#7

 英語科教員室を出たとき、すでに空は赤紫色に染まり始めていた。

 下校時間が近い。今日は夜間使用許可を貰っていないから、校舎内でできる捜査の時間はあと少しだ。


「犯人は分かったの」

「田山。推理の三要素とは何だと思うね?」


 3階から4階へ上がる階段の途中。俺の返答を待たずに、大岡さんは語り始める。

 後ろを歩いているとちょっと見えそうで、俺は目を伏せた。


誰がWhoDoneItどうやってHowDoneItどうしてWhyDoneIt犯罪を行なったかを解き明かす。ボクはこのうち『誰が』については解を得ることができている。あとは犯人が村井さん殺害に及んだ理由、そして犯行の手口だが……」


 何かをいいかけて、大岡さんは突然ピタリと立ち止まった。

 目をそらしていた俺は、大岡さんに追突してしまう。顔面から。お尻に。


「っわ、わわ。ご、ごめん大岡さん」

「まずいな。これは面倒なことになったぞ」


 気にしていないふうな大岡さんの背中から顔を横に出して、4階の様子をうかがう。

 4階の廊下には、筋骨隆々、いい体格のポロシャツ姿の男が腕組みして立っていた。


「なんだお前らァ! もうすぐ下校時間だぞォ!」


 ポロシャツと下のスウェットパンツにも浮き出る大胸筋、腹筋、大腿筋。肩にちっちゃい重機乗せてそうな体格のこの男は、わが校の体育教師、仁藤にとう先生である。

 本名はジョワン・仁藤・キーンという。アメリカ人で元ボディビルダー、今は日本人の奥さんと結婚、婿養子となって日本で働いている。アクセントに外国人っぽさは残るものの、日本語はペラペラだ。体育の授業中、仁藤先生の話の半分はかつての自分の自慢話、もう半分は奥さんとのノロケなので、素性は全西高生の知るところである。


「ここから先は立ち入り禁止だ」

「参ったね。ボクは仁藤先生が守っているあの調理実習室にどうしても入りたいのだが」

「事情を話して入れてもらえば?」

「いいや。ボクはああいう脳筋の手合いは苦手でね……田山、代わりに話してきてくれ」

「えー」

「イヤならいいんだぞ。ボクが行って仁藤先生にキミがボクの尻に顔を埋めてきたと告発してやる。キミと仁藤先生がおっかけっこをしている間に、ボクはゆっくり調理実習室を調べるとしよう」

「くそ、都合の良い時だけ女子みたいなこと言って……」

「知らなかったのかい。女子なんだよボクは。それもとびきりの美少女だ。カネを払ってでもボクの尻に顔を埋めたい男子なんて腐るほどいる。タダでそれをしたのだから、田山はその代金を支払うべきなんだよ」

「やれやれ……」


 仕方なく、大岡さんの横をすり抜けて前に出る。

 仁藤先生は相変わらずの仁王立ちで、こっちをジロリと見据えていた。


「先生、お疲れ様です」

「なんだお前は。うちの生徒か」


 見りゃ分かるだろ! 制服着てんだから!


「調理実習室は立ち入り禁止だ」

「なんでですか? 一昨日まではそういうのなかったのに」

「鍵が壊されていたんだよ。一昨日、あんな事件もあったしな……下校時間まで、先生が調理実習室の警備をすることになった」


 警備? 学校の中なのに?

 そんなものが必要なのかな。


「教員会議でも報告が上がっていたんだ。朝になると、調理実習室に誰か出入りしている形跡があるって。これまではあんまり重要視されていなかったがね」

「夜中に、出入り……?」


 夜中の調理実習室に、誰が、どんな用事で入るんだろう。

 確かに、包丁やらなんやら、この部屋には凶器になりそうなものがいくつも保管されている。疑問は沸くけれど、今回の事件よりも前から起きていたことのようだ。村井先輩と関係はあるのか、ないのか。


「……そっか、もう調理実習室は使えないのか」


 後ろから、大岡さんが階段を上って近づいてきた。


「田山、他を当たろう。ここはもう使えないみたいだ」

「『もう』って……まさか!」

「そうだよ先生。夜中に調理実習室に忍び込んでいたのはボクと田山さ」


 勝手に巻き込むなよ、と言おうとしたが、何か言いかけたところで脇腹を小突かれてしまった。

 話を合わせろ、ということらしい。


「なにッ⁉ お前たち、何のために夜中に!」

「調理実習室の作業台、大きさも高さも丁度良くてね。水道もあって便利だし」


 何? 何の話をしているんだ大岡さんは?


「一階の理科室と違って外から見えずらいのもいいよね。ムードを壊されなくて済む」

「お、お前らぁ!」


 拳を振り上げる仁藤先生。


「逃げるよ、田山!」

「あ、ああ!」


 仁藤先生に背を向けて階段を駆け下りていく大岡さんに続いて、俺も階段を駆け下りる。

 渡り廊下を駆け抜け、そのまま部室(仮)に駆け込んだ大岡さんは、自分のカバンをひっつかんで捜査の打ち切りを告げた。



  ○  ●  ○  ●  ○



 俺と大岡さんは下校時間ぎりぎりになって校門を出た。

 帰り道の最中、自転車を押しながら大岡さんに話しかける。


「打ち切りって……ホントに大丈夫なの?」

「ああ。もう事件は解決した。犯人は分かったし、手口もなんとなく、ね。あとは動機だが……これは本人に自白してもらおうと思う」

「一体誰なんだ犯人は」

「せっかちさんだな、田山は。言っただろ、明日の日出までに事件を解決すると。肉料理は下ごしらえが重要なのさ。明日の日出まで、料理が出るのを静かに待っていたまえ」


 歩速を上げて、去っていこうとする大岡さん。

 その背中を見て、俺はペンを預かっていたのを思い出した。


「大岡さん。このペン」

「それは田山が明日の朝まで持っていたまえ。事件解決の鍵はそのペンだ」


 本当に?

 改めて手の中でこねくり回してみるが、やはり何の変哲もない、ただのボールペンだ。それも、消しゴムで消せるタイプのフリクションペン。消しゴム部分は少し削れて、新品ではない。

 万年筆みたいに持ち主の名前が刻まれているわけでもないし、被害者の体組織が挟まっているでもない。指紋を取ろうにも、俺も大岡さんも、それから見せた先生のうちの何人かにもべたべたと触られてしまったので証拠能力が無くなっている。


 大岡さんはテキトーを言っているんじゃないか。

 本当は事件なんて解決していなくて、このまま朝まで消えてしまうつもりなんじゃないか――――このまま彼女が消えてしまったら、俺はどうなる?

 大岡さんには見えているという事件の全貌。俺ひとりでは、解き明かせそうにはない。

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オオカミさんは月下に吠える 雲隠凶之進 @kumo_kyo

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