婚約解消に慣れきった令嬢が最後に選んだ相手

アソビのココロ

第1話

 記録、それはいつも儚い。

 しかしペネロペ・サッカレー伯爵令嬢の空前絶後の記録は、今後更新されることはないだろうと言われている。

 それは婚約回数と婚約解消回数だ。

 何と三桁を数え、朝・昼・晩と婚約者が異なる日すらあったと言う。


 ペネロペは貴族学院の卒業まで後一年を残す一七歳で、クセのない明るめのグレージュと儚げな美貌で知られている。

 『マドモアゼルバタフライ』の異名は蝶のように美しいという意味だけでなく、婚約と解消を繰り返す、つまり男から男に飛び移る蝶のようだ、と揶揄されているのだ。

 が、ペネロペの婚約と解消は父である伯爵エイブラムの意向であることは知られているので、その美貌と控えめな性格と優秀な学業成績から、婚約者あるいは婚約希望者が途絶えることはないのだった。


          ◇


 ――――――――――ペネロペ・サッカレー伯爵令嬢視点。


「旦那様にも困ったものですね」


 侍女ベラの言葉に頷かざるを得ません。

 お父様は各種の商売に関わり辣腕伯爵などと言われていますが、性急で強引なのです。

 わたくしの婚約を交渉のネタにするのが定番で、そのため婚約者がしょっちゅう変わります。


「婚約者の中には一度も会っていない方もおられるでしょう?」

「いますね。もう何人目の婚約者だかわかりませんわ」

「一三三人目ですわ」

「ベラったら、数えていたの?」

「違いますよ。新聞に載っているのです。ペネロペ様の婚約は世の関心事ですから」


 面白がられているだけではないですか。

 行儀がよろしくないとは思いますが、ため息が出ます。


「そんなことはないですよ。ペネロペ様は淑やかでお美しいですから、婚約相手が引きも切らないのです」


 いい方に考えればそうですね。

 どの道わたくしはサッカレー伯爵を継ぐ立場。

 いずこからか婿を迎えねばならないのは確定です。

 お父様には逆らえないのですから、前向きな姿勢がいいのかもしれません。


「ペネロペ様にとっても悪いことばかりではないでしょう?」

「勉強にはなりましたね」


 婚約相手やその家のことは知らねばなりませんから。

 婚約と解消を繰り返す内に、おそらく同年代の誰よりも国内の地理や産業、貴族の家系図に詳しくなったと思います。


 また相手のお名前を間違えないように一呼吸置いてから話すようにしています。

 そうしたところも奥ゆかしいと評価されているようです。


「何事も血肉になっているではありませんか」

「そう言われればそうですけれど」

「新聞は無責任なことを書くのが商売ですから、気になさらない方がいいですよ」


 新聞はまるでわたくしが殿方から殿方へと相手を気まぐれに変えるような書き方をしています。

 そんなのはもう全く気にしてはいないですけれども。


「でもベラはそんな新聞の売り上げに貢献しているのですよね」

「娯楽としては楽しめるのです」


 割り切った考え方ですこと。

 でも商売、売り上げと言えば……。


「お父様の事業は大丈夫なのでしょうかね?」

「えっ?」

「新聞にはその辺のことを書いてありませんか?」

「特筆すべきことは何も。気になることがあるのですか?」


 お父様も辣腕と呼ばれているくらいですからね。

 新聞に尻尾を掴ませることはないのでしょう。


「このところ、婚約解消~再婚約の間隔が短くなっている気がします」

「そういえば……。問題があるのですか?」

「食事の時に顔を合わせても、苛立って見えることが増えました。お父様の思惑通りに行っていないことがあるのだと思います」


 打開策を探しているのでしょう。

 それでわたくしの婚約と解消が繰り返されるというのは、納得しているわけではないです。

 ただわたくし自身がお父様の重要な手札であることは理解しておりますし、サッカレー伯爵家が大事なのはわたくしも同じ。


「お父様もわたくしに相談してくれればいいと思うのです」

「ペネロペ様は大変優秀ですけれども、旦那様はワンマンですからね」


 そう、お父様はワンマンなのです。

 家を思えばそれではいけないと考えないのでしょうか?


「今日は珍しく時間がおありになるのでしょう? どうされますか?」

「午後から天気が崩れますよ。家で大人しく刺繍でもしています」


          ◇


 ――――――――――ペネロペの父、エイブラム・サッカレー伯爵視点。


 くそっ、全てはあいつ、ウィンストン・テンプル商務大臣のせいだ。


『貴殿の強引な手法には中小の商家からかなり恨み言が聞こえておりましてね』

『だからどうした。俺はかなり国の財政には貢献しているはずだが?』

『税金に関してはそうですね』

『俺は少なくとも法に反した行いはしていない!』

『法に悖るかそうでないかは解釈の問題が大きいですよ。マクシミリアン殿をお呼びいたしましょうか?』

『くっ!』


 法学者のマクシミリアン殿は、平民出身でありながら陛下の相談役も務めている法の権威だ。

 まさかマクシミリアン殿にまで渡りを付けていたとは。

 裁判以上の決定的な引導になってしまうではないか。

 ウィンストンめ、俺に何の恨みがあるのだ!


 結局俺が隠居して全ての事業から手を引くことに同意せざるを得なかった。

 裏から指図すればいいだろうって?

 そんなにうまくいくものか。

 俺自身がサッカレー伯爵家の当主であったからこそ効果のあった手段が取れなくなるのだ。

 娘のペネロペを早急に仕上げねばならんが……。


「また縁談ですか?」

「ああ、これが最後だ」


 ペネロペが目を丸くしている。

 これまでかなりの婚約と解消を繰り返してきたからな。

 驚くのも無理はない。


「……どういうことかお聞かせ願ってよろしいですか?」

「もちろんだ。実は陰険な商務大臣ウィンストンのやつがな……」


 サッカレー伯爵家と子飼いの商会を守るために、俺が伯爵位を退くことが必須であることを手短に聞かせる。

 ペネロペはバカではないから、俺の言ってることの意味くらいはわかるだろう。


「……というわけだ」

「つまりお父様の行っていた事業と領政を継承できる方をわたくしの婿に、という考えでよろしいですか?」

「そうだ」


 ペネロペの理解度に満足する。

 領政はどうにでもなるが、事業はな。

 俺が裏から支えるにしても、今までほどの影響力は持ち得ない。

 商務省のチェックも入るだろうし。

 要するに誰が婿でも事業は縮小せざるを得ない。


「ではペネロペに婿を選んでもらおうか」


 自分の都合でペネロペを引きずり回してしまった自覚くらいはある。

 俺ももう、観念せざるを得ないのだ。

 最後くらいペネロペの希望を聞いてやりたい。


 小首を傾げるペネロペ。

 ああ、我が娘ながら美しい。

 そして淑女だ。

 連れ合いにと望む者が多かったのは、サッカレー伯爵家の婿という地位だけが理由ではなかったのがよくわかる。


 釣り書きを見比べていたペネロペが言う。


「……この中から選ばねばなりませんか?」

「む? どうしても夫としたい者がいるなら考慮するぞ」

「わたくし、お父様の事業を縮小せずにすむ婿は、一人しか心当たりがないのです」

「ほう?」


 事業規模を維持できる者がいると?

 それは興味があるな。


「そいつは今までペネロペの婚約者だったことがあるか?」

「ありませんね」

「ふむ、誰だ?」

「マーヴィン・テンプル様です」

「マーヴィン……」


 テンプルだと?

 商務大臣ウィンストンの次男か!


「ダメだダメだ!」

「何故ですの? 先方も伯爵家ですので家格はちょうどいいと思いますけれども」

「俺の敵だぞ!」

「敵ではありませんよ。大臣閣下は閣下のお仕事をしただけです。たまたまお父様の思惑とは合わなかったのかもしれないですけれども」

「仮にそうだとしても、ウィンストンのやつが次男を寄越すわけがないだろう!」

「そんなことはありませんよ」


 微笑むペネロペ。

 ……確かにペネロペの美しさなら、ウィンストンの息子を誑し込むことができるかもしれない。

 しかしその程度のやつに俺の事業を任せることはできない。


「いいですか? お父様」


 ペネロペの説明を聞いて驚愕した。

 可愛い顔をしてこんなことを考えていたのか。

 この才は間違いなく俺の娘だ。

 どうして今まで見抜けなかったか?

 いや、俺よりも遥かに……。


          ◇


 ――――――――――ウィンストン・テンプル商務大臣視点。


「旦那様。エイブラム・サッカレー伯爵とペネロペ嬢がおいでになりました」

「来ましたか。時間通りですね。通してください」


 私の休日を見計らってアポイントメントを取ってくるとは。

 エイブラムめ、意趣返しにせめて私を笑ってやろうという魂胆か。

 しかしペネロペ嬢を同伴するというのはよくわからない。


「よう、邪魔するぜ」

「失礼いたします」

「ああ、そちらにおかけください」


 おかしい。

 顔を合わす端から罵り散らすと思っていたエイブラムがきまり悪げだ。

 何故だ?

 ペネロペ嬢を同伴していることに関係があるのか?


「用件を伺いましょうか」

「用があるのは俺じゃねえんだ」

「は?」


 ……となると消去法でペネロペ嬢が私に用がある?

 何の?

 にっこり微笑むペネロペ嬢。

 美しいな。

 エイブラムの娘とは思えん。


「あー、俺が隠居するだろう?」

「それがサッカレー伯爵家にお咎めなしの条件ですからね」

「ペネロペ、ないしその婿殿が伯爵位を継ぐことになる」

「当たり前ではないですか」


 何を言っているんだ、エイブラムは。

 婿を紹介しろとでも言うのか?


「お前の次男のマーヴィン君がいいと、ペネロペが言うんだ」

「……は?」


 つまりマーヴィンを婿に?


「……私と貴殿とは敵同士だと認識していたんですがね」

「奇遇だな。俺もそう考えてた」


 面白くもなさそうにエイブラムが言う。

 そうだ、マーヴィンをペネロペ嬢の婿になんて、エイブラムのアイデアのはずがない。

 では本当にペネロペ嬢がマーヴィンを求めている?

 何ゆえに?

 そしてエイブラムも善しとしたからペネロペ嬢を連れて来たんだろう?

 サッパリわからない。


「ウィンストン、お前困ってるだろう?」

「……どうしてそう考えます?」

「はっ、とぼけ方が下手だぜ。まあ困ってるのはお互い様だから、ペネロペがテンプル家へ縁談を持っていけと言うんだ」


 わからなくはないな。

 マーヴィンはペネロペ嬢と学院では同級だったはずだ。

 マーヴィンが経営能力に優れていることも知っているのだろう。


 しかしペネロペ嬢が主導権を握っているらしいことに違和感はある。

 そして落ち目のサッカレー家と組んで、我がテンプル家に何の利がある?


「お前、宰相殿辺りから文句言われてるだろ?」

「……」


 憮然としていることが表情に出てしまっただろうか?

 エイブラムの口角がやや上がったのが忌々しい。


 私は正しいことをしたつもりだ。

 商道徳の乱れが目に余る事態になる前に、一度引き締めを行う必要があった。

 ある程度の爵位と派手な活動、エイブラムを見せしめに選んだことも間違ってるとは思っていない。


 が、エイブラムを沈黙させその商業活動を抑制してしまうと、三~五%の税収減になることが判明したのだ。

 それほどサッカレー伯爵家の影響は大きい。

 陛下は渋い顔をしているし宰相閣下は目を合わせてくれないし財務大臣はため息が多くなった。


 このままでは私自身が無能の烙印を押され、更迭されかねない。

 しかし対応策がない。

 今更エイブラムに頭を下げ処分を取り消しでもしたら、王国政府の権威が失墜してしまうから。

 エイブラムはこの八方塞がりの状況に気付き、私を笑いに来たのかと思っていたのだが?


「ペネロペが言うにはよ。マーヴィン君をうちに婿としてくれれば、サッカレー伯爵家の事業に商務大臣であるお前がお墨付きを出したのと一緒だ。俺が伯爵位を譲って引退しても、うちの商業活動が衰えることはねえ、とな」

「あっ!」


 その通りだ。

 税収も落ち込まない公算が高い。

 私とエイブラムが手を組むことなどあり得ないと思っていたから、完全に盲点だった。

 父親の活動の陰に隠れていたペネロペ嬢だが、これほどシャープな判断を下せるとは……。


「お前にとってもいい話だろ? 俺もお前と握手する羽目になるとは思わなかったが、従業員を解雇せざるを得なくなるのも辛いんでな」

「ウィンウィンですね。受け入れましょう」


 私にとってもしれっと挽回する絶好の機会だ。

 柔らかく微笑むペネロペ嬢には感謝に堪えない。


「マーヴィンを呼びましょう」


          ◇


 ――――――――――マーヴィン・テンプル伯爵令息視点。


 どうしたことだろう?

 『春風の君』とか、口さがない連中には『マドモアゼルバタフライ』なんて言われている、学院一の美少女ペネロペ嬢がボクの婚約者だって。

 こうして一緒にお茶しているのがウソみたいだ。


「マーヴィン様?」

「は、はい」

「これまであまり縁がなかったですけれども、これからよろしくお願いしますね」


 にこっと微笑みかけてくれるペネロペ嬢。

 うわああああああ!

 心臓に悪い!


「ペネロペ嬢はよかったんだろうか? その、ボクが婚約者で」


 事情は父から詳しく聞いている。

 ボクとペネロペ嬢の婚約は互いの家の事情が合致した、完全な政略だ。

 もちろんボクはペネロペ嬢が婚約者だなんて、天にも舞い上る心地だけれども!


「マーヴィン様が優秀なことはよく存じております。父のせいで申し訳ありませんでした。本当はこれまでもう少し話す機会があればよかったのですけれども」

「それは仕方のないことでしたね」


 互いの父が敵同士みたいな関係だったから。

 だからこそ今の状況が信じられない。


「私は以前からマーヴィン様が婿に来てくれたらいいなあ、と思っていたんです」

「えっ?」

「お父様は働き過ぎでしたから」


 やや目を伏せるペネロペ嬢。

 サッカレー伯爵家の跡継ぎであるペネロペ嬢のパートナーということは、明らかに政治力や経営力を必要とする。

 ……リップサービスばかりでもなさそうだな?

 ボクの文官的な能力を買ってくれていたみたいだ。


 ペネロペ嬢の婚約者が次から次へと変わっていたのは、提携先や協力相手の関係だけじゃない。

 その婚約者の能力に不足があって、当主のエイブラム殿を納得させられなかったことが大きな原因だろうと思っている。

 婚約させる前に見切ればいいのに、いや、その辺がエイブラム殿一流のやり方なんだろうな。


 あれっ? じゃあ政略だからと胡坐をかいていると、ボクもいつクビになってもおかしくないということか。

 気を引き締めないと。


「わたくしもマーヴィン様がよかったものですから、普段あまり使わない知恵を使ってしまいました」


 淑女らしくもなくぺろっと舌を出す仕草が絶妙に可愛い!

 尊過ぎる!


 普段あまり使わない知恵だなんて。

 ペネロペ嬢の成績がいいことは知っているよ。

 父もその采配に感心していたくらいだし。


「ペネロペ嬢は今までたくさんの婚約と解消を繰り返してきたみたいだけれど……」


 あっ、ペネロペ嬢の侍女の顔が強張った!

 こんな話題出すつもりなかったけど、テンパったんだよお!

 ペネロペ嬢みたいな美少女と話す経験なんてなかったんだから。


「そうですね。お相手様の人間関係や家領のことは調べるでしょう? おかげでとっても詳しくなりました」

「なるほど。ペネロペ嬢が賢いわけだ」

「恐れ入ります」


 よ、よかった。

 何でもない風に流してくれた。

 場数が違うからかなあ?

 全然敵わない。


「ふふっ、マーヴィン様と話すと緊張しますね」


 嬉しいことを言ってくれるけど、これもペネロペ嬢の人心掌握術なのかな?

 ペネロペ嬢ほど聡明で社交の経験を積んでいる令嬢だったら、誰が婿となってもうまくやっていけたんじゃないか?

 エイブラム殿が伯爵位を降りるとサッカレー伯爵家の影響力が低下するという観測があったようだけど、ボクは必ずしもそうとは思わない。

 ペネロペ嬢が台頭しただけだったんじゃないか?


 そうか、ボクはそんなペネロペ嬢に選ばれたのか。

 おまけに父の立場の危ういところも救ってもらって。

 ボクには借りがある。


「ボク、頑張ります」

「お互いに」


 お互いにと言われても、どう考えたってボクに足りないものが多過ぎるだろ。

 幸い父もエイブラム殿も頼りになる人だ。

 鍛えてもらおう。


「ハーブティーの甘苦い風味が好きです」

「そうだね」


 この瞬間の甘さだけを感じてちゃいけない。

 ペネロペ嬢と視線が合い、微笑み合う。

 賢く美しい目の前の人を支えていくことを、密かに誓う。

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