第18話


 ◇ ◇ ◇ 二〇五二年 七月 四日 午後八時 一三分


 俺達が館に帰る頃には、夜中の八時を回っていた。

 本来ならば部屋に戻るか夕飯の時間だが、今日はまだ夕飯を食べていない。

 ツクモちゃんを誘って、リコちゃんとの不仲を解消する為だ。

 俺達は館で電気が付いていた事務室、昼間揉めていた部屋へ向かった。

「ツクモさん。まだ怒ってるかな……」

 向かう廊下の途中、リコちゃんが不安げな表情を浮かべる。

 雛鳥が親鳥についていく様に、俺のYシャツの裾を掴みっぱなしだ。

「俺が話すよ。あの子も真面目なだけだから、仲直りできるさ」

「う、うん。ですよねっ」

 気休めにリコちゃんは頷き、手を握り締めて気合いを入れた。

 心配だが緊張して喋れないよりはマシだろうと放置している。

 だが……俺の忍者感覚が、館の階段を上る途中で異変を察知。

 部屋の中から怒鳴り声と破砕音が聞こえたのだ。

「ハジメさん、あのっ今日は、「ちょっと待ってくれ」……ふぇ?」

 リコちゃんを止めて、彼女を部屋の扉脇に下がらせる。

 俺は壁に体を貼り付き、手首のスナップでドアノブを捻って開けた。

「そんな筈はない。キィはアポを取っていた……あぁ、切るな!」

 ツクモちゃんの怒鳴り声が、扉から俺達の鼓膜に飛び込む。

 俺が中を覗くと、ツクモちゃんが虚空に向かって怒鳴っていた。

 彼女は続いて机上に置かれた事務用品を掴み、地面に叩きつける。

「今しがた戻ったよ。ツクモちゃんはどうしたんだい?」

 ツクモちゃんは普段からは程遠い、様々な感情を表情に滲ませている。

 クールな顔立ちを歪め、大慌てで事情を吐き散らした。

「二人とも一緒……キィは二人と一緒じゃないのか?」

 俺とリコちゃんは顔を見合わせる。

 ツクモちゃんは俺達が何も知らないと知ると、わなわなと震えだした。

「一緒も何も、今日は話し合いに行くって話じゃないか」

「……連絡が何も来ないんだ」

 ツクモちゃんが声に怒りを滲ませて、状況を教えてくれた。

 キィ社長が敵地に行くという事で付けていた、発信器が途絶えて定時連絡もない。

 仕方なく黒羊社の本社に連絡を取ったが、キィは来ていない事になっていた。

 当然だがそんな筈はない。発信器が途絶えたのは本社内部なのだから。

「だからボクが護衛に必要なんだ。黒柳が逆上する可能性だってあるのに」

 ツクモちゃんが親指を噛みながら呟く名字に、俺の背筋に鳥肌が立った。

 目眩にも似た寒気が、体幹を崩して足場が崩れた様に錯覚する。

「待って、今なんて?」

「ハジメさん? 顔色が」

 リコちゃんが何か言っているが、そんな事はどうでも良い。

 脳裏にフラッシュバックするのは、大事に育てた後輩に裏切られた記憶。

 俺の後釜に座る為に、裏工作を行った黒柳の姿だ。

「黒羊社のボスは黒柳・楓。陰気なウニ頭の若造だ」

 ツクモちゃんの口から出た名前に、やはり身に覚えがあった。

 俺は全てを失った記憶に蓋をして、最善の行動を示す。

「彼なら逆上して、人質をすぐに殺す事はない。すぐ社長を奪還しよう」

 提案を聞いたツクモちゃんは、目に力が宿り表情に怒りが滲ませる。

 彼女の右腕がブレると俺の首を掴み、細くて鋼鉄の如く硬い五指が締め上げた!

「何を知ってる。吐けっ!」

「ぐぇぅっ!?」

 万力が如き。そう形容する他ない人外の握力が、喉に負荷をかける。

 小指で重機と力比べが出来る俺を苦しめられるのだから、とんでもない筋力だ。

 ツクモちゃんは俺をスパイだと思ったのか、何も考えていないのか。

 何にせよ、ここで俺が出来る事は少なかった。

「か、彼は。俺の嘗ての部下だ」

「何……? お前ェッ!」

 怒りと締め上げる力に、ツクモの額に汗が浮かんで輝く。

 だが俺はそれ以上に汗を掻いている。苦しすぎて息も吐けない。

 リコちゃんが悲鳴をあげ、俺を助けようとするが片手で制する。

 ツクモちゃんに必要なのは、情報と俺が仲間であると告げる事だ。

「忍者の手管はぁ、易々とは変わらなっい。彼は臆病で慎重な性格だから……」

「だからまだ生きてる筈だと?」

 酸素が断たれながら頷く。肯定するのも限界だった。

 血流が首で停まって、脳が徐々に動かなくなる。

 俺の視界に黒い花が咲いて意識が薄れ……リコちゃんの叫びで解放された。

「止めてっ!」

 肉体は回復し意識は冴え渡るが、肌に染みついた赤い手の跡が残る。

 気づけば俺達の間にリコちゃんが割って入り、背に庇ってくれていた。

「昔の知り合いだから何ですかっ!? ハジメさんは仲間でしょ!」

 リコちゃんの上ずった声が部屋に響く。普段は大人しい彼女の険しさに驚いた。

 彼女は俺の首に浮かぶ赤い腫れを撫でながら、元凶であるツクモちゃんを睨む。

 ツクモちゃんもそんなリコちゃんを見て、眉を顰めている。

 俺はこのままじゃいけないと、咳をしながら更に情報を吐いた。

「彼は政府公認の忍者で公権力を持つ。でも慎重だから殺すのは最後の手段だ」

 ツクモちゃんの鋭い視線が俺を貫く。その目は完全に敵を見る目だった。

 だが彼女に聞く耳があるならば、言わないといけない。

 彼を最も知る人間は、嘗ての上司であり師匠だった俺である。

 情報を共有せずに、ツクモちゃんが勝手に動けば事態は悪化するのは明白だ。

「数年前の彼なら、恐らく洗脳を施すだろう」

 だから時間がない。通常、洗脳は何週間もかかるが忍者は違う。

 インスタントな洗脳で良ければ、すぐにでも施せる。

「俺達で何とかしよう。今夜中にキィ社長を救出するんだ」

 俺の言葉に部屋が静寂に包まれた。

 ツクモちゃんはともかく、リコちゃんまで俺から視線を逸らす。

 その表情は怒りや不機嫌というよりも、不安で彩られていた。

「ボクはキィの護衛だ。あの子の指示ならともかく、お前は信用できない」

「そんな事言ってる場合じゃないだろっ!?」

 俺はツクモちゃんの戯言に驚く。

 彼女はキィちゃんを大事にしてる筈なのに、何を言い出すんだ?

 だが恐る恐る手をあげたリコちゃんの様子に、俺は俺自身の正気を疑う事になる。

「あ、あのリコも。キィちゃんの指示がないと、何もした事なくて……」

 ごめんなさい。と苦しそうなリコちゃんの指示待ち人間っぷりに、目眩を起こす。

 そのキィ社長を助けないといけないのに?

「……どうすりゃ良いんだ、俺は」

 どうにもならないので、一人残業する事になるとは思わなかった。

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サラリーシノビは裏切られる シロクジラ @sirokuzira1234

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