眠り姫、あと眠らない姫

黒周ダイスケ

ほんとうのことは、私達だけの秘密。

「ずっと寝ていられたらいいのに、とあの子は言った。

 ずっと起きていられたらいいのに、と私は言った。


 私達は幼稚園から高校までずっと一緒だった。好きな食べ物から音楽、成績、部活までほとんど一緒。でも男の趣味と、そして睡眠についての考え方だけは正反対だった。

 片や眠気に身を任せ、やることが終わればすぐベッドに潜り、ぐうぐうと寝るあの子。

 片や眠気に抗い、いつまでも“今日”であってほしいと、遅くまで起きている私。


 だから。

 私の分まであなたが寝て。

 あなたの分まで私が起きて。

 そんな風になったらいいのにね、と私達は笑った。


 そう願ったら、実際、その通りになった。


 忘れもしない。これが、あの冬の日のこと」


―――


「目覚まし時計を叩いて黙らせ、ぎりぎりまで眠り、母親に叩き起こされて、口に詰め込んだパンを牛乳で流し込み、鏡の前で寝癖と格闘し、飛び出すように出て行く。それがかつての日常。

 けれどあの冬の日以来、何もかもが変わった。日付が変わる頃に宿題を済ませ、出掛ける一時間前になったら読んでいた本を閉じ、家族が起きる前にゆっくりシャワーを浴び、キッチンに向かい、皆のぶんまでパンを焼き、紅茶を入れたりして、優雅な朝食をとる。そうして余裕を持って家を出て、学校へ向かう。

 一日は二十四時間。そのうち通学時間や部活動も含めて学校が占める時間が約十時間。そこから睡眠、食事、風呂、宿題、家事の手伝いを含めると、自由な時間なんてほんの数時間しかない。そのうち睡眠にかかる時間をすべて自由に過ごせるようになれば、使える時間は倍以上に増えるし、やりたいことも存分にできる。ついでに日中に眠気もこないから、夜更かしのツケで授業中に睡魔に襲われることもなくなる。


 とにかく、私はそういうことが出来る身体になった。傍から見れば異常なライフサイクルで、当初は親も心配に思ったらしく、色々な医者に連れて行かれたりもしたけれど、どれだけ検査しても異常は一つもなかった。


 それも当然。これは病気などではなく、私が――私達が“願い”を叶えた結果のことだったのだから」


―――


「一方、あの子は目を覚まさなくなった。


 私と同様、身体に異常はなくて、まったくの健康体だった。しばらくは検査入院していたので、私はあの子を見ることは出来なかった。

 家族や他の友人は悲しんでいたというけれど、その時の私だけはそう思わなかった。眠るのが仕事――なんて、生まれたての赤ん坊のように、あの子はずっと寝ていることを望んでいた。そしてそれは実現した。好きなだけ、飽きるまでずっと眠っていられる。だからこれも不幸な病気などではなく、あの子自身が望んだこと。


 深夜、ラジオを聞いたり動画を見たり……今までは触れてもいなかった読書をしたりながら、たびたびあの子のことを想った。私達は望んだ通りに“眠り”をトレードし、互いに望みを果たした。私がそうであるように、あの子も夢の中で私のことを想ってくれているのだろうか。そんなことを考えながら、私は毎夜、余る時間を有意義に過ごしていた。


 もちろんあの子のことは学校でも話題になった。担任の先生は言葉を濁していたけれど、クラスの皆は心配そうだった。私も表面上は心配そうな顔をした。あの子の机と席はあれからずっと時が止まったように空っぽで。


 ほんとうのことは、私達だけの秘密。


 ついでに言えば、私の“異常なライフサイクル”のことは家族以外の誰にも明かしていなかった。親も世間体を気にしてか、明かすようなことはしなかった。

 宿題をこなし、授業中も居眠りせず、成績も上がってきたのを訝しがられたりはした。でも学校にバレるようなこともなかった。その頃は深夜――“私達”だけの時間――に外に出掛けられたりはしなかったけれど、元々どちらかと言えばインドア派だったし、部屋の中でだってやれることはあったから、まったく問題はなかった」


―――


「それから一ヶ月が過ぎた頃のこと。


 ようやくあの子の元に行く機会を得た。自宅の部屋ですうすうと眠るあの子は、思った通りに幸せな寝顔をしていた。さすがに親の前でそんな素振りは出来なかったけど、二人っきりになった後、私はベッドの縁に腰掛け、少し笑ったりしながら頭を撫でたりした。その手に触れた肌や髪は、とても“病人”には思えないほどに艶やかだった。


 もし願いが叶うことがあったら、後はその暮らしをたっぷりと堪能して――いつか、もし飽きる時が来たら――その時は元に戻ろう。私達はそう約束していた。そして、私達の願いは叶った。これで良かったのだ。


 帰り際、私はあの子の親に、また来てもいいですか、と言った。

 彼らは涙ぐみながら、いつでも来てね、と言った。


 それからたびたび、私はあの子の元を訪れるようになった」


―――


「さらにもう一ヶ月ほど過ぎた頃のこと。


 私は相変わらず深夜の時間を楽しんでいた。観たい映画や本も沢山あって飽きることなどなく、来年の国立大受験に向けての早めの受験勉強をしたりもしていた。そういえば日が昇る時間が早くなったなと、そういうところでも季節の変わり目を感じるようになってきた。むしろ、それくらいでしか感じなくなってきた、と言った方が適切かもしれない。その頃から、兆候はあった。


 あの子も、やはりまだ飽きることなく眠り続けていた。私は週に二回ほどあの子の家に寄って、ベッドの縁で映画や本の感想を言い聞かせたりしていた。その頃にはもう他の友人達が心配をすることもなくなって、ずっと訪れているのは私だけになっていた。


 部屋の中で二人きり、私達は時間をかけて語り合った。起きて喋っているのが私だけでも、それは大切な時間だった。そうすることで、私達は互いの想いを確認し続けていた。


 そしてその頃から、私は身体に異変を感じていた。

 簡単にいえば、身体に変化が来なくなっていた。体重の変化がほとんど無くなったり、髪や爪がほとんど伸びなくなったり、“月にくるもの”さえ回数を経てどんどん軽くなっていき、やがてまったく来なくなった。これは眠り続けているあの子の身体も同様だった。

 本当に代謝が止まったならとっくに死んでいる。それはまるで都合良く――私達の時が止まったことを示すかのような変化だった」


―――


「夜がひどく長く感じるようになってきたのは、いつの頃からだっただろう。


 私の親も、私が起き続けていることにすっかり慣れてしまった。それが当たり前だと、過ぎゆく日常に混ぜてしまえるようになった。朝食を作るのは私の役目になり、色々と手の込んだメニューを作れるようにもなれた。時間があれば料理もできる。勉強もできる。この世界にはまだまだ本や映画や音楽、観たいもの、聴きたいものが溢れていて、新しいものも出てくる。


 でも――いつの間にか、私は夜の時間をぼうっと過ごすことが多くなった。誰もが寝静まっている時間はまるでこの世界に一人きりでいるようで、私は時おりこっそり家を抜け出し、外に散歩へ出るようにもなった。深夜の国道沿い、通り過ぎる車や灯りのついたコンビニを見るたび、私はそこでやっと“夜は私だけのものではない”ということを認識できた。今思えば、親にもきっとバレていたのだろう。でも何も言われなかった。


 あの子の家に寄る習慣も変わっていなかった。訪れるたび、出迎えてくれる家族達が次第に痩せていっていくのが分かった。あの子が眠っている間にも、私が起き続けている間にも、時間は過ぎていく。


 眠らないということはつまり、一日の区切りがないということ。ずっと寝ていないと境目が分からなくなる。世界から置いてけぼりにされているような気になる。世界はそれでも流れていく。私のあの子を除いて。

 それでもその時はまだ正気だった。高校生らしい暮らしを演じて、私はまだなんとか人間であろうとした。だから、狂わずにいられた」


―――


「そしてある日のこと。


 私は寝ているあの子の横髪をかきわけ、その頬にキスをした。いいよね? と聞いてみたけれど、あの子は何も応えなかった。だから私は応えを待たずに口づけた。

 なぜそんなことをしたのか。今にして思えば子供じみた考えで……こうすれば何かの“変化”があるのではないだろうかと思った。それが理由だ。御伽話なら眠り姫はキスで目を覚ます。もし彼女が飽きたというなら、きっとこれが意思確認となって、起きるのではないかと。


 でも。

 その瞼が開くことはなかった。

 あの子はまだ飽きることなく、幸せそうに眠り続けていた。


 ――“ずっと”寝ていられればいいのに、という願い。

 ――“ずっと”起きていられればいいのに、という願い。


 つまり、それこそが私達が望んだもの。

 それが私達にかけられた“呪い”の正体だった」


―――


「――これが、五十年前のこと」


 そう言うと、彼女はすっかり冷めた紅茶に口をつける。

「呪いの正体は、今でも分からない」

 久々に“人間”を相手にした、と彼女は言った。語り終えて少し疲れたのか、彼女は椅子に背を預ける。見た目は僕と変わらないくらいなのに、中身は違う。呪いを受けた身体。世界から切り離された存在。移り過ぎゆく日常から置いていかれ、家族も友人も去り、狂気の果てに墜ちたモノ。


「じゃあ、次はあの子のところに行こうか」

 魔女は椅子から腰を上げる。

「居場所は秘密なんじゃないですか。会ったばかりの僕に教えてくれるなんて」

 すると彼女はゆっくりと振り向き、こちらに振り返った。

 底の知れない、夜のごとく暗い瞳をたたえた魔女――“眠らない姫”。身だしなみを整えることも忘れ、一切の表情を無くした、亡霊のような女。

「だって」

 その瞳に、ほんの少しだけ光が宿ったように見えたのは、僕の気のせいか。


「貴方は“私達にかかった呪い”を解く方法を探してくれるんでしょう?」


 そう。

 そのために僕はここに来た。


 彼女を――彼女達を解き放ち、その呪われた命に終止符を打つために。

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