第21話 エリの行きたいところ

「エリね、パパと一緒に行きたいとこあるんだ」


 稽古が終わった後、エリを兵学校の寮まで送り届けていた時のことだった。

 寮の門まで来たところで、エリは自分の鞄の中から、四つ折りにした紙を取り出したのだ。


 (行きたいところと言ってもなぁ……)


 彼は王の護衛官。王の許可がない限り、王城敷地内から出ることは許されない。

 可愛い娘のおねだりは出来る限り叶えてやりたいが、難しいだろうなと思いつつ、彼はエリから渡された紙をぺらりと開く。


 その紙にはデカデカと「地下闘技場〜王者集う夏の祭典〜」と書いてあった。

 戦争に勝ち続け、好景気が続いているこの国の印刷技術の向上は目覚ましい。勇ましい男達が、ファイティングポーズを取っている様が二色刷りされていた。


 地下闘技場というと物騒な印象を持たれがちだが、王城敷地内にある歴とした公共私設だ。試合は定期的に行われていて、勝敗は賭けの対象でもある。その売り上げは大事な税収の一つだ。


「クラスの子が見に行ってさ、『すごかった!』って言ってたよ!」


 子どもが本当に楽しかった場合は、「楽しかった」とは言わないものだ。「すごかった!」とクラスメイトに言っていたということは、本当に面白かったのだろう。


 彼は注意深く、印刷された男達の姿を見る。チラシの右上の方、小さくだが見知った顔があった。


 (これは……ブルーノ?)


 羽を広げたコウモリを模したような戦化粧を、顔の中央に施している男を注視する。

 髪をきっちり後ろへ流したオールバックに小さな目、特徴的な細い口髭。これはブルーノで間違い無いだろう。


 特務部隊は近衛部隊とは違い、歩合割合が高い。つまり任務が無いと収入が増えないのだ。平時の際、副業に手を出す特務部隊の騎士や兵士は多いが、団長が副業を行うのはさすがにまずいだろう。

 ここの部隊は出世しても食えないと言っているようなものだ。


 (ブルーノは三年連続戦果一位だったはずだ。金に困っているとは思えないが……)


 たびたびブルーノに絡まれていた彼は、ブルーノのことを調べていた。ブルーノは三年連続戦果一位になり、表彰もされている。おそらく報奨金もたんまり貰っていると思われる。この三年で、小さな屋敷なら王都にでも構えられるぐらい稼いだはずだ。


 それなのに、地下闘技場で副業をしている。


 (……これは調べた方がよさそうだな)


 地下闘技場は王城敷地内にある。ここならば、特に許可がなくとも行くことが出来るだろう。


「エリ、次の休みにでも行こうか。地下闘技場へ」

「えっ、ほんと? いいの?」

「ああ、ママ達も誘って皆で行こう」


 別の部隊の団長の、素行調査をしているとバレたらまずい。下手すると部隊間の関係が悪化しかねない。これからも、特務部隊から人が欲しいのだ。なるべくなら良好な関係を続けたいと彼は思っている。

 彼は家族サービスに託けて、ブルーノのことを調べることにした。


 (それに、地下闘技場は親子連れに優しい施設だったはずだ)


 最近の地下闘技場は子ども連れに配慮した施設になっていて、キッズスペースや広い個室の手洗い、授乳室もある。屋台も多数出店し、武闘に興味が無い女性や子どもでも楽しめる空間になっているという。


「やったぁ! 嬉しいな。姉者とターニャも誘ってみる!」

「ああ」


 父親の思惑を知らないエリは両手を振り上げて大喜びする。

 鞄を背負い直したエリは、彼に向かって大手を振ると、寮へ向かって軽やかに駆けていった。


 ◆


 それから七日後、彼とその家族は地下闘技場のある、闘技場の前にいた。

 地下闘技場は文字通り、闘技場の地下にある。王城からは徒歩で三十分も掛からない場所にあった。

 収容人数は表の闘技場が約二千人で、地下闘技場は約一千人。円形の建物で、その中央には砂地の舞台がある。


 今日は彼とその妻、そして三人の娘と末っ子長男が来ていた。そして念のため、近衛部隊から護衛を一人呼んでいる。


「閣下、よろしいのですか? 親子水入らずのところに私が参加してしまって……」


 近衛部隊団長補佐官のリーリエは、綺麗に整えた眉を下げる。普段はクールな表情を崩さないが、今日は平服姿だからだろうか、困ったその顔に人間みを感じる。

 リーリエはノーカラーシャツにタイトなズボンを合わせ、腰に剣帯を巻いていた。淡い茶色の髪は頭の後ろで一本に結えている。すらりと背が高く細身な彼女に似合っていた。


「あら〜〜、いいんですよ! 大勢の方が楽しいわ」


 彼が答える前に、頭に三角巾をつけエプロンドレスを着た彼の妻が、笑顔でリーリエの背中をぽんと軽く押す。


「うふふ、リーリエさんの分もたくさんパンドミ包みを作ってきたのよ。後でぜひ、召し上がってくださいね」

「あ、ありがとうございます! 奥様!」


 パンドミは宗国風山型パンのことで、薄く切ったパンドミに野菜や玉子、炙った肉などを挟んだものをパンドミ包みと呼ぶ。宗国では定番のお弁当だ。なお、そのお弁当は背嚢に入れられ、彼に背負われている。

 彼もリーリエと同じような平服を着ていた。今日は家族サービスを頑張るお父さんスタイルである。剣は邪魔になるので下げていないが、かっちりとしたベストや幅の広いベルトの内側には暗器を仕込んでいる。

 娘達は学校の制服姿だ。


 母親の話を聞いた娘達は、嬉しそうに騒ぎ出す。


「お母様の作ったパンドミ包み……! 大好きですわ」


 ターニャは頬に手を当てると、目をキラキラさせる。


「エリは玉子とトマトのパンドミ包みが好きっ! 姉者は?」

「私はキャロットサラダのパンドミ包みが好きかな」


 キャッキャと騒ぐ娘達に、末っ子長男を腕に抱き抱えた彼は目を細める。姉妹の仲の良い様を見るのは良いものだ。


「おとうしゃ」

「何だ? エミリオ」


 王都へ来た初日は父親相手に恥ずかしがり、母親の後ろに隠れていた末っ子長男のエミリオだったが、今日は彼にべったりだった。


「なんでもないっ」


 もうすぐ三歳になるエミリオは彼の首に短い腕を回すと、ぎゅっと抱きついた。

 息子の謎の行動に、彼の心臓はぎゅっと鷲掴みにされる。


 (可愛いなぁ)


 エミリオの髪は栗毛のくるっくるの癖っ毛で、髪型も相まって天使みたいで非常に可愛らしい。四人目にして初めての男の子だという点だけでも親としては堪らないのに、見た目も天使みたいだなんて反則だと、彼は脳内をお花畑にして思う。可愛い息子に胸がキュンと疼く。


 (はっ、いかんいかん)


 つい、我が子可愛さに目的を見失いそうになる。

 今日、地下闘技場へ来たのは家族サービスだけが目的ではないのだ。


 (ブルーノのことを、調べなくては)

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