第17話


 ◇ ◇ ◇ 二〇五二年 七月 四日 午後七時 二九分


 キィはTOKYO駅前の高層ビル、ブラックゴートカンパニー本社に招かれた。

 正確には本社頂上階の社長室であったが、その内装は意外にも質素である。

 白い壁紙に、床には薄紫色のカーペット。

 家具はワインレッドのソファに、大理石のテーブルが一組。

 窓を背負うデスクには、パソコンと電話が置かれているだけだ。

「これが社長室ねぇ」

 香る薔薇の匂い。空調の良く効いた部屋。

 ソファは北米の最高級品だろうか。適度に形が変わり眠れる程に柔らかい。

「公安がバックについた組織はデカいわね」

 キィはソファに座りながら、視界に広がるTOKYOを眺める。

 その輝きは欲望の宝石だ。民衆の汗と金が注がれ、手に出来るのは金持ちだけ。

 胡乱げに見ていると、誰も居ない筈の部屋に声が響いた。

「そう嫌うなよ。こうみえて努力もしたんスから」

「っ!?」

 キィが弾ける様に振り返ると、背後に部屋の主と御付きの黒服が立っていた。

 部屋の主は黒いYシャツに赤いネクタイをした、ツンツン頭の二十代青年。

 目つきは悪く肌は青白い、太陽光を日常的に浴びてる姿ではない。

 分不相応な若さを持つ彼の名前は、黒柳・楓。黒羊社の社長だ。

「ご機嫌よう。何の事だか分かりませんわ」

「隠さなくて良いぜ。アンタにとっちゃ、ここはまだ敵地だからな」

 黒柳はキィの背後を過ぎると、対面に座り部下は背後に控える。

 キィは現われた二人組が、足音を立てない事を確認して表情を硬くした。

 黒柳は彼女にはお構いなしに、部下から差し出された水を飲む。

 暫く部屋には静寂が立ちこめるが、黒柳が切り出す。

「アンタらとは不幸な入れ違いがあった、俺の落ち度だ。すまなかったな」

 キィは黒羊社の襲撃した理由を知っている。

 彼らのシマであるTOKYOの裏社会秩序を引き締める為、見せしめにした。

 だが今ここで指摘した所で、良い結果は得られない。

「とんでもないですわ。ミスは誰にでもありますもの」

 笑顔で対応するキィだが、彼女を知る者が見れば眉を顰めただろう。

 天真爛漫な彼女とは似ても似つかぬ氷の微笑だ。

「ですが我が社が損害を受けたのも事実。補填はいただけますの?」

 黒柳が「あぁ」と心あらずに呟くと、取り出した小切手を机に置く。

 空白欄は一二桁。キィの頬が吊り上がった。

「今は何かと入り用だ。でもケチに思われたくないッス。詫びは改めて入れるよ」

 好きな金額を書いてくれ。キィは黒柳の補填に口元を強ばらせ痙攣させた。

 目の前の男がどういう存在か、再認識してしまったのだ。

「流石は世界経済を裏から牛耳る社会派ですね」

「金も権力も一箇所に集まるもんスよ。何もしなくてもね」

 言外に「これで頷かないなら潰す」そう脅しをかけられた。

 いや脅しですらない。黒柳の中では既に確定事項なのだろう。

 黒羊社が誇る対忍者傭兵を潰した、アウトレイジを見てもいない。

 ソレが国家予算が書ける小切手を渡しても尚、前金と言える資金力なのだ。

「勿論。我が社も一助になれれば良いですね?」

 キィの言葉で手打ちは済んだ。

 前哨戦は黒羊社が。後半戦はアウトレイジが。だが牙城は崩れず。

 キィは戯言を胸の内に秘めつつ、小切手にスラスラと金額を記入する。

「今回の件を貴貨にしたい。アンタの手も「借りる必要は無いヨ」……ッチ」

 黒柳が現われた時と同じだった。

 違いがあるとすれば、黒柳さえも顔を俯いたまま動けない事か。

 濃密な存在感が物理的な圧力を放つ。それだけの存在が現われたのだ。

「会長、いつの間に。ご趣味の時間では?」

「何を言う。可愛い義息子の顔を見に来たんじゃないカ」

 黒柳とは違う。足音を立てて歩く男をキィは知っている。

 黒羊社を一年で世界最大企業に変え、裏から世界を操る政治の黒幕。

 世界中の権力者を、一分でクビに出来る世界最大の影響力。

 黒羊社の真のトップにして……政治界の魔王。出雲・望だ。

「商談中ですから、歓談ならばまた後で」

「おいおい、酷い義息子だナ? 私は株主総会の会長だヨ」

 キィには出雲が白いスーツを纏うただの中年にしか見えなかった。

 だがその立ち姿は、不思議と惰性と不健康さを感じさせない。

 軽い足取りのせいか? 猛禽の如く鋭く沼の様に昏い瞳のせいか?

 それとも男が背負う権力の所為か。いいやギャングとしての直感が告げる。

 この出雲という男は自分を敵として睨み、殺意を向けているからだ!

「良く来たネ、アウトレイジ。それとも流石は根来衆のお姫様と言うべきか?」

「……ッ!」

 出雲が放った世間話に、若者達の顔色がガラリと変わる。

 黒柳はまさかという驚愕に染まり、キィは心臓を握られた様に青ざめた。

 出雲は愉快そうに、クツクツと笑いを転がす。

 そのまま腰を曲げ、俯いたキィの視界に顔をねじ込む。

「どうも。根来宗過激派と組んで、君の御父上。根来穏健派を潰した甲賀忍だヨ」

 出雲は悪意塗れの表情を浮かべ、肉のたっぷりついた頬を釣り上げる。

 キィは強張る顔を、痙攣せぬ様にするだけで精一杯だった。

「そんなホームレス姫様がこの場に、何で居るのかナ?」

「こちらも忍者を抑えたものですから……っ!?」

 キィは思わず口から飛び出した言葉に驚く。

 彼女の口から、言うつもりのない言葉が勝手に飛び出したのだ。

 誰がそんな事をさせたのか? 状況証拠は揃っている。

 本人もまた隠すつもりが無いらしく、出雲の口元が醜く歪ませた。

「甲賀忍法 宴傀儡」

 出雲の笑みが深まる度に、閉じたキィの唇が緩み……遂には秘密が。

 漏れる寸前、机が黒柳の拳で叩き割られた!

「そこまでだ会長……この人は俺の客ッスよ?」

 黒柳が怒りを滲ませ、床に突き刺さる大理石のテーブルを見つめてぼやいた。

 対する出雲は一撃を見ても、調子を崩さない。

「年寄りが昔の事を持ち出すな。アンタも甲賀忍の長なら、ドシっと構えてろよ」

 黙って下がれ。下町のギャングに怯えて俺に恥を掻かせるな。

 黒柳の怒りは空間を歪める熱量を発する。対する出雲は……溜息を吐くだけだ。

「やはりお前は先代程の、アイツの器じゃないネ」

 出雲の冷たい視線に黒柳の視線は怒りから殺意へ変わり、一瞬で気概は消沈した。

「この小娘は、お前が裏切った師匠。雑貨・一の新たな主だヨ」

 キィも黒柳も表情が凍り付く。

 理由は正反対とはいえ、二人とも反論する力を失っていた。

「『公安の閻魔』と呼ばれた奴をどこで拾っタ? まぁ奴を拾った理由は分かるヨ」

 その時になって初めて、出雲の素顔が表情に浮かぶ。

 恐怖と猜疑心に歪んだ、臆病者で武力行使を躊躇わない男の顔だ。

 出雲が指を鳴らすと、黒服に身を包んだ十名程が部屋に雪崩れ込む。

「連れて行け。厳重に穴一つない拘束室につれて行くんダ」

 現われた一団はキィの肩に触れると、立ち上がる事を促す。

 気の強い彼女は出雲の怪物が如き威圧感ならともかく、下郎に言う事は一つだ。

「触らないで。自分で歩けるわ」

 キィは十名以上に囲まれながら凜として立ち上がり、出口に向かう。

 反応が遅れた黒服達に、彼女は振り返ると不機嫌に咎めた。

「何をしてるの? 早く案内しなさいよ」

 リーマン気質な黒服達は、言い草に思わず頷き案内してしまう。

 出雲は部屋から立ち去る姿を見て、何処か楽しげに笑った。

「流石は甲賀忍者と渡り合った、根来衆頭領の娘だヨ。それに比べて……」

 出雲は背後で、ソファに座りながら呆然とする黒柳を見下す。

 その目も口元も雰囲気も、完全に興味はなかった。

「所詮は代替品カ」

 出雲はその言葉を最後に、部屋から去っていった。

 残された黒柳は虚ろな目で掌を見つめ、誰も見向きしない社長室で呆け続ける。

 背後に仕える黒服だけが、黒柳を哀れそうに見ていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る