第13話 女領主テレジア
艶やかな毛先を波打たせたテレジアは、微笑を湛えながら歩いている。
先日、少しだけだが父と良い雰囲気で話せた彼女は、すこぶるご機嫌だ。
「テレジア様、何か良いことでもあったのですか?」
近衛部隊から出向している若い騎士が、にこやかにテレジアへ話しかける。
「え、ええ、工場の見回りが楽しみでなりませんの」
テレジアは貼り付けたような笑みで、騎士の問いに答える。
(……いけない。顔に出てしまっていたわ。私は侯爵家の次期当主。いつ如何なる時でも、冷静でいなくては)
今日、テレジアは侯爵家が運営する工場の見回りに来ている。彼女の服装は、襟付きシャツに丈が短めなタックハーフパンツといういつもの制服スタイルだ。
自領だけではなく、王都にも工場があり、テレジアはちょくちょく顔を出していた。
少しでも良い環境で働いて貰えるよう、テレジアは領民の声に耳を傾けている。工場内に意見箱を設置し、その声を工場運営に取り入れている。
テレジアはすでに、領主としての仕事をはじめていた。
(領民の皆さんに会えるのは嬉しいのだけど)
テレジアは隣にいる騎士の顔をちらりと見上げる。工場の見回りの度、護衛の騎士を付けられてしまうのが悩みの種だった。しかも、生え抜きの近衛部隊の騎士ばかり警護に来る。
(……この人達、本当に邪魔なのよね)
騎士の整った横顔を見る、テレジアの視線は冷ややかだ。
何故なら、生え抜きの近衛部隊の騎士は名門貴族家の次男三男が多く、ろくに戦いの経験のない者ばかりで、とにかく弱い。
弱くても人柄が良いのならまだ許せるのだが、家の名を笠に着たイキリくそ野郎ばかりなのだ。
少女向けの恋愛小説に出てくるイケメン騎士は、内面もイケメンだったりするが、現実の血統と顔ばかり良い騎士の内面はだいたい死んでいる。
ちょっと微笑めば、女はすぐに自分に堕ちると思っている害悪だった。
血統と顔ばかり良いイキリくそ野郎は全滅してくれないかとテレジアは常々願っているが、こういう男の需要は絶えないので無理だ。どうして世の中の女性は家柄と顔と肩書きにああも弱いのだろうかと、家柄と顔と肩書きに恵まれすぎているスパダリ少女・テレジアは嘆く。
正直なところ、護衛は断りたかった。だが、父の手前出来なかった。無能な近衛部隊の騎士達に危険性のない任務を割り振るのに、父も苦労していたからだ。
今、隣にいる騎士もおそらくは血統と顔しか誇れるものがない量産型イキリくそ野郎だろう。もう一目見ただけで分かる。お高そうな香水の臭いにイライラした。
テレジアは、自分の拳をぐっと握りしめる。
(……父上のためだもの。我慢するしかないわ)
テレジアは大好きな父の顔を思い浮かべる。それだけで、沈んでいた気分が上がる気がした。
◆
「テレジア様!」
「テレジア様がいらっしゃったぞ!」
工場に顔を出すと、皆の顔がパアアアと輝いた。ここは侯爵家が運営する服飾工場で、主に染め物をしている。
染料の独特な匂いが充満していたが、テレジアは微笑みを崩さない。むしろ、彼女の口角はぐっと上がった。
(ああ〜! いい匂い! これよ、これ!)
この実家に帰ってきた感、たまらないとばかりに、テレジアは目を細める。
テレジアは王都の兵学校へ上がるまで、ずっと田舎の領で暮らしてきた。田舎では領主家の人間と領民の垣根はあまりなく、皆が皆、親戚のようだった。(※テレジアの父は除く)
テレジアの祖父も、領民達から「おやかた様」と呼ばれ、親しまれている。母も「お嬢」と呼ばれていた。
自分も祖父や母のように領民達から愛される存在になりたいと、テレジアは願っている。
「皆、変わりはない?」
「ええ、元気です!」
「テレジア様、お元気そうで何よりでございます」
領民達は作業の手を止めると、テレジアの元へ一斉に駆け寄ってくる。
テレジアはにこにこと言葉を交わしているが、その後ろで、護衛の騎士は真っ青な顔をしていた。
(やっぱり……)
テレジアはじと目で後方を睨む。
労働らしい労働をしたことがない近衛部隊の騎士は、工場のような独特の匂いがする空間が苦手だ。特務部隊出身者なら平然としているのだが、特務部隊出身者は仕事が出来るのでテレジアの護衛には来ない。
侯爵家の工場は王都でも特に治安の良い場所にある。昼間なら女性が一人で歩いていてもなんの問題もない。テレジアのような武術の心得がある人間なら尚更だ。
テレジアは作業員達に一通り声を掛けると、事務室へ入る。いつも通り、意見箱の中身を確認した。
備品の追加購入の要望を目にすると、その場で総務担当を呼び出した。備品の購入は領主家の人間の決裁があれば簡単に通るが、作業員の要望だと難しいこともある。
意見箱の意見の大半は、テレジアへの感謝の言葉で埋めつくされている。
テレジア的にはもっと要望を書いてくれてもいいのにと思うが、感謝されて悪い気はしない。
一通り仕事を終えたテレジアは、後方に控えていた騎士に「ちょっと手洗いへ行ってきます」と告げ、席を外す。用足しの報告が恥ずかしいからと遠回しな言い方をする令嬢もいるが、自分の父から「男は文字通り受け取る人間もいるから、
用足しを終えたテレジアは、外から争うような声が聞こえ、窓の外の様子を窺った。
外には、先ほどまで自分の後ろに控えていた騎士と、作業員の男達がいた。
「お前達、事務室にはテレジア様がいらっしゃったのだよ。それなのに、物の運搬にここの廊下を使うとは何事か!」
どうも作業員の男達は、箱に詰まった商品を事務室の側で運んでいたらしい。それを騎士の男は不満に感じたようだ。萎縮しきっている作業員の男達相手に、偉そうに注意していた。
(……まったく、これだからコネ入団の騎士は嫌なのよ)
テレジアは腹の底からため息をつく。
王城は名家出身者ばかりが集まるので、貴族だからと言ってチヤホヤされることはない。実家領ではいばり散らしていた男も、一介の騎士に過ぎないのだ。だから、日頃から鬱憤を溜めており、少しでも自分が優位に立てる場面だと思うと、すぐに因縁をつける。
(私はぜったい、騎士や貴族と結婚しないわ)
テレジアは今まで数多くの騎士や貴族の男達を見てきたが、殆どの者が見栄えと血統ばかりいいクズであった。なぜ騎士がヒーローの恋愛小説が人気なのか、不思議で仕方ない。
自分は実直に働く者と一緒になりたい。別に貴族でなくともいい。領民の福祉を真剣に考えてくれる男と夫婦になりたいと思っている。
騎士の男は作業員に注意してすぐに立ち去るのかと思いきや、おどおどしている様子に腹を立てたのだろう。なんと作業員の男の胸ぐらを掴んだ。
「汚い顔をしおって、下民が!」
(いけない!)
さすがにこの事態は見逃せない。父の立場のこともあり、騎士の男が口頭注意だけで済ますならこの場は我慢しようと考えていたが、作業員が、領民が、暴力を受けるのは耐えられない。それに、下民だなんて。なんたる侮辱だろうか。
テレジアは即座に外へ出ると、一目散に駆け出し、二人の間に割って入ると、今まさに作業員へと振り下ろされようとしていた拳をバシリッと手のひらで受け止めた。
テレジアの鼻梁に、一筋の汗が滴り落ちる。
「──テレジア様っ!?」
「……これは見過ごせませんわ」
(父上の殴打に比べれば、屁でもないわ!)
テレジアの父は手加減が苦手で、稽古をつける時にうっかり娘に攻撃を加えてしまうことがあった。テレジアはその時のことを思い出す。──あれは死を覚悟した。
成人男性の、それも騎士の拳を受け止めるのは九歳のテレジアには容易とは言い難く、手が痺れてしまったが、彼女は何でもないと言わんばかりに手首をぶらぶら振った。
「テレジア様、これはその……違うのです!」
「何が違うというの? あなた、今ここでこの者達に因縁を付けていたでしょう? 私、見ていたのよ……!」
騎士の男は先ほどの尊大な態度はどこへやら、必死になって弁明しようとする。だがそんな姑息な態度に、テレジアのこめかみはブチブチブチィと音を立てて切れる。
「その者達は、テレジア様がいらっしゃるお部屋の前を通ったのですよ!」
騎士の男は、作業員を指差した。
「それの何が悪いの?」
「テレジア様は陛下の姪御であられます! こんな汚らしいげ……平民が、易々と近寄っていい存在ではありません!」
「私も、この者達も、あなたも、ただの人間に過ぎない……! 私とあなたはたまたま良い家に生まれただけ。それなのに、差別するの? この者達は、一生懸命働いてくれているのに、讃えることはあっても蔑むなんてあり得ないわ!」
(愚かしい……!)
テレジアの母は、口に出しては言わないものの、侯爵家の一人娘であった人生を良くは思っていない。皆から傅かれる自身に疑問を持っていた。
祖父も、「貴族は領民の税で生かされている。むしろ底辺の存在だ」と言い、領主は領民のために生きるべきだと言っている。
テレジアの言葉に、騎士は前髪をかきあげながら「ハッ」と馬鹿にしたようなうすら笑いを浮かべた。
「テレジア様はまだお子様だから分からないのでしょうが、私達とこの者達は違いますよ」
「だまりなさい……」
「えっ?」
「私と、あなたを一緒にしないで!」
テレジアの渾身の右ストレートが、騎士の男の左頬に炸裂する。
騎士の男の頬がクレーターのように大きくえぐれ、黒皮のブーツの底が地面を削った。
「その腐った考え、叩き直してくれるわ!」
倒れようとする騎士の男の腹に、テレジアは今度は左フックをお見舞いする。目にも止まらぬ速さで
騎士の男の首は、曲がってはいけない方向にまで曲がっていく。
テレジアの黒髪ツインテールが宙を舞った。
「ぐへぇあぁっ!!」
この騎士の男は王城内ではワンコ系のイケメン騎士として通っており、同時に付き合っている侍女は三人もいた。なお、昨夜は未亡人の貴族女性と朝まで裸でレスリングをしていたので寝不足だった。
そんな状態で、「宗国の猟犬」と謳われる男の長女の猛攻に耐えられるわけは無く。
そのまま口から泡を吹くと、その場に崩れ落ちた。
「──ふんっ!」
テレジアは鼻から息を吐き出すと、ぱんぱんと手のひらを打ち鳴らした。
「テレジア様!」
「テレジアさまぁっ!」
「すみません、すみません!」
作業員の男達は涙を浮かべながら、少女のその逞しい背へ向かって駆け出した。
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