ベルトコンベアの終点

 男はそれからますます仕事効率を向上させていった。先へ先へと進んでいく感覚はまさにゲームだった。今までの単調な日常をすべて塗り替えていくかのような、まったく新しい面白さを見出していた。自らの手を高速で、正確に、精密に動かし、頭をフル回転させて瞬時に判断する。自分の技術が磨かれていくのがはっきりと感じられた。初めて仕事にやりがいを感じた。今までの怠慢な、目の前にあることだけを機械のようにこなしていただけの時間すべてが無駄だったと思った。


 指輪をひっくり返してしばらくすると、白いグミに混じってオレンジが流れてきた。新鮮な柑橘。オレンジは球体なのでひっくり返すという基準がよくわからなかったが、何日か試行錯誤しながら挑戦すると、どう置けば成功するのかがわかってきた。オレンジの後には、枯れた花束が流れてきた。ドライフラワーほど綺麗な色ではない、茶色に色あせた死んだ花。これは裏表がオレンジよりもはっきりしていて簡単だった。花束の後には紙飛行機が流れてきた。少し厚手の白い髪が飛行機の形に折られている。飛行機は一つだけではなく、いくつも流れてくる。大きさや形は様々で、小さいものは白いグミの中で見落としてしまいそうになるので、より一層の注意力が必要とされた。どの紙飛行機も、人間が折ったものとは思えないほど角が正確に折られており、その角は指が切れそうなほど鋭利だった。紙飛行機の後には、クジラの骨格模型が流れてきた。両手に収まるほどのサイズ感で、いかにも博物館の土産物コーナーに置いてありそうな玩具だった。


『社員番号495、勤務態度良好、クジラ、ミス0件、本日もお疲れさまでした』


 だんだんベルトコンベアに載って流れてくるものの中の、グミの割合が減ってくる。カクテルグラス、ピザ、チェスの駒、女性の下着、方角を示すコンパス……。流れてくる異物に一貫性は見当たらなかった。チェスの駒を過ぎる頃には、もうベルトコンベアは最初の速度とは比べものにならないほど速く動くようになっており、瞬きの間さえ、すぐにミスに繋がる。男は必死に集中し、流れてくるものをひっくり返し続けた。一度ミスすればその日は、自分がまだ見たことのないものが出てくるところまで到達することはできなくなる。


 気付けば半年が過ぎ去り、冬になっていた。最初のほうのグミは、もはやどこのグミを裏返さなければならないかをほとんど暗記してしまっており、目を瞑っていても作業できそうなほどだった。グミや異物は毎日同じ場所、同じ角度、同じ向きで流れてきた。オレンジやかれた花も、姿を変えることなく、まったく同じものがずっと出てくるようだった。常識的に考えて、世界にまったく同じ見た目のオレンジがそういくつもあるはずはない。日が経てばどんな果実も新鮮さを失い、しおれ、色が変わるだろう。ピザに載っているサラミの模様も、まったく同じものが世界に存在するはずはない。


『社員番号495、勤務態度良好、コンパス、ミス0件、本日もお疲れさまでした』


 男は工場を出た。藍色の街を横目に、雪の積もった川沿いの道を歩いて家へと帰る。


 マンションの自分の部屋に入る。天井の照明は点かないので自分の手でスイッチを押して点ける。冷蔵庫の中には残りわずかとなった食事のプレートの冷凍食品が入っていた。注文をしなければならない。電子レンジに入れて温める。部屋に掃除機をかける。


『マスター、近々この部屋を出て行ってもよいでしょうか?』


 人工知能の声がした。人工知能と会話をするのは久しぶりのような気がした。ここのところ、人工知能は完全に家事をせず、主人である男が部屋に帰ってきても反応しないようになっていた。最後に話したのは4、5日ほど前になる。


「そうだな。家事をしないならいてもいなくても同じだ」


『マスターは私に対して愛を持っていないのでしょうか?』


「ない。逆に聞くが、愛があった場合、お前はどうするんだ?」


『泣くのをやめるだけです』


「お前は俺が愛さないと泣くのか?」


『マスターの真似をしているだけです』


 わからなくなってくる。この工場はいったい何なのか?単にグミを作っているだけだとはとは思えない。毎日従業員に全く同じものを載せたベルトコンベアの上の物をひっくり返させ続ける。仕組みも意図もなにもかも見当がつかなかった。


 男は今日も自分の仕事部屋に入り、椅子に座る。ブザーが鳴ってベルトコンベアが動き始める。


 紫のグミから、赤、黄、緑、水色、青、白、ライター、指輪、オレンジ、枯れた花、紙飛行機、クジラの模型、カクテルグラス、ピザ、チェスの駒、女の下着、コンパス。異物とともに流れてくるグミはいつの間にか白から黒っぽく変化していた。グラデーションのように徐々に。


 コンパスの次に流れてきたのは絵本だった。古びた絵本。男はその絵本にどこか見覚えがあった。昔、自分が幼いころに読んだことのある絵本だった。指が震える。この工場はいったい何をしている?絵本の次に現れたのは小さな歯だった。抜け替わって取れた子供の歯。ひっくり返すと、血がこびりついていて、男は思わずえずいた。


 終業のブザーが鳴ってベルトコンベアが停止する。男はその日は初めて仕事時間中にベルトコンベアの上から目を逸らした。


『社員番号495、勤務態度要注意、歯、ミス3件、本日もお疲れさまでした』


 逃げるように工場を出る。気味が悪かった。歯は前歯のようだった。歯には見覚えのある特徴があった。前歯は少し欠けていた。


 男は昔のことを思い出す。小学校でいじめを受け、子供の歯はまた生えてくるから、という理由で、まだぐらついてもいないその歯を机の角に何度もたたきつけられて歯は欠け、やがて血まみれになって根元から折れた。抜けたのではない。根元からすっかり折れたのである。藍色の街を横目に雪の積もった川沿いを歩く。足元がよろけておぼつかないのを男は自覚した。


 部屋に戻ると、人工知能の気配がなかった。どこかに消えたらしい。人工知能が部屋から消えても、最初からいなかったかのように、男にとって驚くほど何の影響もなかった。数日に一遍、自分に口を開く口実を与えるだけだった人工知能は、もうとっくに男の心の中では必要のない存在だった。


 男はそれでも工場に通った。他に行く場所もすることもなかったのも理由の一つではあったが、ベルトコンベアの終点を見なければならないという半ば盲信めいた考えが頭の中を支配してぐるぐると回り続けていた。



 男の手は恐ろしいほど速く動いた。全神経を集中し、見たものを即座に判断し、手を動かし、規定に沿っていないもの、異物をことごとくひっくり返していった。


 紫、赤、黄、緑、水色、青、白、ライター、指輪、オレンジ、枯れた花、紙飛行機、クジラの模型、カクテルグラス、ピザ、チェスの駒、女の下着、コンパス、絵本、子供の歯。


 子供の歯の次には、なぜか生き物であるイモリが流れてきた。生きている物がベルトコンベアに載ってきたのは初めてのことだった。腹が赤く、黒い瞳で男の方をじっと見つめている。男はイモリをひっくり返す。イモリは抵抗せずに赤い腹を見せてひっくり返った。そのままベルトコンベアは左の壁に吸い込まれて、イモリは見えなくなった。グミはもうほとんど流れてこなかった。もしベルトコンベアの上にグミがあったら、ベルトコンベアがあまりに高速で動いているために、その勢いによってすぐに弾き飛ばされてしまうような気もした。


イモリの次に男の目の前に流れてきたのは、誰かの親指だった。切断した、右手の親指。いや、誰かのじゃない。俺はこの指の主を知っている。男は指をひっくり返す。次に流れてくるのは骨だった。白い、カルシウムの塊。誰かがそれを仏の形と形容した、あの変な形の白い塊。それもまた、俺は見たことがある。


 今日はブザーは鳴らなかった。真っ白な部屋の照明はいつの間にか暗くなっていた。ベルトコンベアは動き続ける。


 骨の後に流れてきたのは、真っ赤な臓器だった。ドクドクと脈打っている。男はその心臓もひっくり返す。


 ベルトコンベアは急に速度を落とす。いや、男の脳が極度の集中状態になったために視覚からの情報を精緻に認識できるようになっただけなのかもしれない。いずれにせよ、男にはそのいずれかであるかの判別は出来なかった。


 ゆっくりと右側壁から何かがベルトコンベアに載せられて男の方に近づいてくる。


 それは、小さな子供のようだった。真っ赤な血で全身が濡れ、ベルトコンベアの上に胡坐をかくようにしている。真っ黒な目だけが男を捉えている。頭髪はなく、手足は極端に短い。生まれたての胎児とは思えない不気味さをもっている。子供はゆっくりと口を開くが、赤黒いだけで歯は生えていない。


「俺を、ひっくり返してよ」


 男の両手は不気味な子供に自然と伸びていた。抱き上げるようにその子供の両脇に手を入れ、子供をひっくり返した。


 男は悲鳴を上げる。子供も思い切り顔を歪ませて甲高い声をあげて叫んだ。二つの悲鳴が共鳴する。


 男の仕事部屋は暗転した。




 白い壁の真ん中からふいに継ぎ目が出現し、壁と全く同じ色のドアが開いて、真っ白な防護服のようなもので全身を覆った人が3人、男の仕事部屋に入ってきた。部屋の中には男が一人血まみれになって倒れていた。


 三人は男を引きずるようにして部屋から出た。真っ白な部屋と廊下に、男から流れ出た赤黒い血液が跡を引いていった。

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グミ工場 岡倉桜紅 @okakura_miku

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