喉に絡みつくのは彼女の言葉

「そろそろ僕、出かけるけど、君は?」

僕はこの発言が「解散」を意味することを分かっている。この発言は明日の朝にでも言うべきであることも知っている。しかし、彼女が布団を出て、支度を始め、さっさとこの部屋から消えることを僕は期待している。”彼女”たちと過ごすのは短時間であればあるだけいい。長く過ごし、煩わしさが生じたら、いま得ている満足や感動を失ってしまう。「ここは僕の家だからさっさと出ていけ、お前とはここで終わりだ」そう直接言わないのは最低限の礼儀だ。

「こんな夜更けにどこいくの?なんて聞かない。私たちはそんな間柄じゃないもの。でしょ?」

彼女がこもった声で言う。やはり彼女は……。

「そうだね」

口の中に甘くて苦い香りが充満する。

「私、夜は嫌いなの」

お互いに陰部も性感帯も晒しあったが、彼女の口から好みや主義主張の話を聞くのは初めてだった。僕はギョッとした。聞きたくない。女の心の内など明かされても、良いことは何もないのだから。僕の中の逃走本能という汗が噴きだした。

「何もかもを飲み込んでくれる気がして飛び込んでも、真っ黒な底に体全体がぶつかっちゃうから。その点、布団は―」

そこまで言うと、彼女が布団をバッと翻した。内心、ホコリが舞うのでやめて欲しかった。

「布団は真っ白で柔らかく受け止めてくれるか」

我ながら語彙力がない返答だ。彼女と言葉がハモった瞬間の心地よさに負けないように耐えたが、一秒考えて、0.1秒でやめた。それぐらいで十分な気がした。今の発言から彼女と僕が同類である可能性が高まったが、事後だし、僕の”嗅覚”が間違うわけがないので考えるのをやめた。僕はいろいろな事を止めてばかりだ。

「私、朝までいてもいい?」

非常識な発言だ。

「構わないよ、金目のもんは何も無いし」

「人を泥棒扱いすんな、でも確かに物少ないよね。独房みたい」

「してないよ、というか言葉のだろ」

僕は早急に会話のシャッターを閉めると脱ぎ捨ててあるシャツを拾った。初々しいカップルのイチャイチャなど興味がない。女の柔軟剤の香りが少しした。それをかき消すように残りのハチミツを喉に流し込み、ゴミ箱に捨て、

「じゃあ。鍵ここに置いとくから。もう会うことはないと思うけど。じゃあ、鍵は路地裏のゴミ箱にでも捨てといて」

「そんな不用心でいいの?」

「大丈夫。その鍵、なんでか不思議と僕のところに帰ってくるんだ」

そう言って、背中で彼女の視線を感じながら玄関に向かう。

「ふーん、ファンタジーだね」

その言葉を幾度となく聞いた気がした。僕は急につまらなくなって早々と靴を履き、ドアノブを捻る。

「溺れるのは苦くて辛いけど、甘くてたまらないわね」

僕は振り返らなった。いつだって別れ際に聞こえる幻聴だったから。そして、いつだって僕はこう返す。

「」


彼女はハチミツが好きだった。喉に絡みついて苦しくて、今にも死んでしまいそうなのに、やめられないと笑っていた。ある日、火遊びは遊びだから成り立っていることを知らされた僕たちは、今日も遊ぶ。自分の身一つを持って。あの海の冷たさを忘れないために。

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Honey Sucide~ハチミツ心中~ 千代田 白緋 @shirohi

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