今ごろ婚約破棄の破棄なんて認めません~婚約破棄された私は、義兄に溺愛される~

D@ComicWalker漫画賞受賞

第1話



 ある日の夜、私は宮殿の広間に呼び出された。婚約者である皇太子殿下によって。


「マリーダ、お前との婚約は今日限りだ。今からお前は、私とは関係のないただの女だ。早くこの宮殿から出ていけ」

 広間には、私の婚約者だった殿下の怒声が響き渡った。金髪の髪を揺らして、にらみつけるように侮蔑ぶべつの視線を向けてくる。恐怖すら感じるほど……


 人々は一瞬言葉を失って、こちらを見ている。


「何をおっしゃっているんですか。殿下と私の婚約は、今後の帝国の安定のためにも必要な……」


「くどい。私が決めたことだ。お前のような侯爵家の養女がそもそも皇太子である俺の妻になろうとしたこと自体、不敬だ。をわきまえろ」

 そう言うと、殿下は持っていた赤ワインの瓶をこちらに投げつけてくる。私の身体に直撃するギリギリのところに落下し、中のワインが私の服を汚す。


「そんな……」


「馬車はすでに用意している。養父の領地にさっさと帰るんだな。お前が宮殿に花嫁修業に入ってから、息が詰まる。お前のような女の顔は見たくもない。はやく、でていけっ!!!」

 ぼうぜんとしていた私を衛兵さんたちが肩をつかんで退場するようにうながした。


 ※


「おつらいでしょうが、ここは引いてください」

「我々も、あなた様を傷つけたくないのです。殿下がああなってしまえば、どんな無茶な命令をされるかわかりません」

「どうか、お願い致します。ここはどうか」


 ※


 顔見知りの衛兵さんに懇願こんがんされるように言われてしまえば、もう従うしかない。力なくうなずくと、私は着の身着のままで、王宮を追放される。


 自分の数年間が否定されたように感じて悲しかった。後ろを振り返ると、殿下はお気に入りの侍女の腰を引いて、その場を後にしようとしていた。私の事なんて、見向きもしないで。


 そういうことなのね。もしかして、そうなのかもしれないと疑ってはいた。でも、皇族という立場もある。そういうことは我慢しなくてはいけない。そう教えられてきた。だから、必死に見て見ぬふりをしてきた。その結果がこれなの?


 みじめすぎる。これで私は社会的にも完全に死んだ。皇族に捨てられた女なんて、リスクが高すぎて誰も寄り付かない。それに私は養女。侯爵家は、養父の実の息子である兄が継ぐ。私の実家は、侯爵家の遠い親戚で、身寄りがなかったから、慈善活動の一種で引き取ってもらったに過ぎない。ずっと侯爵家の人たちは優しかったけど、私は彼らと本当の家族になることはできなかった。


 だから、皇太子殿下の婚約者に選ばれた時は嬉しかった。ただのお荷物がやっと彼らに恩返しできるチャンスだと思ったから。


 それなのに……

 それなのに…………


 私は、侯爵家にどろを塗ってしまった。身寄りもない私を育ててくれた恩も忘れて。悲しい。私なんて、死んでしまった方がよかった。


 泣きながら馬車に揺られる。1日かかるはずの道中で、一睡もできなかった。食事なんてできるわけもない。


 自然豊かな道を走っていたはずなのに、すべてがセピア色に見える。

 きちんと、みんなに謝って死のう。せめて、それくらいは……20年育ててくれた人たちへの感謝を伝えて、謝らないといけない。


 思い返すのは、侯爵家の人たちの笑顔だった。


 養父の優しくも力強い笑顔。私が両親を失って初めての誕生日。彼は私が寂しくないように、ずっと近くにいてくれた。


 亡くなった養母は、夜、寂しくなって泣いていた私を見つけて、一晩中「私とお茶でも飲んで夜更かしをしましょ」と言って付き合ってくれた。


 義兄は、私のことを本当の妹みたいにかわいがってくれて……

 彼と泥遊びして、養母に怒られたこともある。彼と遊んでいた思い出の私はいつも笑顔だった。そして、実の両親を失った悲しみを忘れることができた。


 こんな絶望の中で思い出すのは、養父たちの優しさだけ。でも、もう私にあの優しさを向けてもらえる資格なんてない。私は彼らの名誉に傷をつけた。


 ダメだ。ダメだ。ダメだ。

 考えれば考えるほど、胸が苦しくなって、息が荒くなる。


 そして、審判の場所に到着した。王宮に上がってからは、ホームシックになってもなかなか帰ることができなかった侯爵家の領地。すべてが懐かしく、そして棘々とげとげしい。ずっと会いたかった養父や義兄がいるのに……


 ※


『この役立たずめっ、侯爵家に泥を塗るなど。お前を育てるべきではなかった』

『まさか、養女が原因で、俺の出世の道が絶たれるとは……恩を仇で返すとはこのことだ。早く目の前から消えてなくなれ』


 ※


 私の謝罪の後、こう言われるだろう。想像しただけで震える。馬車は屋敷の門をくぐった。亡き養母が大事に育てていたバラ園が私を出迎えてくれる。バラたちは、私が家を出た時と同じように美しく咲き誇っていた。


 母が亡くなってから4年経つのに、ふたりは大事にここを守っているんだ。

 それが嬉しくて悲しい。


 震えながら場所を降りると、見知った執事長とメイド長が立っていた。

 白髪と合わせたかのような髭を持つ執事長は、私の記憶よりも老けていたが、背筋を伸ばして威厳いげんある姿は健在。優しくも厳しい祖父のような存在を見ると、感情が爆発して崩れ落ちそうになる。


 メイド長は相変わらず、美しい。幼少期から私たちをお世話してくれるお母さんみたいな存在。私には3人の母がいる。生んでくれた母と、愛を教えてくれた養母。そして、マナーや勉強を叩きこんでくれたメイド長。


 懐かしい顔を見ると、心はかき乱される。


「お帰りなさいませ、マリーダ様」

「侯爵様がお待ちです。どうか、こちらへ」

 ふたりの反応はいつものように温かった。


「まだ、私を出迎えてくれるのね」

 思わずそうつぶやくと……


 メイド長は、笑って言う。

「何を言っているんですか。ここはあなたの家ですよ」

 

 執事長は続ける。

「さあ、旦那様と坊ちゃんがお待ちです。行きましょう」


 ※


 ふたりによって広間の扉がゆっくりと開く。シャンデリアのロウソクに明るく照らされたそこには正装の養父と義兄が立っていた。


 ふたりが何か言おうとしている。でも、それを遮って、私は彼らに頭を下げた。


「何をしているんだ、マリーダ」

 養父は、困惑したようにこちらに近寄って来た。


「申し訳ございません。私は養女の身ながら、侯爵家の顔に泥をってしまいました」

 涙がこぼれ落ちる。雫は床に落ちて、形を失う。ダメだ。迷惑をかけたうえに、屋敷まで汚している。役立たずすぎる自分がなさけない。


「なにをっ」

 父の言葉は最後まで発することができなかった。後ろに控えていた義兄が大きな声でそれを遮った。


「そんなことはどうでもいい。我が侯爵家のことなど今は考えなくていいのだ。それよりもマリーダ。お前のことを心配しているんだよ。私も父上も。今日だけは責任感の強い侯爵家の令嬢を演じなくていい。この空間では、お前は私の大事な妹だ。それ以上でもそれ以下でもない。だから、今は"家族"に甘えてくれよ」

 いつもは凛々りりしいはずの義兄は、すがるような声を出している。

 その優しい声を聴きながら、自分は感情が爆発した子供のように泣き崩れる。


「ごめんなさい、ごめんなさい」

 ふたりは崩れ落ちた私を抱きしめてくれた。


 ※


「マリーダは?」

「泣き疲れて寝てしまいました。メイド長が寝室に。父上、中央は何と?」

「ああ、さきほど謝罪の手紙をよこしたよ。あくまでも皇太子個人の暴走であり、中央政府の意向ではない。だから、婚約破棄の件はなかったことにしてほしいとな」

「なんと、恥知らずなっ」

「こちらの領土が交通の要衝ようしょうであり、国の生命線でもある交易に重要な場所だ。こちらを怒らせるのは自殺行為というのはわかっているのだろう」

「ですが、父上。そんなこともわからない皇太子に、大事なマリーダを任せるわけにはいきません」

「もちろんだ。不幸中の幸いだが、婚約破棄を宣言した時、周囲に多くの人がいたようだ。すでに帝都では噂が広まっている。この状況なら、婚約破棄宣言は有効だろう。もちろん、申し出を拒否する」

「よかった。当然ですね」

「ああ、だが皇太子の立場は苦しくなるだろうな」

「父上。バカ皇子のことなど知ったことではないですよ。廃嫡なり失脚なり、しっかり代償を払わせてやりましょう」

「仕方ないな」

「あの件、進めてしまっても構いませんね?」

「ああ」


 ※


「ここは……」

 目が覚めた時、私は自室のベッドにいた。そうだ、婚約破棄された私は侯爵家の屋敷に帰って来たんだ。そして、昨日は泣き疲れて……


 たぶん、メイド長が運んでくれたんだろう。しっかり着替えまで……


「おはようございます。お嬢様」

 私が起きたことに気づいたメイド長がノックした後、部屋に入ってくる。


「おはよう。あの着替えありがとっ」


「いえ、それは坊ちゃんが……いえ、アルス様が……」


「えっ!!」

 顔の体温が上昇する。恥ずかしい。


「冗談です。もちろん、私ですよ。それよりも、お嬢様。しばらくこの部屋から出ないようにしてください」


「えっ?」

 メイド長は無言で窓の外を指さした。屋敷の庭には皇族専用の馬車が止まっている。中には殿下の姿が見えた。

 どうしてここに……


「どうやら勝手に婚約破棄したことで、自分の立場が悪くなってから、お嬢様を連れ戻しに来たのでしょう」


「そんな勝手なことを」

 でも、私の心は揺れていた。立場を考えれば、婚約破棄の破棄を受けなくてはいけなくなる。

 嫌だ。あんなところに戻りたくはない。でも……


 メイド長はしずかに窓を開けた。


 ※


「オルダ侯爵、話は聞いているだろう。手紙に書いたとおりだ。ただの冗談だったんだよ。婚約破棄なんかしない。だから、マリーダと会わせてくれ」

 何を勝手なことを言ってるの。自分から婚約破棄してきたくせに。気持ち悪い。


「ええ、拝見しました」


「なら、話が早いな。今回の件で、お前たちにも迷惑をかけた。慰謝料代わりに、金を持参したんだ。口止め料みたいなもんだな。受け取ってくれ」

 まるで自分はドレイのようなものじゃない。モノのように扱われたことで、自尊心がボロボロになる。


「さきに愚息より、殿下にお話があるようです。よろしいですか?」


「どうした? 早く受け取れよ。まぁいい。それで、アルス。何が言いたい?」

 予想した展開から少し外れたことで、私は義兄の様子を見つめた。

 怒りに震えているように見えた。


「殿下、お言葉ですが、そのお金はいただけません」


「何を遠慮している。遠慮はいらないぞ」


「そういうことではないのですよ」

 そう言って呼吸を整えるように深呼吸したアルス様は続けた。


「大事な妹を、お前のような愚かな男の元に嫁がせるつもりなどないということですよ。やはり、言わなければわかりませんか」

 ハッと息をのむ。何を言ってるの。何を言ってしまっているの。そんなこと言えば……


「なにを不敬なことを言っているんだァ。私はこの国の次期皇帝だぞっ!!」


「あなたこそ、夢物語を。ここでマリーダを連れ戻せなければ、あなたは廃嫡の危機にある。どちらが主導権を握っているのか。子供でも分かるでしょう。私たちが本気になれば、国の生命線である交易路を止めることだってできるのです」


「だが、だが……そんなことすれば父上も黙っていない。帝国軍の全兵力がここに集結してっ」

 うろたえる殿下は、ついに軍事力を使って脅迫を始める。


「安心してください、殿下。すでに皇帝陛下の許諾を得ております。今回の婚約破棄を正式に認めることで、交易路の安全を保障するとね。すでに中央では、あなたの廃嫡に向けて準備が進められているはずでは?」


「そんなバカな。おい、マリーダ。でてこい。お前は俺の女だ。そんなワガママ許されるわけがない」

 ついに大声で泣き叫ぶように兄上の胸元をつかんだ。


 私は思わず窓を力いっぱい開いた。皇族を上から見下ろすなんて不敬なこと、普段の私なら絶対にできなかったはず。


「そこにいたのか。マリーダ。お前は、俺のモノだ。早くこっちに来い」

 自分勝手な理論で泣き叫ぶ彼を嫌悪感をこめて見つめる。


「マリーダ、構わない。自分の言葉で話せ」

 義兄が背中を押してくれた。


 私は深呼吸して叫んだ。


「私はモノじゃない。私を大事にしてくれなかったバカ皇子の元になんて帰りたくない。ずっとここで家族と一緒に……いるっ!!」

 涙が視界を邪魔する。言葉が感情のまま途切れる。よく見えないはずの兄の顔は笑っていたように見えた。


「少なくとも、私たちの大事な"家族"をモノのように扱うあなたとは交渉する気にもなれない。皇太子という立場で、調子に乗っていただけかもしれませんが……お前にはもうマリーダに指一本触れさせない。早くここから消えろ。お前のバカ面を見ると、虫唾むしずが走る」

 殺意を込めた口調に、恐怖を感じた皇子は「ひぃ」と声を裏返らせて、馬車にはうように逃げ出した。


「早く、帝都に戻るぞ」

 そこに戻っても廃嫡という破滅の運命しか待っていないのに。

 元・婚約者を見るのはこれが最後かもしれない。遠くに移動していく馬車を見つめながら、私はため息をついた。


「さぁ、朝食にしよう。マリーダ」

 お兄様は、さっきまでとは違う優しい笑顔をこちらに向けてくれた。


「はい」

 隠していた淡い恋心が再燃していくことを感じながら、私の幸せな生活が始まろうとしていた。

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