6 真相

 夏休みは残り一日となった。

 堀塚は、またククリの元に来ていた。


 フードを被り、お面を付け、手には一輪の日々草を持っている。

 梯子を登って、瓶の中に花を落とすと、ククリは香りに反応した後、キャッチした。


「これは…?」

「日々草という花だ。綺麗だったから、買った」

「ありがとうございます。…嬉しいです。また、花に触れられるなんて、思ってもみませんでした」

「そうか」


 もしククリに尻尾がついていたのなら、高速で回しそうな勢いだ。背中越しでも、花の香りを嗅いだり、花弁を突いたりしているのが分かった。

 花を楽しむ彼女と、ガラス越しに背中合わせに座り、堀塚は「その…」と話を切り出した。


「ありがとう。色々」

「『色々』が何かは分かりませんが、どういたしまして」


 彼女は、彼が学校に行ったか、どうだったかなどは特に聞かず、いつも通り自分の思い出話をした。

 今回も、彼女の友人の武勇伝だった。堀塚は、時折質問や軽口を交えながら、彼女の話に耳を傾ける。楽しそうに笑う友人が好きだったし、なんだか、元気をもらえる気さえしていた。

 何十回も話を聞いたおかげで、異界にいる彼女の友人のことを、はっきりと思い描けるようになってしまった。喜ばしいことなのかどうかは分からないが、まあ、いいのだと思う。


 日が上り、傾いて、やがて夕方がやってくる。

 彼はいつも通り、そろそろ時間だと腰を上げた。


「そう言えば、ククリは食べられるものはあるか?」

「うーん…。異界学の進みはほどほどなので、何が私にとって毒かは把握していませんね…。水は、そもそもこの世界と故郷とで性質が違うので飲めませんし…。……あ、確か、カップラーメンなら大丈夫だと、文献で読んだことがあります!」

「カップラーメンだけいいのか…。なんか、お前の世界の住人って、変わってるな」

「それは、貴方から見て変わっていると言うだけです。環境が違えば、普通も変わりますよ」

「そうか」


 堀塚は立ち上がり、フードを外す。仮面の奥で、自然な笑みを浮かべた。


「よし。なら、次はカップラーメンを持ってきてやる。二人でパーティーだ」

「パーティー! いいですね。次が楽しみです」


 ククリは幸せそうに笑った。堀塚はガラスを軽く弾き、またなと手を振る。

 彼女はそれに応えるように、彼に背を向けたまま、ひらひらと手を振った。




 去っていく堀塚を眺めながら、ククリは日々草に触れる。瓶の中には、日々草の他にも、彼オススメの小説や、音楽プレイヤー、自由帳、色鉛筆などが整頓されて置かれていた。

 どれも、彼から貰ったものだ。こういう所も含めて、彼の祖母に似ていると思う。


 少しだけ、昔の話になる。


 ククリが不治の病と診断されてから二ヶ月後、とある治療法が脚光を浴び始めた。

 四次元型ゴールドスリープ療法。通称FDCS。近年確立されつつある四次元空間でコールドスリープをすることにより、病気の進行を食い止めるばかりか、病気が発症する以前の身体状態に戻せると言うもの。

 ククリはそのFDCSの第一人者であるコドン氏の指名で、映えある第一被験者に選ばれた。両親は勿論反対したが、ククリはこれで病気を治せるのならと、快く承諾した。


 彼女は、友人の見送り(友人はコドン氏の娘だった)の元、最新型のポットに入れられ、四次元空間に飛ばされるはずだった。


「ククリ、生きて!!」


 治療を始める直前、友人の叫び声とシステムエラーの爆音が耳を貫いた。彼女が自身の父親に飛びかかり、スイッチを押すのを見た。

 気づけば、ククリは故郷から飛ばされてしまっていた。治療前の説明とは違い、コールドスリープをしていない状態なので意識はあった。

 四次元空間はあらゆる危険性があるため、ポットには多様な機能が搭載されている。彼女は一通りの操作方法を習っていたものの、コールドスリープの仕方だけはわからなかった。

 彼女は長い時間、暗い闇の中を漂った。


 この世界への不時着に成功したのは、今から五ヶ月前。ちょうど、堀塚の祖母が存命の頃だった。

 突然現れた巨大な瓶に、彼女は腰を抜かすことなく、「こう言うこともあるもんだねえ」とのほほんとしていたのを覚えている。


 ククリは最初警戒し、親切にされるのも、何か裏があるに違いないと思っていた。しかし、おばあさんのコミュニケーション能力の高さと、長年の知恵のお陰か、一週間経つ頃にはククリはすっかり懐柔されていた。

 朝になり、おばあさんの姿が見えると、ククリは飛び起きて、瓶に両手をついた。


「おばあさん、おはようございます。今日はどんな話を聞かせてくれるのですか?」

「そうねえ。うちの孫の話でもしようかしらねぇ」

「お孫さん。年はいくつくらいなのですか?」

「そりゃ、ククリちゃんと同じくらいよ」

「同い年…すごい偶然ですね」


 霜の降りた芝生に湯たんぽを敷いて腰掛ける彼女から、ククリは決して少なくない話を聞いた。

 おばあさんの子供のこと、孫のこと、十日前に亡くなった夫のこと。彼女が特に心配していたのは孫のことで、曰く、優しくて、頑張りすぎるきらいがあるらしい。彼はおばあちゃんっ子、おじいちゃんっ子なので、夫が死んだ今、ショックで彼まで死なないか不安だそうだ。


「私もじきに、夫の元に行くからねぇ。心配なのよ」

「そうですか…。……私にできることがあれば、言ってください。できることは本当に少ないですが、お力になります」


 この世界に来てから、ククリは自身の体調が安定していることに気づいていた。ポットには延命処置のプログラムも組んであるので、その影響だろうか。少なくとも、あと一年は生きられそうだ。

 おばあさんは、あらまあと、頬に手を当てた。


「ここにいるのを許可したくらいで、大袈裟ねぇ」

「私の故郷では、大体こんなもんですよ」

「そうなの。…なら、一つお願いをしようかしら」


 彼女はククリの頭を撫でるように瓶を擦った。


「あの子の…孫の、話し相手になってやって」


 そう言った彼女は、誰よりも美しかった。


 

 一週間後、彼女がパタリと来なくなり、代わりに大勢の人が押しかけてきた時、ククリはその理由を察して歯を食いしばった。たった二週間の付き合いだったが、それでも、彼女はククリの恩人で、大切な人だった。

 最初は、光学迷彩を用いて様子を窺っていたが、次第に館に訪れる人は減り、青年一人となった。ククリは、彼こそ恩人の孫なのだと見守っていたが、彼はよく動き、磨いた床に達成感を含む笑みを浮かべていたので、元気そうだと思った。

 恩返しするのは、まだ先だろうか。

 それならそれで良いことなのだが、次第に彼の隈が濃くなっていることに気づき、慌てて光学迷彩機能をオフにした。


 そして、彼との交流が始まった。

 自分が彼の祖母と知り合いだと言わなかったのは、彼に気を使わせないためだった。




 彼の後ろ姿を見つめながら、ククリは日々草を鼻に近づけた。爽やかな香りが鼻腔を抜け、思わず笑みが浮かんだ。


 —ねえ、リツさん。貴方は、よく私が人懐っこいと言いますけど、実際は少し違うんです。

 私は元々引っ込み思案で、貴方のおばあちゃんとお話したから、貴方を怖がらずにお話しできました。

 最初は、貴方のことを恩人のお孫さんだと思って接していましたが、いつからか、貴方を友人だと思うようになったんです。


 ククリは、彼の影をなぞった。

 真実を語れば、彼は驚くだろうか。騙したなと怒るだろうか。それとも、ああやっぱりかと、呆れたように笑うだろうか。

 どちらにせよ、打ち明けるのは、少し先になりそうだ。

 木漏れ日が揺れ、読みかけの小説に淡い影を落とす。

 ククリはそれを手に取ると、鼻歌を口ずさみながら、物語の続きに胸を膨らませた。

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日々草 かんたけ @boukennsagashi

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