不吉の魔女は黒獅子に囚われる

雪月香絵

Episode1




「やったぞ!!」

「聖女様だ!!!」

「我々の努力が実ったんだ!」


 人々の歓声。

 怪しく光る魔法陣。

 清らかすぎるくらいの薬草の匂い。

 目にしたこともない異国の景色。

 私はこれが何か知っている。これは異世界の聖女を召喚するための儀式だ。

 小説や漫画やアニメで見た、あの始まりのシーン。

 異世界の者が、なんらかの理由で聖女と呼ばれる者を魔法陣で召喚する。そして聖女は手厚く歓迎されるのだ。

 まさかその光景を自分の目で見て、体験する羽目になるとは夢にも思わなかった。いや、夢には思ったことは正直あるが。



「聖女よ。貴女がやってくるのを待っていた」


 近付いてくる1人の男性。周りの人達が頭を下げているあたり、高価な身分の方なのだろう。

 まるで物語の王子様のような、美しい男性。その彼の手が嬉しそうに差し伸べられる。


「あの、ここは一体」


 私ではなく、隣にいた見知らぬ女性に。


「ここはモナルス。神を信仰する、崇高なる国です」

「モナルス…?」

「そして貴女は我々がまた求めていた方だ、聖女よ」

「聖女って言われても」


 そう言って、困ったように、縋るように彼女は私を見た。

その顔立ちは日本人のようだが、淡いキャラメル色の瞳と髪は日本人離れしている。おまけに。


(すごく可愛い)


 まるでお姫様のように可愛い彼女の視線は、私の言葉を待っているかのように動かない。

 なんとも困った事に、それをよく思わない様子の周りの人たちは、蚊帳の外であった私に向かって恐ろしい目を向け出す。先程までの歓迎ムードはどこへ行ったのだ。


「ところで貴様は何者だ」


 隣の彼女にそれはそれはにこやかに声をかけていた男性は、まるで害虫でも見るような目つきで、こちらに向かって吐き捨てるように言った。


「な、何者と言われても」


 あなた達こそ何者なんだ。





*****





 時は遡る事、少し前。

 手を差し伸べられて、いなかった方の女性。

 名前は笠原かさはら杏菜あんな。年齢は28歳。

 叔父が経営している飲食店で働いている、ごく普通の人物だ。


「あー、疲れた」


 季節は夏。気温は暑く、学校の長期休みの影響か、今日はすごく店が混んでいた。

 後片付けに追われて、帰る頃には外は真っ暗だ。ジメジメとした空気が、疲れた身体にまとわりつく。

 疲れから悲鳴をあげる身体。重く苦しい肩を押さえながら、とぼとぼと歩いていた。


「叔父さん、身内だからって片付け全部私に押し付けて…」


 経営者として、従業員に無理させられないのは分かる。だからといって私の事も大事にして欲しいものだ、と杏菜は思う。

 別に意地悪をされているわけではない。むしろ色々と助けてもらっている。他の従業員に頼みづらい事も、自身には頼みやすいことを分かっている。

 今日のように、片付けを引き受けて遅くなる事もよくある事だった。

 

 彼女の両親は、杏菜が16の時に交通事故でこの世を去った。

 それ以来、母の兄であった叔父が面倒を見てくれている。

 高校を卒業させてもらい、それ以来ずっと叔父の店で働いている。

 だからこそ、杏菜は叔父の頼みには弱かった。


「早く帰って、ご飯食べよう」


 幸いにも明日は休み。

 ご飯を食べて、お風呂に入って、思う存分夜更かしするんだ、と杏菜は心躍っていた。


「この間のアニメ、一気観しよう」


 大好きなアニメを観て、現実逃避しよう。

 そう思い、杏菜は帰路を思わず急ぐ。




「だ、誰か!!」


 家への道を駆け出そうとしたその時だった。

 前方にある狭い路地の方から声がする。おまけになぜか光っているではないか。


「な、なに?」

「誰か助けて!!」


 緊急性を要するであろうその悲鳴に、杏菜は見て見ぬ振りなど出来ず、急いで声の方へと駆け出した。

 道を曲がり、狭い路地の方へ入ると、杏菜はその光景に目を疑う。

 地面から女の子が生えている。正確には地面に大きな光り輝く魔法陣。そこに彼女は飲み込まれていた。


「え?なに?どういうことなの!?」

「お姉さん!!お願いします、助けてください!!」


 女の子は杏菜の姿を見て、必死に助けを求めた。

 だが助けるといったって、どうしたらいいのか。こんな得体の知れないもの、そしてこの状況。

 理解できないこの状況に玲奈は混乱したが、悩んでいる暇はない。とりあえず、必死に自分に助けを求めている女の子の腕を掴み引っ張る。

 しかしびくともしない。それどころか腕を掴んだ杏菜ごと、その奇妙な魔法陣の方へと引き摺り込まれていく。


「くっ…」

「助けて!!」


 少しずつ、少しずつ、2人は引き摺り込まれる。

 それに対抗するように腕を引っ張るがやはりなんの意味もない。それどころか、強く引いているおかげで、女の子は苦痛に顔を歪めていた。

 その顔に、杏菜は思わず手の力を緩めてしまう。


「あ…!!」


 それが悪かったのか。いや時間の問題だっただろう。

 夏の夜、杏菜と女の子の抵抗虚しく、こうして2人はこの奇妙な魔法陣に飲み込まれてしまった。




 と、こうして冒頭に戻るわけだが。

 この状況をどうするべきか、と杏菜は頭を悩ませる。どう見ても歓迎ムードではない。


「ここへ召喚したのはこの聖女様ただ1人だ。貴様、さっさと何者か答えよ」

「何者か、と言われましても」


 先ほどから杏菜を睨みつけている男を後押しするかのように、その後ろから年配のローブを被った男が冷たい声で言う。

 だが何度問われようとも、答えようがない。

 名乗ったところで意味などないだろうし、何者か、と言われても何者と答えればいいのだろうか。


「答えられないのか」


 男は怪しく鼻で笑った。


「キリアン殿下。この者もしや魔物では」


 な、なに、魔物だと!?

 杏菜はその言葉に驚き、目を見開く。

 なぜそんな風に思われなくては行けないんだ。どこからどう見てもただの人間だろう。

 そもそも魔物とはなんだ。そんなものが存在する世界なの?

 杏菜はあまりの現実味のなさに気が遠くなるようだった。


「たしかにこの黒髪。不吉の象徴だな」


 キリアンと呼ばれた男は、杏菜の長い黒髪を睨みつけ、嫌悪の表情を浮かべた。

 日本人であれば黒髪など当たり前だ。けれど彼らの反応を見る限り、ここではどうやら黒髪というのは良くないものらしい。

 周りを見渡すが、黒髪の者など1人もいない。


「この者を牢へと閉じ込めよ!」

「え!ちょ、ちょっと待ってください!!」


 わけも分からないうちに、キリアンは兵達に命令を出す。

 もちろん杏菜はそれに対抗すべく声を上げるが、誰も聞いてくれやしない。それどころか乱暴に兵達は杏菜の身体を拘束する。


「いかなる理由でこの場に現れたかは分からないが、貴様が得体の知れない存在なのは間違いない。このままここにいられては、聖女に危害を加えるかもしれんからな」

「そんな!!私、そんな事しません!」


 なんという言いがかりだ。

 巻き込まれたとはいえ、そもそもここへ召喚したのはそちらだろう。


「はっ。口ではなんとでも言えよう。貴様の身の潔白など証明する方法などない。それにたとえ証明できたとしても、その不吉の象徴。この国に存在する事を許すわけにはいかないな」

「どうか話を聞いてください!私は巻き込まれただけで」

「何をしている。さっさと連れて行け」

「お願いします!話を」


 兵達はキリアンの合図で、拘束した杏菜を無理矢理連れて行こうとする。

 必死に対抗するが、大人の男達(しかも屈強な)相手に、杏菜の細腕ではどうにも出来るわけがない。

 なんとか誤解を解こうと声を上げるが、誰1人話を聞くそぶりすらしてくれはしなかった。


 少し離れたところで、ローブを着た者達に囲まれながら、心配そうに、そして何か言いたげに、先ほどの女の子は杏菜を見ていた。

 きっと助けたくとも、誤解を解こうにも、あんな顔をした者達に囲まれていれば、出来ないのだろう。

 杏菜も状況を理解し、目の前の出来事にすっかり怯え切っている女の子に、声をかける事はしなかった。


(仲間だと思われれば、あの子にも危害が加わるかもしれない)


 それは避けなければ。

 今は自分の事だけ心配するべきだというのに、杏菜は名も知らぬ女の子の心配をしてしまう。

 彼女を助けるために動いたというのに、自分だけ拘束され牢に入れられる事になってしまった。お人好しにも程がある。


 見知らぬ世界。話を聞かない人々。妖しげな魔法陣。人々の歓声を浴びる聖女。

 一体どうしてこんな事になってしまったのか。

 杏菜は自身を拘束する無機質な甲冑の音に怯えながら、煌びやかな城の中とは正反対の、暗く湿った地下牢へと連れていかれてしまった。

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