第43話 炎上秘話
小学生の頃、小波は公園で男の子と出会った。
二人きりの内緒の関係……それが姉である七海に知られてしまったのは、偶然じゃない。
小波が、自分の代わりに七海を行かせたからである。
そもそもの話……だ。
小波と七海がツキナミとして交代制でなければ鉄矢に会いに行けなかった。
やむを得ない事情があったのだ。
小波の母親は、持病で身体が弱く、父親も幼い頃から母親の治療費を稼ぐため、会社を大きくしようと奮起していた。
その結果、家には小波と七海、そして動けない母親の三人暮らしが常だった。
忙しい父親の代わりに、姉妹の片方は母親の世話をしなければならない。
家には小波か七海の一方が残らなければならず、鉄矢と遊ぶ時間が心の拠り所になっていく。
二人の毎日は孤独で、それでも二人とも鉄矢に会いに行く事はできなかった。
だから小波と七海は、お互いに妥協して――鉄矢と出会う時間を分かち合うことにしたのだ。
姉妹らしい絆だけが、そこにあった。
そのうちに鉄矢は引っ越してしまい、母親は病気に耐えられず他界し、いつも忙しい父親が成功した頃にはすべてが手遅れだった。
父親と同じ男性に苦手意識を拗らせ、小波は親戚である志乃の家を頼った。
なので小波にとって――志乃は七海の次に信頼できる家族なのである。
***
小波は憂鬱とした心情のまま、週末を迎えた。
「独学と答えたのは間違いだったのでしょうか」
鉄矢に対して吐いた嘘。
誰かに教わっていたと言えば、指導はその人にお願いすればいいと言われてしまうかもしれない。
小波は、どうしても鉄矢に教えてもらいたくて、咄嗟に嘘を吐いてしまった。
イラストレーターとしての師弟関係こそが、共有する秘密としてそれだけ魅力的に感じたから。
しかし鉄矢も恐らくはプロレベルのイラストレーター。
それこそ『徹夜狂い』以上ともなれば、それは確定している。
鉄矢の意見は厳しくても、貴重なアドバイスに他ならない。
言うまでもない。小波は甘えていたのだ。
幼馴染だから、鉄矢ならば自分のイラストを褒めてくれるのだろうと、信じて疑わなかった。
それも……今までで最も自信のあったイラストだったから。
まさか、そこまで欠点だらけのイラストだとは未だに思っていない。
小波だって二年も描いている。鉄矢に否定されたショックは大きいし、納得がいかない。
「このままでは、いけませんもの……」
結論は出ない。
ならば他人に聞くほかないだろうと、小波は志乃を呼び出すことにした。
***
「最近はもぅ行かなくなったけど、生活大丈夫?」
町から2駅離れたところの喫茶店で、小波は彼女と待ち合わせした。
女子大生、
特に要件を話さず呼び出してしまった為か、今の生活について新お会いされてしまっただろうか。
「えぇ、お陰様で……不自由ないですわよ」
「それは何より」
馴染みのない喫茶店のコーヒーも、中々味が悪くない。
小波はあまりコーヒーの豆に拘ったこともなかったが、気分転換がてら色んな豆を買ってもいいのかもしれないと思わされた。
「で~? 片方だけでお姉さんを呼び出したってことは、もう片方の件について?」
「わたしとお姉ちゃんをワンセットにしないでくださいな」
小波と七海がツキナミとして二人一役だったのは、鉄矢に対してのみだ。
とはいえ今までも何度か……特に学校では美人姉妹として知られている。
だから、いつもは気にしないのだが、今日の小波は……なぜか嫌な気分になった。
「実は、ある人にイラストのアドバイスを頂いたんです」
「でも小波は納得いかなかったと」
「……はい」
小波だって鉄矢を嫌いになった訳じゃない。
だとしても、それなりに信念がある。
この描き方を教えてくれた志乃なら、小波は共感してくれると思った。
「なんて言われたの?」
「えっと……あの『森乃忍』さんってイラストレーター知っていますか?」
「うん、私がそうだからね」
「はい?」
「前のコミケでは、売り子に任せていたからね。でも同業と遠くから観察はしていたんだよ。小波も来てくれたよね」
そんな話、SNSにも呟いていない。
すなわち、今この瞬間に証言までしてみせた。
信じられない小波は、理解してすぐに志乃をキッと睨む。
それはそうだろう。
彼女が森乃忍ならば、小波のオリジナリティのない描き方は、志乃の所為に他ならないのだから。
「大方、森乃忍のコピーだと思われたんでしょ? だろうねって感じはするよ」
「どうして――」
「私のせいだと思わないでよ? そもそも小波、暇つぶしにSNSのフォロワーがほしかっただけじゃん。そんな絵に熱心だったっけ? 違うでしょ」
「…………」
実際、その通りだ。
小波はイラストを上手くなりたいだなんて思って描き始めた訳じゃない。そう思い始めたのは、コスプレを始めて、『徹夜狂い』を知ってからだった。
その時点で志乃にその気持ちを伝えなかったのは、小波自身に問題があったとも言える。
「私は私の絵柄が一番……っていうと語弊があるけど、私のできる一番だから、弟子の小波にも同じようなものを描いてほしかっただけだよ」
「それだけ……なんですか?」
自分と同じ絵柄を教えるということは、態々ライバルを増やすような行為だ。
すなわち、志乃は最初から小波に才能がなくて、自分を越えられないと高を括られていたことになる。
「あとは――徹夜狂い先生の布教の為かな。コスプレを勧めたのも、元々その為だしね」
「どういうことですか?」
「さあ、どういうことだろうね」
何故かはぐらかす志乃。
小波は段々、志乃のことがわからなくなる。
信じていた鉄矢には、アドバイスでキツイ指摘をされ、信じていた志乃にも、相談をしてキツイ正論を言われる……小波の心は沈んだ。
「でもまあ、意味もなく徹夜狂い先生の名前なんて出してないよ。――似ているんだよ。今の状況は、昔……彼が炎上した件と」
「今、徹夜狂い先生のこと――『彼』って言いました? 志乃さん、知っているんですの?」
「……勝手に男だと思っているだけだよ。で、知りたくないの? 徹夜狂い先生のこと」
不敵な笑みを浮かべる志乃。
小波は彼女が知っていると確信すると共に、本当にこのまま相談を続けていいのかわからなくなる。
小波だって徹夜狂いの炎上と聞いて気にならない訳がない。
今、唯一小波の心の支えになっているのが、徹夜狂いの存在なのだから。
志乃のいいように誘導されているようだ。
「そんなの、もちろんお聞きしたいですわよ」
「トレパクのようにとても疎まれる行為ではないけど、徹夜狂い先生も昔そういった類のトラブルに巻き込まれたことがあるんだよ」
「徹夜狂い先生が?」
「彼の後発で、似たような絵柄の絵描きが出たんだ。ペンネームは『夜乃梟』」
その名前は小波も知っていた。
昔、一世を風靡した伝説となっているイラストレーターその一人である。
「幾ら『夜乃梟』が後発でもね。影響力がすべてなんだよ。当時では徹夜狂い先生もあまり有名じゃなかったしね。ついつい、『夜乃梟』の下位互換やら劣化版と蔑まれるようになっちゃったんだよ。ね? 影響力って大事なんだよ」
それはあんまりなことだ。
しかし、今の話を小波も理解した。
志乃がフォロワー稼ぎに最適な絵の描き方を教えてくれたのは、そういった事件があったからなのだろうと。
――だが、志乃の話はそこで終わらない。
「徹夜狂い先生、挙句の果てには『夜乃梟』のパクリ扱いされちゃってね。極めつけに真似るのならAI学習したイラストの方がマシだとまで罵詈雑言を浴びせられて、界隈ではちょっと話題になったんだよ」
そんな悲劇があったなんて、小波は知らなかった。
今の業界よりも殺伐としている。
昔、まだ法整備がされていなかった頃の話。
画像生成AIの普及しだした時の界隈は荒れていたと噂されていたが、そこまでだとは小波も思っていなかった。
「彼の場合は、仲の良いイラストレーターも何人かいたから、きちんと弁明することで、アンチも抗議の姿勢を崩したんだけどね。けど一時期は休止することになって、折角完成したイラストの投稿をやめたりしたらしいよ。彼も人間だし、自信作をアンチに良いように言われても困るからね。私も彼のファンとしては、キツかったなぁ」
やはり志乃も徹夜狂い先生のファンだったのかと、小波は納得する。
ここまで詳しいとなれば、昔からのファンでしかない。
とはいえ、森乃忍が徹夜狂い先生のファンだなんて話は聞いたことがない。
「あれ、『夜乃梟』は――それが原因で消えたってことですか?」
「察しがいいね。最終的に割と食ったのは、『夜乃梟』だったよ」
――当然の報いだ。
そう小波は思った。
とはいえ今の小波だって、傍から見ればそういう立場にいる。
「あろうことか、彼女は自分が『徹夜狂い』のファンで、真似たことを自白した。『夜乃梟』というペンネームさえ『徹夜狂い』すなわち『夜更かし』の英訳『night owl』が由来だったことまで暴かれちゃって――アカウントを消して、界隈からは消えたんだ」
小波はいつ、『森乃忍』のパクリ扱いされて、消え去ることになってもおかしくない。
恐らく鉄矢もその歴史を知っていたから、厳しいアドバイスを小波にしたのだ。
「でも実は、その後に別の名前で復帰しているんだ。さて、ここで問題……『梟』って他に何て言われるか知ってる?」
「え――っ、それって……」
唖然とした。
小波だって馬鹿じゃない。
梟の別称は「森の哲学者」或いは――。
「……森の忍者」
「うん。そうして私は『森乃忍』としてやり直したの」
合点がいった。
森乃忍が徹夜狂いのファンである事を隠した理由。
彼女が一番だと思っていた絵柄を、彼女は二度と描くことが許されない。
それでいて、やけに徹夜狂いに詳しいことを考慮すると、納得するしかなかった。
「正直、小波が上手くなりたいだなんて思っているとはね。最初はただ趣味がほしかっただけなのに、ハマっちゃったんだね。……ごめんね、気付いてあげられなくて」
「いえ、わたしが話すべきでした」
その点に関しては完全に小波の自業自得である。
志乃が最初に厳しいことを言ったことにも、小波はようやく納得して、未熟だった自分を恥じた。
「つまり、小波は私と同じ状況ってわけだ。イチから始めるっていうのは悪いことじゃないよ」
「志乃さんは――辛くなかったんですか? 培ったものが、全部無駄になって」
「……まさか。無駄なことなんてないよ。だからゼロからじゃなくて、イチからなんだよ?」
前例は目の前にいる。
他ならぬイチからやり直した森乃忍がそう言うならば、と小波は励まされた。
「例えば小波の場合は目を惹きつける構図を描くのが上手いしね」
「それが、わたしの強みなのでしょうか」
「でもそれはより奥行や空間を感じさせる背景技術も必要だし……だから活かすにはゼロからやり直すっていうのが一番楽なんだよ。きっと徹夜狂い先生はそこに気付いていたんだ」
しかし、聞き逃せない言葉があった。
「――――え? 徹夜狂い先生?」
「やベ……」
明らかに動揺する志乃。
どういう意味だろうか……小波は混乱していた。
裏で、徹夜狂い先生が今の話を聞いている?
しかし、真実は――小波の予想外のものだった。
「実はね、小波がアドバイスを貰ったある人って、徹夜狂い先生なんだよ。私、裏で相談受けてて……色紙式部から相談を受けたって言うから」
「はい? え、えっ!? ちょっと待ってください。わたし、てっちゃんに自分が『色紙式部』だなんて教えたことなんて――」
「それは前に私が裏で教えたんだよ。多分、絵柄で気付いたんじゃないかな」
小波は絶句した。
色紙式部として、始めてのコスプレ投稿と共に、徹夜狂いに認知されるのはイラストをもっと上手くなってからという呟きがあった。
恐らく、志乃がまともに確認していないのである。
それよりも――。
「し、志乃さん? やっぱり徹夜狂い先生と蜜月な関係で――」
「まっずぅ……私、墓穴掘った?」
「はい。掘りましたわね。どれだけ隠し事しているんですの!?」
その後、小波は根掘り葉掘り、志乃から聞き出した。
まさか鉄矢が徹夜狂いだとは知らなかったが、あまりにも他に驚くことが多すぎた。
とはいえ、後からその真実を振り返ってみれば、小波の胸はとても熱くなる。
好きな男が、憧れのその人だったのだから。
「他に隠していることなんて、ありませんわね?」
「は、腹を割って話したって……やめてよ、お姉さんこれでもミステリアスな感じでいきたかったのに」
「墓穴を掘ったのは志乃さんですわよ」
「ふぁあい、その通りだよぅ」
「お姉ちゃんの真似しても、わたしは絆されませんよ」
浮かない気持ちは何処へやら。
小波は不敵な顔で志乃を揶揄いながら、コーヒーを嗜んだ。
小波は志乃に、相談したことを口止めした。
ここからは自分で向き合うべきだと知ったから。
――イラストレーターとしても、恋する乙女としても。
耐え抜いて、その末に理想を叶えて見せるのだと、小波は決心した。
男友達だと思っていた幼馴染と再会したら、二人一役の美人姉妹だった話 佳奈星 (Kopfkino.) @natuki_akino
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