第3話 あなたのひまわり
学校帰りのバスでは黙りこくってしまった。
「もー、りりちゃんてば、どしたのさっきから。学校やだった?」
「そんなことない! ないけど……」
「けど?」
どう言えばいい?
10年ぶりに会った従妹に、あなたに憧れていますなんて。
そもそも口にしていい感情なの?
「ふーむ。さては退屈だったな? 文化祭の話し合いなんて聞いててもヒマだったよね。なんか埋め合わせでもするからさ」
そうじゃないと伝えようとするも、ひなちゃんは考え込むポーズをとる。車内をぐるっと見回す。彼女の視線は一点で止まり。
「ああっ!」
大声を上げた。
前の方に座っていた高齢の男性が何事かと振り返る。ひなちゃんは全力で手を合わせて謝罪で応えた。
それから私の方へ向き直り。
「りりちゃんごめん! 今夜お祭りあったんだ! クラスの子たちと行こうって話してたんだ」
彼女が指さす先には祭りのポスターがあった。
そっか。
まあ、私の帰省は急に決まったし、予定が入ってたならしょうがない。
元より埋め合わせを要求したかったわけじゃない。
じゃないけど……。
私は俯く。仕方ないとはいえ、いま一人になるのは寂しいものだ。
「そっか。いってらっしゃ──」
「でも、りりちゃんと一緒に行こうかなっ」
ひなちゃんの言葉にびっくりして顔を上げる。
「それは、つまり」
「二人で!」
彼女は、にひっと笑っていた。
◆ ◇ ◆
祭囃子が夕闇の底を這っている。
ずいぶんギザギザと粗い音をしていると思ったら、CDラジカセから流れているのを見つけた。すごい。現物は初めて見た。
人混みの中でもがんばって音を鳴らす姿は応援したくなる。
ざわめきがうねるようで、鼓膜を抜けて体の芯までが震えている。話し声だけじゃない。虫の鳴き声、露店の客引き、小さなステージの漫才、盆踊りの音頭。
全てが混ざっているのだ。
そこで、ソースの匂いと笑顔の気配が満ちている。
祭りだ。
通り過ぎる人たちが楽しそうにしている横で、私は鳥居に隠れてひなちゃんを待っているところ。
なんでも、びっくりさせたいから先に行ってて欲しいと。
別に構わないんだけれど、額にうっすらと汗がにじんでくると、家で待ってればよかったなと思わなくもない。
ハンカチでおでこを拭っていると。
「お、ま、た、せ~~~!」
明らかに私に向けられた大声。顔を上げると。
「おゎ……!」
浴衣姿のひなちゃんがいた。彼女は髪をかき上げて、その場でくるりと一回転してみせる。うなじがちらりと覗く。
それから、いたずらっぽい笑み。
「どう?」
「可愛い!」
思わず大声が出てしまう。
なにより、昼間までと雰囲気が違う。
「髪、下ろしたんだ」
「へへ、似合う? 似合う?」
ひなちゃんが小首をかしげる。さらさらと茶髪が流れた。
「かわいい。すっごく」
にひひと笑う彼女の髪に、ひと房だけ黄色が混じっているのに気が付いた。
「えっ、ひなちゃん染めたの?」
「いいでしょー。自分でやったの。けっこう上手くない?」
指でハートマークを作るひなちゃん。
可愛い。
可愛いけれども。
「その、ひなちゃんの学校は染めてもいいの?」
「へ? ああ、これはワンデーだしへーきだよ」
「わんでー?」
「洗えば落ちるってこと。庭先のホースでもね!」
ひなちゃんが器用にウインクをする。
そういう問題なんだろうか。
彼女の言い方からすると、ワンデーじゃなかったらダメ、という風にも捉えられる。
私の学校にも夏休みの間だけ染める子もいる、と聞いたことはあるけれど。
怒られたらどうしよう、とか怖くならないのかな。
「りりちゃんもやってみたかった?」
「っ!?」
ぶんぶんと首を振る。そんな、まさか私が髪を染めるなんて。
「そーお? 似合うと思うけどなぁ」
再びぶんぶんと首を振る。
「ふふっ。まあ無理にとは言わないから安心して! それより遅くなっちゃってごめんね。早く行こっ」
ひなちゃんが手を差し出してくれる。
「でも、よかったの。友だちと行く予定だったんでしょ?」
「いーのいーの。みんなとはまた別の祭りに行くからね」
ひなちゃんは悪そうな顔を作って笑った。遊び尽くすぞ、という笑みだった。
「ほら、今日の私はりりちゃんだけの私なんだぞ!」
目を細めたひなちゃんに手を取られ、境内を進んでいく。触れた指先の熱を感じる。ときおり、人と肩がぶつかりそうになる。
祭りで、夏だ。
「ま、まだ始まったばっかなのに人多いね……」
「え? まだまだ少ないよ」
「……これで?」
「祭りはこれからってこと!」
屋台の群れを眺めながら私たちはてろてろと歩く。
ひなちゃんはさっそくりんご飴を買って、噛み砕いていた。
「あんまお小遣いないけど、今日はパーッと使っちゃうんだぁ」
にひひ、とひなちゃんが笑う。
私もりんご飴を買おうかと悩むけれど、けっきょく買うのはやめておいた。
「食べなくていいの?」
「うーん……その、どうやって楽しむのが正しいのか分からなくって。あんまりお祭りに来たことがないからかな」
ちゃんとしてないといけなくて。真面目でいないといけないから。
私はひなちゃんと違って楽しむことさえ満足にできない、つまらない女だ。
「ふぅん」
ひなちゃんが、ガリリと飴をかじる。私に差し出してきた。
「じゃ、あげる」
「えっ」
「今日はりりちゃんに教えてあげる。こうやって楽しむんだって」
ひなちゃんがニヤリと笑った。
私は、震える指先でりんご飴を受け取る。ちいさく、ひと口。カリッと音がして。
「あまい」
「あはっ! そりゃそうだよ。りりちゃんは面白いねえ」
「ちがっ、だって表面の飴のとこしかかじれてなくて!」
「そっち!? ひとくちが可愛いなあ、もう」
笑われたのが恥ずかしく、急いでカリカリと食べているとハムスターみたいで可愛いと言われる。
恥ずかしい、ああ、もう。本当に恥ずかしい。
「他にもまだまだ楽しみはあるからね」
ひなちゃんは言葉通り、色んな屋台を紹介してくれた。
焼きそば、たこ焼きといったソースの香り漂う店から、わたあめやタピオカ屋さんの前を流れて行く。
くじ引きや射的、お面屋さんや金魚すくいといった軽く遊べるものまで。
私はどれがいいかを選べずに、一歩下がってひなちゃんを見てしまう。彼女はどこへ行っても、なにを買っても、なにも買わなくても、お店の人とすぐに仲良くなっていた。今だってヨーヨー釣りのおじさんと何事か話している。
ああ、いいなあと思う。
そりゃあ、みんな好きになるよね。ひまわりみたいな子だもん。
しばらくしてひなちゃんは笑顔で戻ってきて。
「はい!」
ヨーヨーを差し出してくれた。一人一個までというルールらしいが、プレゼントだからとお願いしてもらったらしい。受け取って中指に輪ゴムを通す。
「えあ、ありがと、う……」
嬉しくて、恥ずかしかった。
「んね、写真撮らない? ツーショット一枚もないじゃん」
頭が空っぽになった。
私が? ひなちゃんと? ツーショット??
「だ、だめだよ!」
周りの人が一斉に振り返る。
それくらい大きな声を出していた。
「ちょ、りりちゃん?」
「わ、私なんかがひなちゃんとツーショットだなんて、そんな、恐れ多いよ……!」
「へ? え? どゆこと!?」
周りに人だかりが出来てきた。
ひなちゃんが慌てている。
でも慌てているのはこっちも同じだ。
「だって! ひなちゃんは昔から優しくって、ひまわりみたいに明るくって、みんなの人気者で、誰よりも自由で……! わ、私なんかほんとに釣り合わないから!」
ひと息に言い切ると、ひなちゃんが驚きと、はにかみの混じった顔をしていた。
……はにかみ?
ひなちゃんが口元を押さえて目をそらす。
「ごめん。りりちゃんにそんな風に思われてると思わなかったから。ニヤケちゃって」
「う……ごめん……キモい、よね……」
「へ!? いや、逆ぎゃく!! 嬉しいの!」
「ぁあ……うん? 嬉し……?」
ドォン、と大きな音が鳴る。
花火が空を照らし、私たちに光の粒が降り注いだ。
心臓の音がうるさい。
私が今、こんなにも、顔を熱くしているのは夏だからだろうか。
ざらついたお囃子の音が遠くに聞こえる。
ひなちゃんが私の両手を握ってくれる。二つのヨーヨーがぽよんぽよんとぶつかった。
「あたし、ずっとりりちゃんに憧れてたんだよ? おしゃれで、肌が綺麗で、可愛くて、上品だし、勉強だってできるし、あたしにないものたくさん持ってる」
思い返せば、たしかに初めからたくさん褒めてくれていた気がする。でも私自身はそんな風には思えなくて。
「そんっ、なこと、別に……」
「そんなことある。それにね、りりちゃんの言葉が好きなんだ」
「言葉?」
「憶えてない? 小さいころさ『ひまわりが黄色いのはおひさまを飲んでるからだよ』って言ってたこと」
はっとした。
そうだ、その言葉を言ったのは私だった。
ずっとひなちゃんが言ったと思い込んでいたけれど。
小さいころのひなちゃんに、私が言ったのだ。
「りりちゃんには世界がそんな風に見えてるんだなあって、あたしすごく感動しちゃってさ。そのときから、ずっとりりちゃんは憧れなんだよ」
そんな。
私なんて全然、真面目でつまらない人間なのに。
「あたしのことをひまわりみたいって、りりちゃんは言うけどさ。じゃあひまわりのあたしが見つめてるりりちゃんは、あたしのおひさまだよ」
ひなちゃんは目を細めて、眩しそうに笑った。
いつもそんな風に笑っていた。
知らなかった。
それが私への憧れだったなんて。
「わ、私なんて全然おひさまじゃないよ。なれないよ、おひさまなんて」
「んじゃ、りりちゃんもひまわりで、あたしもひまわり」
それでどう? とひなちゃんは首を傾げる。
私は日陰にいる。
ひなちゃんは日向にいる。
だから、もしも同じ場所で咲けたならと、思っていた。
でも。
もしも違う場所で咲いたとしても、あなたの隣に居ても良いというのなら。
向かい合って咲くことができるのなら。
それに勝る幸せなんて、ないのかもしれない。
「……ひなちゃん」
「なに?」
「撮りたい、私も。一緒に」
ぐいっと体が抱き寄せられた。
びっくりしてひなちゃんを見る。眩しそうに目を細めていて、それが、憧れていると言ってくれたときと同じで。
私は彼女を抱き返した。
ひなちゃんの匂いがする。体温も、鼓動も、布越しに私に響く。
お囃子の太鼓の音が耳の奥に飽和していく。
スマホが掲げられて。
提灯の赤に満たされた私たちが映し出される。
ひまわりが二輪、夜に咲いていた。
向かい合わせに咲いたひまわり 宮下愚弟 @gutei_miyashita
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