深窓ーSHINSOUー

白崎祈葵

第1話 ひとりぼっち 

 ローズ・ウィンスレットは、突然はっと目が覚めた。文机の前に座ったまま、顔を両腕にうつぶせてうたた寝していたようだ。首が痛い。文机の目の前にある障子からは柔らかな日の光が降りそそいでいる。


「また眠ってしまったわ。ご本を読んでると、いつも眠たくなるのよね」


 ローズは独り言を呟き、夕餉ゆうげの支度の様子でも見に行こうかしらと考えていた。何も羽織らずうたた寝していたので、背中が少し寒かった。どうか風邪をひきませんようにと祈った。ローズは薬を飲むのが嫌だった。頻繁に薬を飲むことを恐れていた。出来るだけ天然のもの、自然のものを取り入れて、生きていきたかった。なのに、ローズはよくお腹を壊したり、肌が弱くてすぐ荒れたりして、医師に薬を処方してもらうことが多かった。医師は、執事がいつも何処からともなく連れて来てくれた。ローズは、でも、一年のうちほとんどは健康に過ごした。


 特に、ローズの暮らしは食べ物に恵まれていた。いつも侍女が御膳を持って、ローズの部屋まで運んで来てくれる。たまに台所の横にある食堂で食べることもある。朝から晩まで、美味しいものばかり。食欲を抑えるのが難しく、ついつい食べ過ぎた。


 ローズは大きな屋敷で暮らしていた。日本家屋と洋館が廊下で繋がっていて、日本庭園が広がり、池には朱色や墨色、金や銀色の鯉が泳いでいる。緑も石も静けさを湛えていて、侘び寂びの世界を感じることができた。時折、幻のようにあでやかな百合の花が咲いた。それは黄昏れのような色の時もあれば、白無垢のような色の時もあった。いずれの百合の花も、ローズの心を慰めた。


 ローズは、この屋敷で一人で住んでいた。侍女達やシェフ、執事はいるのだが、ローズと口を聞いたことはなく、ローズはこの人達の声を聞いたこともないし、この人達が何処で眠っているのかも知らなかった。いつも、いつの間にか現れては、気配もなく消えている、影のような霧のような存在だった。


 ローズは、お父さんもいない、お母さんもいない、兄弟姉妹もいない、親戚も存在するのかどうかも知らない、お友達もいない、ひとりぼっちだった。ローズの世界は、この屋敷と庭園の中だけでまわっていた。屋敷と庭園の外に出たことは、一度もなかった。


 外の世界があるということすら、ローズははっきりと認識していなかった。洋館にある図書室で本を沢山読んできたローズは、ぼんやりと、違う世界、違う暮らしを妄想することはあった。ローズは、孤独な深窓の令嬢だった。まだ寂しさに苛まれたことはなかった。寂しいという感情を味わい知ることが出来ないぐらい、寂しい場所にいた。



 そんなローズを、実は見守っている存在がいた。屋敷にある黒電話の横の柱にカレンダーが掛かっていて、下半分が日付、上半分に絵が描かれている。そのカレンダーに描かれたレースの帽子をかぶった少女が、ローズのことを透き通った瞳でじっと見つめていた。


つづく……

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