龍善院桜子は言わせたい

藤村灯

第1話 龍善院桜子は言わせたい

 いじめだのストーカーだの親の夜逃げだの。余程の特別な事情がない限り、転校などせずに済むならそれに越したことはない。新しい刺激を歓迎する向きもあるのだろうが、平凡で平穏な青春に満足していた者には厄介ごとでしかない。


 特に、高校二年の夏なんて半端な時期ならなおさらだ。転石苔をむさず。「A rolling stone gathers no moss」の解釈は英米で180度変わってしまう訳だが、開拓者精神にあふれるアメリカ人ではないわたしには、英国流の捕え方のほうが性に合っていたようだ。


「今日から皆さんと共に学ぶことになる、来栖雷花くるす らいかさんです」


 教壇でわたしを紹介する先生は、胸元におメダイを下げている。

 輪をかけて面倒なことに、クリスチャンでもないわたしは、ミッション系の女学校に転入するハメになった。家は代々浄土真宗なのに。


「父の仕事の都合で、大阪から引っ越してきました。……宜しくお願いします」


 好奇の視線を向けてくるクラスメートたち。幼稚舎からの持ち上がりがほとんどとあって、みな黒髪でお育ちが良さそうに見える。わたしの軽く染めた栗色の髪は、何か言われる前に染め直しておいた方が良いかもしれない。


「ごきげんよう、来栖さん。わたくし龍善院桜子りゅうぜんいん さくらこ。分からないことがあれば、何でも仰ってね」


 仰ってときたか。お嬢様学校とはいえ、同じ年齢の女子として親しみやすそうな子は他にいくらでもいる。それなのに、声を掛けてきてくれた隣の席の子は、艶やかなロングストレートに前髪ぱっつんの、絵に描いたようなお姫様だった。


「ど……どうも」


 軽く挙動不審になりながらぎこちない笑みを返す。桜子さんは、整った小顔ににこにこと笑みを浮かべながらわたしを見つめている。


「お名前の雷花――訓で読めばかみなりばな。昼顔のことね」


 夏生まれのわたしにお父さんが付けた名だ。彼岸花を指すこともあるが、父は知らなかったらしい。初対面で由来を問われることはあっても、読み解かれることまでは無かった。さすがはお嬢様学校。教養のレベルが違うというべきか。


「花言葉は絆。――それにジョセフ」

「…………??」


 不意に紛れ込んだ異国の男性の名前に困惑し、曖昧な笑みを浮かべる。

 桜子さんは意味ありげな沈黙のあと、小さく咳払いをして訂正した。


「おほん。ジョニィ……いや、情事でしたわね」


 なんだ? 情事と言うのが恥ずかしかったのかな? っていうか、我が子の名前に使うのに、そっちの意味を匂わせるはずがない。そこは察してほしい。

 桜子さんはわずかに頬を染め、小首を傾げてみせた。



 引越し直後の細々とした手続きの忙しさで、お母さんにはわたしのお弁当を用意する余裕はなく、わたしにはお弁当を作る技術も意欲もない。昼休み。渡されたお昼代を握りしめ、わたしは食堂へ向かった。


 メニューに訳の分からないカタカナが並んでいたらどうしようという心配は杞憂に終わり、わたしは食券をきつねうどんと交換し空いている席に付いた。

 出汁が黒い。これ、本当に食べられるの?


「ごきげんよう、来栖さん。いえ、雷花さんとお呼びしていいかしら。お席ご一緒していい?」

「いいよ、桜子さん」


 なんかぐいぐい来るな。桜子さんは向かいに座ると、可愛らしいお弁当包みを広げた。足りなくて学食のメニューを追加するわけでも無さそうなのに、なんで教室で食べないのかな?


 桜子さんのつつましくも華やかなお弁当に気を取られていたわたしは、不注意にも箸を落としてしまった。すぐに近くに座っていた子が拾ってくれたが、家とは違いお嬢様学校のこと。ほこりを払い、三秒ルールでこのまま使うわけにもいかない。

 カウンターで交換して貰おうと席を立ちかけたわたしを、桜子さんは笑顔で押しとどめた。


「雷花さん、これでどうぞ」


 可愛らしいスプーンを差し出し、にっこり微笑む桜子さん。


 自分はフォークがあるからという意味か? いやいやいや。

 新しいタイプのいじめ? 『私の好意を受け取れない? スプーンでうどんも食べられませんの? 鮒ね! この鮒侍!』と、囃し立てる段取りでも組んであるのかとも疑ったが、近くに座っているクラスメートも、頭にはてなマークを浮かべているのが見て取れる。


「あ……うん。ありがとう。でも、お箸もらってくるから」

「……そう」


 なぜだか露骨にしょんぼりと肩を落とす桜子さん。『生え抜きの本場もののはずですのに……』という呟きが聞こえた気がした。



 放課後。このまま帰ってしまってもいいのだが、部活動を推奨されている。転校前は剣道部に所属していたが、痛いし臭いしモテないしで、どうしても続けたいというほどのものでもない。ここには弓道部があるそうだから、同じ武道でもそっちを試してみるのも良いかもしれない。剣道よりずっとお嬢様っぽいし。


「あら、雷花さん。なにかお探しもの?」


 弓道部の活動場所を探そうと思ったタイミングで、桜子さんに声を掛けられた。どうも教室から付けられていたような気がする。


「射場か、武道館はないかな? 見学したいんだけど」

「少し待っていて下さる?」


 何かに思い当たったような表情を見せた桜子さんは、わたしを残して走り去った。


 あれ……? 連れていってくれるほうが助かるんだけど……

 困惑を抱えつつ待っていると、ほどなく桜子さんは手に清涼飲料水の缶を掲げ、息を切らして駆け寄ってきた。


「ハァハァ、雷花さん……これ! ハァ、缶の、ぶどうジュース! ……ハァハァ」

「桜子さん、落ち着いて」

「ハァハァ、紙パックじゃなくて、んっ、缶の、ぶどうジュースッ!! ハァハァ」

「うん、分かったから」


 桜子さんはハンカチで額に浮いた汗を抑えたあと、わたしに缶を差し出しながら、誇らしくも高らかに言い放った。


「缶のぶどうでぶどう缶!! ぶどうかん!! なんて!!!」

「なんでやねん……」


 思わず漏らしたわたしの平板な呟きを聞き逃さず、桜子さんはぱぁっと顔を輝かせた。


「それ! 私、それずーっと言って欲しかったの!!」


 指を組み頬を染め、感極まった表情で瞳を潤ませる桜子さん。


「あの……なんの話?」

「お笑いの本場大阪から来られたというのに、でんがなもまんがなも仰らないから、私心配してましたのよ?」

「いや、ふだん使わないからそんな言葉」

「私、こう見えてユーモアのセンスのあるほうでしょ? お爺様も会うたびに『桜子は本当に面白いことを言う子だね』って褒めてくださいますもの!」

「いや、知らんし?!」


 仮に桜子さんに笑いのセンスがあるとして、わたしの知ってるそれとは吉本新喜劇とモンティパイソン以上の隔たりがありそうだ。


「ずっと夢だった本場のツッコミを受けて確信しました。雷花さん、貴女こそ私のパートナーです! 私とコンビを組んで、学園祭の舞台に立ちましょう!!」

「いや、あのね桜子さん。わたしなんかを買ってもらってうれしいけど……うん? うれしいのかな? ……ともかく、大阪人みんなお笑いのセンスあるわけじゃないから。晴れがましい舞台に立つのなんかは、ちょっと勘弁してもらいたいかなって……」


 信じられない言葉を聞かされたかのように、桜子さんの表情がみるみる曇る。なんだかすごく悪いことをしてしまった気持ちになって掛ける言葉を探す私に、桜子さんは不意に表情を一変させ、はじける笑顔でつっ込んだ。


「なんでやねん!!」


 いや、今のボケじゃないよ?


                               END

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