反転

三鹿ショート

反転

 私と彼女が生活をしている地域は、治安が悪い。

 家の外から悲鳴が聞こえてくることは珍しいことではなく、前日に会話をした人間が翌日には死体として道路に転がっていることも不思議なことではない。

 そのような場所で生活をしている理由は、何もかもが安価だったからだ。

 実を言えばこのような場所で生活をしたくはないのだが、私の稼ぎ高を考えると仕方の無いことだったのである。

 だからこそ、私は彼女が他の人間たちから危害を加えられないように、細心の注意を払いながら日々を過ごしていた。

 その警戒が功を奏したのか、この場所で生活を開始してから数年が経過したが、今のところ、特段の問題は発生していない。


***


 利用することが多い飲食店へと向かうと、その場所は封鎖されていた。

 防護服を着用した人間たちが液体を散布していることから、身体に害を及ぼすようなものが確認されたのだろうか。

 そんなことを考えていると、翌日、この地域の人間たちが全て呼び出された。

 訳も分からずに彼女と共に公民館へと向かうと、既に行列が出来ていた。

 性質の悪い人間ばかりが集まっているものの騒ぎが起きていない理由は、行列を見守るように立っている防護服の人々が構えている武器のためだろう。

 徒に騒ぐべきではないと考えているのならば、やはり誰でも自身の生命は大事だということなのだろう。

 行列に先に待っていたのは、やはり防護服を着用した人間だった。

 何をするのかと問うたところ、この地域の人々に対して注射をするということだった。

 私が飲食店で目にした光景と関係があるらしいのだが、どのような害を持つ相手に対して備えるのかは、教えてくれなかった。

 だが、この地域に住む人々のために無償で注射をしてくれるとは、親切な話である。

 注射の影響で体調を崩す恐れがあると告げられていた通り、私と彼女は揃って寝込む羽目になった。

 しかし、これまで経験したことがないというほどではなかったため、それほど苦しむようなことはなく、数日後には体調が元に戻った。


***


 外の世界は、明らかに変化していた。

 塵が散乱していた道路は綺麗に片付き、道行く人々の表情は全て晴れやかである。

 悲鳴が聞こえてくることもなく、殴り合いをしているような人間も存在せず、笑顔で言葉を交わしているところを見ると、誰もが良い人間へと変貌したかのようだった。

 変化した人間の中には、彼女も含まれていた。

 これまでの彼女は私に対して愛情を示してくれていたが、それが過激になったのだ。

 煽情的な格好で迫ってくるようになり、私は毎日のように彼女と身体を重ねるようになっていた。

 平和な世界と化したことは喜ぶべきことなのだが、これまでと異なる呑気な人々を目にしているうちに、私は腹立たしさを覚えるようになった。

 何が原因で人々が変化したのかのは不明だが、これまで好き勝手に振る舞っていたにも関わらず、善人として生き始めることで、自身が犯してきた悪事が帳消しになると思っているのではないか。

 溜め込んだ怒りを発散しなければ精神衛生的に良くないと考えたために、先日まで他者の金銭を奪ってばかりだった人間を捕まえると、事情を訊ねた。

 彼は私が発する刺々しい言葉に不快感を示すこともなく、ただ申し訳なさそうな様子で、

「悪事を犯していた自分が間違っていたのだと気付いたのです。それらの罪が消えることはありませんが、同じような罪を犯さないために、せめて真面目に生きようと思ったのです」

 それは、嘘を吐いているわけではないような表情だった。

 思わず、私は彼を突き飛ばしてしまった。

 だが、彼は怒りを露わにすることなく、私に頭を下げると、その場を後にした。

 それから道行く人々を捕まえては同じような問いを発したが、いずれも同じような後悔の言葉ばかりを吐いた。

 あまりの気持ち悪さに、反吐が出そうだった。


***


 自宅に戻った私を迎えたのは、彼女と見知らぬ男性の二人だった。

 二人は私に向かって土下座をしながら、謝罪の言葉を吐いた。

 いわく、私という恋人が存在しながらも、彼女は隣の男性と愛し合っていたらしい。

 このまま黙っていることも出来たが、どうしても我慢することができなかったために謝罪をしたというわけだった。

 私に何をされたところで文句を言うことはできないと告げたため、その言葉通り、私は眼前の二人を殴り続けた。

 生命を奪ってしまう恐れもあったが、以前の私とは異なり、この行為には何の抵抗もなかった。

 これまで悪事を犯していた人間たちが普通の人間と化すというのならば、これまで真面目に生きていた私が悪事を働いたところで、誰も文句を言うことはできないはずである。

 男性の顔面を思い切り踏みつけながら、私はそのようなことを思った。


***


「どうやら、悪人を善人に変化させるという実験は、成功したようですね」

「喜ぶべきことです。失敗する恐れもありましたが、この地域の人々ならば、たとえその生命が失われたとしても、良い塵掃除になりますからね。さらに、成功したとなれば、善人ばかりが誕生するわけですから、この地域も生まれ変わることでしょう」

「しかし、もしも善人が存在していた場合は、どうなるのでしょうか。悪人へと変化してしまうのではないでしょうか」

「この地域に、そのような人間が存在しているわけがありません。もしも存在していたとすれば、数少ないために、駆除することは容易でしょう」

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反転 三鹿ショート @mijikashort

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