私は美人である

青いひつじ

第1話


私は美人である。それでいて頭も悪くない。


その所作は、流れる川のようにしなやかで、

精神は、ハンバーグに添えられたホウレンソウのように慎ましい。


「君は美しく、それでいて謙虚だ」


私は、春風をまとったタンポポになりすまして微笑む。


「とんでもないです」


中には私に好かれようと、高価なブランドものをプレゼントしてくる男もいた。

私のどこが好きなのか聞けば、彼は絵画のように美しいところと答えた。


みんなは知らない。

私の心が、水をもらいすぎた花のように枯れていることを。




大学生の時、初めて自分から好きと思える人と付き合った。

隣町にあるK大の学生だった。成績も家柄も申し分ない人物だった。そして何よりも、優しかった。

彼は私の誕生日に、当時流行っていたブランドのハンドルバッグをプレゼントしてくれた。

課題に追われて疲れている時は、コーヒーを淹れてくれたし、記念日には薔薇の花束をくれた。

私はいつも「ありがとう」と微笑んだ。


でも本当は、私の趣味は風景画を描くことで、週末にはたくさんの画材を持ち運びする為、愛用していたのは大きなトートバッグだった。

リラックスする時によく飲むのは、ハーブティーで、好きな花は、名前にも入っている桜だった。


ある日なんとなく、私の好きなところを尋ねると、私の顔が好きだと答えた。

彼は、私が美しいから優しいのだと気づいた。

それからの私は、彼等に多くを期待せず、求めているであろう返答をするようになった。




「おとなり、よろしいですか」


ぼんやり灯る光がなんとも色っぽいバーで、溶けていく氷を眺めていると、見知らぬ男が声をかけてきた。光沢のあるスーツを着た、身なりの良い男だった。

整えられた髪からは清潔感が溢れており、外見は間違いのない、魅力的な人物だった。


しかし、初めこそ丁寧であったが、お酒が進むにつれその本性が露わになっていった。

彼は、自身の武勇伝を語り出した。

内容はよく覚えていないが、あちらの界隈で有名な人物らしい。

ダラダラと話す男は好きではないし、着飾った言葉に興味はない。



「それはいいですね。女の子はこぞってブランドものを欲しがりますから」


「嫌な言い方をするね」


「嫌味を言ったつもりはないですよ。

 賞賛してるんです」


なんとも退屈である。

私は「それでは」と笑顔を送り、お札を1枚テーブルに置いて店を出た。

今日もひとり、光り輝く空っぽの街を歩いていく。





私は、現在都内オフィビルで受付嬢として働いている。

その人は、台風と共にやって来た。



「失礼します。私、M商事の奥山と申します。

R物産の田所さんとの打ち合わせで参りました」


「かしこまりました。こちらにご署名いただき、少々お待ちください」


受話器を取り内線を繋ぐ。


「はい。それではお通しします」


よく見ると、入館証を受けとった彼の前髪からは雫が滴り、スーツは鈍色に染まってしまっていた。

私は思わずハンカチを取り出し彼に渡した。


「もしよろしければ使ってください」


「あ、いえ、申し訳ないです」


「でも、打ち合わせなら少し拭かれてから行ったほうがいいかと」


彼は申し訳なさそうに受け取ると、全身を一拭きした。

つるっとしたシルク素材のネクタイをしていた。


「綺麗なネクタイですね」


「え?」


「あ、いえ。水色、好きで、つい」


「ハンカチ、洗って返します」


「あ、そのままで大丈夫ですよ」


「汚れてしまったので、でわ」


そう言うと、足早にエレベーターへと向かってしまった。

ほんの一瞬のやりとりだった。



時間は夕方と夜の間になった。

いつもは空が藍色の幕を下ろし出すこの時間だが、今日は一面に鉛色が広がっている。

人の出入りも少なくなり、職員たちは帰路につく。

私もそろそろと名札を外そうとした時、受付前に黒縁の眼鏡をかけた人物が現れた。

来客かと思ったが、そのネクタイに見覚えがあった。



「あ、先ほどの!何かお忘れ物でしょうか」


「いえ、先ほどはお礼も言わずに申し訳ありませんでした。それで、お借りしたハンカチなんですが、泥でかなり汚れてしまって」


「全然大丈夫ですよ。眼鏡かけられてたので、最初分かりませんでした」


「先ほどここへ来る時に、コンタクトを落としてしまって」


「じゃあもしかして、あまり見えてなかったとか」


「はい。なぜですか」


「いえ、入館記録の書き方が、、、」


私は、欄外から大きくはみ出した彼の名前を見せた。


「うわぁ、お恥ずかしい。汚い字ですみません」


「いえいえ」


「そうだ。これ、たいしたものではないんですが。ありがとうございました」



彼が差し出した袋の中には、チェック柄の紙に包まれた何かが入っていた。



「そんな、わざわざ。ありがとうございます。

 開けてもいいですか」


「はい」



包み紙を開いて私は驚いた。プレゼントを受け取ってハッとしたのは初めてだった。

顔を上げると、急いで来たのか、彼はおでこにうっすらと汗をかいていた。

そして、また少し濡れてしまった肩に、不覚にも感動している自分がいた。


私が欲しかったのは、高価なブランドものでも、綺麗な花でも、ありふれた褒め言葉でもない。

大袈裟かもしれないが、きっとこれは、人生で何度も訪れる感動ではない。


私の表情に、目の前の彼は笑ってしまうほど不安そうな顔をしていた。



「あんまりでしたかね」



「いえ。嬉しいです。大切に使います」




綺麗な包み紙の中は、水色のハンカチだった。


初めて知った。


些細な言葉を覚えていてくれることが、こんなにも嬉しいということを。















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