第16話


 ◇ ◇ ◇ 二〇五二年 七月 四日 午後七時 八分


 日本最大の歓楽街、TOKYO歌舞伎町。

 客層を考えれば裏社会の人間が放っておかない街だ。

 ネオンが輝く店先で、女は薄着を纏い男は酒に溺れる。

 腐臭とアルコールが充満する町で、俺は治安が最も悪い路地裏から出た。

 一緒に居るのは昼間出会った傭兵の下忍。来た理由も仕事である。

「お互い、これからも仲良くしたいね」

「冗談言うなよ。アンタとは二度と会いたくねぇぜ」

 彼はフリーの忍であり、中忍以下の実力……通称を草と呼ばれる存在だ。

 強大な流派や派閥に属さぬ彼らにとって、格上との出会いは死を意味する。

 だが俺も抜け忍で立場は似たり寄ったりなんだ。喧嘩するより仲良くしたい。

「目的は分かった。俺は嗅ぎ回らない、組長から命令があれば相談する」

 表情の硬い彼に、俺は緊張を和らげようと微笑む。

「分かったよ。連絡方法は今日と一緒で良いかい?」

 それが良くなかったらしい。彼はぎょっとした顔で凍り付く。

 まるで怪物に捕まった、哀れな被害者の様に嘆願した。

「おいおい!? キャバクラのトイレでアンタを見た時は死ぬと思ったんだぜ!?」

「仕方ないだろう? 面子が命のヤクザの事務所に行けないよ」

 特に俺は本拠地まで忍び込んでいる。正面から現われたら交渉なんて出来ない。

 だから誰も居ないトイレで、誰にも見られない様に。実力差を教えただけだ。

 下手に実力差を見誤れて抗戦されるより、よっぽど紳士的だろう。

 俺の意見に彼はげっそりしてしまう。仕方なく提案を受け入れた。

「分かったよ。次は忍獣の伝達を送る」

「そうしてくれ。俺はこのBARに伝言送るから、定期的に見に来てくれ」

 それじゃぁ。とドライに別れを告げられる。

 俺は彼が人混みに紛れた瞬間、突風に浚われる様に消えるまで見守った。

 後は仲間と合流するだけだ。成人男性の歩速でも三分あれば着く。

「拙い。もう二十分だ。怒ってないと良いけど」

 辿り着いた場所は、寂れた賃貸駐車場だった。

 建物に囲まれた駐車場は灯りもなく、闇に染まる舗装は割れて客影もない。

 俺が乗ってきた白い営業車は、駐車した最奥に停車されていた。

 車内では……待たせていたリコちゃんは座席に体を預けて動かない。

「リコちゃんゴメン。待たせちゃった」

「……すぅ、ふぅ。すぅぅ」

 俺が車の扉を開けて声をかけると、リコちゃんは寝息を立てていた。

 車に乗り込みながら彼女の肩を揺さぶると、オシャレな服が揺れる。

 緑のカジュアルパーカーの下に、水色のキャミソールを併せた年頃の格好だ。

 下は短めのホットパンツで、白い素肌が若者らしい。

「寝てるのかい? そろそろ帰るよ、リコちゃん」

「ぅうんん。みゅぅ……」

 リコちゃんの鼻下まで伸ばした髪から、顔立ちが見え隠れする。

 幼げな表情に高い鼻立ち……外国人か。

「あれぇ? ハジメさん。あれれ、ふわっ!?」

 俺がリコちゃんの肩を揺らし、顔立ちを観察してると起きてしまった。

 彼女は驚いて慌てふためき、助手席の扉側に体を逃す。

「す、すみません! 寝ちゃってましたっ!!」

「いいや、俺こそごめんね。定時過ぎてるのに時間かけちゃって」

 俺が大丈夫だよと笑うと、リコちゃんも姿勢を正す。

 彼女には俺が出てる間、情報収集を頼んでいたのだが……寝てしまったか。

 午前中に魔法を使い、午後は取っ組み合ってたから疲れていたのだろう。

 俺の目線に気づいたリコちゃんは、あわあわしながら一台のタブレットを開く。

「調べ終わりました! 今度の情報はバッチリです!!」

「おぉ、それは良かったって、随分遅くなっちゃったな。ゴメンね」

 俺は帰路に着く事を告げる。既に時刻は夜だ。

 普段ならば館の自室に戻る頃合いである。

 リコちゃんをお叱りから逃す言い訳とはいえ、遅くなってしまった。

「君の用事がなければ、社宅に帰ろうか」

「い、いえ。リコも魔力がギリギリで、何も出来ません」

 俺は頷いて、駐車場から営業車を発進させる。

 駐車場から出て、TOKYOの夕方という帰宅ラッシュの列に混ざった。

 街中は七色のライトで彩られ、遠くには不夜城の高層ビルが立ち並ぶ。

 薄汚いシャンデリアを横目に、俺達は戦果について語り合った。

「ヤクザとコンタクトを取れた。悪い事にはならないと思う」

「リコはネットの掲示板から、取引する暴力団の噂を集めてました」

 彼女が調べたのは、昼間に手に入れた情報の売り先である。

 俺が調べるつもりだったが、ツクモちゃんから任せる様に言われたのだ。

 とはいえネットは広大である。噂話なんて魔術師とは畑違いだと思うが……。

「5メガバイト程見つけたので、後で確認して下さい」

「メガッ!?」

 メガバイト。パソコンのデータ量の事であり、1メガバイトは250万文字だ。

 忍者。特に情報収集に特化した者ならばできる。

 だが人間がたった一時間で出来るのか?

 俺が思わずリコちゃんを横目で見ると、彼女は何でもなさそうに続ける。

「リコ、ギャングのお仕事は何も知りませんけど。捜し物をするのは得意なんです」

「君の魔術って奴か。俺が聞いても良いかい?」

 リコちゃんは俺の興味津々な様子に、はにかみながら頷く。

 彼女は懐からスマホを取り出すと画面を俺に見せた。

 画面には円と歪んだ五芒星。円の内側に刻まれた文字は梵字かヘブライ文字か?

 彼女は魔方陣を突っつきながら、専門知識を呟きだす。

「リコはエルサレム系列の魔術師で……異世界から力を借りる事が出来るんです」

 キョドってた様子はどこへやら、専門用語を早口で延々と話す。

 俺には一割も理解出来ないが、妖術を使える存在と契約しているのは分かった。

「へぇ。噂には聞いてたけど、忍者以外でも異形と契約出来るんだ」

「……? は、はい。携帯に魔方陣を書いて、ネット上に悪魔を呼び出したんです」

 つまりネットに呼び出された悪魔が、掲示板から情報を集めてきたと。

 リコちゃんは今回喚んだ悪魔について話してくれるが、俺は別の事を考えていた。

「君が社長から大事に扱われる理由が分かるよ、凄い力だ」

 素直な賞賛だったのだが、リコちゃんの顔色が変わる。

 先程までの満面の笑みをどこへやら、嘘の様にしょぼくれてしまう。

「そんな事ないです。私は部外者ですから」

「ツクモちゃんに怒られた事を言ってるのかい?」

 リコちゃんがパーカーのフードを被り、表情を隠すと首を横に振る。

 根深い問題だが、新人の俺にとっては仲間に馴染むのは重要事項だ。

 彼女の愚痴に付き合い、仲良くなろうと試みる。

 忍者感覚でリコちゃんの心音を聞きながら、真意を問いただす。

 年若く夢見る女の子は、暫くして口を開いてくれた。

「キィさんとツクモさんは幼馴染みなんです。子供の頃から一緒で」

「あぁ。ツクモちゃんはキィ社長にべったりだよね」

 キィ社長はともかく、ツクモちゃんは随分ズブズブである。

 初対面でもキィ社長の心配で、頭がいっぱいだったらしい。

 俺が心辺りを言うと、リコちゃんの愚痴は加速する。

 同じ心情を持つ仲間には口が軽くなる。人間心理の一環だが溜まっていた様だ。

「いつもリコは三番目で……二人と仲良くても、三人揃うと話に混ざりづらくて」

「分かるよ。三人中二人が仲が良いと、遠慮しちゃうよね」

 大人しいリコちゃんは、独特の雰囲気を察して気後れするのだろう。

 愚痴は次第にヒートアップしていった。

 俺は相槌を打ちながら、反論はせずに努力を認めて非はないと宥めた。

 ドライブは二十分を超え、漸くTOKYO中心部から離れた所で話を締める。

「今は俺も居るし。何かあったら頼ってくれよ」

 おどけて言うと、リコちゃんは道に迷った子犬の様に上目使いで見つめてくる。

 愚痴を言う相手もなく、溜め込む毎日が終わるのだから必死なのだろう。

「でも……迷惑じゃないですか?」

「迷惑なんかじゃないよ! それとも俺じゃ力になれない?」

 窓から吹く風が俺の頬を撫でた時、リコちゃんの柔らかな甘い体臭が香る。

 俺の忍者感覚が彼女の体臭の変化を告げた。

 全身の緊張が弛緩へと変わり、顔を見なくても笑ってると分かる。

 続く彼女の言葉は、蜂蜜よりも蕩けた声音だった。

「リコも……ハジメさんが来てくれて嬉しいですから。お願いします」

 

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