えて、とんでもない早口。

 愛那には、彼女の瞳の中に、星とハートが浮かんでいるようにも見える。

「おおう、ものすごい熱量……」

 サリーは、さらに、にじり寄る。

 互いの唇が触れ合わんばかりの距離まで。

「モノゴコロついた時には、お父サンがいつも家でRockロック musicミュージックをかけてマシタ。ワタシの記憶にある最も古いRockロック MusicミュージックOasisオエイシスデス。それから今マデ、毎日Oasisオエイシスを聴いてマス」

「わ、わかった。わかったから。近い近い」

 冷静さを欠くサリーを押し返し、愛那はバッグの中からスマートフォンを取り出して、検索してみる。

 彼女の言うバンドに関して、なにひとつ知らないからだ。

 とりあえず、検索結果の上位に出てきた、インターネット百科事典の記事を流し読みしていく。


(えーっと、1991年結成、2009年解散。結構、昔のバンドなのね)


 愛那が生まれる前に活躍し、小学生の頃には解散している。

 ネットで評判を知り、レンタルショップや配信サイトで観た、90年代の人気アニメのような存在だ。

 あくまで愛那にしてみれば、であるが。


(へー、アルバムが世界中で7,500万枚も売れたんだ。超人気バンドじゃないの。いっぱい儲かったんだろうなぁ)


 さすが、なんの興味も思い入れもないだけあって、関心が行くのは即物的な面である。

 そんな愛那をよそに、

Oasisオエイシスは日本のアニメのOpeningオープニング themeテーマ musicミュージックに使われたこともあるんデスヨ。2009年春の——」

 と、サリーはまだまだ止まらない。

 窓の外では、阿佐ヶ谷あさがやの景色が、ゆっくりと流れていく。

 しばしの間、サリーからあふれ出るOASISオアシス LOVEラブに、愛那はただただうなずくばかりであった。


 それから、18:00を少しばかり過ぎた頃――


 二人は、高円寺駅北口に立ち、駅前の街並みを眺めていた。

 通い慣れた吉祥寺に比べれば、程よい活気と人通りの街だ。

 むしろ、あのほどの人の波がない分、落ち着いた雰囲気が心地よい。

 ライブハウスが数多くあるためだろうか、それらしい風貌ふうぼうの若者も、ちらほらと見受けられる。

 とはいえ、街をう人々の中で、彼女らが浮いているということもなく、そのあたりはいくつもある小都会の駅前とさほど変わらない。

 二人は、高円寺の街並みに、自然と溶け込んでいた。

 いや、溶け込んでいたはずだったのに。

「高円寺って、こういう感じなんだぁ。初めて来たよ」

「ワタシも初めて来マシタ」

 愛那もサリーも、周囲をやたらキョロキョロと、まるでおのぼりさんだ。

「あっ、月島もんじゃがある」

「アソコの八百屋サンは大ハンジョーしてマスネ」

「おっと、ライブハウスの場所は、っと」

 愛那は、またもやスマートフォンを取り出し、今度は地図サイトを開くと、目的のライブハウスの名前を打ち込んだ。

 たちどころに、経路と所要時間が表示される。文明の利器、使うべし。

ちかっ。歩いて2分だって」

Hmmフーム、線路にそって西の商店街デスネ。わかりやすいデス」

「じゃあ、行こ行こ」

「向こうにあるのは…… 高円寺純真商店街? ステキな名前の商店街デス」

「目がいいねぇ、サリー。うらやましい」

 二人の観光客崩れは、街のあちこちを物珍しげに見回しつつ、歩き出した。


 駅から離れ、線路沿いに歩き、“あいだどおり商店街”へ入る。

 道幅はあまり広くなく、いくつもの飲食店で雑多ながらも、酒飲みの二人には、どこか気楽さと親しみやすさを覚える商店街だ。

 並び歩く二人は道々、他愛もない会話にきょうじていた。

「アナ、“Liveライブ houseハウス”は和製英語って、知ってマシタ?」

「えっ、そうなの? 知らなかった。じゃあ、イギリスではなんて言うの?」

「“Liveライブ musicミュージック clubクラブ”と言いマス。他に“Rockロック clubクラブ”や“Liveライブ musicミュージック venueベニュー”とも言いマス。Butバット、タイテイは店の名前で呼びマス。それは日本も同じデスネ」

「なるほどねー。じゃあ、私たちはこれから、高円寺にある“Liveライブ musicミュージック clubクラブ”の“Rightライト Hereヒア Rightライト Nowナウ”に行くワケだ」

That’sザッツ rightライト! よくできマシタ」

 サリーが、嬉しそうにそう言って、愛那の頭をでていると、

「あっ、ここだ。もう着いちゃった」

 と、愛那が声を上げ、二人は立ち止まった。目的地のライブハウス“Rightライト Hereヒア Rightライト Nowナウ”と思われる場所に。

 いくつかの看板や案内表示で、それとわかる。

 見れば、一階は居酒屋で、地下にライブハウスがあるようだ。

 ここに来て愛那は、

「ライブハウスって、初めてなんだよね…… ううっ、なんか緊張するなぁ……」

 と、物怖じのへきが、頭をもたげている。

 サリーは、そんな愛那の腕を取り、

「さあさあ、行きマショウ行きマショウ」

「わわっ、待って…… こ、心の準備が……」


 薄暗い地下へ降りると、すぐに受付があった。

 当たり前の話だが、受付をする人間がいる。

 話したことのない人間が。知らない人間が。

「あ、あっ、あ、あの、こ、ここ、こでっ、これ……」

 愛那が、震える手で、おずおずとチケットを渡す。

 受付係の男性から返ってきたのは、チケットの半券と、ワンドリンクチケットなるもの。

 愛那はもとより、日本のライブハウス初体験のサリーも、その謎のチケットに、首をひねる。

Oneワン... Drinkドリンク... Ticketチケット? Hmmフーム、コレは興味深いデス」

「これで一杯飲めるってことかな。サービス?」

 と、気にはなるのだが、「なんでもいいから早く行け」と言いたげな受付係の案内に従って、二人はホール入口へ向かった。

 入口そばには、小さなコーナーが設けてあり、ビラのたぐいが置かれている。

 愛那は、その中からマサ子のバンドのビラを目ざとく見つけると、素早く手に取った。


 やや重い鉄製のドアを開け、中へと入る。

 壁や床、柱は暗い色で統一されている上に、控えめな照明も手伝い、薄暗いアンダーグラウンドな雰囲気がかもし出されていた。

 ステージとホールは、トラブル防止のためであろうか、低いフェンスでへだてられている。

 おそらく100人が入るか入らないかの、やや手狭てぜまなスペースに、先客が三人。

 今の時点での客の入りは、愛那とサリーを入れて、五人か。

 愛那は「意外と狭いんだなぁ」「え、全然お客さんいないじゃん」などと、正直過ぎて、失礼に近い感想を漏らす。

 妙にウキウキしたサリーは、

「アナ。Oneワン Drinkドリンク Ticketチケット使いまショ。Oneワン Drinkドリンク Ticketチケット

 と、愛那をうながした。

 未体験の文化に、興味津々きょうみしんしんのようである。

 ドリンクカウンターでは、愛那はビールを、サリーはジントニックを、それぞれ受け取った。

Wowワオ、コレがFreeフリーデスカ? サスガは日本人。気前がいいデスネ」

 と、ゴキゲンな様子のサリーだが、別にタダな訳ではない。チケット代に含まれているだけだ。

 二人は、ホール最後方で壁に寄りかかり、あとは始まるのを待つばかり。


 そして、18:30。開演時間――


 ホールが暗くなり、一組目のバンドの演奏が始まった。

 十代と思しき、男女混合のバンド。

 いかにも若者らしい、キャッチーで歌謡曲的なサウンドだ。

 サリーは身体を揺らし、軽くリズムを取りながら聴いている。

 五曲を演奏し、出番は終了。

 二組目は、男性が一人、ギターを抱えて出てきた。

 愛那が「ギターの弾き語り? ライブハウスで?」といぶかしむも、曲が始まると、その謎はすぐに解けた。

 ギター以外の音は打ち込みの、インストゥルメンタルだったのだ。

 愛那は二杯目のビールを飲みつつ、徐々に心を無にしていく。


(どうしよう。正直、聴き続けるのが、ものすごーく苦痛……)


 興味がない上に、縁もゆかりもない人間の演奏など、そんなものだ。

 そして、ふと、なんの気なしに、ステージから目を離したサリーが、気づいた。

 いつの間にか、客が増えている。ほんの少し前までは、十指じゅっしで間に合うほどの数だったのに。

 時が経つにつれて客が増えるのは当たり前かもしれないのだが、増えるペースが急過ぎるのだ。

 サリーらが立っている最後方や、側面の壁際、ドリンクカウンターのあたりまで、まずは二十人近い客がたむろし始めている。

 そうしている間にも、また三人、四人。

 どの客も見るからにパンクスである。

 サリーは、愛那の耳元で、

「アナ、一番前のほうに行きマショウ。Maybeメイビー、人イッパイになりマス」

「え? あ、うん。そうなの?」

 あたふたする愛那の背中を、サリーが押し、二人はフェンスの前にじんった。


 二組目の演奏が終わり、またホールが明るくなる。

「次だよ、次。まーちゃんのバンド」

「かなりお客サンが入ってキマシタ。人気のあるBandバンドのようデスネ」

 後ろを振り向けば、隙間を残しながらも、ホールは人でいっぱいになっていた。

「お客さんは女性のほうが多いみたいだね。まーちゃんみたいな恰好かっこうの人が結構いるなぁ」

 そこで愛那は、思い出したように、受付近くで手にしたビラを見た。


 バンド名は“BEAT1NGU”。

 メンバーは四人。全員女性だ。

 赤茶けたレンガの壁の前に、ひとくせもふたくせもありそうな女たちが並んで立ち、微笑と共に、こちらをにらみつけている。

 バンド編成はボーカル、ギター、ベース、ドラム。

 ボーカルの“MITCHミッチ”は、中性的な顔立ちに銀髪のベリーショートも相まって、多分に荒々しい雰囲気をただよわせていた。笑みを浮かべた唇からは、発達した犬歯がのぞいている。

 ギターのマサ子は、“MARマー”という名前らしい。愛那には、幼なじみのひいき目のせいか、やはり彼女が一番の美形に見えた。

 ベースの“RENNESレン”は、ひときわ小柄で、ずいぶんと幼い印象を受ける。七色に染め上げた長い髪をツインテールに束ねており、前髪は、片目が隠れるほど、極端な斜めに切り揃えられていた。

 ドラムの“KEIケイ”。こちらは、レンとは対照的に、四人の中で群を抜いて背が高かった。ショートのもじゃもじゃとしたパーマ髪に両目が隠れ、彼女だけは口元が少しも笑っていない。

 そして、四人のうち、ミッチとマサ子、ケイの三人は、いかにもクラシカルなロンドン・パンクをイメージした衣装だった。

 びょうの打たれたレザージャケット、破れたジーンズ、安全ピンで留められたボロボロのTシャツ、タータンチェックのパンツ、などなど。

 まるで、70年代後半のロンドンから、タイムスリップしてきたような風貌ふうぼうである。

 しかし、レンだけは、他の三人に比べ、かなり雰囲気が違う。

 グロテスクなイラストが描かれた袖丈そでたけの長いパーカー、タータンチェックのミニスカート、縞柄しまがらのニーソックス、厚底のロングブーツと、現代のファッションパンクな女の子にしか見えない。

 ひとつのがヴィジュアル戦略なのか、好きなようにやっているだけなのか。


 なるほど、メンバー構成に関してはよくわかったが、愛那には肝心のバンド名、“BEAT1NGU”が読めない。

「バンド名、なんて読むんだろ。びーと、わん、えぬじーゆー?」

 サリーはビラをのぞき込み、「おそらくデスガ」と前置きして、

「1はI、UはYouの当て字デスネ。つまり、“Beatingビーティング Youユー”。“殴るぞ”と読む、思いマス」

「ええ~、なんでそんな物騒ぶっそうな名前に……」

Ohオー

「なに?」

「コレ、“B”が“Be”の当て字だったとしたら、“Beビー Eatingイーティング Youユー”、“食ってやるぞ”になりマスヨ」

「怖っ! なんでそんな意味がわかると怖い話系のネーミングなのさ!」

Punkパンク rockロック bandバンドらしい名前だと思いマスヨ? どちらかというとHardcoreハードコア punkパンクThrashスラッシュ metalメタルみたいデスガ」

「いやもうさっぱりわからない」

 そんなことを話しているうちにも、ホールはたび暗くなった。


 BEAT1NGUの、出番が始まる。


 あちらこちらから散発的に歓声が上がる中、ミッチを先頭に、メンバーがステージへ上がってきた。

 ややもすれば、やる気がないようにも見えるほど、緩慢かんまんな動きではあるが。

 ただ、そんな中、レンだけはぴょんぴょん飛び跳ねたり、笑顔で観客をあおったりと、やけにハイテンションだ。

 ケイが、ドラムセットに座り、ひとつ伸びをして、楽器を構えるマサ子とレンの様子をうかがう。

 やがて、振り返ったミッチにうなずくと、両の手に握るスティックを振り上げた。

 スネアとフロアタムの高速打撃音が、ホールに響き渡る。

 すぐに、リズムの速いベースと、かき鳴らされるギターがそれを追いかけ、大音量となって愛那の耳をつんざいた。

 音の衝撃を浴び、愛那は誇張でなく、心臓が止まりそうだ。

 観客は一曲目から最高潮の盛り上がりを見せている。

 さらに、ミッチのボーカル。

 意外にもすべて英語なのはよいが、ドスが利いた威圧的なハスキーボイスの上に、とんでもない声量。

 まさしく“Beatingビーティング Youユー”の名が表す通り、聴く者を殴りつけるような、暴力的サウンドだった。

 そして、オタクの愛那の目には、ミッチの激しいボーカルは、不良が相手を恫喝どうかつするようにも見えた。

 レンの、四白眼になるほど目を見開いた、狂気的な笑顔も恐ろしい。

 PTAの言い草ではないが、「子供の教育に悪い」を地でいくがごときやからである。


 しかし、マサ子は――


 マサ子は、愛那がイメージするロックバンドのギタリストの姿とはかけ離れていた。

 その場から動かず、激しいアクションもなく、うつむき気味にギターを弾き続ける。まるで“粛々しゅくしゅくと”という表現が似合うほどに。

 時折、ここではないどこか遠くを眺めるような目で、客席を見やる。

 それは、ひどくクールなたたずまいではあったが、どこか寂しげにも見えた。

 不意に、最前列の愛那と、マサ子の目が合った。

 瞬間、マサ子が柔らかな薄笑みを浮かべる。

 直後に、愛那の周囲にいる女性客からは、黄色い歓声が上がった。

 マサ子、いや、マーの笑みが、自分に向けられたものと思っているのだろう。


 他方、サリーは、それまでの出演者の時とは意識を変えて、ステージを眺め、演奏を聴いていた。

 聴き覚えのある70年代ロンドン・パンクに、少し荒々しさと騒々しさを強くして、リズムを速くした、といったところ。

 オリジナル曲で全英語詞なのは、挑戦的ではある。

Hmmフーム...」

 しかし、サリーは、どうもこのバンドを高く評価できない。

 歌っている内容は、ご多分に漏れず“反体制”や“自由”。

 ミッチは、並外れた声量なだけで、あまり上手くない。英語の発音も稚拙だ。

 ケイのドラムは、単調なわりに走りがち。

 レンに至っては、演奏よりも観客へのアピールを優先している節がある。

 どうにか聴けるものになっているのは、マサ子のギターのおかげか。

 歌唱や演奏の技術は二の次、というあたり、パンクロックらしくはあるが。


 駆け抜けるがごとく、二曲が終わり、少しの間をおいて、三曲目のイントロが始まった。

 ここで、サリーは気づいた。

「アナ、わかりマスカ!?」

「えぇー!? なにがぁー!?」

 愛那には、同じような曲にしか聴こえないのだろう。無理もない。

 だが、サリーには、これまでの曲に比べ、ややポップな曲調になっているのがわかった。

 マサ子のギターも、リズムよりメロディを重視し、より技巧的な演奏に様変わりしている。

 それは言うなれば、パンクというよりも、ニュー・ウェイヴのサウンドに近いのかもしれない。

 目新しい、オリジナリティあふれる、とまではいかないが、「パンクの体裁ていさいを保ちつつ、よりメロディに工夫をらしたい」とでもいうべき、作曲者の努力が垣間かいま見える。

 しかし、観客の反応は今ひとつ。どうものか。

 そのうちに、曲が終わり、続くのは一曲目、二曲目と同じ毛色の曲だった。

 観客が「待ってました」とばかりに、ふたたび盛り上がる中、サリーはマサ子を見ていた。

 マサ子は、表情ひとつ変えず、やはりうつむき気味にギターを弾き続ける。

 まるで、これがあたしの仕事さ、とでも言うように。


 そして、嵐にも似た三十分が過ぎ――


 ギグも終わり、愛那とサリーは早々に、ホール最後方の出入口近くまで引っ込んでいた。

 二人が帰りの算段をしていると、どこかから聞き覚えのある声で、

「ちょ、ちょっとどいてくれって! 友達が来てるんだ!」

 群がるファンをかき分けて、笑顔のマサ子が、二人のもとへ歩み寄って来る。

「愛那! おい、愛那!」

 ギグ中のクールなたたずまいから一転して、まるで少年のような笑顔だった。

 高円寺のライブハウスを、あの頃の函館と錯覚するほどに。

 大人になった二人は向かい合い、

「今日は来てくれてありがとな。半分、来てくれねんでねえか、って思ってたから嬉しいよ」

「来るに決まってるしょや。まーちゃんだもん」

「そ、そっか。へへっ」

 互いに目を見れず、互いに照れ臭そうだ。

 ふと、愛那が気づき、

「あ、まーちゃん。こちら、サリー・サムナー。吉祥寺のFABファブで知り合って友達になったの。――サリー。こちら、砂原マサ子ちゃん。私の幼なじみ」

 二人は手を握り合う。

「ヨロシク。マサコ」

「ああ、よろしくな。サリー」


(うっひょおおおおお! 今の私、洋画みたいだったぁあああああ! なんか気持ちいいいいいいい!)


 なぜか一人で気持ちよくなっている愛那であったが、そんな彼女に突如、マサ子はこう提案した。

「なあ、時間あんなら打ち上げ行くべ。三人で」

 その言葉に、愛那は驚きと困惑を禁じえない。

「あれ? バンドの人たちと行くんでないの?」

「ああ、『八年ぶりに再会した幼なじみが来てくれてる』って言ったっけ、『むしろ、そっちと行くべきだろ』ってさ」

 それを聞いたサリーは、メンバー間の関係性は良好でよかった、と内心ひそかに安堵した。

 要らぬ心配ではあるのだが、サリーにはなぜか、そう思えたのだ。

 愛那も無論、嬉しくない訳がない。話したいことだって、山ほどある。

 でも、まさか、今晩一緒に飲みに行けるなんて。

「う、うん。じゃあ、行こう」

 嬉しさ半分、緊張と怖さが1/4ずつ、ではあった。

 すると、マサ子の背後から、

「よう、マー。楽しんでこいよ」

 特徴的なハスキーボイス。銀髪のベリーショート。

 ボーカルのミッチだ。

 少し離れたところに、レンとケイもいる。

「ああ。サンキュー、ミッチ」

 マサ子はミッチの肩を叩き、ミッチも同じように返す。

 それから、他の二人のほうにも手を上げ、言葉をかけた。

「レン、ケイ。また連絡するよ」

 レンは、ぴょんぴょんと飛び跳ねながら、両手を振り、

「マー、またね~♪」

 その隣で、ケイが、ぼそりとひと言だけ、低くつぶやいた。

「じゃ……」

 それにしても、背が高い。レンが飛び上がっても、頭が同じ高さに来ないほどだ。

 サリー並み、いや、それ以上か。

 マサ子は、ふたたび愛那のほうへ向き直り、笑った。

「行こうぜ。愛那」

 あの、少年のような笑顔で。


 三人は、中央総武線の高架をくぐり抜け――


 鳥伯爵とりはくしゃく、高円寺南口店。

 マサ子がいざなう打ち上げ会場は、ここであった。

 首都圏、中京圏、近畿圏の三大都市圏をまたいでチェーン展開する“鳥伯爵”。

 シンプルだが、発見のあるおいしさが定評の、メニュー群。

 学生にもフリーターにもバンドマンにも優しい、低価格設定。

 ちなみに、なぜ北口店でなく南口店なのかは、マサ子いわく「北口店は絶対にうちのメンバーが打ち上げに使うから」という理由らしい。


「乾杯!」


 まずはビールで乾杯だ。

 三人とも、ぶつけ合ったジョッキを口へ運び、ぐびぐびと喉へ流し込む。

 ――愛那とマサ子が並んで座り、向かい側にはサリーが座る、ボックス席。

 隣り合わせで座るのは、やはり照れ臭かったが、サリーが素早く座り、皆の荷物を置いてしまったため、この構成で座るしかなかった――

 半分以上なくなったジョッキたちがテーブルに置かれ、二人はあらためて、マサ子をねぎらう。

「まーちゃん、お疲れ様」

「オツカレサマデス、マサコ。とても良いPlayingプレイングデシタ」

「ありがとよ。なんか照れるな。……あー、でも、サリー。“マサ子”はよしてくれよ」

Whyワイ? なぜデスカ?」

 訳知り顔の愛那が、クスクスと笑う。

「まーちゃん、昔っから自分の名前、嫌いだもんね」

「パンクロッカーが“マサ子”なんて年寄りくせえ名前、カッコつかねえだろ」

 マサ子の言い分に、サリーは多少の親近感が湧いた。

 こちらは、親が好きなバンドの曲が名前の由来という、キラキラネーム持ちなのだ。

「デハ、こんなNicknameニックネームはどうデショウ。マサ子なので“Marthaマーサ”デス」

「へえ、マーサか。それいいな、向こうの名前っぽくて。バンドでは“マー”、普段は“マーサ”でいくか」

 なにしろ、本物のイギリス人に名付けてもらった、ネイティブなニックネームだ。

 パンクロックをっているマサ子としては、ご満悦である。

 一方の愛那は、いまだビールしかないことに、いち早く気づき、

「あ、食べるの注文しちゃおうよ」

 と、タッチパネルをつついた。

 焼き鳥のページが表示され、愛那はわくわくと指を踊らせ、目当てのものを選んでいく。

「私はねー、もも伯爵焼きのたれと、つくねのたれとー」

「たれ一択かよ。愛那は相変わらず味覚がお子様だな」

 からかうマサ子に、愛那はつい頬をふくらませる。相変わらずはお互い様らしい。

「むぅ。じゃあ、大人のまーちゃんはなにを食べるのさ」

「えーと、あたしはーっと…… 牛串焼きと、豚バラ串焼きと」

「なんでいきなり牛や豚なのさ! 焼鳥屋さんに来てるんだから、焼き鳥食べなさいよ!」

「しょうがねえべや。金なくて普段は肉とか、めったに食えねえんだから。こういうとこで栄養つけるんだよ」

「ちゃんと普段からご飯食べなよ! だからそんなガリガリなんだよ!」

「あ、とり釜飯も食おっと。米食いてえ、米」

「だから焼き鳥食べなさいよ! 飲んでんのにご飯食べてんじゃないよ!」

 経済状況や食生活が心配になるマサ子と、日常ではけっしてありえないツッコミ役の愛那。

 そんな二人をよそに、サリーは神妙な顔で、タッチパネルとにらめっこしている。

Uhアー、ワタシは砂ずり塩とひざなんこつ塩と、Hmmフーム、手羽先塩とささみ塩焼きはどっちにシマショウ……」

「シブいな、オイ、イギリス人……」

「サリーが一番大人だ……」


 焼き鳥の注文を終え、次のビールも頼み、場はやや落ち着きを見せていた。

 少しのぎこちなさが残る雰囲気の中、マサ子が愛那に尋ねた。

 ステージに立っていた自分としては、ぜひ聞いておきたいことを。

「どうだった? うちのバンド」

「あ、えーっと…… すっごい音が大きかった! あっ、あと、まーちゃんがカッコよかった!」

「なんだよ、それ。愛那らしいけど」

 マサ子は、しかたなさげに笑うしかない。

 すると、横合いからサリーが、興味津々な様子で、

Bandバンドはもう長いデスカ?」

「あー、今のメンバーになったのは、一年ちょっと前だな。そんな長かあねえよ」

 そう答え、ビールをぐびりとひと口、虚空に視線を踊らせる。

 東京での生活も、一部はすでに懐かしい思い出と化していたのだ。

「こっちに来てすぐの頃にミッチと知り合って、すっかり気が合っちまってさ。二人でメンバーを集める形で始まったんだけど、ベースとドラムは何回かメンバーチェンジしててな。今の連中になって、バンド名も変えて、ようやく落ち着いたって感じ」

 バンドの成り立ちを聞き、ふと、愛那が思い出した。

「そういえば、バンドの名前って“Beatingビーティング Youユー”でいいの? 読み方」

「ん? ああ、そうだけど、愛那、よくわかったな」

「いや、私じゃなくって、サリーがね……」

「レンの奴がホラー映画マニアでさ。なんか、映画に出てくるトラックのナンバープレートが元ネタらしいぜ」

 そこへ、サリーが口を挟んだ。

「そのRENNESレン、フランスの地名を英語発音にしたものデスガ、それもナニか関係ガ?」

「ああ。やっぱりホラー映画に出てくる奴の名前なんだとよ。本名は“恋”って書いて、“れん”だけどな」

 サリーの興味はまだまだ止まらず、矢継ぎ早な質問が繰り出される。

「マーサ、BEAT1NGUビーティングユーSongwritingソングライティングは誰と誰がしているのデスカ?」

「誰と誰って…… なんで、そんな聞き方なんだ?」

「三曲目だけ、アキラカに別の人が作った曲デシタ。それ以外の曲は同じ人デス」

「へえ。あんた、結構いい耳してんだな」

 当然、愛那にはわからず、

「え? そうだった?」

 と、目をぱちくりさせるのみである。

「曲はミッチとあたしで書いてる。元々二人で半々くらいだったけど、今はミッチがメインだな。三曲目は、まあ、あたしが書いた曲だよ」

「マーサはどんなMusicミュージックを聴くデスカ?」

 いつしか質問の対象が変わっていた。

 サリーの興味を強くひいているのは、BEAT1NGUというよりも、マサ子本人のようだ。

 とはいえ、マサ子も表現者アーティストのはしくれ。

 その自分を形作る音楽を聞かれて、悪い気はしない。

「んー、十代の頃はピストルズとかダムドとか、ロンドン・パンクばっかりだったけど、そのうちザ・ジャムが気になり出してさ。今じゃ一番のお気に入りだな。『Allオール Modモッド Consコンズ』なんかは最高だよ。最近は、モッズの元をたどって、ザ・フーやスモール・フェイセスも聴いてる」

 ポール・ウェラー率いるザ・ジャムは、70年代後半のパンク・ムーブメントに乗って登場し、成功したバンドだが、その音楽的源流はモッズ・サウンド、R&Bやブルースなどの黒人音楽である。

 パンクから始まったマサ子が、そちらへ傾倒していっても不思議ではない。


 すると――


 不意に、サリーが勢いよく席を立ち上がり、マサ子のほうへ大きく身を乗り出した。

The Jamジャム! Paulポール Wellerウェラーデスネ! ワタシも好きデス! Gallagherギャラガー brothersブラザーズとよく共演してマシタカラ! The Whoフーの“Myマイ Generationジェネレーション”もOasisオエイシスCoverカバーしてマシタネ!」

「お、おう……」

「ごめんね。サリー、オアシスが絡むと、こうなっちゃうから……」

 サリーは、取り繕うように咳払いをして、ゆっくり席へ着く。

「オホン…… ナルホド。それであの曲は、PunkパンクというよりもNewニュー WaveウェイヴModsモッズSoundサウンドに近かったんデスネ。マーサは他にも、そういう曲を書きマスカ?」

「あ、ああ。まあな……」

 やけに歯切れの悪い反応だ。

 BEAT1NGUのサウンド。マサ子の書いた曲。あのステージ。マサ子の態度。

 サリーの疑問は半ば確信へ、質問は確認へ、形を変えようとしていた。

「マーサはモシカシテ――」

「お待たせしましたー」

 サリーの話をさえぎって、焼き鳥が到着した。

「おっ、来た来た! やっと肉にありつけるぜ!」

 腹ペコのマサ子は、さっそく串に手を伸ばし、ひさかたぶりの牛肉や豚肉を口へ運ぶ。

 愛那は、自分が食べるよりも先に、取り皿を分けたり、調味料を注文したりと、かいがいしい働きぶりだ。

 サリーはといえば、立ち消えとなってしまった疑問を胸に抱えていたが、すぐに気分を切り替え、焼き鳥とビールを楽しむことにした。


 夜は深まり、だいぶ酒も入り――


 マサ子の貧乏話や、愛那とサリーが知り合った経緯。

 そんなことを、笑いを交えて話しているうちに、自然と会話が途切れてしまった。

 しばしの沈黙。

 愛那は、そろそろ頭の片隅に、終電の時刻が浮かぶ時間帯だ。

 そんな場のタイミングでもあった。

 すると、マサ子が、肉のなくなった串をもてあそびながら、

「しっかしさー、愛那、すげえ変わっちゃったよな。最初、全然わかんなかったし」

「それは私もそうだよ。あの憧れの人がまーちゃんだって、全然わかんなかったんだから」

 笑って返す愛那であったが、次の瞬間には、笑えない話題が待っていた。

 マサ子は、愛那ではなくサリーに、こう言った。

「サリー、聞けよ。愛那、函館にいた頃は、もうすげえオタクっぽい奴でさ。あたしがいなきゃ、なーんもできなかったんだから。それが今じゃさぁ」

 函館。昔の自分。二人の過去。

 少なくとも愛那は、それまで意図的に避けていた、過去の話だ。

 話すのが、怖かったから。

 そんな話をしないで、食べて飲んで、酔っぱらって、和気藹々裡わきあいあいりに別れたとしても、それはそれでよかったのだ。

 なのに、マサ子のほうから。

 愛那は、低い声で言った。

「そりゃ…… 、誰だって変わるよ……」

 ある意味、皮肉を感じるくらいに意味深長な言葉が引金になったか。

 マサ子は、口をへの字に歪め、下を向いてしまった。

 まるで、すねた子供のように。

「あたしだって、好きで愛那と会わなくなったワケでないもん……」


(もん……?)


 愛那は、多分にマサ子らしくない語尾に、やや違和感を覚える。

 しかし、それは、サリーが会話に加わったことで、どこかに行ってしまった。

「二人のコトに口を出してゴメンナサイデスガ、マーサがアナから離れた、Butバット、マーサはそうしたくなかったデスネ?」

「うん…… だって、だってね……」

 しかられた子供の言い訳もかくや、といった調子で、マサ子がぽつりぽつりと話し出した。


「中学まではよかったんだ。なんにも考えずに一緒にいられた。でも、高校進学の時期になりゃ、嫌でも気づかされる。思い知らされる。あたしと愛那は、別の世界の人間だって」


「あたしは先公に目をつけられてる落ちこぼれ。愛那は問題を起こさないし、成績も優秀」


「頭の出来が違えば、生まれだって違う。あたしは片親の貧乏人の娘。愛那は両親が公務員の裕福な家庭」


「だから、あたしは愛那と一緒にいちゃいけない、って。いつか絶対に、愛那に迷惑をかける、って」


 八年越しの真相。

 泣きたくなるほど、馬鹿馬鹿しい、真相。

 聞かされた愛那は、

「それは“私のために”ってこと?」

 そう言うのが精一杯だった。

 なにひとつ嬉しくない、マサ子の気遣い。

 結局、引け目や負い目に囚われ、素直に愛那と付き合えなくなってしまっただけのこと。

 愛那のことは大好きなのに。

 ことさら意固地になって。

 今、考えれば、どれだけくだらないか。

「私は…… 私はまーちゃんを親友だと思ってた。一生そばにいて、いいことも悪いことも分け合える、親友だって……」

 愛那は、大好きだった、いや、今も大好きな親友のため、ひとつひとつ丁寧に言葉を考えながら、話し始めた。


「たぶん、これは、今だから、今の私だから、言えるのかもしれないけどさ……」


「たぶん、生まれがどうとか、学校でどうとか、すぐにどうでもよくなったはずなんだよ……」


「たぶん、卒業したり、故郷から離れたりしたら、すぐにそんなしがらみなんて関係なくなったと思う……」


「だから、こうして私たち、八年も経ったけど、同じテーブルでお酒を飲んで、お互いの気持ちを話してる……」


「たぶん、本当は、もっと早く気づけたはずなんだよ…… 二人とも……」


 マサ子は、上目遣いで愛那を見やる。

「八年…… あたし、馬鹿だね……」

 愛那が、首を横に振る。

「ううん。私だって…… すぐに諦めて、なんにもしようとしなかった……」

 お互いの若さ。お互いの愚かさ。

 素晴らしくも、ろくでもない。

 ならば。

 そして。

 ここまでひと言も口を開かず、二人を見守っていたサリーが、

「もう、答えは出てマスネ」

 テーブルに置かれた二人の手を取り、握り合わせる。

 二人は、互いの手を見つめ、そして、互いの目を見つめ合った。

「まーちゃん。私たち、また親友になれる、よね……」

「ああ。あたしたちなら、なれるよ。八年間を取り戻そう」

 握り合う手に、ひと際強く、力が込められる。

 サリーは、この光景を見たかったのだ。

 マサ子が打ち上げを提案してきた時から。

 この席に座り。

 向かい側で、こうしている二人を。

 満足げなサリーは、頬杖を突き、愛那とマサ子に微笑んだ。

Lifeライフ isイズ veryベリー shortショート。ケンカしてるヒマなんてアリマセンヨ。Myマイ friendsフレンズ

 マサ子は、サリーのほうへ向き直り、感謝の気持ちを伝えた。

 それも、英語で。


『サリー。本当にありがとう。愛那の友達になってくれた。愛那は変わった。あんたのおかげ。それと、あたしは、もう一度、愛那と友達になれた』


 ネイティブのように流暢りゅうちょうとまではいかないが、きちんと日常会話になっている英語だ。

 愛那も、これには驚いた。

「まーちゃん、英語しゃべれたの!?」

「作詞もするし、もしかしたら歌う時が来るかもしれないって思ってさ。独学だけど」

 驚いたのは、サリーも同じだ。

 また、それに加えて、日本人の彼女が感謝の気持ちを伝えるために英語で話してくれた、という感激もある。

 感激のあまり、サリーもまた、英語でマサ子に答えた。

 生まれ育った街で話していた、本来の言葉で。


『アタシは全然かめへんよ! この子、クソええ子やさけぇ、ダチになれてマジクソ嬉しいんよ! こっちが礼を言いたいくらいやわ!』


 なんと、ひどくなまりの強い英語だろう。一部は聞き取れないほどである。

 これがサリーの暮らす、マンチェスターの訛りか。

 それと、いちいち挟まれるFワード。

 マサ子は、サリーのキャラクターに似合わぬ汚い言葉に、開いた口が塞がらなかった。

『あ、あんた、意外とワイルドな言葉遣い…… あと、すごい訛り……』

『どこが訛っとるん? 世界一クソクールな言葉やろ? それにマーサかて、意外とクソお上品なしゃべり方やん』

 よくできたもので、英語のわからない愛那でも、引き気味になっているほどだ。

「二人がなにをしゃべってるのか全然わからないけど、サリーが何っ回も『ファッキン』って言ってるのはわかった」

「いや、言葉が荒いだけで悪いことは言ってないから、気にしなくていい。と、思う……」

 懸命にフォローするマサ子に、サリーが、

『なあ、マーサ』

 と、やはり英語で語りかけた。

『アタシもな、労働者階級の生まれなんよ。おんもおんも朝から晩までいくつも仕事をかけ持っとったくらい、クソ貧乏やった頃もある』

 なにを言っているかわからない愛那は、二人の間に視線を行き来させるしかない。

『せやけど、ダチはええもんやで。生まれも育ちもクソ関係あらへん。妹みたいに思てる幼なじみは、中産階級の金持ちやけど、そんなんクソも気にせんでダチでいられる』

 マサ子は、ひと言も聞き逃すまいと、ひとつひとつうなずきつつ、彼女の言葉を聞いている。

『せやさかいなあ、ダチを、アナをクソ大事にせえよ』

 サリーは、そう言って、片目をつむった。


 そして、午前4:20――


 まず、愛那が例によって、泣き出していた。

「びええええええええ! まーぢゃああああああああん!」

 マサ子を抱きしめて離さない。

 そのマサ子は、完全に酔っぱらっており、色白な肌は、顔も胸元も腕も真っ赤に染まっていた。

 愛那に抱き締められるまま、ふにゃふにゃの顔で叫ぶ。

「あんにゃ、しゅきー!」

「私もまーぢゃんが好ぎぃいいいいいいい! もう離ざないよぉおおおおおおおお!」

 ひきつった笑いの店員がやってきて、三人にやんわりと伝える。

「あの、そろそろ閉店のお時間なのですが……」

 マサ子は、手足をジタバタと振り、

「やーだー! もっとみんなといるのー!」

 その光景を向かい側で眺めるサリーは、テーブルを叩いて、大爆笑である。

「マーサ、Fuckingファッキン cuteキュートデスネ! チョーKawaiiカワイイデス! Ahahahahahaha!!」


 この迷惑なクソ酔っぱらいどもが、ようやく店を出たのは、午前4:30を少しく回った頃だった。

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ふれんず&あるかほる 佐井乙貴 @OTSUTAKA

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