第22話 モブ領民だった男の決意
表の闘技場の一角には、地下闘技場専用の入り口があった。広い階段を降り、ごつごつとした石壁の空間を進んでいく。壁に等間隔に取り付けられた灯りは骸骨を模したものになっており、アンダーグラウンド感が出ている。
「わぁっ、賑やかだねえ」
エリが声を上げる。
地下闘技場内はかなり賑わっており、屋台からは香ばしい匂いと煙が立ち込めている。屋台の周りには人が群がっていた。地下闘技場で戦う人気戦士の顔を模した仮面や団扇も売られていて、まるで祭りの様相である。
なお、地下闘技場と言っても、完全に地下というわけではなく、よくよく見れば屋台の背後からは外が見える。
実は地下なのは、すり鉢上になった闘技場の底にある舞台とその奥にある控室だけで、屋台があるこの空間は地下ではない。ただの地下風の空間だ。だから、煙をもくもくさせていても換気はばっちり出来ている。
彼一行は屋台を眺めながら、ぞろぞろと歩いていく。
「お昼を食べたら、屋台へおやつを買いに行きましょうね」
彼の妻が娘達に声を掛けると、皆一様にきらんと瞳を輝かせた。
「エリ、いちご飴買いたい!」
「私もですわ!」
「皆、屋台はランチの後よ」
妹達を嗜めるテレジアだったが、その視線は網の上にずらりと横に並んだ焼きもろこしに行っている。地下闘技場は異国の屋台も多数出ていた。おのずと食欲が刺激され、一行からは腹の音が鳴り出す。実際、昼の時間は近かった。
「あら……?」
焼きもろこしの屋台を見ていたテレジアは、声を上げる。
その声に、屋台の前にいた三人の男達は一斉にこちらへ振り向いた。
「テレジア様!?」
「テレジア様もいらっしゃっていたのですね」
「奇遇ですね〜!」
三人の男達は中途半端な笑顔を浮かべ、ぺこぺこと頭を下げながらこちらへとやってくる。年齢は三十代から四十代と言ったところか。皆簡素な丸首シャツに綿のズボン姿で、洗練されていない。猫背がちな姿勢を見るに平民だろう。
少々頭が後退したぽっちゃりした男と、体型は普通だが顔にニキビが目立つ男、それにひょろりと背が高い男がそこにいた。
「あら、貴方達は染め物工場の……」
彼の妻も、彼らに見覚えがあるらしい。口に手を当てて「あら」と言った。
「お嬢、ご無沙汰してます!」
「まあまあ、皆さんお久しぶりですね! ……旦那様、こちらは我が家の染め物工場で働いて下さってる方達です」
「お世話になっております」
妻に促され、彼は胸の下に腕を当てると、恭しく腰を折る。その所作に、三人の男達はひえっと声を出して仰け反った。
ぽっちゃりな男は、手のひらを向けてぶんぶんと横に振る。
「いや、そんな……! 私らなんかに腰を折るなんて……!」
「やめてくださいよ、旦那様!」
「染め物工場の仕事は重労働だと聞きます。いつもありがとうございます」
彼は
三人の男達は頬を染め、しばしぽーっとする。
惚けている三人の男達を見た彼の妻は、何か良いことでも思いついたのか、ぱんっと手を叩いた。
「ねえ、良かったら皆さんも一緒にお昼にしませんか? パンドミ包み、たくさん作ってきたんです」
彼の妻の突然の提案に、彼らはハッと正気を取り戻すと、互いの顔を見合わせた。
「えっ……」
「で、でも」
「旦那様、いいですよね?」
「ああ、構わない」
額から汗を流し、言い淀む三人の男達だったが、妻の提案に彼はすぐに承諾した。
妻の実家は領主家の人間と領民の距離が近く、見回りの際に領民と共に食事をすることはよくあった。
さらに人数が増えた一行は、地下闘技場の観客席へ入る。彼が予約した席は、十二人入れる団体のVIP席だ。当初の参加人数に比べ席数が多いのは、ただ単にここしか取れなかったからである。
(人数が増えてちょうど良かったな。……空席が多いと悪目立ちする)
彼は三人の男達に声を掛けた。
「良かったらここで観ていきますか? 席も余っていますし」
「えええっ!? い、いいんですかぁ!!」
驚く三人の男達に、娘達は歓迎した。
「大勢で見た方が楽しいですわ!」
「兄さん達もエリ達と一緒に見よう!」
「……迷惑だったかしら?」
エリとターニャは男達の手を握ると、ぐいぐい引っ張る。
テレジアだけは「せっかく気の置けない作業員仲間だけで観に来ていたのに、誘って迷惑じゃなかったかしら?」と、気にしていた。
三人の男達は大慌てで否定する。
「いえっ! 迷惑だなんてそんな!」
「めちゃくちゃ光栄ですよ!」
「ありがとうございます! 嬉しいです!」
そんなこんなで、彼とその妻、子ども四人、護衛の女性騎士一人、染め物工場で働く領民の男達三人の計十人で試合を観戦することとなった。
◆
染め物工場で働く領民の男達三人は、戸惑っていた。
何せどこからどう見ても冴えない平民の自分達が、領主家の方々と一緒に闘技大会を観戦することになったのだから。
領民にとって領主家とは、雲の上の存在だ。テレジアをはじめ侯爵家の人間達は領民にフレンドリーに接してくれるものの、身分差という隔たりはどうしてもある。
(テレジア様とミルクセーキを飲んだってだけでも、奇跡なのに……)
三人の男達の中で一番若い男はちらりとテレジアを見ると、慌てて視線を逸らした。
この三人の男達は、第13話と第14話に出てきた者達だ。
テレジアの護衛だった騎士の男に不当に絡まれていたところ、テレジアに助けられたのだ。そして嫌な思いをさせたお詫びにと、その後ミルクセーキをご馳走になった。
今日、この三人の男達が地下闘技場へ来たのには理由がある。三人の男達はテレジアに助けられた後、今度は自分達がテレジアを助けられるようになろうと、心に決めたのだ。
地下闘技場で、人の戦い方を観て勉強しようと思ったのである。
特にこのニキビが目立つ──一番若い、三十四歳のリットは本気で、テレジアに助けられた次の日から民間の剣術道場へ毎日通っている。
俯くリットに近寄る影があった。
「リット、嫌いなものはない?」
ふわりと花のような匂いがしたと思ったら、そこには紙皿におかずとパンドミ包みを乗せたテレジアがいた。リットは「ありがとうございます」と礼を言いながら、紙皿を受け取る。
気がつけば、テレジアの母親は大きな弁当箱を開けて皆に食事を配り始めていた。
あたりに美味しそうな匂いが立ち込める。
「テレジア様、俺、民間ですけど……剣術道場へ通い始めたんです」
リットの突然の言葉に、テレジアはぱちぱちと瞬きする。
「まあ、そうなの? どうして?」
「あはは、運動不足解消にいっかなーー……なんて思いまして」
ここでバカ正直に「あなたを護りたいから」とは言えなかった。テレジアはまだ九歳だが、大の大人であるリットよりも強い。そこは空気を読んだ。
「それにニキビ解消に良いらしいんですよ。運動は」
「ほんとう? ニキビ、良くなるといいわね。せっかくリットは男前なのだもの」
(テレジア様は本当にお優しいな……)
テレジアの言葉をリットは噛み締める。
リットは真面目に働く男であったが、ニキビ肌のせいで女性から敬遠されがちな人生だった。
だが、テレジアはけしてリットを避けたり、疎んじるような視線は向けなかった。染め物工場でもテレジアが気安くリットへ話しかけるからか、他の女性作業員もリットを嫌がるような者はいなかった。
「ははっ、男前は言い過ぎですよ」
(男前ってのは、テレジア様のお父上みたいな方のことを言うんだよな)
リットは、テレジアの後方にいる彼女の父親を見る。白いシャツと灰色のベスト、それにベストと同色のタイトなズボンというシンプルな格好をしていてもめちゃくちゃカッコいい。
本当にあの人は自分と同世代の男なのか? いや、同じ人類なのか? とさえ思う。
短い黒髪は艶々サラサラで、肌がびっくりするほど綺麗で、顔のパーツひとつひとつが整いすぎている。顔は小さく、手足が長い。二度見するほど、スタイルが良い。
(さすがテレジア様のお父上は違うぜ……!)
リットはうんうんと一人で頷きながら、四角く切られた厚焼き玉子を頬張る。
「めっっ……ちゃ、ウマ……!」
玉子の美味しさにリットは目を見張る。
ふとこれを作ったであろうテレジアの母親の方を見ると、彼女はぐっと親指を立てていた。
リットも無言で親指を立て返す。
(テレジア様のお父上……料理がウマい奥さんがいて羨ましいな)
三十四歳のリットも何度か結婚を考え、同じ染め物工場で働いてる世話焼きおばちゃんの紹介で見合いをしたが、一つも上手くいかなかった。恋人いない歴=年齢のリットは、とあることを心に決めていた。
(俺はこれからも侯爵領のためにバリバリ働いて、そんでもってテレジア様を護れるぐらい強くなるぞ!)
リットは自分の家族を持てない。だからその分の余力は侯爵領やテレジアの為に使おうと思っている。
実際、侯爵家には世話になってきた。母を幼い頃に亡くし、父を戦争で亡くしたリットには学が無かったが、それでも侯爵家の染め物工場は雇ってくれたのだ。彼はテレジアと侯爵家に並々ならぬ恩を感じている。
(恩を返そう、絶対に)
リットは甘く煮たキャロットを口に含み、ごくりと飲み込みながら、そう改めて決意した。
◆◆◆
リットを含めた三人の男達のエピソードはコチラ
https://kakuyomu.jp/works/16817330660757737602/episodes/16817330661852183211
https://kakuyomu.jp/works/16817330660757737602/episodes/16817330661911746438
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます