第21話への応援コメント
まだ途中までしか読んでいませんが、大変な経験をされたわけですね。
また、日記でもつけていたのか詳細に書かれていて感心しました。
私も似たような経験をしていますが、まだまだ文字にする事は出来そうにありません。
ただ、周囲の多くの人が自分の病気を知っている方が、自分にとっては楽な気がします。
引き続き読ませていただきます。
作者からの返信
コメント、ありがとうございます。
いつか娘に渡そうと思い入院中から書き始めた、覚え書きのようなメモを見ながら、懐かしくあの頃を思い出して書いたものです。
読み返した覚え書きは、かな〜り愚痴っていたり、ときどき嬉しいことが書きとめてあったり、相変わらずの私節でした。
あと、旅ノートも押入れから引っ張り出して、読みかえしたりして。
こんな人もいるんだな〜くらいに、軽く読んでいただけると嬉しいです。
第50話への応援コメント
最終話まで読ませていただいてから幾日も過ぎてしまいました。
コメントを書かせていただこうと思いながらも、言葉を選ぼうとすればするほど出てこなくて。
月夜の黒猫様の貴重な人生の一部を、エッセイとして読ませていただきありがとうございました。
闘病のみならず取り巻く環境の中での人生の歩み…心に沁みました。
お互い旅の途中、このように巡り合えたことに感謝します。
作者からの返信
コメント、ありがとうございます。
いつか、娘に私の体験を伝えようと思い、入院中から綴っていたメモノート。
それを見ながら「がん体験記」を書く作業は、思いがけず、「結婚後、新たなフェーズを生きている、幸せな私」に気づくものでもありました。
今、一番感謝するべき人が誰なのかも、良く分かりました。
昨日、20年ぶりの、夫と私だけの二人旅から帰ってきました。
ちょいちょい喧嘩しながらの道中でしたが、無事に帰国。
旅行中は、うっかり失敗したこと、計画通りにはいかなったことなど、楽しいことと同じくらい、困ったことも沢山ありました。
わざわざ未経験の場所に身を置き、五感をフル動員して、初めての物や人に触れて経験を重ねる。
そして、旅の最終日が来ると、「まだまだ行きたいところがあったな〜」なんて思いつつ、不完全なまま、その場所を後にする。
「あれっ、まるで人生と同じなんじゃない?」と、今、噛み締めています。
「どれも、完璧に達成なんてできないけど、時間制限があるから、次に進めば?」ってことか、なんて。
今度は、何を見てみようかな?
私たちは、まだまだ、旅の途中ですよね。
第27話への応援コメント
月夜の黒猫様は、子供時代から周囲の大人に無邪気に頼ることが出来ず、それは、大人になった今でも難しいのでしょうね。
頑張って頑張って、苦境を乗り越えるために、自分を抑えて最善を選択しママ友の方にお話しされたのでしょう。
よく頑張られましたね。
でも、ご自身の苦手な部分を乗り越えられたのですから、これからはもう少し肩の力を抜くことが自然にできるのかもと…勝手な物言いをしてしまってごめんなさい。
ただ、子供の頃に周囲の大人に頼ることが出来ず諦め、全て自身で考え行動しなくてはいけないと思って成長した私自身と重なってしまいました。
私は人間関係の中に難しさを抱えたまま年を重ねてしまいましたが、黒猫様はきっと私よりもかなりお若い。だから、きっとすべては良い方向へつながるための過程なのだと。
作者からの返信
コメント、ありがとうございます。
読み返してみると、本当に、この頃は、心を張りつめていたいたように思います。
そうじゃなきゃ、前を見て歩けなかったのかも。
今は歳を少し重ね、肩の力を抜けるようになったかな・・・、いや、まだですね。
修行中です!
良い方向へつながるための過程なら、嬉しいです!
第6話への応援コメント
月夜の黒猫さんって、肌の弱さとか、
色々頭の中で暴走する事とか
私と似ていると思っていましたが……
とんでもなかったです!
私なら、多分、生活範囲内の人々に
伝えまくって、弱音吐いていると思うので……
そんな不安な状態でも
芯の強さを感じさせられて
感動しました。
作者からの返信
コメント、ありがとうございます。
ふふふ。
薄々気づいていた、自分の性分。
夫からは「懐かない猫」って、言われます。
今、分かったことは、自分の弱音を吐くことは、悪いことではないということ。
自分だけの力で乗り越えられない苦境に立たされた時、周囲からの援助を受けることは必要で、そのための自己開示は大切なスキルの一つだということ。
そして、それを分かった上でなお、自分はそういう生き方を望まない人間だったということ。
つまり、扱いづらい、面倒くさい奴なのでした!
第50話への応援コメント
後半、一気に読みました。
ここまで詳細にキチンと言葉にしておられるのには「さすが作家!」と敬服します。
その上で印象に残った部分について、医師として一言、二言、感想を述べさせていただきます。
第27話 「今日は何を食べましたか」と尋ねられたところ。過呼吸に対する対応は色々な流派がありますが、患者さんに話をさせて治すという方法もあるのか、と感心しました。ちなみに、万一の気管挿管に備えて食事の事を確認しておくのは必要不可欠な手順です。この時の医師は一石二鳥で治療と確認を行っているので、私なんかは「お主、できるな!」と言いたくなります。
第35話 「本当にやってみたいなら、卒業までにどれだけお金が掛かるのかきちんと調べて教えてね」という言葉は、御主人なりに心積もりをしたかったのではないでしょうか。「お金を惜しまず掛ける」といっても、1万円か10万円か100万円かでは覚悟が違ってくるのだと思います。それにしても素晴らしい御主人ですね。
第41話 「自分は、がんに向き合う時、今の標準治療を超える方法なんて無い、と思っている」の部分、良い判断をされたと思います。標準治療という言葉の響きからは凡庸な治療という印象を受けますが、世界中の医師や研究者たちの血のにじむような研究と執念の成果なので、最新治療というネーミングの方がいいのではないかと私は思っています。
第43話 患者会のもつパワーは私どもも研究テーマにしています。透析や糖尿病などの疾患を対象に、ワールドカフェ形式にしたり、医療機関の一部をサロンにして色々な形態で試行錯誤をしているところです。
第45話 「7年や8年で服用を終了してもいいのか」のところ。5年でも10年でも、あるいは7~8年でもいい、という自らのコントロール感が重要だと私は思います。自分でどうにもできない部分が病気の怖さの一面なので、少しでも自分がコントロールできる部分があると、かなり気持ちに余裕を持てるのではないでしょうか。
私も自らの闘病体験をいつか文字にしたいと思っていますが、まだまだそこまで行けていません。何よりもまずサバイブする必要があります。ただ、単に生きることを目標に置くよりは「自分は何々をしたいから生きたい」と思う方が前向きになれるような気がします。
書いておられる通り、乳がんは長くつきあう事になる病気なので、一段落ついた後の事も読ませていただきたいと思います。
お大事になさってください。
作者からの返信
コメント、ありがとうございます。
貴重な「医師の視点からのコメント」を頂いて、恐縮しています。
なんだかんだと月日が流れ、あと数ヶ月後には、この治療を卒業します。
でも、私はきっと、何も変わらず11年目を生きると思います。
ちなみに、この話は、いつか子どもに伝えるため、自分の経験や気持ちを整理したものです。
いつしか、言葉にすることが最高のカタルシスになっていたのは、間違いありません。
他の場所に置いていたこの拙い文章を、今年初めて知り参加した「カクヨム」に置き直しました。
ただ、それだけ。
なので、私は「作家」ではなく、「文章を書いた、ただのがん患者」です。
hekiseiさんの「診察室のトホホホホ」は600話以上あるので、時々ふらりと訪れて、少しづつ読ませてもらうつもりです。
患者としてギクリとさせられながら、楽しく拝読しております!