Episode2
「お願いします!ここから出してください!!」
「黙れ!!忌まわしい黒髪め!」
鍵の閉まる、冷たく、残酷な音が響き渡る。
誰もいない地下牢。嫌な湿気と臭い。
どうしてこんな事になってしまったのか分からず、杏菜は兵達を必死に呼び止めようとしたが、侮蔑の言葉を浴びせられてしまうだけだった。
兵達は杏菜閉じ込めると、さっさとどこかへと行ってしまった。
暑い夏の夜を帰っていた杏菜は、半袖に薄手のロングスカートという格好。この地下牢にいるには寒すぎる。
恐怖と寒さで杏菜はぶるぶると震えた。
(これからどうなるんだろう)
いつもと同じように、家に向かって帰っていただけのはずだった。
今起きている事を理解する事が出来ない。だってあまりにも現実とはかけ離れすぎている。
(これは夢なのかな)
そう思い目を閉じるが、この寒さと嫌な臭いが鼻につき、今の状況が夢ではない事を痛いくらい実感させる。
(そういえばあの子は)
もう1人の、杏奈と共にここへ来た彼女は大丈夫だろうか。
(…大丈夫だろう)
大丈夫なはずだ。なぜなら、この国の人々が求めていたのは彼女なのだろうから。
彼女は歓迎され、わざわざ奇妙な召喚の魔法を使ってまで、この国に迎え入れられた。杏奈とは違って。
自分が害を与える者ではないと証明する術は無く、だからといって利益になるとも言えない。話すら聞いてもらえず、あっという間にこの地下牢に閉じ込められてしまった。
このまま殺されでもするんだろうか。
そんな、今想定できる最も残酷な答えが頭によぎる。
あり得なくはない。彼らの反応を見る限り、この黒髪はよほど嫌われているようだから。
(魔物だと、疑われてしまったくらいだしな)
杏菜は自身の美しく長い黒髪を握りしめる。今この場に
(この髪が黒髪でなければよかったのかな)
そもそもあの女の子を助けなどしなければ。
杏菜が助けなくとも、彼女にはなにも起こりはしなかった。そのままここへ来て、先程見たように歓迎されるだけだったのだから。
こんなに虚しい人助けになるとは。手を差し伸べなければよかったのかもしれない、と杏菜は後悔した。
今の状況、場所、湿気と冷気。全てが杏菜を悲観的にし、嫌悪感を抱かせてしまう。
ガチャン。
杏菜は大きく肩を揺らす。
地下牢の入り口の方から何やら音が響いてきた。杏菜のある場所からは、何が起きているのか見る事はできない。
暗闇の方から、兵達のものとは違う、数人の足音がゆっくりと聞こえてくる。
「…っお姉さん!!!」
杏菜のいる牢屋の鉄格子を揺らしながら、涙目で声を上げたのは先程の女の子だった。
「…どうして」
「大丈夫ですか!?」
女の子は心配そうに、牢の中にいる杏菜を見つめていた。
杏菜は驚いたように目を見開き、自分を見つめている彼女に目を向ける。
どうしてこんな所にいるのか。
「聖女様、あまり近付かれると危険です」
彼女の後ろから、杏菜の事を鼻で笑っていた中年のローブの男が声をかける。
憎たらしい様子で、杏菜を睨みつけていた。
「危険!?危険なわけありませんよ!!さっきも言ったでしょう、このお姉さんは私を助けようとしてくれただけです!!早くここから出してあげてください!!!」
女の子はものすごい剣幕で、ローブの男を怒鳴りつけた。
そして杏菜の方に向き直ると、罪悪感の色がその顔に濃く映る。
「お姉さんごめんなさい。私のせいで巻き込まれてしまって。さっきこの人たちに、お姉さんが私を助けようとしてくれた事を説明をしたんですが」
暗い表情で彼女は俯き、その場にしゃがみ込む。
その様子と、後ろにいる人達の表情を見るに、納得はしてくれなかったのだろう。
「私は
「…
「杏菜さん。さっきは助けてくれてありがとうございます」
「いえ。……なんだか余計なことしちゃったみたいで」
「そんなことありません!!こんな場所に1人だったとても心細かったと思います。だから杏菜さんがいてくれてとても嬉しいです」
新名はその美しい顔で、柔らかく微笑む。
こんな時にまで杏菜は、なんて可愛い人なんだろうか、と思わず頬を緩ませた。
「ニーナ。いくら君の願いだろうと、この者を出すわけにはいかない」
「どうして!?」
その時、新奈の後ろからキリアンが厳しい言葉を言い放った。それに対して新奈は、途端に怒りを露わにし勢いよく立ち上がると、掴み掛かる勢いで声を上げた。
「それはこの者が危険を」
「そんなわけないわ!!何度も言っているでしょう!?杏菜さんは私を助けて」
「そんなはずはないんだニーナ」
キリアンは牢の中の杏菜をひどく睨みつけた。
「助けた話が本当だとしても、この者がここにいるのはおかしいんだ」
「だから私と一緒に」
「あの魔法陣は、本来ならば聖女のみが通れるもの。聖女ではないこの者がそれを通ったというのは、おかしな話だ」
「でもたしかに」
「もしもそなたの言う通り、聖女ではないこの者が魔法陣を通り現れたとなれば、もう一つの可能性は、魔法陣に耐えうる魔力を持つ者という事になる。それにその黒髪。…そのような者は、あの忌まわしきクルーデルにしかおらんのだ」
またしても聞いたことのない名前が飛び出て、杏菜も新奈も困惑していた。
「クルーデル…?」
思わず出た杏菜の疑問の声。
その声にキリアンは一瞬嫌悪の表情を浮かべる。なぜお前に説明してやらなければいけないんだ、と言いたげな顔だったが、渋々その口を開く。
「…クルーデルとは、我が国の隣国だ。魔物が存在し、魔王が治めている国だ」
「魔王…」
「魔物など、我が国に害を及ぼす不吉なものだ。そんな国を統治するなど、あいつは本当に忌まわしき男だ」
あいつ、とはおそらくそのクルーデルを治めているという魔王の事なのだろう。
キリアンはよほど、その魔王の事が嫌いなようだ。黙っていれば美しいであろうその顔を、ひどく歪めていた。
「現状、この者が危険人物であるという可能性はあっても、そうではないという証拠はない」
「そんな!!お姉さんはあの変な魔法陣に飲み込まれる前に、私に手を差し伸べてくれたのに!」
「たとえそうだとしても、この国ではその黒髪自体が、捕えるには十分な理由となる」
新奈は必死に杏菜を助けようと訴えるが、聞く耳は持ってもらえない。
危険であるとの一点張り。
「日本人なら黒髪は当たり前なのよ!」
「我々はその、ニホンジンとやらの事は知らん。まぁ黒髪が普通だという時点で、魔族が何かなのだろうな」
キリアンはまるで馬鹿にするかのように嘲笑う。
「魔族じゃないわ!私だって日本人よ!」
「はっ。君がそのニホンジンとやらだと言いたいのか?何かの間違いだろう。君は聖女だ」
「そうじゃなくて」
「さぁ、もう行こう。こんな所で、不吉の象徴と同じ空気など吸いたくはない」
必死の訴えはやはり届かない。
キリアンさ新奈の肩を抱き寄せると、杏菜を置いてここを去ろうとする。
するとその時、鋭い音が響く。
「待って!!」
それが新奈がキリアンの腰に下がっていた剣を抜いた音だったのだと、彼女に目を向けた全員が気付いた。
「何を」
「杏菜さんを解放しないのなら、ここで死ぬわよ」
新奈はその鋭い刃を自身の喉元に近付けた。
「待つんだ」
「待たないわ。早くして」
「…っ、分かった。分かったから早くその剣を」
せっかく努力が実って召喚できた聖女。
その聖女が目の前で自害しようとしている。国の王子として放っておけるわけはなく、キリアンは恐る恐る新奈に手を伸ばした。
そして後ろにいた兵に杏菜のいる牢の鍵を開けるよう指示する。
ガチャリ。
重たく冷たい鍵の音が響く。
兵に腕を掴まれて、杏菜は牢の中から出された。ほんの少しの時間だったというのに、ひどく長い時間のように思えた。
杏菜が出てきたのを確認し、新奈はゆっくりと剣をキリアンに返した。
「…しかたない。他でもない聖女であるニーナの頼みだ。召喚によって現れた
キリアンは戻ってきた剣を鞘に収めると、杏菜に向かって吐き捨てるように言った。
その言い方は、決して歓迎はしていない。本当にきちんと保護をしてくれるのだろうか。それにそもそもそちらのミスだろうに、なぜ自分がこんなにも嫌な目に合わねばならないのか、と杏菜は腹が立った。
おかけでろくにお礼も言えず、その事がキリアンの機嫌をますます悪くさせている様子だった。
「だが安心はしない事だな」
嫌な笑顔を浮かべ、キリアンはそう言い放った。
大袈裟に踵を翻し、その長いマントを靡かせながら、キリアンはローブの男と共に先に戻っていった。
ローブの男も何故か不敵な笑みを浮かべていたのを、杏菜は見逃さなかった。
「お姉さん!」
新奈は牢から出てきた杏菜に抱き付く。
「待って、汚れてしまうわ」
「平気です!」
「…ありがとう、あなたのおかげで出られたわ」
「いいえ。…それにしてもあの人達、すごく失礼です。それにいきなり聖女だなんて、一体何なんでしょう」
おそらく異世界転移というやつだろうが、純粋な目でこちらを見る新奈に、杏菜は思わず口を閉ざした。
ひとまずこの嫌な地下牢から出られた事に、杏菜は安堵していた。
あの2人の笑みの理由や、思っている以上にあの2人が狡猾で残酷な者である事など、杏菜はまだ分かっていない。
これから自分の身に起こる事も。
不吉の魔女は黒獅子に囚われる 雪月香絵 @mizuki_kae
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。不吉の魔女は黒獅子に囚われるの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます