第2話 日陰に咲いた
居間に通されて麦茶を渡された。
立ちっぱなしでグラスを傾ける。ただの麦茶のはずだけど飲んだことのない味がして、自分の家とは違うんだなと感じる。
考えると、どうにも居心地が悪くなってきた。
「りりちゃんその辺でくつろいでていいよー。あたしシャワー浴びちゃう」
くつろいでと言われるとな。
正解が分からず、グラスを持ったまま突っ立っていると、ひなちゃんの足音が上から聞こえ、それがだんだんと移動して、降りてきて。
「ん? どしたの、りりちゃん。座っててよかったのに」
「えあぅ、そうだね……そう、ですな」
「髭生やしてる人の喋り方じゃん。ウケる」
恥ずかしゅうて恥ずかしゅうて。
顔の熱で発電できるよ。
頬をさすりながら居間のソファに腰を下ろす。グラスはテーブルに置かせてもらお。
「あれ、ひなちゃんそういえばシャワーって……」
「すぐ終わるから」
言うが早いか、ひなちゃんは居間の引き戸を開ける。縁側と庭が見えた。
「持ってて、りりちゃん」
ひょいと投げられたものをキャッチする。タオルだ。バスタオル。続いてヘアゴムが投げられる。
なにが? と思う間もなく、ひなちゃんは裸足のまま庭に飛び出した。
彼女はタンクトップとホットパンツを脱ぎ捨てる。庭のホースを掴み、繋がっている蛇口をひねる。勢いよく水が吹きだす。
ひなちゃんは、スポーツブラ姿で水浴びを始めた。
庭で。ホースで。
「えっ」
ひなちゃんが頭のてっぺんにホースの口を当てる。肩口で切りそろえられた茶髪がゆっくりと濡れていく。
「つめて~~~~~~」
大口を開けてひなちゃんは笑っていた。
「な、なんでホースで……? お風呂場のシャワーは……?」
ひなちゃんは水をばしゃばしゃと被りながら、きょとんとした。
「こっちのが気持ちいいじゃん?」
そういうもの、なの?
こんな子だったっけと考えてから、こんな子だったかと妙に納得してしまう。
自由の子なのだ。昔から。
じっと見つめているとパチッと目が合う。
「りりちゃんもやる?」
「えーっと、えーっと」
「ああ、下着とかあたしみたいにスポブラじゃないし、アレかぁ」
問題はそこじゃないんだけどな。
それから遅めのお昼ご飯を食べて、あぜ道を散歩して、夜にはお祖父ちゃんとお祖母ちゃんと叔母さんと私たちで揃ってご飯を食べて。
布団に入ってからはひなちゃんがたくさん話をしてくれた。小学生のころから今までにあったことをたくさん。
帰省初日、寝付いたのは日付が変わったころだった。
◆ ◇ ◆
目を覚ますと、ひなちゃんは制服姿で身支度をしていた。
寝ぼけ
「文化祭の話し合いするんだー」
「へえ」
「りりちゃんも来るっしょ?」
「へ?」
「ほら支度して! 私服でもいけるいける!」
「うぇ?」
気付いたらバスに揺られ、ひなちゃんの高校についていた。
もちろん制服じゃない。
オープンカラーシャツにストレートパンツという、ド私服である。しかもサンダルをつっかけて来たので、ローファーの生徒たちの中では完全に場違い。
「ひ、ひなちゃん! やっぱりダメじゃない? 私ここの生徒じゃないし……!」
「えー? でもめっちゃオシャレだしいけるいける」
「あ、ありがと……って、ぜんぜん理由になってないよ!」
「だいじょーぶだいじょーぶ。りりちゃんも高校生だしぃ」
ひなちゃんがカラカラと笑うので、私は言い返すことも出来ず、彼女の後ろに隠れるようにしてついていった。
教室に入るとクラスの女の子たちに取り囲まれる。
従姉だよ、とひなちゃんが私のことを紹介しても彼女らの興味は尽きなかったみたいで。
「どっから来たん? 東京け?」
「や、あの、埼玉ですけど、学校は東京で」
「埼玉ってどこ? 中華街あるとこ?」
「それは神奈川じゃ……」
「お姉さん彼氏おる? 都会の子ってやっぱイケメン大学生と付き合ってるんけ?」
「い、いませ……」
「めっちゃ可愛いやん! 肌白いやん! おしゃれやん! 男どもはアホやな~」
「えと、あの、えぉ……」
しどろもどろになっていると、小麦色の腕が私の前ににゅっと差し込まれる。
「ちょいちょい、いったんりりちゃんから離れろー」
それだけで女子たちはキャーキャーと楽しそうに散っていく。
「ごめんねぇ、りりちゃん。田舎って退屈だからウワサに飢えてんよ」
「ううん。ひなちゃんありがと」
ヒーローみたいだ。言わないけど。
ひなちゃんが再び集めたクラスの女子たちと話していると、担任の先生がやってきた。ガタイの良い男性だ。目が、合ってしまう。
反射的にびくっと肩をすくめる。
やっぱり部外者が勝手に学校に入ってきてはいけなかったんじゃないか?
心臓がバクバクと音を立てる。
学校の先生特有の、あの目が苦手だ。悪いことをしてないか、ちゃんとしているかを見定めているかのようなまなざしが。
小言を言われてしまう。正しくなきゃ、悪いことをしないで真面目でいなきゃ。
背筋を伸ばしてなきゃいけない、のに。
「せんせー! 生き別れのお姉ちゃん連れてきました! 10年ぶりっす!」
ひなちゃんが手を挙げた。私の背中に手を当てて、ぐいっと支えてくれながら、元気に言った。
教師はため息をつく。
ダメだよ、ひなちゃん。無理だって。学校の先生はそういうの許してくれないんだって。ちゃんとしてなきゃ……。
「百地、その子の椅子あるか?」
あれ? 怒られ、ない?
「一緒に座るから大丈夫っす!」
そうか、と教師はうなずき、私の方を見てくる。
「居てもいいけど、おとなしく……いや、普段の百地の方がうるさいか」
「ちょっ、せんせーそれは悪口っしょ!」
ひなちゃんが唇を尖らせると、教室が笑いに包まれた。
わけがわからなかった。
どうして私は怒られなかったんだろう。
ちゃんとしてないのに。
「りりちゃん、座ろ」
にひひ、とひなちゃんが笑う。
言葉を返す暇もなく、私とひなちゃんは一つの椅子に座った。
右隣にひなちゃんの体温を感じる。鼓動を感じる。おしりは半分しか乗っていないはずのなのに、不思議と安定していた。
ひとりで背筋を伸ばすのに疲れてしまった私には、心地よかった。
文化祭へ向けての話し合いが進むさなか、私はずっとひなちゃんの横顔を見つめていた。
どうしてそんなに強いの。どうしてそんなに自由なの。
先生に怒られちゃうとか考えないのかな。でも実際、怒られなかったしな。
きっと私にはできない。
いいな。すごいな。私もひなちゃんみたいになりたかったな。
ひなちゃんは太陽の光を浴びて真っすぐ育ったひまわりだ。
それに引き換え私は日陰に芽を出してしまった雑草みたいで。
もしも同じ場所で咲けたなら、ひなちゃんみたいになれたかな。
嫉妬はない。けれど羨望はある。ただひたすらに眩しくて憧れる。
『ひまわりが黄色いのはおひさまを飲んでるからだよ!』
いつかの言葉が再び脳裏で響く。
ひなちゃんはひまわりだ。おひさまの光をいっぱい飲んで、黄色く咲いたひまわりだ。
右隣の体温が、近いのに遠かった。
「ね、りりちゃん。文化祭来てよね。秋ごろやるからさ、まぁ平日だけど」
無邪気に笑いかけられた私は、うまく答えることができなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます