幼馴染は雪に隠れる
しぎ
香子と竜也
「……あら、早かったのね。どうだった?」
「……なんで香子がいるんだよ」
「見ればわかるでしょ。明日の準備よ」
『第3回 こども将棋教室 講師
白チョークで書かれたその文字の隣にあるイラストは、将棋盤のつもりなのだろうか。
「……お前絵は上手くないんだから、変に飾り付けなくていいだろ」
「子供に興味を持ってもらうためには、こういうのも大切なのよ」
香子は制服の袖にチョークの粉が付くのも構わず、タイムテーブルを黒板に書き写していく。
背の低い香子は黒板の上の方まで手が届かない。
精一杯右手を伸ばして、なんとか文字を並べていく。
……全く、心配になる。
「……手伝おうか?」
「平気。……ってか竜也、そっちこそどうだったの?」
「……」
どうせわかりきってるんだろ、と言うのを竜也は我慢する。
そんなのを言う気にすらならない。
「……はあ。まあ、別に期待はしてなかったけど」
じゃあ聞くなよ。
『一個上の女子バスケ部の先輩に告白したら、他校に彼氏がいるって言われてフラレた』……なんて言いたいやつがこの世にいるわけねえだろ。
ーーその言葉も、竜也は飲み込む。
香子に言ったところで、慰めの言葉が返ってくるわけでもないことを、幼馴染の竜也はよく知っている。
「……あれ、俺、先輩に告白するって香子に言ったっけ?」
「わかるわよ。あんた、数学の授業の時ずっと用意してた文面眺めてたでしょ」
「な……何見てんだよお前」
「隣の席なんだから目に入っちゃうのは当然でしょう」
「そうだとしても見るんじゃねえよ」
竜也の顔が真っ赤になっていることに、本人は気づいていない。
「気になるんだから仕方ないでしょ」
「香子が授業中に詰将棋の本開いてても俺は気になんねえぞ」
「気になってるじゃないの。というかなんで詰将棋の本ってわかるのよ」
お前の席にいつも置いてあるやつなんだから、わかるに決まってるじゃないか……と言おうとしたが、言ったら負けな気がして竜也はやめる。
「……はあ。竜也、久々に対局しない?」
「なんでだよ」
「真面目に頭を使えば、失恋なんて嫌なことすぐ忘れるわよ」
そう言うと香子は、教室の隅に置かれていた折りたたみ式の将棋盤を机の上に広げる。
「嫌だよ。俺が香子に勝てるわけねえだろ」
「じゃあ、駒落とす? ……最近やってないけど、四枚落ちぐらい?」
香子がいたずらっぽい笑みを浮かべる。
駒を落とすというのは、要はハンデをつけることだ。
明らかに駒を落としてもらわないと香子に勝てないのはわかってるのだが、同い年の女子にそんなこと言われると、竜也もしゃくにさわるというものである。
「……良いよ。平手(=ハンデなし)でやってやるよ」
香子の父は、将棋のプロ棋士だ。
香子曰く『そんな賞金を何百万ももらうとかじゃないよ。ザ・中堅って感じの立ち位置だから』らしいが、好きなことを仕事にしているという点では、竜也は素直に香子の父を尊敬している。
その娘の香子も自然と将棋を覚え、上達していった。
県の子ども大会ではいつも上位に入っている実力。中学生になった今は、将棋同好会を立ち上げて大会に出つつ、メンバー集めに勤しんでいる。
その香子と一緒にいるうちに、竜也も将棋を覚えた。
最も何十局とやって、ただの一度も香子に勝ったことはない。
勝てるわけ無いのだが、それでも悔しいから不思議だ。
……だから今、竜也が香子を追い詰めることができている理由が、わからなかった。
竜也の拙い実力でもわかる。
どう考えても俺の方が有利だ。
竜也の美濃囲いは全く傷なし。
盤面左側での戦いは明らかに竜也が制している。
香子は穴熊、すなわち王将を一番相手から遠い位置に置いて固めているが、その囲いも外側からじわじわと剥がされていく。
「どうした香子、お前らしくねえぞ」
「……寒いから、頭が働かないのよ」
確かに、今は12月だ。気づくと、外は雪がちらつき始めている。
でも、教室の中は暖房が動いている。快適そのもの。
「……お前、風邪でも引いてんのか?」
竜也は持ち駒の銀を敵陣に打ち込む。
「そんなわけないじゃない」
香子は顔を赤くしながら、打たれた銀を取る。
「じゃあ、なんか悪いことでもあったのか?」
竜也は、香子が打った守りの金に狙いをつけてもう一度銀を打つ。
「……たまには、わたしを負かしてみせなさいよ」
香子は、取りになっている金を引いて逃げた。
「え、なんて言った?」
「……勝手にしろって言ったの」
……たった今自分で言ったことが、香子は信じられなかった。
……いや、これは別に、決して竜也なんかを心配してるわけでは……
「……王手」
竜也が、香子の角の頭に打った桂馬で香子の王様を詰ますまで、そう時間はかからなかった。
幼馴染は雪に隠れる しぎ @sayoino
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