天国のエンドクレジット

さちはら一紗

〈Now Playing〉


   1



 天使の仕事は、死者の映画を作ることだった。


 人生百年時代、魂に蓄積された記憶データは余りにも膨大になった。

 人口が増えるということは、死者の数も増えるということで。

 膨大な記憶データを持つ死者の魂が大量に押しかけては、天国はあっという間にパンクしてしまう。

 天国のデータ容量は、意外と少ないのだ。


 だから天使は、死者の魂のデータを軽くすることにした。

 死者の記憶を切り貼りして、再編集して、記憶を一本の映画にすることで。

 その映画を、今際の際に見る記憶の再生になぞらえて。

 天使は『走馬灯』と呼ぶ。


 生前、甘い汁を啜った悪人には後悔を抱かせるような、悪い後味を。

 苦労の中で死んだ善人には生きてよかったと思わせる、いい余韻を。

 その人たらしめる記憶から作った映画を、魂に刻むこむ。


『走馬灯』とは、たった一人の死者のために作られる、オーダーメイドの素人映画だ。



「……ああ、オーダーメイドっていうのはちょっと違うか。

 死者の注文は聞いてない。あたしらが勝手に作ってるだけだから」


 天使アザミはスーツのポケットから煙草を取り出して。

 ここ、十人も入らないような狭い劇場で火を点ける。

 天国に禁煙指定はない。

 今更損なう健康が、ここにはないからだ。


「正直、天使が下界の見様見真似で作った映画なんて面白くないよ。

 テンポ悪いはシーンの切り替えは不自然だわ、筋書きも三幕構成って何それ?

 クライマックスってどこオチとかねーよ、って感じで。

 技法もクソもあったもんじゃない」


 アザミは文句と紫煙を吐きながら。

 劇場に持ち込んだ机の上、場違いに大きなコンピューターのキーを叩く。

 この狭い劇場は、それぞれの天使に与えられた作業場だった。


「でも『走馬灯』は死者にとっちゃ、自分の大事な思い出だからね。

 ド素人丸出しの映画でも、ノスタルジーでなんとか見れるもんになんのよ。

 よっぽどつまらない人生送ってなきゃ、だけど」


 アザミの隣で、ふかふかの椅子の上ポップコーンを鷲掴みながらもう一人の天使がげんなりとした。


「嫌っすね。自分の人生に『クソおもんないな』って感想持つ羽目になるの」


 走馬灯以外、天国に生前の記憶、持ち込めないのに。


「『私の人生つまんなかったな』って思いながら天国で過ごすのって、最悪じゃないすか?」


「大丈夫だいじょぶ。九割の人間の人生なんてつまらないし。

 それに、天国行ったらどうせすぐ転生の順番来るし。

 そうなりゃ1ギガバイトもない大事な走馬灯きおくもどーせ完全消去よ。

 自分の人生を惨めに思うこともないわ」

 

 あっはっは。

 アザミは気怠げに笑った。


「ちょっと。

『その大事な走馬灯を「つまらない」と思わせないのが天使の仕事』とか。

 マジメなこと言ってくださいよ、先輩! 

 私のモチベ、下がっちゃうじゃないすかぁ」


 天使ユイは、ポップコーンを頬張りながらぼやいた。


 ユイは最近、アザミの仕事場に入り浸っている後輩だ。

 アザミは作業用のブルーライトカット眼鏡越しに、じっと彼女を見つめる。

 櫛のよく通りそうなショートカットの黒髪に白く抜けるような肌。

 手足はほっそりとして、純真そうなセーラー服が嘘みたいに似合っている。

 CGのような頭上の光輪さえ、彼女に誂えたかのよう。

 まさに天使のような美少女だ。


 見た目だけは。


「あんた……いい加減、スカートに落ちたポップコーン食べるのやめれば?」


 ユイは食べかすを口に付けたまま。


「えー。もったいないじゃないすか。

 昔はお菓子全然食べれなかったんですよ。なんかダイエットしてたみたいで。

 反動で今めっちゃ食べたい、ポップコーン」

「昔って……ああ、生前の話」


 天使は元人間だ。

 天国にも地獄にも行かなかった魂が、天使になる。


 アザミも例に漏れず元人間だが、自分の生前を思い出すことは滅多にない。

 もう随分と長く、天使をやっているから。


 さて、仕事の続きをせねば。

 天使のノルマは厳しい。

 隣の後輩は悠々自適の休暇中らしいが。羨ましいことだ。

『私、仕事めっちゃ早いんです』と言ってたっけ。

 アザミは仕事が遅い方である自覚がある。休暇なんて最後に取ったのはいつだろう。


 スーツにかかる、自身のロングヘアを無造作に束ねた。余り毛は気にしないことにする。

 作業場、もとい小劇場のスクリーンには一人の男の人生がノーカットで映し出されている。

 それを眺めながら、手元のパソコンで映像を編集していく、地道極まりない作業。

 何倍速で再生してもキリがない。

 だが天国にはカレンダーはないし、地上とは時の流れ方も違う。

 ここにいるとどうにも、時間感覚がわからなくなる。


「生前と同じ時間感覚だったら、拷問だよな……」

「あは。一人の人生を編集するの、体感で数年は余裕でかかりますからね。

 長生きされてると、通しで見るだけでも大変です」

「げ。もう三十年分の記憶見たのに、地上の時計、三時間しか動いてないよ」

「精神と時の部屋ってここだったんすね」


 天使は眠らない。

 薄明かりの照らす劇場には朝も夜もない。



「あ、クソっ。濡れ場に入りやがった」


 スクリーンに向かって悪態を吐く。

 アザミがしかめ面で目を背けると、笑いながら二箱めのポップコーンを貪る後輩が目に入る。


「あはは。先輩、苦手っすかぁ。私えっちいのいけるクチです」


 何が悲しくて他人の情事を見なければいけないのか。

 アザミは恨み言を吐く。


「濡れ場だけ切り貼りしてあいつの走馬灯AVにしてやろうか……」

「え〜〜それは逝けんでしょ〜〜」

「ダブルミーニングかよ」

「残念トリプルっす」


 どっちにしろ見たことないから作れないけど。

 にひひと笑うユイは、顔はべらぼうにいいのにどうにも話し方や話選びに品性がない。


「あっ。逆に私らもおっぱじめて、濡れ場を相殺すればよくないですか?」

「最悪! 最悪!」


 「ん〜〜」と小さな唇を尖らせ迫るユイを、アザミは手で押しやる。


「君の唇はそんなに安いもんじゃないだろ!」

「そーですね。生前キスした記憶もないです。

 もしかしたらこれがファーストキスかもしれませんね?」

「……ファーストキスを冗談で消費する奴がいるか!」

「なんならシモの話すら生前一度もした覚えないんですよ。

 まあここ天上うえなんですけど。反動で今めっちゃしたい、下世話な話」

「絶対カットされてるだけだろ。君の走馬灯から」


 死んだ人間には、編集された走馬灯分の記憶しか残らない。

 けれどいくら余計な記憶を切り取っても、人間の本質というのは変わらない。

 見た目だけは文句なしに天使な後輩が、実は下ネタ好きという本質は──


 ──知ってるのは自分だけだろうな。


 そう、アザミは思って。

 はあ……と溜息を吐いた。



「とりあえず濡れ場、全カットで」

「えー。私、映画にはキスシーン欲しい派なのに」




   2




 死者の記憶を見終えたのは、あれから、地上換算で六時間が経過したところだった。


「おー、大往生っすね」

「享年九十歳、長かった……」


 ぱちぱちとユイは気の抜けた拍手をする。


「畳の上で家族に看取られながら、なーんて。出来過ぎの人生ですね」

「普通に幸せそうな普通の人の人生でつまんなかったな」

「どうせ見るなら有名人の人生とかがいいっすか?」

「まぁ……そうだね。昭和の文豪とか、編集しがいありそう」

「令和ですよ今」


 そういえば。

 とある大女優の走馬灯を編集したのはいつだっけ。

 時間感覚がボケているせいで、思い出せない。



「そういえば。なんで走馬灯を映画にするんでしょう?

 記憶データを軽くしたいだけなら、適当に切り抜けばいいだけなのに」


 ユイは不思議そうに言う。


「知らなかったの?」

「新人っすから」


 しれっとポップコーンのお供に、コーラを啜る。

 ちなみに天使に与えられる煙草やポップコーンなどの嗜好品も、実は単なるデータだ。


「走馬灯を編集するのは、記憶データを圧縮するためと、もう一つ。

 映画にするのは、人を感動させなければならないから」


 走馬灯は、その記憶の持ち主たった一人のために作られる映画だ。


「その人の魂に、走馬灯を見せて……その時の心の動き方で、裁定する。

 そいつが天国行きか地獄行きか」


 だから悪人には悪い後味を。善人には善い余韻を。

 その感動を、機械的に判定して天国と地獄に振るいわける。


「つまり、最近の天国と地獄の門は、感動をセンサーにした自動ドアなんだよ」

「アナログなのかデジタルなのかわかんないっすね……」


「で、自分の人生がいい人生だったと思ってるやつは、魂のけがれが少ないから、天国でちょっと温泉に浸かって魂を休める。

 罪人は地獄の釜で汚え魂を煮沸消毒する」


 ぎゃー。

 ユイは釜茹でを想像して青ざめた。


「私たち、天使っていうか地獄に落とすこともできるから閻魔業も兼任ですね」


 そのまま。はっ、とユイは何かに気付く。

 

「あれ? 私たちのいるここって、天国であってますよね?

 ひたすらシアターしかないですけど。……温泉はいずこに?」


 気付いてしまったか。

 アザミは神妙に、言葉を探す。


「ここは天国……の、手前」

「天国じゃないじゃん」

「東京ディズニーランド的な」

「嘘じゃん」

「あと地獄も近所」

「煉獄じゃん」


 ずずず……。けぷっ。


「はあ、通りで天国なのにブラックだと思いました。

 給料がコーラとポップコーンしか買えないくらいなの、なんでですかぁ〜」

「天国には労働基準法がないからじゃない?」


 便宜上は天国と呼び続けることにする。

 人間と違って、天使はどんなに過労しても死なない。


「君は、なんで天使なんかになったの」


 ユイの唇がストローから離れて震える。



「感動したんです。走馬灯に。私のために作られた映画に」



 白い光輪が、淡く彼女の顔を照らす。


「私、平凡な人生を送ってたみたいなんですけど病気で早死にしたんすよ。

 最期はつらくて苦しかったはずなのに、走馬灯を見て思ったんです。

『あ、私の人生。ちゃんとしあわせだったんだな』って」


 ユイは目を瞑って、記憶に思いを馳せる。

 その穏やかな微笑みはまるで、そんな顔で死んだのだな、と思わせるようだ。


「だから私もそんな映画を作りたくて。

 私の走馬灯を作った人に、会ってみたくて。天使になったんです」


「そうか、それは……」


 アザミは深く、息を吐いた。



「失敗作だな」

「え」



 死者に映画を見せて天国に送るのは、転生してもらうためだ。なのに。


「転生したい、って思わずに天使になっちゃう走馬灯なんて、駄作だよ。

 査定に響く」

「もう、そんなこと言わないでください」


 ユイは頬を膨らます。

 美少女はむくれても顔の造形が崩れないんだな、と感心する。



「はぁ……まさか君みたいなタイプが天使になりたがるとは」

「じゃあ、どんな人がなるんですか。生前、映画監督だった人とか?」

「あー……あいつらは、たまに天使になるけど。

 こっちで数作編集した後『やっぱ下界で映画作りたい』って言って、とっとと転生する。好きな映画作りたい、らしいよ」


 だから天使になりたがるのは、転生したくないやつで。

 したくないほど、とびきりいい思い出を抱えちゃったやつだ。


「ただ……私の走馬灯、ひとつ不満があるんすよね」


 何だろう。


「濡れ場全カットだから、わかんないんですよ」

「何が?」



「私が非処女だったかどうか」



 ごほっ。

 煙が咽せた。


「……は?」


「三十童貞で魔法使いって言うじゃないですか」

「何それ知らん」

「え、まじすかカルチャーギャップ?」


「まあ、なので。

 私的には三十処女も魔女でしょ、って思うんですよ」


 ユイは小首を傾げた。


「あたし魔女だったと思います?」

「おまえ馬鹿じゃないの??」


「製作者見つけて確かめるしかないっすね」

「そのために探してんのかよ。最悪だ」


 というか。

 アザミはまじまじとユイを見る。

 どう見ても十代にしか見えない、後輩の外見を。


「……若作りなんだね」


 その年で制服って……。


「いやっ、これは十八の時の外見だし!」


 ユイは椅子から身を乗り出して抗議する。

 そういえば天使の外見は、生前をベースに理想の年齢のイメージになるのだった。


「走馬灯の内容が高校時代に偏ってたから、メンタルも実質高校生すよ!?」

「うーん、無茶な言い分」


「そ、そういう先輩は何歳なんですか。大人っぽいし同い年くらいでしょ!?」


 アザミは、煙をくゆらせる。



「あたし享年十五」

「……え」



 立ち上がる。


「先輩めっっちゃ年下ぁ!? 未成年じゃないすか、煙草コラッ」

「いや下界換算でもう十年は天使やってるし」

「どっちにしろ年下っ!」


 ガーン、と音が出そうな顔をして。

 椅子にストンと座り直したユイは、拗ねた声音で言う。


「年齢詐欺はお互い様じゃないですか……。なんでスーツ着てるんすか」

「あたしは大人にならなかったから、こっちで大人のロールプレイしてんの」

「ごっこ遊びですか。先輩、意外とお子ちゃまっすね」

「んだとこの妙齢の後輩が……」


 どっちにしろ体感百年は余裕で映画作らされてるし。

 今更、年齢なんて無意味だろう。



「先輩は、なんで天使になったんすか?」


 アザミは、しばし無言。

 小さくなった煙草を、パソコンの横に置いた灰皿に押し付ける。


「自分の走馬灯作ったやつを、見つけて一発ぶん殴ってやろうと思って」


 ユイはアザミをじっと見つめて、続きを待つ。


「意味が分かると怖い話だったのよ、私の走馬灯。

 優しい両親に、仲の良い友達。良さげに見える記憶だけでモンタージュされてたけど。……なーんか、違和感あって。途中で気付いちゃったんだよね。

 多分これ、いじめられてるし虐待されてんな〜、って。

 てか根性焼きの跡あるし。見る?」


 身体のデータはあくまで生前ベースだ。魂にまで刻みついた傷は消えない。


「うわ〜。よくタバコ吸えますね……」

「だって焼かれた記憶はないからね。意味怖なだけだし」


 その点については走馬灯さまさまだ。

 不幸なシーンを実際に見たわけじゃないから、実感もトラウマもゼロ。

 余計な記憶はカットするに限る。

 ……もっと丁寧にカットしてくれれば余計なことに気付かずに済んだのだが。


「だから殴ろうと思った。人の記憶で意味怖作るな、って」

「それは、殴られて当然です」


 ユイは神妙に頷いた。


「それで……先輩は、自分の走馬灯を作った天使に、会えたんですか?」

「いや」


 貴重な休暇に会いに行った同僚から、相手を特定することはできたけど。


「私が天使になった時には、そいつはもう辞めてた」


 それ以来、アザミは惰性で天使を続けている。

 休暇も取っていなかったし、同僚たちにも会っていなかった。

 突然会いにきた、後輩のユイ以外とは。


「……そうか。──君も、探しに来てたんだ」


 かつての自分と同じように。


 ユイは俯いて、訊く。


「あの、先輩。天使って、引退したらどうなるんすかね」

「もう一度死ぬ。そんで転生の順番待ちに入る」

「その時、走馬灯って……」

「生前とは別に、再編集される。他の天使に」


 人間とは違う時の流れで生きる天使の記憶には、トラッシュデータが多い。


「天使も、転生するなら一回天国と地獄を通っておかないといけないから。

 判定のために走馬灯が必要なんだよ」


 天使として善行を積み上げた走馬灯が見えたなら、めでたく天国温泉ツアー行きだ。


「だから自分の地獄行き確信したやつとか、あえて天使になって走馬灯ロンダリングするらしいよ」


 アザミは新しいタバコに火を点ける。


「なんか、嫌っすね」


 後輩はLサイズのコーラを抱えて、浮かない顔で言った。


「そんなひとたちが、人間ひとの天国行きと地獄行きを決める、天使だなんて」


「……そうだね」


 煙が天井に昇るのを見つめて、息を吐いた。

 静かになった隣で、しゅわりと炭酸が抜ける音が聞こえた。




   3




 手元のパソコンで編集した走馬灯のデータを書き出して、アザミは一息吐く。

 今回の死者は長命の割には早く仕事が済んだ。

 凡庸な人間の善い人生は、抜き出すべきハイライトがわかりやすい。

 アザミは眼鏡を頭上に、束ねた髪を解いて椅子の背にもたれる。


「一回通しで試写しようか。映写機回して」

「はぁい。……うわっめちゃ古い機材ヤツじゃないすか。

 金曜ロードショーのおじさんの? 

 編集はパソコンなのになんでなんでぇ」

「天国は時代考証がバカだから」


 この場所の大抵のものが記憶イメージで成り立ってるせいだ。



 上映時間は切り詰めに切り詰めて120分。

 長いが、編集にかかった時間に比べればかわいいものだ。

 人が生まれて、育って、生きて、出会って、生んで、育てて、死ぬまでを、スクリーンに映し切って。

 隣で、ユイが鼻を啜った。


「なんで……さっき、素材きおくは全部見たはずなのに。

 映画になった途端に、感動しちゃうんでしょう」


「それは」


 端正に涙ぐむ横顔から、目を逸らす。


「編集マジックだね」

「先輩こそ魔女でしたか」

「詐欺とも言うけどね」

「詐欺師でしたか」


 間違ってはいない。

 人の人生を切り貼りして、見せたいものしか見せないのだから。


「九十年の人生も、二時間あれば語り尽くすには充分よね」

「うーん。私は、なんなら、十五分だっていいと思いますね。

 人生の中で一番いい瞬間を切り取るくらいで」


「……ああ、だから君、仕事早いんだ」

「へへ」


 確かに理に適ってる、とアザミは頷く。

 本当にいい思い出だけを持って逝けたなら、アザミは天使にならずに済んだだろう。


 ユイは赤らんだままの目元を弧にした。


「あ、でも。それは私の編集の好みで。先輩の映画は好きですよ」

「それはどうも」

「でも……エンドクレジットがないのは、なんででしょうか」

「さあ。慣例だけど。天国には著作権法がないからね。

 誰が作ったかなんてどうでもいいんじゃない」

「おかげで、誰が編集したのか探すのに苦労するんすよ」

「それはその通りだ」


 真っ黒な画面。


「残念です。それでないにしても、エンドクレジットが一番好きなのに」

「なんで?」


 ユイは、自分で呟いて。その問いに目を丸くした。


「……え、あれ? なんででしょう。

 生前由来ですかね。記憶ないですけど。

 多分、人の名前が並んでると嬉しいんです。

 これだけの人が映画に関わったんだ、って感じがする」

「……そう。君は人間が好きなんだね。あたしは同じだけど逆だ」


 椅子の背にもたれて、伸びをする。手の中は空だ。

 口寂しいけれど、煙草はもう気分じゃなかった。


「エンドクレジットは好き。人間が映らないから。嫌いなんだよね、人間」

「マジなんでまだこの仕事してるんすか……」


 ふぅ、と無色透明の息を吐いた。




「地獄行きなんだよ、あたし」




 ──構わないか、言ってしまって。

 どうせここじゃ、皆死んでるのだから。


「言ったよね。あたしの走馬灯、意味がわかると怖い話だったって。

 あたしの走馬灯は、一人、旅に出るシーンで終わってた。

 ──自殺の名所に、ね」


 十五歳の少女がそんな場所に一人で行く意味なんて、わかるに決まってる。


「でもあたし、どうやら生前は何かの宗教の信徒だったんだよ。

『自殺したら地獄行き』だって、教わって生きてたんだ」


 死んでも人の本質は変わらない。

 記憶がカットされても染み付いた信心は消えなかった。


「だから意味に気付いた途端、罪悪感がさ。すごくて」


 走馬灯は、悪人には悪い後味を、善人には善い余韻を。

 その感動を、機械的に判定して天国と地獄に振るいわけるから。


「だから自動で、地獄送り。

 だから仕方なく天使になったの。

 転生なんて──もう一回生きるなんて、ごめんだしね」


 ついでに、意味に気付かせやがった天使をぶん殴れたら御の字だったけど。

 あとはただ、生まれないように死なないように死んでるだけ生きてるだけ


「続けるしかないから続けてるけど。ほんと、この仕事は最悪だよ。

 こちとら地獄行きなのに、しあわせな人間の人生をむざむざ見せられなきゃいけないんだから」


 溜息を飲み込む。


「まあ、一般人の退屈な人生ならまだマシだけど。

 たとえば有名人のみたいな──華々しい人生なんて、大嫌い。

 ……自分の人生が、惨めに思えて仕方なくなる」


 ユイは、閉ざしていた口を開いて、問うた。




「だから私の走馬灯を、あんなふうに作ったんすか?」




「……は」

「濡れ場も下ネタもキスシーンすら執拗にカットする癖。

 先輩っすよね、私の走馬灯、編集したの」


 それは問いかけではなく、確認だった。

 ユイは、アザミの答えなど待たずに続ける。


「私の走馬灯、ちょっと早死にしただけの、平々凡々にしあわせな人生を映したやつでした。私は、『普通の女の子』だと思ってました。

 でも天国こっちに来て、びっくりしたんです。

 先輩の会う前に会った天使が皆、私のことをちょっと違う名前で呼ぶから。

 あれ、芸名だったんすね」


 したり、ユイは頷いて。

 その、凡庸な人間にしては整いすぎた顔を、アザミに向ける。


「──私、実は生前、女優だったらしいですよ。

 とびきり人気の、清純派で有名な。

 世代じゃない天使も皆、名前と顔を知ってるくらいに」


 アザミは、眉間を押さえた。


「……君、新人って言ってなかった?」

「ああ、あれ嘘っす。天使歴地上換算、三年目くらい? 

 先輩に行き着くまで結構かかりましたねー」

「嘘吐きじゃん」

「いやそう! 私めっちゃ嘘吐きだったんすよ。

 びっくりしました。そんな自分、走馬灯に映ってなかったから。

 でも納得です。女優だったなら、嘘は吐き慣れたものでしょう?」


 やれやれ、とかぶりを振る。


「まったく、先輩もすごいことしますねー。

 デビュー前の高校時代ばかり切り取って、私の走馬灯を『普通の女の子』のに仕立てるなんて。編集マジック、恐るべしです」


 アザミは、きゅ、と喉を縮めた。


「……あたしのこと、ぶん殴りに来たの?」


 詐欺師を。

 地獄行きだとでも。


「いいえ」


 ユイは、穏やかに微笑む。


「先輩は、いい人ですよ。

 嫌いなんですよね? 私みたいな人間。

 私の記憶で、いくらでも後味の悪い走馬灯を作って、地獄行きにすることもできた。でもそうしなかった。

 ちゃんと、感動させて。天国に行けるようにもしてくれたじゃないですか」


 微笑みは天使さながらに、罪人にまでわけ隔てなく。


「私はただ、お礼を言いに来たんです。

 私の『普通』の記憶だけを映画にしてくれたこと。

 私、きっと演じるのが好きだったから。

 女優としての記憶があったら、さっさと転生してたと思うんです。

 走馬灯に感動して、私も天使になりたい──ここで、映画を作りたい、なんて。

 思わなかった」


「……何、を」


 わからない。

 どうして、ユイは瞳を輝かせているのか。

 そんな、好きなものを前にしたみたいな瞳で、自分を見ているのか。


「だからお礼に、先輩が天使として死ぬ時に、映画を作らせてください。

 主演女優ヒロインは私で。

 私、ファンなんです。あなたの映画の」


 弾む声で、アザミの空っぽの手を握る。


「私は感動しました。

 だから私も、あなたも感動させてみたい」


「どんなふうに……?」


 細い、声で訊く。

 にこりと、ユイは星のように笑った。




「『生きるのも悪くない』

 なんて余韻はどうですか?」




 はっ、と嘲りが漏れる。


「もう、死んでるのに」


 光輪が、彼女の言葉さえも、照らす。


「いーえ、先輩。生きたから、ここにいるんすよ。

 死ぬほど生きたから、死んでもちゃんと生きたから。

 私たち、ここで出会えたんです」


 ──ああ、そうか。


 息を吐く。


 今際を彼女が、天使が、預かってくれるなら。

 どうしようもなかった人生も、このろくでもない天生も、



(……捨てたものじゃないかもな)



 透明な息を、吸う。


「エンドクレジットは付けてよね。

 あたし、生前、君のファンだったんだ。

 悔しいけど」


 ぱちり、とユイは目を瞬いた。



「──ああ。

 だから私の記憶、ひとりじめしたんですか?」


「…………」


 答えに詰まる、アザミに。

 ユイは肩を竦めて軽口を叩く。


「そういえば私の走馬灯。濡れ場全カットでしたけど。

 意味がわかるとエロい話なら結構ありましたね」

「ないよ。君が勝手に見出してるだけだよ。

 どの口で清純派女優してたんだよ」

「ふふふ。上の口です」

「……地上にリークして炎上させてぇ」

「ざんねーん既に火葬されてまーす」


 死者ジョークもそこそこに。

 ユイの、細めてもなお大きな瞳が、近付く。


「ねえ、先輩。知ってます? 私のキスのギャラ一千万円らしいですよ」


 ポップコーンの空箱が、床に落ちる。

 撒かれた僅かな種は、データの塵となって消去された。


 二人きりの小さな小さな劇場に残るのは、息遣いだけ。


 柔く咲いた花弁同士を、ようやく離して。

 ユイは言った。


「……天使の薄給じゃ、払えませんね?」


 とうに止まった息を、アザミは必死に吸って。


「セクハラだぞ、後輩……」

「大丈夫です。天国に刑法はありません」


 生前、キスシーンの名手だったはずのユイは。

 触れただけで皮が剥けそうな唇を、ぎこちなく舐めて。

 暗がりの中、赤く綻ぶアザミに問う。


「で、結局。私って魔女だったんですか?」


 ユイの生前を、余すことなく知るアザミは。

 負け惜しみのように笑った。



「教えたげない」



 ここから先はどちらにせよ、だ。

 そして帳は下りた。







   【出演】


   森亜座実


   有明ユイ


   【製作】


 天国 走馬灯編集部



 【監督・脚本・編集】


    安里唯







 FINの文字が浮かぶ前に。

 映写機を止める。


「……ああ、自殺の下りはカットしておかないと。

 先輩が地獄に堕ちちゃうといけないすから、ね」


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