彼女の幻に縋る
海沈生物
第1話
『貴女の愛って、なんていうか……"薄暗い"んだよね』
『なんか、"気持ち悪い"というか……』
『だから、ごめん』
夕焼け照らすベッドの上。首筋の二連星みたいなホクロが特徴的な女は、私の愛を否定した。ヘラヘラと曖昧に笑いながら、五人目の恋人は私の下を去った。これから沈みゆく斜陽の光の中に取り残された私はただ、自己憐憫と自己嫌悪の間で声にならない声を上げる。
『どうして、また振られたのか?』
『私が悪かったのか? 私はちゃんと彼女に愛を与えていたのに』
『"薄暗い"なんて曖昧な言葉で私を否定して、傷つけて、なんて酷い奴なのか!』
私はただ、毎日の朝と夜に「愛してると送ってほしい」と頼んだだけだ。
私はただ、眠れない深夜に「一緒にリスカしてほしい」と頼んだだけだ。
私はただ、別れ話の夕方に「それなら、殺してほしい」と頼んだだけだ。
それなのに、どうして彼女は私の「愛」に応えてくれなかったのだろうか。
それなのに、どうして彼女は私に「愛」を返してくれなかったのだろうか。
皮膚を掻き、掻いて、血が出るほど搔いて。狂いかけの精神を、枕元にある小瓶の
けれど、そんなモノで誤魔化しても、いつかその精神が針を刺した風船みたいに破裂することは目に見えている。斜陽に照らされた私は、掻いた皮膚からの出血で血に染まったシーツをギュッと掴みながら、ふと窓の外を見上げる。
―――――やっほー。
その刹那、私の目の前に「彼女」が現れた。それは私がこんな酷い姿になった全ての元凶、私の一人目の恋人。そして、私を置いて一人で高校の屋上から飛び降りて死んだ、もうこの世に存在しないはずの、白い髪の彼女の姿があった。
高校生の癖に髪を白く染め、よく生徒指導部の教師から「染め直せ」と注意されていた。その度に隣に立つ私の背中に隠れて「わー! 助けて、バル子ー!」と助けを求めてきた。薄い制服越しに感じる、ギュッと握られた彼女の指先の感触。細くて、脆くて、でも優しくて。まるで全てを茜色に染める午後六時の夕日みたいに、私という存在を優しく包み込んでくれた。
彼女の存在が全てだった。そんな彼女が、私を置いて一人孤独に死した彼女が、また目の前に現れた。そのことは、私の心を……彼女の死から死に続けていた私の心を蘇らせた。それはまさに神の所業であり、彼女の真っ白な素足が私のゴミだらけの部屋に足を踏み入れた瞬間、思わず一筋の涙をこぼした。
―――――やだなぁ。涙なんて流さないでよ。
彼女は私の頬を流れる涙を右手の人差し指で拭うと、代わりにそっと頬にキスをしてきた。唇と唇が触れるようなものでもない、ただの挨拶みたいなキスだ。それなのに、そのキスは私の脳をドロドロに溶かした。思考の全てが彼女というものにジャックされ、彼女以外を考えられなくなった。
―――――ふふっ。頬のキスだけで頭がおかしくなっちゃうバル子、かわいいね。
彼女の微笑みは、彼女の死から私が今まで感じてきたあらゆる感情が……いや、人生そのものが、どれだけ無意味なものであったのかを理解させた。彼女の微笑みが、かわいいと言ってくれた事実が、全てが、他者からの「愛」に飢えていた私の心を優しく満たした。もう息が止まってしまいそうだった。彼女の愛のためなら今すぐに頸動脈を切り裂いて死んでも良い、とすら思った。
―――――でも、ごめんね。
―――――全部、嘘だから。
彼女は微笑をやめると、静かに目が虚ろになる。そのまま、彼女はゴミまみれの部屋の中に倒れ込む。思わず私が駆け寄ると、彼女の白い髪が灰色に染まっていることに気づく。違う、私が、いや、染まらないで。白いままでいて。どうにかゴミの中から彼女を抱き上げたが、まるで最初からそうであったかのように、彼女の身体は灰燼に帰してしまう。
―――――それじゃあ、またね。
どこかから聞こえてくる彼女の声に、まるで親を求める子のように掠れた声を上げる。
斜陽はすっかり地平線の下に消え、空には黄金色の半月が上がりはじめている。電気が付いていない薄暗い部屋の中で、私はまた、枕元にある
彼女の幻に縋る 海沈生物 @sweetmaron1
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