第2話 それぞれの師

 迷路のような通路を進み、やはり今回も道順を覚えられそうにないと諦めた頃、ようやく目的の部屋に到着した。

 朝凪あさなぎが扉をノックすると中から刃璃はりの「入れ」という声が聞こえ、開いた扉から室内へと足を踏み入れる。


「よっ、昨日振りー」


 部屋に入ってすぐに陽気な声が耳を通り抜けた。


「!?」


 中央の大きなテーブルに寄りかかるように立った金髪の少年がにっかりと笑って手を上げていた。


こがらし……」


 昨日知り合ったばかりの色々とキャラが濃い少年だった。できれば二日連続で出会うのはご遠慮したい相手だった。

 しかしなぜ彼までここにいるのだろうか。露草つゆくさの不思議そうな顔に凩はふふふと笑う。


「何でオレがここにいるのかって? そりゃ統治者に呼ばれたからに決まってるでしょ」


 皮張りの椅子から立ち上った刃璃が溜め息を吐いた。


「いつもは呼んでも来ない時の方が多いがな。朝凪が探すのに苦労をする」

「じゃあ探さなくて良いんじゃないかなあ」

「では次からは我が直々に探しに行こうか。それとも時雨しぐれ殿にお頼みした方が良いか?」


 刃璃の言葉に凩の頬が引き攣る。これは珍しいものを見た。


「……刃璃と時雨殿に迷惑をかけるなんてそんなそんな」

「では引き続き朝凪に迷惑してもらおうか」


 刃璃が朝凪に視線を流すと、彼も珍しく嫌そうな顔を隠そうとしなかった。


「私もわざわざ凩は探さなくても良いと思いますが」


 イコール「探したくない」ということだ。


「おお、珍しく意見が合ったな、朝凪」

「そうですね」


 凩と朝凪の間にピリリとした空気が走った瞬間、刃璃が大きなため息を吐いた。


「――もう良い。その話は後にしろ」


 そして、改めて露草たちに目を向けた。


「失礼した。凩はこれでも代々統治者の右腕を務める家系の者で、今は我の右腕になっている。……一応」

「一応って何だ」


 凩の横合いからの一言を刃璃は無視する。あの凩に対して強い。さすが統治者。

 露草が思わずかね夕凪ゆうなぎを見遣ると、二人は「あれ?」と小首を傾げていた。


「あたし言ってなかったっけ?」

「私も気がつきませんでした。凩の雑多な話の中ですでに言っていた気になっていましたね」

「え? オレのせいなの?」


 流れ弾を食らった凩が唇を尖らせる。

(ああ、だから城に部屋があるって言ってたのか)

 露草はようやく腑に落ちた。昨日、凩が本来は城の住人であることを聞いて不思議に思ったが、つまりはこういうわけだったのだ。

(ていうか……この世界本当に大丈夫?)

 凩という人物に対する心配ももちろんあるが、それだけじゃない。

 今のところ、露草が知る刃璃の側近は二人だけ――朝凪と凩だけだ。刃璃が統治者というだけでも驚いたというのに、まさか側近の二人もこんなに若いのか。


「あの……刃璃。前から思ってたんだけど、この世界は子どもが統治するのが普通なのか?」


 露草の問いに刃璃が軽く目を見開いた。思いもよらぬ質問だったらしい。

 彼女はふっと目元を緩め、何と言ったものかと思案するように空を見つめた。


「そうだな……いずれ詳しい話をしなくてはならないだろう。だが、今はその時ではない」


 刃璃がちらと矩を見たような気がした。矩は「意味が分からん」という顔をしている。

 刃璃が露草の目を見つめる。そこに「今は言えない」という意思を感じて、露草はそれ以上追求することをやめた。

(刃璃は一体何を隠してるんだろう)

 とはいえ一つ分かったことがある。恐らく、彼女が統治者をしている現状は何か特殊な状況なのだろうということだ。


「――さて、今日の本題だ」


 刃璃がコホンと咳払いをして仕切り直した。露草も一旦、今まで考えていたことを脇に置いておくことにした。どうせすぐに分かる事ではないのだ。


「露草がこの世界に来て数日。定期的に桜の消滅について報告を受けているが、今のところ何も変わったところはない。――だな、朝凪?」

「はい。消滅が止まることも、また逆に消滅のスピードが上がるといったこともないようです。ただ、今まで通り消滅が進んでいます」

「凩、夕凪。何か異論もしくは補足はあるか」

「無し」


 凩が即答し、夕凪も首を横に振った。


「ここ数日はあまり遭遇していないので何とも言えませんが、特別なことはなかったと思います」

「分かった。何か異変があればすぐに報告してほしい」


 刃璃の確認に二人は揃って頷いた。


「それで、今後についてだが……」


 刃璃はすっと視線を露草に向けた。


「正直なところ、まだ大きな異変が無い点から対策は決まっていない。だが何もしないでいるのはお前も不安だろう」


 それはその通りだ。


「というわけで、露草。お前は夕凪から剣を習え」

「え?」

「元々剣に馴染んでいると聞いている。最低限、自力で魔獣を倒せるようにはなっていてほしい」

「まあ、オレもそうできた方が良いと思ってるけど……」


 夕凪にはすでに朝稽古に付き合ってもらっているが、刃璃が言うにはつまり本格的に彼から剣を習えということだ。

 そろりと夕凪を見ると、彼は相変わらず微笑んでいた。


「私は別に構いませんよ。というか、露草はもう基本的なことはできているのでほぼ実践の方かと思いますが」

「ほう。夕凪にそこまで言わせるとはなかなかだな」


 感嘆する刃璃に露草は心なし照れ臭くなって目を伏せた。


「夕凪の足元には全然及ばないけどな」

「そんなことありませんよ。露草は筋が良いのですぐに私から一本取れるようになると思います」


 そんな馬鹿なと思いつつ、夕凪がそう言ってくれるのは素直に嬉しい。


「露草、私と一緒に魔獣払いをしますか?」


 夕凪に訊かれて、露草は表情を引き締めた。元よりそのつもりであり、答えに躊躇することはなかった。


「お願いします」

「はい。こちらこそ」


 夕凪がゆっくりと礼をして、これではどちらが生徒か分からない。露草は思わず笑いを溢してしまった。


「さて、矩」

「何だ」


 刃璃は今度は矩に話を向けた。

 刃璃の視線を真っ向から受け止める矩は、まるで喧嘩を売られた相手みたいな剣呑さを持っているように感じた。


「お前、魔力を使おうとは思わないか」


 矩が息を呑んだのが分かった。

 彼女は魔力を持っているが、過去の事件における心理的な事情から魔力を使えないと聞いた。


「思うか思わないかだ。思わないのなら、せいぜい露草と一緒に今まで通り夕凪に剣を習え」


 淡々と言う刃璃に、矩が唇を噛んで睨みつける。


「どっちだ? 剣すらもまともに扱えないならもう守ってもらう存在になるしかないだろうが……」

「守ってもらう……?」


 矩から零れた声が微かに震えていた。着物の横でぐっと拳が握られる。

 刃璃の青い瞳がじっと見定めるように矩を捉えていた。

 矩がその青い瞳を強く睨み返した。


「冗談じゃない。あたしは守られる存在になるなんてごめんだ。絶対に、死んでも嫌だ」

「ではどうする? お前が持つその魔力を使うか?」


 統治者が再度彼女に訊ねた。



***


 刃璃の言葉に、矩の腸は煮えくり返りそうになっていた。

 守られる? 自分が? ――あの時と同じように?

 五年前、矩を守って死んだ両親たちを思い出す。

(冗談じゃない。あたしはもう守られるだけなんて我慢できない)

 そのために夕凪に剣を習い、魔獣と戦って来たというのに。

 このまま魔力を使わず、露草と一緒に夕凪に剣を習うのも選択肢としては十分ありだ。魔獣を倒すのに問題はない。

(だけど)

 わざわざ刃璃がこうして訊いて来たということは、それなりに意味があるのだと分かっていた。

 恐らく彼女は、矩が持つ魔力が必要になる時が来るだろうと考えている。

(あたし自身が恐れるほどのこの力を)

 今もまだ自分の中にある魔力を使いこなせる自信はない。そもそも、自分がどれほどの力を持っているのかも正確に分からない。

(あたしには使えない……)


『でも、そうも言ってられなくなるかもよ。これから先』


 前に凩に言われた言葉が蘇る。――その通りだ。

 守られる存在が嫌ならば、自分が誰かを守る存在でなくてはならない。

 刃璃に言われるまでもなく、矩がそのために活かせる力があるとしたら、この魔力をおいて他にない。

(使えないなんて言ってる場合じゃない)

 心臓のなる音がうるさい。いつもより早くに脈打っているのが嫌になるくらい分かる。

 矩はゆっくりと息を吐き出して、新しい空気を肺に送り込んだ。

 もう一度、精一杯の努力でこの魔力と向き合ってみようか。

 幼い頃、必死に制御しようとしていた自分のように。

 今度は誰かを守れるように、もう一度――。

 最後の迷いを抱えたまま夕凪を見た。彼はいつものように微笑んでいた。矩が何かを決断する時、彼はこうして見守ってくれていた。

 露草を見ると、彼は軽く唇の端に笑みを浮かべた。

 長い睫毛の下で強い瞳が矩のそれと合う。

『お前に守られる役は似合わねえよな。逃げるな』――そう、言われたような気がした。

(……そうだな。露草は他の世界から呼ばれて巻き込まれてここにいるんだよな)

 それなのに、彼は彼なりに夕凪に剣を習って魔獣と戦おうとしている。

(あたしが逃げてどうするんだ。露草をちゃんと元の世界に帰してやらないとだろ)


『昔のことは忘れて前だけを見ろ』


 露草が伝えてくれた、樹氷の言葉を思い出す。矩の中で迷いが消えた。

 刃璃に向き直り、その青い瞳を真正面から見つめる。


「使えるようになりたい。――いや、絶対使えるようになってやる」

「……良いだろう。その言葉、忘れるなよ」


 統治者である少女は不敵に笑い、「ではお前の師は……」と続けた。

(……師? まさか刃璃様と朝凪じゃねえよな?)

 それこそ冗談ではないと頬を引き攣らせた矩を置いて、刃璃は金髪の少年を振り返った。


「凩、頼む。朝凪も考えたが、この二人では相性が悪すぎるだろう?」

「ご配慮ありがとうございます」


 すかさず礼を述べた朝凪にイラっとするが、ここは素直に彼が師にならなかったことを喜ぼう。

 凩はうーんと伸びをしながら、


「オレが師ねえ……。別に良いけど、誰かに教えたことなんかないからあんまり期待はしないでね」

「正直、あたしもお前が師というのにパッとしない」

「まあ、師とか堅苦しいのはいいよ。気楽に先輩くらいに思っといて」

「はあ」


 凩が性格はともかく魔力と術に長けているのは知っている。果たして彼の教え方がまともなものなのかどうかは怪しいが、今は彼を頼るしかない。

(そういえば凩にも師がいたような……)

 薄っすらとそんな記憶が過ぎったが、思い出す前に消えて行ってしまった。


「ひとまず凩は矩が一日でも早く魔力を使えるようになるよう注力してくれ」

「了解。でも、オレの仕事はどうすんの?」

「そちらは朝凪が補う。良いな、朝凪」

「承知しました。後で調整をお願いします」


 刃璃の指示に朝凪が従う。そこに夕凪が口を挟んだ。


「魔獣払いの方は引き続き私も行いますよ。露草の実地訓練にもなりますし」

「ああ、よろしく頼む、夕凪」


 それからいくつか確認事項を共有し、本日の招集は解散となった。


「凩が師かあ~。兄ちゃんが聞いたらびっくりするだろうなあ」


 兄のことだからすごく嫌そうな顔をして心配するに違いない。


「言っとくけど、オレも弟子とかピンと来てないからね」


 気付くと横に凩がいて驚く。こいつはたまに気配無く近づいて来るから質が悪い。


「明日から早速始めようと思うけど、良いか?」

「ああ。じゃあ朝食後にお前のあの小屋に行く」

「オッケー。あ、そうだ。お昼ご飯は持参でよろしく。ついでにオレの分も持って来てくれると嬉しいなあ」

「……分かったよ。夕凪に頼んどく。辛いのいっぱい入れてもらうよ」

「ちょっと矩ちゃん!? 師に向かってひどくない?」

「こういう時だけ師とか言うな。


 わざとらしく言ってやると、凩はふっと笑って矩の頭をぐしゃりと撫でた。最後にポンと叩いて背を向ける。


「――また明日な」


(何だよ)

 矩の体から力が抜ける。

 きっと凩は矩がずっと緊張していたのを見抜いていた。


「……嫌な師だなあ」


 知らず知らずのうちに、笑みが零れた。

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雲世界の子どもたち 葵月詞菜 @kotosa3

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