クラスの端にいる文学少女が誰よりも爆イケなのを、幼馴染のあたしが一番よく知っている

桜井愛明

上下左右、対照的な私たち

「あの、木下きのしたさん」


 少女が声をかけると、木下と呼ばれた女子生徒は読んでいた本から顔を上げる。

 きっちり結ばれたふたつの三つ編みとシルバーフレームの眼鏡、校則に則った着こなしの制服で、持ち物である本も相まって、文学少女と表現するのが適切であろう出立いでたちをしていた。


「なに? 最上もがみさん」

「えっと、今日提出の課題なんだけど――」


 最上と呼ばれた少女は彼女のハスキーな声と切れ長な瞳を見つめながら、目的であろう話を振る。


佑愛ゆあってよく木下さんと会話続くよね〜」

「分かる。俺は気まずくなりそうだし絶対話しかけらんないわ」

「木下さんってアニメ好きだけど、木下さんが好きそうなのは全然知らない気がするなぁ」

「それな。俺もアニメ見るって言っても配信されてるのだけだし」


 彼女に話しかけた少女――最上もがみ佑愛ゆあと同じグループであろうクラスメイトがその光景を遠巻きに見守っていた。

 着崩した制服と派手に染められた髪が、そのグループがどんなメンバーで固まっているのかを想像するのは容易だった。


「あと、個人的に話があるんだけど、このあとちょっといい?」


 そんな言葉が出てくると思わなかったのか、「呼び出し?」とグループの一人が冷やかす。

 佑愛はそれを軽く流し、二人は教室を出て行った。


佐和子さわこおおおおお!!! さっきは冷たく話しちゃってごめんねえええええ!!!!」


 誰も通らないであろう屋上へ続く階段で、佑愛は彼女――木下きのした佐和子さわこに抱きついた。


「暑いから離れて……あとそんなに冷たくなかったし」

「佐和子はそう思ってもあたしはそう思わなかったの! みんなが見てるから緊張してたの! 佐和子のことは全然嫌いとかじゃないから! むしろ大好き!」


 ベタベタと抱きつく佑愛を引き剥がして、佐和子はあきれたようにため息をつく。


「でも、佐和子が最上さんって呼ぶからちょっと悲しかった……」

「木下さんって呼ばれて佑愛って返したら変でしょ」


 そうかなぁ、と指先をつんつんと合わせる佑愛は、ないはずの犬の耳と尻尾が垂れたように見えた。

 佐和子は佑愛が抱きついたせいでずれた眼鏡を取り、レンズを制服のすそで拭く。


「いつもそうやって気にするんだから、クラスでも名前で呼べばいいのに」

「やだ! 名前で呼んだら誰かが佐和子に注目して、そこからみんなが佐和子の魅力に気づいて、そこから佐和子が人気者になっちゃうからやだ! 絶対呼ばない!」


 佑愛は昔から、佐和子を人前では名字、二人きりでは名前と呼び方を変えていた。

 こんなオタクには誰も見向きもしない、幼馴染だと言ってしまえばいいと佐和子が言ったこともあったが、佑愛は一度も首を縦に振らなかった。

 そんな特別な関係を知ってるのはあたしだけでいいと、どこから生まれたか分からない独占欲に佐和子はたびたび振り回されていた。


「オタクに優しいギャルってことにすれば――」


 眼鏡を拭き終わってかけ直そうとした佐和子の手を、佑愛は急いで掴む。


「ちょっと待って!」

「なに?」

「眼鏡しないで!」

「なんでよ。つけてないと見えないんだから」

「佐和子の顔がよく見えるから!」


 佑愛はキラキラとした目で佐和子の顔を覗き込む。

 昔から、佑愛は佐和子の切れ長の一重がかっこいいと言っていた。

 佑愛がぱっちりとした二重だから一重に憧れているのかと佐和子が思った時期もあったが、それはささいな理由のひとつに過ぎなかった。

 その奥にある真意をなんとなく受け取りつつ、佐和子は見つめ続ける佑愛の手をそっと避けて眼鏡をかけ直す。


「顔近い。あと佑愛からノートもらったし、早く職員室に出しに行かなきゃ」


 それじゃ、と佐和子はスタスタと階段を降りて教室に戻っていく。

 そっけない態度に、佑愛はむくれた顔で佐和子を見送った。

 佑愛は揺れる三つ編みで隠れていたために、佐和子の耳が赤くなっていることには気がついていなかった。


   * * * * *


「佐和子〜! 明日の小テストこのままだとやばい〜!」

「配信始まるからあとにして」


 その夜。

 佑愛は制服ではないカジュアルな格好で、佐和子の部屋をゴロゴロと転がる。

 家が隣同士の佑愛と佐和子は昔から家族ぐるみの付き合いで、当たり前のようにお互いの家を行き来していた。

 不満を言って転がる佑愛に目もくれず、ジャージを着た佐和子はパソコンと向き合っていた。


「アーカイブ残るけど今日のはリアルタイムで見たいから」


 真剣な表情で画面を見つめる佐和子の横に並び、佑愛も同じように画面を見つめる。


「この前推しって言ってたVTuberの配信?」

「そう。今日のは事前告知があったときからずっと待機してた」


 佑愛は佐和子を追いかけて、佐和子の好きなアニメや漫画、動画を見るようになった。

 そのおかげか、部屋に飾られているアクリルスタンドやフィギュア、壁にあるタペストリーのキャラクターの名前を全員言えるほどになっていた。


「それ、リアタイじゃなきゃダメなの?」

「当たり前でしょ、スパチャ投げなきゃ。推しの胸元に札束をねじ込む仕事がある」

「なにそれ」

「私の投げたスパチャが養分となって運営に流れ、そして推しに還元される。そして運営から新たな供給。その栄養を受け取って、また推しに札束をねじ込む仕事が始まる」

「いつも思ってるけど、そのオタク理論意味分かんない!」


 佑愛は椅子をガタガタと揺らすが、佐和子は一切動じなかった。


「ていうか、いつも読んでる漫画にも推しいたじゃん。推し変したの?」

「推しは増えるものだから問題ない」

「浮気じゃん」

「浮気じゃない。漫画の推しはママ枠。今から見るVTuberの推しは兄に欲しい。この前勧めたアニメの推しは従兄弟あたりで、親戚で集まったときにお小遣こづかいくれるくらいのポジションでいてほしい」

「早口だし、なに言ってんのか全然分かんない〜!」


 佐和子の肩にあごを乗せて、佑愛は小さくつぶやく。


「……あたしがいるんですけど」

「佑愛はいつでも来られるでしょ。推しの配信は今しかないから」

「あたしも佐和子といるこの時間は今しかないもん! それに、さっきアーカイブ残るって言ってたじゃん!」

「リアタイとアーカイブは別物」


 そこから少しして配信が始まり、佐和子は素早いタイピングでコメントを打っていく。

 佑愛はしかたなく教科書を開くが、それは構ってほしいゆえの行動で、ちらちらと佐和子を見て勉強をする様子は一切なかった。


「ねーねーまだぁ?」

「…………」

「眠くなってきたんだけどー」

「…………」

「今日おばさんのご飯食べよっかな〜」


 時折大きな独り言を何度かつぶやくが、イヤホンをしているせいで佐和子から反応が返ってくることはなかった。

 佑愛はベッドに寝転び、近くにあったキャラクターが描かれた抱き枕を抱える。


「佐和子ぉ……」


 小さく丸くなっている佑愛をちらりと見た佐和子はイヤホンを外し、カバンから教科書とノートを取り出した。


「……配信もう終わったの?」

「まだだけどいい」

「推しの配信は今しかないって言ってたのはどこの誰ですか〜」

「推しがコメント拾ってくれたから満足した。推しも大事だけど、佑愛の成績も大事だから」


 先ほどまでの不満はどこにいったのか、佑愛は満面の笑みを浮かべて佐和子の隣に座る。


「推しがコメント拾ってくれてよかったね! 佐和子はなんて送ったの?」

「内緒」

「教えてよ〜」

「いいから。明日の対策するよ」


 そして佐和子の出した課題をうんうんうなりながら進める佑愛を見て、佐和子はベッドで抱き枕を抱えた佑愛を思い出していた。

 小動物のようでかわいかったが、少しいじめすぎたかなと内心反省する。

 パソコンの画面は佐和子が見ていた配信が流れたままで、そこには佐和子の投げた鮮やかな暖色のスパチャがしばらくの間残っていた。


『最後まで見てたいんだけど、部屋にいるかわいい彼女が構ってほしいらしいので落ちます。このあと絶対アーカイブで見ます! そしていつまでも推します!』


 佐和子がイヤホンを外す前、画面の向こうにいるVTuberは『うわ、スパチャで惚気のろけられた。でもありがとう。彼女さんとお幸せに〜』と笑っていた。


   * * * * *


「佑愛、小テストの成績超よかったね」

「こっそり勉強したからね! でもそのせいでちょっと眠いかも」

「ちょっと、ケガしないでよね〜」


 翌日、佑愛たちのクラスはグラウンドで体育の授業をしていた。

 男子はコートで試合を、女子はコートから少し離れたところでそれぞれリフティングやパスの練習をしていた。

 つい先ほどの授業で佑愛は無事に小テストを乗り越え、クラスメイトや教師から称賛された。

 佑愛が一番最初に褒めてほしかったのは佐和子だったが、教室で佐和子へ抱きつくわけにもいかず、席へ戻る際に佐和子をちらりと見るだけだった。


「帰ったら褒めてもらおー……」


 小さくつぶやいた佑愛はあくびを噛み殺す。

 リフティングの練習を再開しようとボールを蹴るが、蹴り損ねたボールは離れたところに転がっていき、佑愛はのんびりとボールを拾いに向かった。


「佑愛!」


 誰かに名前を呼ばれて佑愛が振り返ったときには、目の前にサッカーボールが飛んできていた。

 それは男子が行なっていた試合のボールが飛んできたのだと頭では理解したが、睡眠不足もあってすぐに体が動かなかった。

 そのとき、佐和子が佑愛の前に立ってサッカーボールを蹴り返す。

 佐和子の蹴ったボールは男子が試合をしていたコートのゴールにまっすぐ飛んでいき、ゴールネットを勢いよく揺らした。


「ケガしてない?」


 いつもより焦った口調で佐和子は佑愛に駆け寄る。

 まわりの生徒がポカンとした顔で二人を見つめるなか、乱れた三つ編みを直した佐和子は佑愛に手を差し伸べる。


「は、はい……」


 佑愛の目には佐和子が白馬に乗った王子様のように見えた。

 顔を真っ赤にして佐和子の手を取ると、佐和子は佑愛を立ち上がらせて肩を引き寄せる。


「今度私の大事な幼馴染にケガさせたら許さないので」


 そう言って、佐和子は佑愛をお姫様抱っこして保健室に連れて行った。

 保健室の扉には保険医が席を外していると札がかかっていたが、佐和子は気にせず保健室に入り、佑愛をベッドに座らせた。


「あたしケガしてないんだけど」

「熱中症ってことで」


 ベッドまわりのカーテンを閉めて佐和子が佑愛の横に座ると、ベッドが小さく弾んだ。

 そして切れ長の瞳が佑愛に向けられ、佑愛の胸が高鳴る。


「佑愛。さっきの小テスト、頑張ったね」


 佐和子は笑って佑愛の頭を優しくなでる。

 それは佑愛がなによりも求めていたもので、クラスメイトや教師のどんな褒め言葉よりも嬉しかった。


「ちょっと待って、かっこよすぎ……」

「ありがと。佑愛もかわいいよ」


 真正面から向けられた佐和子の笑顔に耐えきれなくなり、佑愛は手で顔を覆いながらベッドに倒れ込む。

 クラスメイトに幼馴染であるとバレただとか、このあとどんな顔をして戻ろうだとか、佑愛にとってそんなことはもうどうでもよかった。


「佐和子、一生推す……」

「私も、一番の推しは佑愛だから」


 起き上がる様子を見せない佑愛へ覆い被さるように倒れ、佐和子は佑愛をぎゅっと抱きしめた。



―完―

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クラスの端にいる文学少女が誰よりも爆イケなのを、幼馴染のあたしが一番よく知っている 桜井愛明 @tir0lchoco

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