飯が食えない
神澤直子
第1話
--箸がない。
いや、箸はいらない。
フォークだ。フォークがほしい。
フォークがない。
フォークがないのならせめて箸がほしい。
スプーン。今あるのはスプーンだ。
目の前に二つスプーンが並んでいる。
たしかにスプーンも必要だが、別に二つは必要ない。むしろフォークの方がかなり重要である。
平日職場昼休み。
いつもだったらカップラーメンですますところを、なんとなくパスタなんてオシャレなものを食べようとした結果がこれだ。コンビニのパスタなんて中途半端なオシャレを楽しもうとしたのがいけなかった。オシャレをしたいのなら、ちゃんとどっかの飲食店に入っておけばよかったのだ。
まあ、こんな地域じゃあ近所にある飲食店なんて牛丼屋かファミリーレストランくらいなのだが。
スープパスタなのもいけない。変に『スープ』なんて文字がついているせいで店員のスラブ人が間違えたのだ。そうに違いない。普通のパスタだったら間違えるわけがないんだ。絶対そうだ。むしろそうであってほしい。
店員の嫌がらせを一瞬疑ったが、そんなわけはないのだ。だっていつもニコニコ愛想のいい店員なのだ。最近は顔馴染みでいつも買うタバコがスッと出てくる。本当に優しくてカッコいいお兄ちゃんなんだよ。
とりあえず今この状況をどうしようか考えなければいけない。
一足早く入った休憩。休憩室には私を除いて誰もいない。
コンビニまで戻るか。
いや、コンビニまで片道10分。往復20分。いつも私がわざわざコンビニを利用しない理由なのだけど、コンビニが割と遠い。さっき一回行ってしまったので、また行って帰ると昼休みのほとんどを往復だけに費やしてしまう。たかがフォークのために慌ただしい、心の休まらない昼休みを過ごすのは不服だ。
かと言ってこのままスプーン二つで何も食べることができないというのも、午後からの長い時間を過ごすにあたってかなりしんどいものがある。
--探せばあるかもしれない。
と、そう思った。
郊外の町工場が多くある地域にある中小企業。私が今まで働いてきた会社は割と大手ばかりで綺麗なビルに綺麗な休憩室だったりしたんだけど、ここはそうではない。プレハブの裏寂れた鉄階段を登った2階にある。プレハブなので夏は暑いし、冬は寒い。そんな建物の休憩室が綺麗なわけがなくて、事務所に入らない物が雑多に溢れている。女性陣の手によってそこそこ整理されてはいるものの、それでもやっぱりどこか乱雑で汚い。そして、乱雑に置かれているものの中に割といつも目的のものがあったりする。
一番ありそうなところはコーヒーメーカーの下の引き出しだなと思った。あそこから何かプラスチックのスプーンのようなものを取り出しているのを見たことがある。確かおしぼりはそこに入っているはずだ。
とりあえず開けてみる。
思いの外立て付けが良くて勢いよく開きすぎ、引き出しが落ちそうになって慌てて手で押さえる。なんとか引き出しの中身をぶちまけることは回避したが、中を見て私は落胆した。
中に入っていたのはスプーンである。コンビニで貰うようなプラスプーンと、マドラーのような小さなスプーン。あとはおしぼりとストロー。もしかしたら中にフォークや箸が紛れてないかと思って少し漁ってみたものの、どれだけ掘り起こしても中に入っているのはスプーンだけだった。
一体何にこんなにたくさんのスプーンを使うと言うのだろう。ストローだって使うことないと思う。来客の時は夏でも決まって温かいお茶だし、普段の飲み物にストローを使うようなハイソな感覚の人間はこの会社にはいない。
むしろ使わないからこそ溜まったのかもしれないと思った。
フォークや箸はみんな使うから結果在庫がないんだけど、スプーンはコンビニでもらっても使わないことが多いからこうやって貯まっていくんだ。でもスプーンをもらっておきながらスプーンを使わないことなんてそうそうない気もする。
いや、スプーンの謎なんてどうでもいい。
とにかく私はパスタを食べる道具が欲しい。
もしかしたらこの引き出し以外のところにあるかもと思って、幾つか開けてみた。やっぱり他の引き出しにカトラリーらしいものは入っていなかった。皿が入った引き出しとあとはなんかの工具が詰まっている。
やはり私はスプーンとこの引き出しの中のものをどうにかして、上手いことこの目の前にあるパスタを食べなければならないのだ。
まずはスプーンを使ってみようと思った。上手いこと二本入っているのだ。フォークみたいにして使うのはおそらく無理だが、スプーンの後側を箸のように使ったらなんとかなるかもしれない。
いや、無理だ。
形状がまずい。持ち手部分が真っ直ぐだったらまだ使えたかもしれないが、末広がりになっていて使いづらい。平たい部分を使って挟もうとしても平たい箸に慣れていないせいかまったく掴み取ることができない。そういえば韓国料理を食べる時に出される金属の平たい箸も私はうまく使いこなすことができない。
もしかしたらストローが箸代わりにつかえるのではなかろうかと思った。
私引き出しから個包装されたストローを二本取り出した。丁寧に個包装から取り出した。
喫茶店とかで出される細いタイプのストローだった。
私はそれを箸のようにして持つ。少し長さが足りないような気もするけど、子供用の箸だと思えば特に気にならない。細すぎて少し持ちづらい。
私はゆっくりと箸のようにしたストローをパスタへと差し込んだ。
先に結論を言おう。
全く使い物にならない。
麺を持ち上げようにもプラスチックの素材がツルツルと麺を逃す。うまく持ち上げられたと思っても、細すぎるのと強度のなさでグニャリと曲がりうまく口まで運べない。強度に関しては細いだけあってきっと曲がるストローよりはマシなのだろうとは思うけど、それでも全然使い物にはならない。
5分ほどストローで試行錯誤をしてみたが、結局どうにもならなかった。よく5分も粘っていたと思う。5分もの時間を無駄にしてしまった。
時計を見ると休憩時間は残り30分程度である。本当にコンビニまで箸を取りに行けるような時間ではなくなってしまった。
途方に暮れた。
その時、休憩室のドアが開いた。
中山が顔を出す。
「お疲れ様、どうしたの?暗い顔して」
呑気な調子で聞いてくる。
中山はベテランのパートさんだ。
細身でたぬき顔でおっぱいが大きい。もう50代も後半だと言うのに、男性社員の中で人気だ。まあ、これは弊社の平均年齢が高いせいもあるかもしれない。
見た目はおっとりとしているが口をひらけば、印象がガラリと変わる。歯に衣着せぬというか、なんというか。言いづらいこともズバズバ言うし、大口を開けて笑う。嫌味や悪口は絶対に言わない。なんというか気持ちの良い性格をしているのだ。
「いや……その……」
私は口籠った。
悪口は言われない。分かっていても絶対に笑われるという自信がある。それも事務所中に響き渡るような声で爆笑される。
「えっと……」
私は曖昧な笑顔を浮かべて中山を見た。
中山さんは眉を顰めてじっと私を見下ろす。
「何よ、はっきりしないわね。何があったのよ」
「いやぁ……」
「言ってみなさいよ。皆んなには内緒にしとくからさ」
そう言って私に耳を寄せる。
「笑わないでくださいよ……」
「大丈夫だって」
私は一瞬考えた。だって中山が箸を持っている可能性もある。中山が箸を持ってたら今目の前にあるこのパスタを食べることができる。
「実は……」
私は中山にそっと耳打ちをした。
「どわっはっはっはっは!!!!」
社内に中山の笑い声が響いた。想像した通りのリアクションに私は渋い顔をする。
「あんたも運がないわねえ!」
「中山さん……予備の割り箸とか持ってないですか?」
言われて中山はバッグの中を漁ったが、どうやら入っていなかったみたいだ。「ごめんねえ」と私に一度謝って、それから「誰か持ってるかもしれないから訊いてみる?」と言った。
私は悩む。
たしかに誰か持ってるかもしれない。
でもこれ以上の恥を晒すのか?
今は中山だけが知ってるけど、これをみんなに言って回ったらきっと半年はこれでからかわれ続ける。『おいしい』と言われたらそうなんだけど、あいにく私はそういうキャラではやってない。
一回そう言うイメージがついてしまったら最後、ずっとそのイメージが拭えないのはわかりきっている。
「いや……いいです……」
私は言った。
中山はキョトンとした顔をして私を見る。
「あら、でもご飯たべられないんじゃないの?」
「まあ、そうですけど……」
時計を見ると、休憩が終わるまであと15分程。コンビニに取りに戻るような時間なんてない。
「どうせ今箸が手に入ったところで慌ててかきこまなきゃいけないですもん。忙しなく食べるよりも後でゆっくり食べますよ」
「お腹減っちゃうじゃない」
「ははは、大丈夫。休みの日はたまにお昼を抜くんです。慣れっこですよ」
「そう……ならいいんだけど」
中山か再びバッグを漁る。中から何か小さな小袋を取り出した。
「これ、あげるわ。たいしてお腹に溜まるわけでもないけど」
チョコレートだった。小さなチョコレートがたった一欠片。
私は「ありがとうございます」とそれを受け取り袋を開けた。
逆境だ。
本当に小さな逆境だった。
私はその逆境を越えられなかった。
チョコレートを口に入れるとどこかほんのりと苦いような気がした。
飯が食えない 神澤直子 @kena0928
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