エピローグ 2
遠くの空は夜を溶かしながら白んでいて、まだ朝日は少し水っぽくて無垢だ。
“RANGEMAN GARAGE”もこの頃は日中の喧騒が嘘のように閑散し、オイルの臭いが染み付いた車庫のシャッターは朝方の静けさのなかではより一層に大袈裟に響いてゆっくりと上がっていく。
シャッターの隙間からまだ誰のものでもない澄んだ光と春の空気が入り込み、なかの薄闇をいよいよ朝に変えていく。
「ハルマ、起きてるかぁ?」
冗談めかしてアスキは朝日を背にガレージを覗いた。
──ハルマ(ミトミ隊員)はぴっと背筋を伸ばしたまま、一心に車を見つめている。
その生真面目な姿勢に、アスキはいささか驚いた。
「ちゃ、ちゃんと、見張っててくれたんだな、ありがとよ」
ハルマ(ミトミ隊員)はアスキを振り向いて、立ち上がり、一礼した。
「お、おう。……てか、なんでお前、目出し帽なんて被ってんの?」
──あ、そうだ、ジミーよ、万が一、俺が間に合わない時のために、これを授けます。
──これ……これって……?
──これ、被って、声出さなきゃ、バレねえよっ! 堂々としてれば大丈ブイだ。
──いや、絶対、無理ですってっ、ハルマさん!
──じゃあ、自分はもう行きますんで……。
──あ、ちょっと、なんで、顔背けんすか!? ちょっと、おいっ!
ハルマはミトミ隊員の手を振り払うようにして、クラフトへと戻って行った──
怪訝な目のアスキを堂々と見つめる偽ハルマ(ミトミ隊員)。
「……ていうか、なんかちょっと背も少し低くくなってね? というか……全体的にちっさくなった気がすんな」
偽ハルマ(ミトミ隊員)は堂々とゆっくり大きく首を横に振った。
「そ、そうか」と、それ以上、アスキは何も聞かない。
もう一度、偽ハルマ(ミトミ隊員)はアスキに一礼し、その場を後にしようと──
「──あ、待てよ、もうすぐ後輩社員が来るからよ、そしたら家まで送っててやるよ」
偽ハルマ(ミトミ隊員)はまた首を横に振り、タブレットの画面をアスキに見せる。
「ん、なに……急ぎ、行くところがあるので、大丈夫です……」
怪訝な顔つきでアスキは偽ハルマ(ミトミ隊員)を見る。
「……なんで、喋んねーんだよ?」と、もっともな一言。
素早く、タブレットの画面を叩く偽ハルマ(ミトミ隊員)。
《喉が痛くて》
「ん、ああ、そうなのか。悪いな、俺が無理させちまったか?」
《いえいえ、暇だったので熱唱してたら痛めだけですのでお気遣いなくです。》
「ま、まあ、それならいいんだけど……喉痛めるぐらいって、どんだけ熱唱してんだよ」
アスキはガレージの外を振り向く。
(まあ、ガレージは防音壁だし、音漏れは少ないだろうから、近所迷惑にはなってねーよな。それに、一応、防犯対策にはなったか……)
──じっと、アスキを見つめる偽ハルマ(ミトミ隊員)。
その視線に振り返るアスキ。
「……なんだ、どうした?」
トンッと、手の平でアスキの胸元を押した偽ハルマ(ミトミ隊員)。
「わ、おい、何すん──」
偽ハルマ(ミトミ隊員)はしゃがんで、アスキの両の足首をぐっ掴んだ。
「ちょ、お前、何してんだ?」
──途端に、アスキは足元がふわりと宙に浮いたような感覚に襲われた。
「お、おい、今、なにを……!?」と、戸惑うアスキをよそに、ミトミ隊員は素早い手付きでタブレットに文字を入力していき、入力し終えた画面をアスキに向けた。
アスキは眉を寄せながら、タブレットを覗き込む。
《ダービンハイツ(マジで半端なくかっこいいっす!)は隅々まで確認しました。
特におかしな点は見当たりませんでした。
聞いた話から察するに、なんらかの魔導工作によるものだと思いましたが、魔導工作の痕跡はどこにもありませんでした。
でも、今あなたを見て、はっきりしました。
なんらかの工作が施されていたのは車ではなく、あなたの方でした。
あなたには簡易的な呪いが掛かっていました。》
──と、そこで、思わず、驚きの声を上げるアスキ。
「えっ!」
アスキはバッと顔を上げる。
「マ、マジで言ってんのか?」
じっと目を見つめて、偽ハルマ(ミトミ隊員)は深々と頷き、タブレットを指差す。
《今、祓いました。もう大丈夫です。》
「お、おう」
アスキは戸惑いながらも、両足を交互に浮かして確認する。
「あ……もしかして、今、いきなり足を掴んだのは……」
偽ハルマ(ミトミ隊員)はまた深々と頷き、アスキにタブレットを向けたまま、画面をスクロールする。
《誰かがあなたの足に呪いを掛けたようです。
でも、幸いなことに低レベルな呪いだったので、僕の魔力を注入し、きれいさっぱり浄化できました。
これで、なんの心配もなく、レースに集中できると思います。
あっ! でも、一応、二、三日は様子を見た方がいいかと……
二、三日経って、足に普段は感じないむくみや気怠さを感じたら、魔障専門の医師にちゃんと見てもらった方がいいですね。
もっとも、二、三日経って、何の症状がなくても念のため、一度、検査した方がいいかと思います。》
偽ハルマ(ミトミ隊員)は次の画面へと指を滑らす。
《では、これにて。》
──ぺこりと頭を下げて、タブレットをアスキに渡す偽ハルマ(ミトミ隊員)。
もう一度、お辞儀をして、背を向け歩き出す。
「あ、いや、ちょっと待ってよ」
偽ハルマ(ミトミ隊員)はアスキの声を無視してそそくさと足早にガレージを後にする。
呆気に取られながら、その背をボーっと眺めるアスキ。
「……まさか、魔力使えるなんてのは初耳だったな……ちょっと変わってる奴だとは思ってたけど、お前、だいぶと変わった奴だよ、ハルマ……」
アスキは小さくなるその背中をいつまでもぼんやりと眺めていた。
憂いを知らぬ柔らかな風が吹き抜けた。
朝日に照らされ、春の匂いが強くなる。
きっと今日は昨日よりも春が咲く──
第一話 「長くて近い夜に遭う」 完
Metaphysical Machine and Wonderful Days 桔月香 羽渡衣 @kitotsuika
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