第10話 イエス様がいるから大丈夫です
会衆の驚きの表情を受け止めるように、伊藤さゆりは淡々と話を続けた。
暴走族出身の野田牧師は、中学時代のシンナーから始まって覚醒剤にも手を染めたことがあり、少年院に二度も収容されたが、少年院のなかで教誨師にキリスト教の話を聞いてから、イエスキリストを信じるようになったという。
当時、私はイエスキリストのことがわかっていませんでした。
十字架を手にした、イケメンの聖人君子といった認識しかありませんでした。
まあ、私は母と同様、十字架のネックレスをいつも身につけていましたがね。
もちろん、十字架の意味さえわかっていませんでした。
十字架というのは、ギロチンのような処刑道具だったのです。
十字架の意味は、縦は神と人間との服従関係、横は人間同志の平等関係という意味ですがね。
神様の一人子であるイエスキリストは人類の罪の身代わりになって、十字架につけられた後、三日目に蘇って天に帰っていった。
この荒唐無稽、前代未聞の話を最初に広めたのは、マグダラ地方に住んでいたマリアという売春婦だったという。
女子少年院のなかには、売春に利用されていた子も少なくはない。というよりは、女性が家出をすると、必ず売春に利用しようとする悪党の餌食になるのがオチである。
梅毒という性病になると、手や足、ついに顔にまでできものができ、性病の毒が頭に回ると、脳がおかしくなる。
いや、売春まがいのことをすると、体力がなくなり2キロ程度のものも持ち上げられなくなったり、風邪をひきやすくなったりもする。
聴衆は、知識を得たかのように納得して聞いていた。
伊藤さゆりは話を続けた。
「人類の罪の身代わりになって十字架に架けられたなんて、まるで冤罪じゃない。
それに十字架の死から三日目に蘇った。単なる幽霊だったりしてね」
という、おとぎ話のようにきれいごとを並べ立てたの疑心暗鬼としか受け止めていませんでした。
でも暴走族出身の野田牧師の話を聞いているうちに、これは単なるおとぎ話のきれいごとではなくて、実際にあった話に違いないと思うようになってきました。
野田牧師も、私と同じように暴走族出身だった故にに覚醒剤に溺れ、暴力団とも関係がありました。
野田牧師は、少年院を退院すると先輩の暴力団事務所に行くつもりでした。
しかし、少年院のなかで教誨師にキリストにであって劇的に変わったといいます。
ケンカもせずやり返しもせず、ずっと耐えていたといいます。
出院して、後輩の見舞金も断り、とうとう業を煮やした暴走族仲間が野田氏を殴っても「もう一発殴れ」と言うと、相手はなにもせずに去っていったといいます。
私は少年院を出院したら、どう生きていったらいいのかわかりませんでした。
女性の場合は、悪男が待ち構えているといいます。
水商売や風俗の世界に入ったあげく、ヒモ男がついて給料をみな吸い上げられ、また逃げないように覚醒剤を打たれたりするという話は、いやというほど聞かされていました。
今度は少年院ではなくて、刑務所で刑罰を受けるときがやってくる。
私は恐ろしさの余り、身震いしました。
野田牧師は証のあと、祈り出しました。
「神様、ここにいる人にあなたの恵みと信仰を与えて下さい。
反省は一人でもできるが、更生は一人ではできないといいます。
この中には、身内がいない人も何人かいます。
どうかイエス様と共に更生させて下さい。
さあ、今からお祈りしましょう ハレルヤ」
確かに、我が子が少年院に入院したことで、離婚したりするケースも多い。
私は初めて目を閉じ、手を組んで祈ると、トンネルのような真っ暗闇の向こう側から、一筋の細い光が見えました。
その光は風前の灯火のように弱々しいものではなくて、確固とした強い輝きを放っていました。
私はその光に従い、光の道を歩もうと決心しました」
聴衆はただ黙って感心したように聞いていたが、そこに救いを見出したようだった。
一人のチョイワル風の男性が手を上げた。
「しかし、僕もそうですが一度悪の世界に入ると、自分ではしっかりしているつもりでも、それをネタに脅してきたり、昔の仲間から逃れられなかったりするケースが多いですね。ましてや覚醒剤というと、億単位の大金になる。それを若い女性を利用して売買させたり、今はもう立ちんぼまがいの売春行為をさせる人もいる。
梅毒になると、顔や手にできものができるので、風俗に勤務することも不可能になりますよ」
伊藤さゆりはすかさず答えた。
「そのような話は、少年院でも重々聞かされています。
まあ、私は無理に隠すつもりはありません。
聖書の御言葉に「隠していたものはあらわになり、覆いをかけられたものは取り外されるものにあるのである」とあるからです。
私の過去が暴露され、居場所を追い出されたとしても神様は必ず新しい場所を提供して下さいます。
この世の目に見えるものは、すべて永遠ではなく滅びていきます。
しかし、イエス様は永遠です」
さゆりは確信に満ちたように発言した。
そういえば確かにそうだな。
昔、一流企業といわれていた松下電工(現パナソニック)など名前すらもないし、日本一と言われていた日本通運ペリカン便も十数年前に郵政公社と合併し、名前すらも存在しないな。
コンピューターなど存在しなかった今から五十年前は、情報処理科というと今のように花形ではなく、行き場のない人の行く実体のない底辺のものだった。
四十年前までは珠算部が花形だったが、OA機器出現により、今は存在すらも見受けられない。
「花はしおれ、草は枯れる。しかし主の言葉は永遠である」(聖書)
ほんの十数年前までは、水戸黄門の印籠のごとくの反社の代紋も、今は振りかざすだけで恐喝罪で警察を呼ばれる時代である。
「私の彼、今度若頭に昇任するの。昇任祝いのお神酒選んで下さい」
そう言うと、即刻恐喝罪である。
だから、この頃の反社は自らをなんと「町内会の自治役員」などと名乗ったりする。なるほど、考えたものである。
伊藤さゆりは、本当に更生するのだろうか?
悪党にひっかかり、餌食になることはないのだろうか?
風俗で働く女性は、やはり女囚あがりが多いというが、彼女がそうならないことを祈らずにはいられなかった。
伊藤さゆりは声を大にして言った。
「私は一人ではない。イエス様がいるから大丈夫です」
その途端、彼女の母親だと名乗る女性の頬から、涙がこぼれた。
伊藤さゆりの壮絶な体験から比べると、僕の痴漢の冤罪事件などまったくちっぽけなものかもしれない。
また、冤罪をかけた女性は噂によるとレズビアンだというが、レズビアンは男性の性被害者が圧倒的に多いという。
僕は憎んでいたはずの彼女が、哀れな被害者だと思えるようになってきた。
僕も信じてみようかな。イエスキリストとやらを。
なぜかクロスの十字架が好きで、ネックレスにも使っている。
一番人気のアクセサリーはいつもクロス、そして二番目がスカル(骸骨)だという。
神様のことをもっと知りたい。
だから、子供の頃、クリスマス礼拝に参加したキリスト教会にも行ってみるつもりだ。
僕の心をいつも黒くものように覆っていた将来への不安と世間への恐れと不信感が、不思議と消え、かわりに太陽の光が差し込むような気がした。
僕もこれからイエスキリストと共に生きていきたい。
伊藤さゆりの晴れやかな笑顔と共に、僕はそう決心した。
これこそ、神の御導きなのかもしれない。
完結(END)
痴漢の冤罪をかけられた僕はイエスキリストを知りたくなった すどう零 @kisamatuma
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