後始末と大島とポイント集め
「ま、というのが顛末ですよ」
「ふむ、盗み聞いた内容と相違ないな」
材木問屋、八屋惣八郎の材木小屋での一件の翌日、大島平左衛門は我が家、つまりはいせかひ屋までやってきて、律儀に報告を聞きに来た。呼びつければいいものを、こういうところが人たらしなんだよなぁ、この侍は。
とは言え、ハナの機嫌は治っていないのだけどね。
「まさか、捨て置くわけではないですよね、大島様」
「ハナ殿、恐ろしい目で睨まないでくれ」
「あら、恐ろしく見えるのは心にやましさがあるからでは?」
「ったく、かなわねぇな」
当たり前だ、俺だって敵わないのだから。
なんてことはどうでも良く、ハナでなくとも俺としても、尻の据え方次第によっては大島に一言二言恨み言でも言いたい気分なのは確かだ。
「惣八郎は死罪、重扇屋は、早晩潰れるだろうさ」
「潰れる?」
「ああ、ま、簡単に言えばとかげの尻尾切りだな」
そうか、それほど大きな名前が後ろにあるのか。
「一応こっちもな、あれから夜っぴいて重扇屋に出入りしている人間を調べてはみたんだ。なに、難しいことはなくてな、すぐに調べがついたんだが」
そう言うと大島は、フーっと大きなため息を付いて続けた。
「公方様でも触りたくないような大大名の名前が三つほど、そこらの大名家がこぞって金を借りているような商家が二つほど、で、面倒なのが」
「面倒なのが?」
「名のある名刹の坊主がな」
「ああ、そういうことですか」
惣八郎はあのとき「お大尽」と言った。
お大尽とは盛り場や売春宿で黄金の雨を降らす人間のことだが、もちろん、惣八郎がそのお大尽の素性を知らなかったことに間違いはないだろう。というのも、どう考えてもその物言いは重扇屋の人間の物言いだからだ。
つまり、惣八郎は重扇屋の言葉をそのまま言っただけ、そして、重扇屋がそんな言い方をするということは。
「大大名の線はない、商人の線は薄い、一番影が濃いのは、坊主ですね」
「ま、そういうこったな」
まず大名であれば、重扇屋も「お大尽」などとは言わずに「お大名」と普通に言うだろう。なぜならそう言ってしまったほうが惣八郎には脅しになるからだ。変な色気を出して素性を調べようとしたりすれば、簡単に首が飛ぶ。
これが商人ならば、たしかに「お大尽」という言い方はおかしくない。ただ、いくら大名に金を貸すような豪商であったとしても、商人のために渡るには、橋が危なすぎる。
となれば、残るは坊主だ。
この時代、寺は寺社奉行の管轄下にある。しかし、それは形式の上の話であって、寺の内はある意味で治外法権。なんと言っても相手の本丸におわすのは神仏、徳川将軍であれかないっこない。しかも寺は戸籍の管理までやる地域住民のコミュニティーの中心にあるものなだけに、名刹と言われるほどの大きな寺なら敵に回すのは坊主ではなく、そこいら一帯の民衆となる。
「ま、お寺社の方から嫌味を言って聞かせて、なんとなくなぁなぁってところだな」
寺社奉行からの遠回しな注意だけ、か。
俺はそっとハナを見る。うん、怒ってんなぁ。
「その坊主、わたしが殺しても?」
「おいおい物騒だな、やめてくれ」
「だってそんな悪党!」
つかみかからんばかりに大島に詰め寄るハナ。
しかし、そんなハナに、大島は噛んで含めるように丁寧に説明した。
「わかってるさ、こっちだってできればしょっぴいて獄門台に送って欲しいと思うぜ。ただな、寺ってのはあれで民百姓にとっては大事な大事なものなのよ。たしかに、悪人は生き延びちまうが、これを成敗した所で、今度は大勢の善人が嘆きを見る」
そう言うと大島は、耳の穴を小指でほじって、その先端にフッと息をかけた。
「そうなりゃ、一番はじめに痛い目見せられるのは、貧しい家の子供だぜ」
大島はそういうと、ハナの顔をギロリと睨んだ。
「ハナ殿は、それでいいのかい?」
「……意地悪」
「すまねぇな、役人ってのは意地が悪くないと勤まんねえ仕事でな」
大島の言葉に、ハナは「はぁっ」とため息を付きつつも、その場に正座して深く頭を下げた。
「出過ぎた真似を、ご容赦下さい」
それを大島は笑って受ける。
「なぁに、ひとりくらいは理不尽に対して腹立てる人間がいてくれねぇと、辛いもんよな」
「それはそうですね、ハナには感謝です」
別にハナの機嫌を取りたいわけではなく、俺も心底そう思った。
大人になればなるほどに大人の事情というのはなによりも大切で、なによりも重要なものだ。なぜなら、それが大人というものだからだ。ただ、大人だからといってそんな大人の事情を心から気安く受け入れているわけではない。
みな納得いかない思いを抱え、みな憤り、そして諦めているだけだ。
だからこそ、そこに素直に異を唱える人間の存在価値は大きい。
そして。
「そんなことより、腹減ったんだがよ」
と、バランスよく気の抜けた言葉でこの場の雰囲気を塗り替えてくれる人間もまた、貴重だ。
「食べていきますか、大島さん」
「ああ、それを楽しみに来たんだ」
すると「わかってますよ」とばかりにハナは立ち上がる。
商売ベタのせいで繁盛とまではいかないものの、須崎の突端にあるようなこの宿にそれでも人が通ってきてくれる理由は二つある。
ひとつは美人女将。
そしてもうひとつが、料理だ。
「今日はなにがでてくるんだい?」
「前はなんでしたっけ?」
「お、おお、びいふしちうとか言う、黒い
正式にはアドカウと言う名の魔物と家畜の中間種のような、アリエンテ産畜産牛の肉だが、肉に限らずかなりの量の食材が俺のストレージの中にはある。
そのほとんどは、魔王を討伐したあとに、各国の王侯貴族から寄進されたものなのだが、到底ひとりで食える量ではなく、それこそ国を何年か賄えるくらいの食料がストレージの中に眠っているのだ。で、今日はその中から、パン粉を使って見ようと考えている。
ま、作るのは、ハナなんだけどね。
「今日は、アジフライです」
「あじふらい?」
「そう、皆さんご存知の鯵ですよ」
俺の一言に、大島は隠すことない落胆の色を見せた。
「ん?気に入りませんか」
「いやなぁ、獣の肉に比べたらなぁ。鯵だろ?こないだ食ったばかりだぜ」
「嫌なら食べずに帰ります?」
「おめぇは、達人でなければたたっ斬ってやりてぇぜ」
ちなみに、こちらの時代にやって来てすぐに大島とは剣を交えたことがある。
先に大島の名誉のために言っておけば、大島は別に弱くはなかった。しかしながら、それは人間のキャパシティーの中での話。魔王と戦って勝って来た俺のような人間からすれば、そうだな、最初の村の衛兵ぐらいだろうか。
結局、大島には素手で勝った。
さらにちなみに、直後にハナと戦って素手でやられていた。
大島としては本当に災難だっただろうが、あとで聞くに、なにか新しいものに目覚めたらしい。深くは聞いていないが、知らないほうがいいだろう。
「ただ、この匂い、普通の鯵じゃねぇな」
それ以来、大島は俺とハナを自分の用事に使っている。
それは、大島にとってもありがたい話だろうけど、なにより、俺にとってもありがたい話だ。
なぜなら、それこそが俺にとって最も大事な善行ポイントにつながるからだ。大島もまた、そのシステムを知っていて俺に仕事を回してくれている。
――再召喚の条件は善行の積み重ねです。
勝手に異世界に召喚しておいて、基本的な契約すらきちんと守れなかった召喚の女神が俺に提示したのは「善行を積み重ねれば元の時代に戻してやる」という、神というのは本当に……と思いたくなるような条件だった。
「くぅぅ、なんだこの香りは、いい油だな、いい油」
そして、その指針が善行ポイント。
なにがどうしてそうなるんだ?というポイント加算制度にしたがって神よりいただくポイントを、264ポイントというなにが基準でそうなった?という中途半端なポイントを貯めると元の時代に戻れることになっているのだ。
「ううむ、これは良い匂いだな、腹が、腹が鳴る」
そしてもうひとつ、手前勝手な召喚の女神が求めたのは、善行ポイントを判定する裁定者。
わかりやすく言えば、その世界の価値と理屈で善行であると判断するものの存在。
それが、この、大島平左衛門なのである。
「まだか、なあ、まだできねぇのか、なあ」
……うるさい。
「うるさいな、子供じゃないんだから黙って待っててくださいよ」
本当に。
まあとりあえず、この人と出会えて、本当に良かったよ。
御宿『いせかひ』 ~魔王を倒して日本に戻ったら幕末でした~ 轟々(とどろき ごう) @todorokitodoroki
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