永遠に手を伸ばす

夢月七海

永遠に手を伸ばす


 第一印象は、折れそうなくらいに線が細い男、というものだった。


「初めまして。これからよろしくお願いします」


 こけた頬が動いて、型通りの挨拶をするのを、俺は戸惑い気味に受け止めた。


「まあ、そう硬くならずに。俺の方が先輩だけど、この職場は二人きりなんだから、敬語とか気遣いとか、息苦しいだけなんだしさ」

「そうです……そうだね、ごめん」


 納得しつつもやはりぎこちない笑みで、彼が返す。

 互いに名乗った後、俺が簡単な経歴を話して、次は彼の番となった。こんな所に就職してくるなんて、訳あり以外はありえないのだが、彼の説明は予想以上のものだった。


 彼が子供の頃、家族と共に大型宇宙船に乗って渡航中、小型の無人ロケットに突っ込まれた。そのロケットが核爆弾を積んでいたため、それらが炸裂し、宇宙船はバラバラになってしまった。

 奇跡的に、彼は非常時用の宇宙服を着こんでいたため無事だったが、彼以外の家族は死亡、他の乗客や乗務員も、殆どが亡くなった。そして、助かった彼自身も、放射線の影響による発病で、長年苦しめられることになった。


「だけど、その治療も数か月前に辞めたんだ。間もなく、僕の寿命も尽きると思う。そのための最後の地として、ここを選んだんだよ」

「ここが最後の地、ねぇ……」


 俺とさほど年が変わらない若者の彼が、何をどう考えて、延命治療を辞めたのかは分からない。ただ俺にも理解できるのは、終の棲家として、ここがぴったりだという事だけ。

 風の影響だけで動き続けるこの飛行船から、窓の外を見れば、映像ではない、本物の海、本物の水平線、そして、本物の夕日が見える。俺たちがいるのは、百年前に人類が捨てた、地球そのものだった。


 同じ景色を見ている彼が、感嘆の息を吐き、俺にもこんな時期があったなと、妙に可笑しくなった。






   ◆






「毎日毎日、よく飽きないな、お前は」

「そう? 飽きてしまえるのが、不思議に感じるんだけど」


 鑑賞していた動画が終わったので、彼の方に目を移すと、床の透過モニターを通して、南大陸のサバンナの様子を観察していた。野牛の群れが太い帯のように、どこまでも連なっているだけなのに。

 彼がこの仕事について、半年以上が過ぎた。地球の生活にもすっかり慣れているのに、自然の変化は彼を捉えて離さないらしい。


「ここって、昔は地雷ヶ原だったんだね」

「ああ。ここまで回復したのは、二十年くらい前か」


 エアタブレットで、百年前の動画と比較しながら、彼が話しかけてくる。俺も、就任した頃はもう回復しきっていたので、かつての赤い地面が剥き出しな状態が信じられなかった。


 度重なる世界大戦とそれ以前から進行していた環境汚染によって、人類はこれ以上地球で暮らすことが出来ないと判断。例外なく、全ての人間が、テラフォーミングされた他の惑星らに住居を移したのが、百年以上も昔のことだ。

 それでも、人類がいつか地球に戻ってこれるようにと、人工衛星による監視と陸・海・空それぞれのドローンが爆発物と放射線の除去作業を行っていた。作業は順調だったが、やはり人間による管理が必要だと、最初の人類代表である俺が派遣されたのが、つい数年前のことである。


「そういえば、君はどうしてこの仕事に就いたのかい?」

「どでかいミスをしたことによる左遷だ」

「ええ? 信じられないな。こんなに贅沢な仕事なのに」


 振り返った彼はご丁寧に顔を顰めるが、俺はこの仕事の本当の大変さを知らないのだなと、苦笑してしまう。俺の仕事は、故障したドローンの回収と修理だが、そんなことはめったに起きないので、正直毎日が暇だ。しかし、この「暇」が強敵だったのだ。

 地球の上で独りぼっちという事実は、知らず知らずに俺を孤独感に追い込んでいた。何か別のことに集中していても、一人しかいない寂しさが、影のようについて回る。AIも話し相手にはならず、鬱の初期症状が出始めたので、上層部がやっと慌てて、もう一人の同僚をあてがってくれた。


 ただ、彼がそのことを知らないし、想像もしていないだろう。俺と彼との距離感は微妙で、同じ食卓を囲むことも、話しかけることも滅多にない。同居人よりも、同僚という感覚は今も変わらない。

 とはいえ、彼がいてくれて助かっている部分はある。同じ空間に、自分以外の人間が呼吸している、ただそれだけで、俺のストレス数値はかなり減少していた。社会性はとても大切だと、学校の教師が俺に言い聞かせていた言葉を、今やっと理解できた。


 俺が黙っていたので、また下を眺めていた彼が、「あっ」と身を乗り出す。なんだろうと視線を辿ると、野牛の一頭が、獅子の群れに追いかけられている瞬間だった。

 野牛は命が掛かっているので、一生懸命に逃げる。だが、獅子も同じことなので、チームワークを駆使し、野牛を追い詰めていく。そして、一頭の獅子が野牛に飛び掛かり、首筋に嚙みついた……その一部始終を、歩いて追いながら見ていた彼は、溜息を吐いた。


「あの野牛に同情しているのか?」

「違うよ。ただ、生きているんだなって思って」

「当然だろ。野牛も、獅子も、生きている」


 多数の獅子に、首以外も噛まれていたが、野牛は倒れたままの足を蹴るようにもがいていた。その瞬間も、飛行船は流れていき、視界から外れていく。

 他の野牛は、それには構わずに、どこかへと進んでいた。血管の中を流れる赤血球のように見える。


「生きるということは、永遠に手を伸ばすようなことかもしれない」


 彼が唐突にそう言いだして、俺は眉を顰めた。振り返った彼は、真実を得た満足感もこちらを啓蒙するような傲慢さもなく、ただどこか寂しそうに笑う。


「地球上のどの生き物も、明日死ぬなんて、考えていないだよね。だから、毎日が命懸けで、届かないはずの永遠を求めている、ように僕には見えるよ」

「そりゃ、捕食者も非捕食者も、死にたいとは思わないだろ」

「地球自体もそうかもね。ここの地雷も除去したのはドローンだけどさ、草は勝手に生えてきたんでしょ? まだ、終わりたくないって、動き続けているから、回復が進んでいるのかも」

「人類だってそうだぞ。滅びそうなことを何度もしでかしているくせに、宇宙進出なんかして、未だにあがいている」

「そうだね、みんな、みんな永遠を欲しがっている」


 そう言い切る彼が、悟った顔をしているのは、もう自分は永遠に手を伸ばすことを諦めてしまったからだろう。


「僕は、今ここで、死んでしまってもいいのだけど」


 それを裏付けるかのように、彼は続けた。彼の選択に、とやかく口を出さないで見守ると、最初に決めていたはずなのに、俺は初めて胸が痛んだ。


「……まだ見てないところ、あるだろ? その後でも、いいんじゃないか?」

「そうだねぇ。南極とかかな」

「南極はすごいぞ。人鳥ペンギンがうじゃうじゃいる。ちょっと引くくらいに」

「そんなに?」


 おどけて言ってみると、彼が笑ってくれたのが、唯一の救いだった。






   ◆






 ……ここ数日、彼に元気がない。体中のあちこちに、筋肉や内臓を動かすための注射を打ち、神経を活性化させる薬を山ほど飲んでいる。

 いよいよか。そう感じていたものの、彼は直接口にはしない。そのため、健康チェックを終えた彼が、「あと一時間」と告げられた瞬間は、こちらの心臓が止まるほど驚いた。


「どこへ行きたい?」


 動揺を隠せないなりに尋ねてみると、彼は落ち着いていて、とある地名を告げた。


「僕の先祖が、大戦よりも昔に暮らしていた場所なんだ」


 彼らしい選択を叶えるために、小型機に二人乗り込み、目的地を入力した。自動運転中、俺は防護服に袖を通していたが、彼は何もせず、ただ窓の外を眺めている。

 辿り着いたのは、四方を山に囲まれた、標高の高い広場だった。草木は青々と茂っているが、人工物は何もない。かつては小さな村があったらしいが、ロボットによって人工物は全て解体されていた。


 飛行船内と変わらない、ラフな格好のまま、彼は土を踏む。こちらからは背中しか見えないが、大きく肩が上下しているのを見ると、深呼吸しているのだろう。

 俺の方は、防護服をしっかり着たままだ。特別仕様なので、吹いてくる風や漂ってくる匂いや降り注ぐ太陽の温度も内側で再現できているが、絶対に脱ぐことはできない。ここには細菌兵器が巻かれていて、目に入ると二十四時間後には失明してしまうからだ。


「資料で何度も見たし、飛行船の上からも確認したけれど、ここに人が住んでいたなんて、いまだに信じられないよ」

「ただ、ここも人間が汚してしまったけどな」


 振り返った彼が感激した様子で言うが、俺は少々冷淡に返した。ここが綺麗なままだったら、俺も彼と同じものを感じながら歩いていたのにという、悔しさからくるものだった。

 上層部から、彼は一度だけ防護服なしで地球に降りる許可を得ていた。そして、自分の好きな場所で骨を埋める許可も。残された時間がごく僅かだというのに、彼は気の向くままにずんずんと歩いて行って、俺は明日の朝も寝起きの彼と挨拶を交わすのではないかと錯覚する。


「まさか、季節が一周するまで、生きれるとは思わなかった」

「注射や薬のおかげじゃないか?」

「あれに延命の効果はないよ。実際の治療は、身体への負担が大きくて、副作用のせいで動けなくなるくらいだから」

「今の自分に、後悔はないんだな」

「もちろんだよ」


 振り返った彼が笑う。頭上で広がる青空のように、曇り一つない眩しさで。

 俺は、彼こそが太陽そのものであるかのように目を細める。彼に対する後悔が黒く渦巻くのに、本音は結局言えない。


「楽しかったんだ。この一年間、生きているって感覚がして」

「そうか。良かったな」

「でも、君はどうだったの? 僕にずっと付き合わされてしまったのだけど」

「そんなことあるか」


 はっきりと、否定の言葉が強く出た。子供っぽく怒り出した俺を、彼は目を丸くして眺めている。


「誰かと暮らすのが、心地良いと感じたのは、お前だったからだ」

「そっか。僕も嬉しいよ。君と一緒にいれて良かった」


 屈託なく笑う彼を、強く抱きしめたかったのに、躊躇した。自分の力で、彼が崩れてしまう瞬間を想像してしまう。

 その後も、時々話しながら、広場をぐるぐる歩いていたが、彼が急に「休憩したい」と言ってその場に座り込んだ。俺も隣に腰を下ろす。


「風が光って、流れていくようだ」


 山を見ていた彼がぽつんと呟くと、そのまま仰向けになる。眠る直前のうとうとした顔を、俺は見下ろしていた。


「君、酷い顔だよ」


 ヘルメットを透過状態にしているので、夢見心地の彼がそう指摘して笑った。俺も笑い返そうとするが、口元が引き攣るだけだ。


「……最後に、一つ、本音を言ってもいい?」

「ああ」

「すごく卑怯だけどね、」


 完全に目をつぶった彼が、ぼそぼそと語りかける。よく聞こうと、顔をより近づけた。


「僕は、もうちょっと生きたかったよ」


 俺は、咄嗟に草の上に置かれていた、彼の手を握った。弱々しくも確かに力はあったが、糸が切れたかのように、それはふっと抜けていった。


「……俺も、お前ともっと生きたかった」


 直後、やっと俺の本音が言えた。彼以上に卑怯なことをしていると自覚し、自嘲したくなるが、やはり上手くいかない。

 彼の掌の熱が、永遠に残るようにと、俺は手を握り続けていた。





















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