27杯目「古川優愛の話5」

「はる、私ね、たまに生きていたくない時がある」

『そっか』

「私は結局誰からも愛されたことがなかったのよ」

 私ははるに対して思いを吐露する。こうやって一方的に言葉を叩きつけても、彼女からの返信は淡白だった。

『そんなことないよ。私はゆあさんのこと大好きだから』

 虚構。虚栄。本当にそれが本心なのかなんてわからない。

 顔も名前も知らない遠い世界にいる人。

「お願い、はる。ずっと私の傍にいて」

 大粒の涙がこぼれる。

 彼女にメッセージを送りながら、何度も手首を切っている。

 虚しい気持ちは晴れなかったので、私は血だらけになりながら、自慰行為を始める。

 私の部屋には芳しい嬌声などではなく、すすり泣く声と鉄分の鼻につく匂いが立ち込めている。私の涙が、胸に滴ってきたがわかった。

『大丈夫。私はずっとそばにいる』

 彼女の言葉が、全身から私に降り注ぐのを感じる。

 皮膚や傷跡から彼女の生命が私に降りかかっている。

 それはただひたすら、気持ちよかった。

「あ、待って。イキそう」

『おいで、ゆあ』

 瞬間、私が襲われたのは快感ではなく強烈な吐き気だった。


「ヴっ……ボェッ……」

 吐瀉物が自分の体にかかった。血と混ざってグロテスクなものが私の体の上に浮かんでいる。

 胸が痛い。苦しい。

 生きていたくない。

 早く死なせて、お願い。早く。

 私のスマホに映るのは、音もなく私の傍にいると宣う女が一人。こいつは、私を死なせてくれない元凶だ。

「ねえ、はる。聞きたいことがあるの」

『なあに、どうしたの』

「私、あなたのことが嫌いって言ったら、私のことも嫌ってくれる?」

『……それは無理かな。だって、あなたのこと大好きだもの』

「……どうして、そんなこというのよ……」

 洗面所の鏡に映る私の姿は、あまりに醜かった。

 腕からポタポタと落ちる鮮血も、半開きの口から垂れ下がる吐瀉物も、股間から溢れる分泌液も、全部全部醜くて、浅ましい。


「なんで私のことを嫌ってくれないのよ!!!!」


 とにかく叫んだ。

 誰でもいいから私の苦しみをわかってほしかった。


「あなたは私の苦しみなんてなにもわからないじゃない!!!!」


 苦しくて、息ができない。

 寒くて、震えが止まらない。


「あなたは私じゃないもの!!! 私のことなんて何もわからないくせに!!!!」


 肉を抉るように腕を切る。

 強く握りこぶしを腹に殴る。


「私は!! あなたなんかだいっきらいだから!!!!!」


 散々泣き腫らした。

 気が付いたら、眠っていた。

 その日は仕事だったので、早めに目が覚めて洗面所の掃除をした。その時は、何も感じることはなかった。


『ねえ、ゆあさん。一度私の地元まで来てみない?』


 意地を張って、最初は拒否していたが、その日からあまりに何度も誘われるので、私は折れてはるに会うことにした。

 ただのOLだったと思っていた彼女は、喫茶店を運営するために貯金をしているのだそう。

「いつか、自分の喫茶店を持てたら、ゆあさんの好きな料理をたくさん作ってあげる」

 その言葉が実現するまでは、そんなに時間がかからなかった。



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 私は、ちょうど一杯のカフェモカを飲み終えた時だった。

「……ちょっと、話がハードすぎて途中からメモが取れなかったです……。というか、はる…赤石春花さんって、遙さんのことなんですか!!??」

「あら、良く気付きましたね」

 遙さんはニコリと笑う。話の中の穏やかな赤石春花さんと、その姿がシンクロして私は呆気にとられる。

「もう十年くらい前の話なんだけど、案外ちゃんと覚えているものなのね」

「……遙さんって、本当に壮絶な人生を送っていたんですね……」

 私は少しうつむいた。私はこれだけ遙さんから話を聞いているのにもかかわらず、遙さんに何も恩返しができていないことに罪悪感を覚えた。

「遙さん、何か私にできることはないですか?」

 すると、遙さんは少し困った顔をした。

「それじゃあ、お客さんも何か私にお話をしていただけますか?」


 私は、遙さんからなかなかに難易度の高いお題を任せられたのだった。

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カフェモカが飲み終わる頃におかえりください 赤崎 月結 @tsuyu_akasaki

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